だれがそうさせた?・ふたたび(TPOをめぐって編)

あらためて、TPOの語源を考えてみたら、TとPはわかるのですが、Oが「?」でした。なので、ググってみると「時間(time)、場所(place)、場合(occasion)」とありました。なるほどね。さらに、「あえて英語で言うと”common sense”あたりが近い言葉になるそうです」とあったので、ますます「なるほどね」と思いました。

TPOを決めるのは、「世間」じゃないかと、わたしは思っています。「世間」とは、法や制度と一定程度の依存関係を持ちながらも、そこからは独立して存在する価値観なんじゃないかと思います。そういう意味で、法や制度と密接な関係を持つ「社会」とはわけて考えています。

子どもたちがよく愚痴を言います。
「わたしばっかり注意されるねん」
で、わたしの答はこれです。
「お前な、目立つ恰好をするかしないかは、お前が選択したんやろ。目立つ恰好をしたら、その分だけ注意をされるのをわかってやっているんやろ。これからもその恰好を変えへんのやったら、その注意に抗いながら生きていく覚悟を持たんとあかんのと違うか?」
これは、わたしなりの子どもたちへの精一杯*1のエールです。

「学校への評価」という守りの意味でのTPOとは別個に、今学校が世間から期待されている役割を担うとするならば*2、TPOを教えることは、やっぱり必要かなと思います。それは、世間の中で生きていく際、判断のひとつの基準として必要だからです。
そういう意味で、わたしは「(事細かな)校則は必要ない」と考えています。なぜなら、校則に定められていることで、子どもたちが判断する機会を奪われていると考えるからです。

では、その「判断」の中身とは何か。
それは、「世間に抗う時と世間に従う時を判断する」ということです。
例えば、わたしは高座の時に「あの、ジーンズでもいいですか?スーツの方がいいですか?」と聞くことがたまに(笑)あります。それは、呼んでいただいた方を取り巻く世間に従うことが、TPOとして必要だと思うからです。
しかし、「教員らしくないからジーンズで授業をするな」と言われると、おそらくはケンカになるでしょう。わたしの教員としての仕事内容とジーンズをはくということは無関係であると考えるからです。
では、「お前は生まれたときの性で生活しろ」と言われたらどうするか。わたしは今の生き方をやめません。でもケンカもしません。なぜなら、世間とわたしの間に大きなズレがあることがわかっていて、そこでのケンカは意味がないと判断するからです。ではどうするのか。そこでわたしは、「世間を変えていく」という方向をとります。

あの学校の判断以前の問題として、×にされた子どもたちの出身中学校の教員のしんどさを思います。
きっと
「そんな恰好で行ったらあかんで」
とさんざん指導をされたんだろうと思います。でも、子どもたちは「その恰好」で行った。その子どもたちはTPOを身につけようとしなかった。なぜなら、TPOをわきまえることを必要とする実感がなかったからだと思います。
「なんやかんや言うても通るやん」
という経験しかしていなければ、学校の指導は通りません。
じゃぁ、なぜ通らないのか。それは、それを通している「世間」があるんだと思います。そして、「世間」はその子どもたちに対して、自らの手を汚さないようにして、相応の「仕打ち」をするのではないかと思います。

世間に抗うためにも、そして、ほんとうにやらなくちゃならないケンカは何かということを見極めるためにも、TPOは大切だと、わたしは思います。

*1:教員という仕事をしている限界内でのという意味

*2:つまり、「勉強以外のことも面倒をみなさい」ということを飲むならばということです。わたしは、現在の学校への教育内容の負担は過大であり、また、そこにも学校間格差が大きく存在していると考えています。

だれがそうさせた?・ふたたび(入試制度編)

誰がそうさせたへのGID当事者ですがさんのコメントにすごく考えさせられたので、せっかくですから本文の方に考えたことを書かせていただくことにします。
まずは、「誰がそうさせた」の中で言いたかったことを簡単に書きますと、つぎのひとことになります。
「しんどい学校は、制度的につくられている」
ということです。もう少し言うならば、
「しんどい学校は、結果的に必要とされている」
と書いてもいいでしょうか。

入試制度って、「必要な子をとる」ためのものではなくて、「必要でない子を排除する」ための制度なんじゃないかと、わたしは思うのです。なので、トップ校は、まずは「受験するかしないか」という段階で入試以前の排除を行い、入試においてさらなる排除をすることで「優秀な」生徒を制度的に選別しています。それが、トップ校から「繰り下がり」ながら、それぞれの学校が「必要としている子」を選別していき、最後に「どこからも選別されなかった子」が残ります。その子どもたちが「しんどい学校」に来るわけです。
もしも現在の高校進学率が50%なんて状態であればこんなことはもちろん起こりませんが、100%に近い状態では、みんながどこかの学校におしこめられる状態があるわけで、そういう意味では「しんどい学校」の存在がトップ校の存在を担保していると、わたしは考えています。
わたしは、そういう現在の状況にさまざまな批判をもちろん持っていますが、しかし、「ええやないかい!」と、一方で思わざるをえない現実もまたあります。なぜなら、現在の序列化された学校制度でない場合、学校や教室の中に序列化ができてしまい、「しんどい子ら」がその中で排除されていく可能性があると思うからです。それならば、いっそ「しんどい子」が集まる学校をつくって、その子らに力をつけていけばいいかとも思うのです。このあたりが、わたし自身のジレンマではありますが、「この子、あそこの学校ではとうてい生きられへんやったやろうなぁ」と思う生徒を目の前にした時の、わたしのきわめて現実的な「解」がこのあたりになるわけです。

ところで、そういう「しんどい学校」への「世間」の眼差しはどうであるか?
この夏、人権教育の研修会で来られた方が、ご自分の学校で子どもたちに
「人は見かけによらないが、人は見かけで判断する」
と言っておられるそうです。わたしにはとてもよくわかります。
現在のように、学校が地域からどんどん切り離されている*1状況の中で、地域の人たちは、「どこの誰が通っているかもわからない、だらしないかっこうをしている生徒の通う学校」にどのような眼差しを送るのか、想像するのは簡単だと思います。

制度的に必要とされつくられていったものであるにもかかわらず、「世間」の眼差しはとても冷たいということを、わたしは感じています。そしてその冷たさの根拠を、「自己責任」という形で正当化しようとする世間の圧力もまた、わたしは感じています。
ちなみに、先の学校では、おそらく「服装で×」となった子どもたちの代わりに合格した生徒は、「服装で×」の子どもたちよりも学力的に低い子どもたちだった可能性が高いのではないかと思います。「どちらをとるか」という選択の時に、「それでもこっち」という判断をした、その背景にあるものはいったいなんだったのか。
あの学校のやったことは、たしかに「不公平」だったと思います。ただ、その不公平を行う必要のない学校がたくさんあり、そこでは入試以前の段階で選別がされているのではないかと思っています。
そこを抜きにして、あの学校のやったことだけを取りあげ、それもまた「自己責任」と切り捨てることは、わたしにはとうていできないのです。

*1:高校はもちろん、公立の小・中も学校選択制の名のもとに「地域の学校」ではなくなってきています

一本のメールへ

Sちゃんから突然来た一本のメール

某中学校養護教員の会話
A:「あの」T井さんが講演に「きてくださる」んですって!!
B:まぁぁ「凄い」わねぇぇ

わたしの返事

某SちゃんとNさんの会話
N:「また」いつきさん来るみたいやで
S:どこで宴会しましょ

わたしは幸せ者だ(笑)

座布団3枚もらいました(笑)。

実際の終わりは翌日

生徒たちにとっては、昨日がマダンの終わり。でも、わたしのとっては、今日がマダンの終わり。
午前、ちょっと遊びに行って、11時頃帰宅。そこからマダンの片づけ開始です。
焼肉に使ったドラム缶を洗って、下に敷いたトタン板を洗って、焼き網を洗って、干して片づけて。その他諸々、小道具や余り物の処分など、やっているとあっというまに2時頃になりました。
あとは小物だけになったので、ここらで昼ご飯。
パートナーが「ラーメンをつくろうと思っているんだけど、野菜炒めだけつくってくれる?」と言います。そんなん、全部つくりますがな。
てことで、この間の煮豚のスープも使ってラーメンづくり。
このあたりで、ガソリンが切れました。
しばし休憩。

夜は、実家にお呼ばれ。のんびり晩ご飯を食べていると、あっというまに10時前です。あわてて家に帰って、一日終了。

なんにしろ、終わった終わった!

真っ白に燃え尽きた…

毎年「打ちあげに参加するのはパス」とか思っているのです。でも、生徒が「待ってるよ」と言ってくれたら行かないわけにはいきません。
てことで、ふたたび九条にもどって打ちあげ参加。
考えてみると、マダンの時って、食べているのか食べていないのかわからない感じです。なので、お腹が減っているのかいっぱいなのかもわからない。いずれにしろ、食べて呑んでしゃべって騒いでとしているうちに、いよいよクライマックス。サムルノリのはじまりです。といっても、静かに聞く訳じゃなくて、みんなで飛び跳ねまくるんだけどね。
今回は、中国人の生徒も来ているので、コリアンパワーというか、東九条パワーを見せつける絶好の機会です。あっけにとられている生徒に「こっち入れ」と合図して、後は一緒に飛び跳ねていました。
で、打ちあげも終了。
もう、帰る元気しか残っていません(笑)。

東九条マダン

6時半起床。7時半出発。8時現地着。
まずは大量の荷物を下ろして、出店準備。
でも、生徒が全然来ないよ…。そうこうするうちに、卒業生*1から場所の問い合わせの電話が入ったり、別の卒業生*2から「東寺まで行ってしまった」とかいう連絡が入ったり、それなりに人が集まりそうになってきました。やがて、中学生が友だち連れできてくれたり、なんだかんだと人が集まって、活気が出てきました。

それにしても、マダン当日に働かなくちゃならないことが増えてきたなぁ。それって、生徒の集まりが悪いということなんですよね。てことは、やっぱりなにか新しい方向を考えていかないとやばいんだろうなぁ。

なんてことを考えていたのは昼頃までです。そこからは、極楽とんぼのように、あちらの知りあい、こちらの知りあいと、知りあいを渡り歩きながら、いろんな情報交換をしたりする時間が過ぎていきます。まさに、これが「マダン」なんですよね。

で、3時過ぎ。そろそろ売れ行きが落ちてきました。おそらく、最後にもう一押ししたらもうひと売れするんだけど、そこまでやると撤収がたいへんです。なにせ、炭火の焼肉の処理の一番たいへんなのは、「炭の処理」ですから。なので、今年は早めに撤収を開始。
おかげさまで、明るいうちに撤収ができました。
車を家に置きに帰って、服を着替えて、ふたたび出撃。

*1:子連れ

*2:彼氏連れ

で、上映日

今日は学校公開です。今回は、保護者がメインターゲットとか。なので、土曜日だけど、今日は出勤日。でもまぁ、強制じゃないからまだマシですね。
通勤はバイクだからジーンズです。そのままでいいかと思ったのですが、まぁ、ターゲットがターゲットだし、管理職はじめ皆さんかなりピリピリしておられるみたいなので、ここはおとなしくスーツに着替えることにしましょう(笑)。
といっても、わたしの出番は、準備と撤収なので、お客さんの前に出る機会はほとんどなし。まぁそのほうが賢明でしょう(笑)。
同時進行で、中学生対象の部活体験もやっているので、放送部の連中はそちらの方でもばたばたやってました。
でも、昼前にはおしまい。
それにしても、しんどかったけど、ビデオをつくるのはいい経験になりました。
うちの学校がどういうことをやっているのか、何をウリにしたいのかというあたりが、ちょっと垣間見られました。まぁ、わたしがやっていることはその中には入っていないんですけどね(笑)。

さぁ、お家に帰って明日の準備だ!

関西の片隅で…

で、いま某番組をしている最中なのですが、明日の朝が早いのですでに布団の中です。
というか、見たい気持ちと見たくない気持ちが半々で、ちょっと複雑なんですよね。
見たい気持ちはもちろん言うまでもないのですが、見たくない気持ちってなにかというと、
「いつのまにか、出演者は全員東京の人になったんとちゃうん?」
ということなんですよね。
それって、かなり特殊な状況しか反映できないんじゃないかなぁと、わたしみたいな関西の片隅に住んでいる人間は思うわけですよ。
まぁ、制作費用を安くあげるためにはそうなるのかなぁと思うのですが、なんかモヤモヤが残るわけで…。

ふたつめの山も越した

なにが悲しくて土曜日も7時に家を出るのやら。
でも、しゃーないです。
職場に行って、スーツに着替えて、神妙な顔をして仕事をしましたよ。
まぁ、作成したビデオがそれなりに好評だったので、ちょっとホッとしましたけどね。
昼過ぎに家に帰ってきたんですが、ふと気づきました。
明るい時間に家にいるのはいつ以来だろう…。
それでも昼ご飯を食べて、ビールを呑んで、昼寝をして、淡々とした土曜日の午後を過ごさせてもらいました。

とか言いながら(笑)

夜は八幡市で高座。
1時間半の予定が、いろいろあって1時間10分ほどしかありません。大いにあせりましたが、みなさんの反応がすごくいい!そのおかげで、つい延長してしまい、結局1時間半ほどしゃべれました。よかったよかった(笑)。
いや、基本的には「延長」はあかんと思っているのです。なので、途中でちゃんと仁義を切りました。
「あの、すみませんが延長します。用事がある人は帰って下さってけっこうです。みなさん全員が帰られても、わたし一人でしゃべってますし」
これがウケたみたいで、みなさん最後までおられました。すみませんすみません。
結局、話が終わって、その後会場におられた方々といろいろ話をして、最後は
「このあたりでおいしいお好み焼き屋はありますの?」
という定番の話をしたりして、そうとう楽しかったです。