バレる瞬間は内面からやってくる(笑)

「平和の祈り」集会のあと、必要な打ち合わせなんかをすませて、別の人と合流。その後、みんなで「飲みに行こう」ということになって、某神宮の近くの裏通りにある飲み屋へ。ここ、店のまま曰く「場末の飲み屋だから…」。ほんとうに「場末」という感じで、味のある店でした。その割に、カラオケセットは最新のものが入っていて、横を見るとマラカスはもちろん、ボンゴなんかもあるというなかなかの店です。
で、みんなで飲みはじめました。やがて、適当に誰かが入れたカラオケを、適当に誰かが歌うというとりとめもないモードに突入していきました。わたしはちょっと疲れていたので、ニコニコとお酒を飲んでいたのですが、お店のおかあちゃん*1に「おねえちゃん*2、歌わへんの?」と何度かうながされました。で、しばらくしてかかった曲が「清河への道」。と、その瞬間思わずマイクを握っていました(爆)。「アジアの〜大地が〜、み〜たくぅって〜!」。今日は、声が出ています。ええ感じです。で、ひょいと「おりーぶさん」を見ると、「声、男の人やん」とびっくりしています。てことで、バレました(笑)。

*1:数10年前はきっと「オリーブ」みたいな感じだった人。ちなみに、店の名前は「おりーぶ」だったりします。

*2:

平和を求める人々

今日は、午前〜午後は某在日外国人教育関係の会議。その後、名古屋へ。
名古屋に行ったのは、人と会うのが第1目的で、第2目的が明日名古屋で開催されるフォーラムに参加することだったりします。で、今日は第1目的の方です。
待ちあわせをした場所は、栄の三越の向かい側にある小さな公園です。
待ちあわせ場所に行くと、すでに数人の人がいました。そのうちの一人から、ペットボトルの中にろうそくをともしたもの渡されました。ペットボトルの表には紙が巻いてあって、そこには「平和」とか「愛」とか「9条」とか書いてあります。やがて、みんなで輪になって、歌を歌ったり、一人ひとりが自分の思いを語ったりという小一時間ぐらいの時間がはじまりました。
これ、「「平和の祈り」集会」というものだそうです。アメリカによるイラク攻撃に反対するために2003年にはじまったこの集会は、現在では「世界に戦争がある限りやり続ける」というとても息の長い集まりになっています。
月1回のこの集まりに集まってくるのは、クリスチャンはもちろんのことですが、寄せ場の人たちも来られます。ある参加者の方は、「まもなく23年目の越冬闘争がはじまります」と言われました。寄せ場、中でも青カン者にとっては「越冬」をすることは、まさに「命をかけた闘い」なんですよね。そんな闘いが、いつまでも終わらず、23年目を迎える昨今、かえって闘いに加わらざるをえない人たちは増えているという現実が、「いま」という状況をあらわしているんだと思います。
そこで語られる話は、けっして勢いのある話ではなくて、かえって謙虚な空気の中で淡々と語られます。しかし、その中には「平和をもたらす人としての思い*1」がぎっしりとつまっています。
久々に深いところから思いがわき出る集まりに参加できました。

*1:こんな陳腐な書き方はしたくないんだけど、こんな表現しか思いつかないんです…。

ないしょの箱

いまさらなんですが…。わたし話をする時に、いつでも「心の中につくった秘密の小箱」の話をします。ところが、前に「箱のこと、「心のノート」にあるよ」と言われたことがあって、気になっていました。調べてみると、石坂啓の文章で

低学年用のこのテキストの中に「ないしょの箱」というページがある。「あなたの心の中にないしょの箱はありますか」とくるので、もちろんないしょはあるだろうと思って見ていたが、前後の脈絡から見るとどうやらこれは「大人に対して秘密があってはいけないよ」というニュアンスらしいのだ。

というのがありました。
ちょっと反省。
なにが反省かというと、「箱」の話をする時に、きちんと最後まで言い切っていなかったなぁということなんです。
なぜわたしが「箱」の話をするかというと、ほとんど誰でも「箱」を持っているだろうなと思うからなんです。で、そんな箱があることすら忘れてしまうような生活を強いられている。でも、「その箱をもう一回見つめてみようよ」ということなんです。
それと、「箱の中身を見せあいっこしよう」と最後にくくります。もちろん「いやじゃ!」という人がいるのは当たり前。それはそれでいいんですよ。あれ、「見せたくても見せられない」という状況の人へ向けてのメッセージなんです。だから「語*れる*社会」なんですよね。
「語らなきゃならない社会」はとんでもないです。ただ、語りたいと思った時にそれが語れない社会は問題だと思うし、それをどう変えていくかということがわたしにとってのテーマです。
てことで、こりゃ言い訳だな(笑)。