自分の考えをまとめたり発展させるために、人と話をすることが有効なことが、わたしの場合はチョコチョコあります。
昨日の生徒交流会のことを話している最中に、ふと考えたことがありました。それは、「日本人からのカムアウト」ということです。
従来、どうしても当事者*1に対して、そうではない生徒*2は差別問題にかかわる時「随伴者的存在」あるいは、「支える人」というふうにしかとらえられてきませんでした*3。そうした、「マス」としてしかとらえられない「非当事者」というとらえかたはおかしいだろうと、先行研究などに触れながらずっと考えてきました。そのことに、昨日の「日本人交流会」がひとつのヒントを与えてくれたような気がしました。
つまり、「君のことを知っている」というカムアウトは「あり」だろう、ということです。いや、「なにをいまさら」という話なんですけど、これも「君との関係を変えていきたい」ということに他ならない態度表明なわけです。まさに、全朝教が「本名を呼び名のる」としてきた、それそのものです。そうなんだよなぁ…。まさに、原点だ!
日: 2006年8月20日
夜は交流会
一応公式の「全国交流会」はあるのですが、体力が持たないので、お友だちがやる私的な小さい交流会に参加。机を囲んでのんびり楽しむ交流会が持てました。
そこに、沖縄で社会学を専攻している人も参加してくれました。
2時間ほど騒いだあと、数人でラーメン屋へ。しかし、おいしいけど食べられへんって。まぁ、元気な人たちだわ。
10時過ぎにホテルに帰ると、1回の飲み屋でみなさん呑んでおられたみたいです。一度部屋に帰って荷物をおいてからと思って、部屋にもどってベッドに座ったとたん、スイッチが切れました。
実は、全国在日外国人教育研究集会・神奈川大会・第1日目
交流会の2日目は、今年は全国在日外国人教育研究集会の1日目、全体会と重なっています。お昼頃に話しあいとかを終了して、全体会の会場へ移動。その後、全体会で2日間の論議の発表を生徒たちが行いました。ステージの上に、約100人の在日外国人(含む、日本人)の生徒たちが、一晩語り尽くして本当に疲れながらも、充実した2日間を過ごしたことを感じさせる姿が並ぶ風景は、やはり感動的ですね。わたしたち教員も、この瞬間を見るために1年間かけて準備をしていると言っても過言じゃない気がします。
生徒たちのステージのあとは、地元報告です。チャンゴありブレイクダンスありラップありのパワフルなステージです*1が、疲れ切っているために、ロビーで交流会の参加者達とダラダラ冗談を言って過ごしました。地元のみなさん、ごめんなさい。って、誰も読んでないか…。
*1:たぶん、参加者はついていけてない気がする(笑)
状況から再構築する感性
昨日の夜、教員のミーティングで出た話を実行委員の生徒たちに伝えたのですが、どうやらうまく伝わっていなかったようです。というか、やはり司会はむずかしい。
当然一人一人の持つ「しんどさ」には違いがあります。あるいは、そのしんどさを「しんどい」と感じるかどうかについても違いがあります。このふたつの「違い」が、自分の経験を時として「取るに足りない経験」「語るに値しない経験」としてしまうことがあります。その結果「なにかあった?」と司会がたずねても、誰もなにも答えないということが起こってしまいます。
自分の置かれた状況や経験から、「なにが理不尽であるのか」ということを感じとるには、やはり「感性」が必要なんだと思いました。その感性を磨くためには、自分と自分のまわりのことを分析できる力が必要です。でも、「理不尽な状況」から自分自身を防衛するために、そういう力がマスクされてしまう。その力をとりもどすことが必要かなぁと思いました。
全国在日外国人生徒交流会・第2日目
朦朧としながら目覚め。とりあえず、食堂に行って朝食です。朝食が終わったら、ひたすら皿洗い。生徒たちも簡単に掃除。その後、子どもたちは話しあいの時間です。