言ったからなにかあるの?

最近、校長さんの自殺が相次いでいますね。なんか暗澹たる気分になります。
ちょっと前までは「先生なんてぜったいするのイヤ!」とか言っている生徒に「まぁ、教員という仕事も悪くはないよ」と話していたんですけど、最近は「まぁ、よほどしたいんならとめないけど、やめたほうがいいんじゃない」という気分です。現役の教員がそんなことを言いたくなるような世の中ですから、そういう感じなんでしょうね。
で、「言ったから」っていうのは、「報告」にかかわる話です。
「できたこと」の報告をするのは、別にたいしたことじゃないです。もっとも、「できたこと」ばっかり報告するのは変だなぁと勘ぐられるかもしれませんが、それはまぁおいといて…。問題は「できなかったこと」の報告です。これ、しにくいですよね。でも、もしもきちんと相談できる人間関係があって、適当なアドバイスがもらえるなら、案外「できなかったこと」も報告しやすいのかもしません。
じゃぁ、イジメの話。
仮に、「ウチの学校でイジメがあります」という報告を、教育委員会にしたとしましょう。すると、教育委員会はどう動くか…。まずは「いじめられている子どもを守りなさい」とか「家庭訪問などにより、親の理解を得られるように、きちんと対処せよ」という話でしょうか。あとは「いじめている子どもの心の内面に迫れるように指導をせよ」という話でしょうか。
いや、こんなことは現場はやっているわけです。なんのアドバイスにもなっていないです。
で、さらに「より詳細な報告をあげよ」とかいう話が出てくる可能性もあります。これ、ほとんど意味がないし、逆に仕事の増量なわけです。そんな報告書をまとめているヒマがあったら、現場としては、生徒と話し込まなくちゃならないわけです。
となると、教育委員会に報告するメリットってなにもないです。
さらに、そのことが勤務評定とかかわってくるとすれば、デメリットの方が大きくなる。となると、だれが報告なんてするんでしょうか?
で、もしもなにか起こったとしても、結局頭を下げるのは現場*1です。教育委員会は責任をとってくれるわけじゃないです。ましてや、文部科学省が責任をとるかというと、んなわけがない。逆に、「指導」を強めるだけですわ。
となると、だれが「どこかに報告をしよう」と思うかということです。で、なにもなく穏便に過ぎたらそれでOKなわけです。だって、何かおこったとしたら、どうせ責任をとらなくちゃならないのは現場ですから。

もしも、報告をあげた時に、例えば至急にスクールカウンセラーを派遣する。あるいは、教員の増員をする。さらには、なんらかの予算措置をして、その事態に直接かかわっている教員の授業時数を軽減するなどの処置が執れるようにするという、具体的な支援をしてくれるならば、報告をあげる意味があります。んなもんないのに、逆に「なんでやねん」と責められるならば、ねぇ…。

「話をしない」人に対して「なぜ話をしない!」と怒るんじゃなくて、「なぜ話してくれないか」とその問いを自分に向けるような考え方をすることが大切だと思うし、それが教育にかかわる人間の発想だと思うんだけどなぁ。

*1:含む、校長

どんなけ…

  • 朝ご飯

朝起きたら名古屋。まぁ泊まる気だったから、これで正しいんですけどね。
みんなで某フォーラムの会場へ。とりあえず受付をすませて、朝ご飯を食べに行こうと言うことで、会場を出ました。ブラブラ歩いていると「吉野屋」。朝から豚丼はきついです。なので、パス。その向こうに喫茶店があります。「喫茶店、ありますよ」と言ったのですが、みなさん無視。その向こうに目線は行っています。もしかしたら…。「ビールほしいんですか?」と聞くと、「もちろん」というあたりまえの返事。ところが、名古屋って品行方正な町みたいで、朝10時からお酒が飲める店は開いていないみたいです。しかたなしに入った「宮本むなし」。扉には「おかずとビールのみのお客様はお断りします」とあります。みなさん、しかたなしに定食を頼まれました。さらに、チケット販売機には「純生はお一人様1本」とあります。とりあえず、一枚だけ買われました*1。で、みなさんあっという間に呑まれます。で、お店の人に「もう一本あかんの?」と聞いてます。「だめなんです」と言われて_| ̄|◯しています。「せっかく冷や奴があるのにビールがないなんて」「奴がのどにつまる」みたいな感じです。いや、朝10時ですって…。

  • 昼ご飯

朝ご飯の後、いちおうフォーラムにもどって、その後昼ご飯。昼ご飯ついでに打ち合わせをすることになっていたので、相手と待ち合わせ。その後、名古屋駅の地下のそば屋に入って、まずは生中で乾杯。そこから打ち合わせがはじまったのですが、同時に泡盛をボトルで注文。しかも、みなさんほとんど食べません。どないなってんねん。あっという間にボトルが開いたのですが、打ち合わせに後から来る人を待ちながら「もう一本」。これもそろそろあくかと言うところで、後から来る人釜もなく合流とのこと。そこで店を変えることにしました。すでに時間は4時過ぎ。さすがに居酒屋が開きはじめる頃です。店に入って、生中組とワイン組。2時間ほど話をしたところで、打ち合わせも終了。生中とかワインボトルも終了。一番呑んだ人は、すでにかなりいってます(笑)。

  • 晩ご飯

昼ご飯が6時過ぎまでかかった関係で、晩ご飯はパスになるかと思ったのですが、一番呑んだ人が「もう一軒行こう」と言いはじめたので、行くハメに。手打ちうどんの店です。一番呑んだ人が「焼酎をボトルで」というのを残った二人で必死に押さえて、なんとかショットに持ち込むことができました。それでもなんか「3人でちょこちょこっと呑んだらボトルなんて開く」とかブツブツ言ってます。もう、わたし、限界越してるし。わたしは釜揚げうどんを食べてちょっと酔い覚まし。その後、一番呑んだ人を新幹線ホームまで案内して、わたしは関西方面へ。その人は関東方面へ。

てな感じで、ひたすら呑みまくっていた1日でした。
帰りの新幹線こだまはあっという間でした*2。帰ったら、もちろん爆睡です。

*1:もちろんわたしもつきあいましたけどね(笑)

*2:ちなみに、行きは「ひかり」です。ディスカウントチケットを買ったら、正規料金ののぞみより往復で2000円ほど安い

バレる瞬間は内面からやってくる(笑)

「平和の祈り」集会のあと、必要な打ち合わせなんかをすませて、別の人と合流。その後、みんなで「飲みに行こう」ということになって、某神宮の近くの裏通りにある飲み屋へ。ここ、店のまま曰く「場末の飲み屋だから…」。ほんとうに「場末」という感じで、味のある店でした。その割に、カラオケセットは最新のものが入っていて、横を見るとマラカスはもちろん、ボンゴなんかもあるというなかなかの店です。
で、みんなで飲みはじめました。やがて、適当に誰かが入れたカラオケを、適当に誰かが歌うというとりとめもないモードに突入していきました。わたしはちょっと疲れていたので、ニコニコとお酒を飲んでいたのですが、お店のおかあちゃん*1に「おねえちゃん*2、歌わへんの?」と何度かうながされました。で、しばらくしてかかった曲が「清河への道」。と、その瞬間思わずマイクを握っていました(爆)。「アジアの〜大地が〜、み〜たくぅって〜!」。今日は、声が出ています。ええ感じです。で、ひょいと「おりーぶさん」を見ると、「声、男の人やん」とびっくりしています。てことで、バレました(笑)。

*1:数10年前はきっと「オリーブ」みたいな感じだった人。ちなみに、店の名前は「おりーぶ」だったりします。

*2:

平和を求める人々

今日は、午前〜午後は某在日外国人教育関係の会議。その後、名古屋へ。
名古屋に行ったのは、人と会うのが第1目的で、第2目的が明日名古屋で開催されるフォーラムに参加することだったりします。で、今日は第1目的の方です。
待ちあわせをした場所は、栄の三越の向かい側にある小さな公園です。
待ちあわせ場所に行くと、すでに数人の人がいました。そのうちの一人から、ペットボトルの中にろうそくをともしたもの渡されました。ペットボトルの表には紙が巻いてあって、そこには「平和」とか「愛」とか「9条」とか書いてあります。やがて、みんなで輪になって、歌を歌ったり、一人ひとりが自分の思いを語ったりという小一時間ぐらいの時間がはじまりました。
これ、「「平和の祈り」集会」というものだそうです。アメリカによるイラク攻撃に反対するために2003年にはじまったこの集会は、現在では「世界に戦争がある限りやり続ける」というとても息の長い集まりになっています。
月1回のこの集まりに集まってくるのは、クリスチャンはもちろんのことですが、寄せ場の人たちも来られます。ある参加者の方は、「まもなく23年目の越冬闘争がはじまります」と言われました。寄せ場、中でも青カン者にとっては「越冬」をすることは、まさに「命をかけた闘い」なんですよね。そんな闘いが、いつまでも終わらず、23年目を迎える昨今、かえって闘いに加わらざるをえない人たちは増えているという現実が、「いま」という状況をあらわしているんだと思います。
そこで語られる話は、けっして勢いのある話ではなくて、かえって謙虚な空気の中で淡々と語られます。しかし、その中には「平和をもたらす人としての思い*1」がぎっしりとつまっています。
久々に深いところから思いがわき出る集まりに参加できました。

*1:こんな陳腐な書き方はしたくないんだけど、こんな表現しか思いつかないんです…。

ないしょの箱

いまさらなんですが…。わたし話をする時に、いつでも「心の中につくった秘密の小箱」の話をします。ところが、前に「箱のこと、「心のノート」にあるよ」と言われたことがあって、気になっていました。調べてみると、石坂啓の文章で

低学年用のこのテキストの中に「ないしょの箱」というページがある。「あなたの心の中にないしょの箱はありますか」とくるので、もちろんないしょはあるだろうと思って見ていたが、前後の脈絡から見るとどうやらこれは「大人に対して秘密があってはいけないよ」というニュアンスらしいのだ。

というのがありました。
ちょっと反省。
なにが反省かというと、「箱」の話をする時に、きちんと最後まで言い切っていなかったなぁということなんです。
なぜわたしが「箱」の話をするかというと、ほとんど誰でも「箱」を持っているだろうなと思うからなんです。で、そんな箱があることすら忘れてしまうような生活を強いられている。でも、「その箱をもう一回見つめてみようよ」ということなんです。
それと、「箱の中身を見せあいっこしよう」と最後にくくります。もちろん「いやじゃ!」という人がいるのは当たり前。それはそれでいいんですよ。あれ、「見せたくても見せられない」という状況の人へ向けてのメッセージなんです。だから「語*れる*社会」なんですよね。
「語らなきゃならない社会」はとんでもないです。ただ、語りたいと思った時にそれが語れない社会は問題だと思うし、それをどう変えていくかということがわたしにとってのテーマです。
てことで、こりゃ言い訳だな(笑)。

今日は迎える側

今日はウチの学校の人権学習第2回目。1年生は若い在日の子の講演会です。
20歳代半ばも過ぎているいい大人に向かって「子」って、と自分でも思うのですが、実は京都の交流会の卒業生なんですよね。もうかれこれ10年くらいのつきあい。だから、なんとなく「子」なんです。
で、この子、「自分探し」を真剣にしていたんですよ。そんな中で共感することも多々あった。なので、今回来てもらいました。
話を聞いていて、「なるほどなぁ」と思うことがたくさんありました。
中学の頃、「オレ、在日朝鮮人やねん」と友だちに言った時「関係ないやん」と言われ、「ちがう」と思ったこと。大学の時、韓国に語学留学して、下宿屋のおじさんから「早く韓国人と思えるようになったらいいね」と言われ、「違う」と思ったこと。なぜ、どちらかしかないのか。なぜ、両方をとったらいけないのか。
そんなことを淡々と話してくれました。ちょっとあがっていたみたいで、それが残念だったかな。あと、ウチの生徒たちのかなりの部分にはちょっとハイレベルだったかもしれないです(笑)。でも、わかる子にはわかるだろうな。また、月曜日以降、授業の中で返していこう。

部落の料理

授業終了後、しばらく時間をつぶして、隣町のK市のムラ中にある「じんじん」というお店へ。ここ、部落料理を出すということなんです。ホンマかいな…。てか、部落料理ってなんやねん。いや、わかるけど(笑)。ちょっと挑戦的な気分*1で連れて行ってもらいました。
お店の構えは、ちょっと民芸ふうのおしゃれな感じです。

中にはいると、ムラ中の飲み屋という感じです*2。で、メニューを見て、思わず笑いました。

もちろん、全品頼みました。んまかった〜\(^o^)/!
ちなみに、話の方は部落問題から結婚問題、そしてセクシュアリティのことまで、かなり横断的な話になって、すごくもりあがりました。たぶん、こういう話が普通にできるのは、ここがムラ中にあり、しかも、「部落の料理」って堂々&普通に出している店だからなんでしょうね。
やがて、ここのお父さんが帰ってこられて、話はもう一盛りあがり。あまりにもぁゃιぃ話なんで、内容をここに書くのはやめておかなきゃならないかなぁ。残念です(笑)。
さんざん盛りあがっていたのですが、お店のお母ちゃんが、ここがK市であることを思い出させてくれました。あわててお店を出て駅へ。そのままJR→最終地下鉄→最終バスで無事帰宅。みんな寝てました。あたりまえか…。

*1:わたしもいろいろ知ってるでぇ、みたいな

*2:って、どんな感じやねん(笑)。いや、単にわたしの直感です。てか、前にすんでいたところの飲み屋と同じ感じなんですよ

で、滋賀県の中学校へ

R市にある中学校の総合的な学習の時間のコース別授業で「セクシュアルマイノリティ」について学習している学校があります。その一環で少し話をしてほしいと言われたので、行ってきました。
集まったのは40人ほどの生徒さん達。けっこう「いろいろ持ってそうな」女子*1と、「にぎやかそうな」男子*2
事前に学習を積んでおられるので、すでに若干ネタバレをしています。どうしようかと思ったのですが、まぁそれはそれでいいかと、いつもの調子で話をしました。もっとも、中学生に「人民の海」とか言ってもしゃーないので、そのあたりは大幅にカット。その代わり、わたしが出会ってきた生徒たちの話は少していねいに話をしました。こういうところ、それまでザワザワしていた男子*3がいきなり表情を変えて食い入るように聞いてくるんですね。わかりやすいというか、おもしろいというか。こういう子らってええなぁと思います。
そんなこんなで50分×2コマがあっという間に終了。さてさて、みんななにを考えてくれたかなぁ。

*1:たぶん

*2:たぶん

*3:たぶん

方針が決定

昨日の感想文返し、数十本あるのをばっさりと削って10本程だけを返すことにしました。で、わたしからのひとことツッコミを入れる。
とりあえず、やっつけ仕事だけど、30分ほどで8割完成。あとの2割はあとでね。

作文うち

先々週やった人権学習の講演会の感想文がボチボチ集まってきています。てか、それを打って生徒に返すの、あさっての金曜日なんですけど(;_;)
で、いい話だったから、生徒たちがしっかりと感想文を書いているのはわかります。それをできるだけ生徒たちに返したいというのもわかります。でもね、いくら「これいい!」と思ったからといって、一クラスで7枚とか8枚も出すのはやめてほしいんですよ。それも長いのばっかり。
これを7クラス分打ったら、はたしてB4*1で何枚分になるか考えていますか?
で、まぁ打っていたのですが、だんだんイヤになってきました。
というのは、みんなの感想が同じパターン。「話を聞いて泣けた」。そらね、部落のおっちゃんのしんどかった体験談だからそういう反応をするんだろうけど、その涙って、えてして簡単に乾いてしまうのよ。「差別はいけないと思いました」。だれだって思ってます、とりあえずは(笑)。大切なんは、そこと違うだろう…。
そんななか、キラリと光る作文もありました。その生徒にしか書けない感想文を、講演を聞いて触発されて思わず書く。そういう瞬間に立ち会えることがうれしいです。

そうそう。最近の作文で増えたのが「部落ってなんなん?」です。かつては関西では考えられなかったんだけど、そういうご時世なんだなぁ。もはや、伝えなくてもいいことなのかなぁ?

*1:学校では、生徒向けプリントはいまもB4が標準です(笑)