そんなこんなで、ちょっと早めに家に帰れました。家に帰るとお隣さんが道を掃除しておられます。「こんにちは」と声をかけたのですが、無視。もう一度「こんにちは」と声をかけて「あの〜、◯◯さんのお姉さんなんですよね」とたたみかけると、驚いた顔で「◯◯を知っているんですか?」みたいなところから、やっと会話が成立。
で、しばらく話をしていたのですが、どうも話がかみあいません。やがて、キーワードが来ました。「おたく、ここの奥さんと違いますね。そういえば、ここのご主人も学校の先生をされているらしいけど、おたくさんもされているんですか?」。さて、どう答えたものかなぁと思いながら「はい、わたしもやっています」とごまかしてしまいました。
しかしさぁ、わたし、引っ越した時に名刺を持ってあいさつにいったぞ。インパクトが薄かったのかなぁ…。
日: 2006年5月16日
人に伝えるということ
今日は、人権教育研究会の総会です。午後からは記念講演。今日のテーマは在日外国人、なかでも新渡日の子どもたちの話です。
講師の人の体験を語られるのですが、それはそれはまぁ、すざまじい経験をされています。知らない言語は、「聞いても意味がとれず、見ても記号にしか見えない」ということを、きわめてわかりやすく伝えて下さいました。
もっとも、これ、数学の授業をしていると、日常茶飯事に起こることなんですけどね。わたしたちにとって「lim h→0」みたいなことを書いたとしても、はじめて習った子どもたちには、まったくの異文化の記号だろうし、その時に「ちょっと待って、それって何が書いてあるの?」と聞いてくれる関係をつくっていなかったら、生徒たちが「わかっていない」事にすら無頓着になってしまう可能性があるわけです。そういう意味でも、すごく意味のある話でした。
しかし、ライフヒストリーがすごい。「いじめにあって」「がまんをして」「がまんできなくなって」「荒れて」「暴走族に入って」「そこではみんな立場こそ違えど、同じような経験をしていて」「心の安住すらすれども」「逆もどりできなくなって」「鑑別所に入って」「出てきたらヤクザ予備軍」。
パターンといえばパターンなんですけど、目の前の人が「そうであった」というのはまたぜんぜん違う迫力がありますね。で、必死に足抜けをしようとするのですが、なかなか許してもらえない。そのために、昼間はまじめなサラリーマン、夜はギンギンのヤクザという二重生活を余儀なくされてしまうという。そのころの写真を見せてもらいましたけど、聞いている人たち、爆笑でした。どんな感じかというと、わたしの10年前の写真*1と今の写真を並べて「昼と夜の顔です」というのの2倍以上のインパクトがあります(笑)。
そこからは、父親の死→更正→子どもたちのために働きはじめるという話になっていきます。このあたりは、う〜ん、ゴメンやけど、たんなるサクセスストーリーになってしまうんだな、これが…。「父親の死」が本人にすごくインパクトを与えたのはよくわかるし、「荒れ」からの脱出の糸口みたいなものがあるのはあるんだけど…。「結局特殊な事情だよな」みたいな感じになってしまう。
と、ここまで書いてふと我が身を振り返るわけです。自分とどの程度違うのだろう。わたしの話って、下手をすると*2サクセスストーリーととらえかねられない内容になりがちかな*3?でも、それが「いつきだから」ですんでしまったら、結局何も残らない。個人の体験に、いかにして普遍性を持たせるかということは、とても難しいけど、それをしないと「語る」意味がない。そんなことを感じさせられました。