どこまでがサポートの範囲だろう…

Anno Job Logにあった「性同一性障害患者の生活支援」のニュースなんですが…。
昼休みの時間帯(笑)に友だちからメールがありました。

化粧のしかたとかボイストレーニングはわかるんですけど、下着や洋服の選び方って好みの問題じゃないんですかね?FTMの場合、誰かに聞くとしたら、小さいサイズの靴を売ってる店くらいなんですけど(笑)。

で、わたしの返事は

ブラのサイズとかむずかしいかも。で、女性は店員さんに聞けるけど、MtFはきついんちゃうかなぁ。

まぁ原文そのままじゃないですけどね(笑)。
で、友だちからの返事

あぁぁ乳隠し!
店員さんに聞けないのはFTMもですねぇ。◯◯もスーツ買う時すんげぇ困った。けど、それって、ホルとかしてパス度あげるしか解決方法ないですよねぇ。

まぁこれも原文そのままじゃないですけどね(笑)。
でも、ホルとかしてパス度をあげるしか方法はないんでしょうかねぇ。少なくとも、諸先輩達の時代はそんなサポート体制なんてなかったし、わたしの時代ですら手探りでやってきたし*1
本当に大切なのは、わからなければわかる人を探し、あるいは聞くことができる社会性をどう身につけていくかということなんだと、わたしは個人的には思っているのですが…。でもまぁ、そういうテクニックを身につけないと、社会性を身につける機会を奪われてしまうのかなぁ…。

*1:除く化粧(笑)

「仕事」とは何か?

タイトルのような、そんなたいそうなものじゃないんですけどね。でも、これ、「おんなたちの新年会」で出てきた話題の中のひとつなんです。
まぁ「高校教員」なんて仕事をしていると、もう、どこからどこまでが仕事で、どこからが「趣味」なのかがわからなくなります。例えば、生徒と放課後ダラダラと話をするのは、ある意味仕事ですが、ある意味「好きでやってる」ところがあります。在日外国人生徒交流会なんて、もっとそれがきつい。まぁ線引きをしようとすると、うちの生徒をつれていったら「引率・出張」なので仕事になりますが、つれていかなかったら出張じゃないので、仕事じゃないことになります。でも、それはあくまでも制度上の話であって、「気持ち」の問題としてはそういう線引きは、実はとてもむずかしい。
これが「大学教員」になるともっと厳しいみたいです。そりゃそうですわ。勤務時間が特にあるわけでもなく、研究と教育と趣味が渾然一体となっていますからねぇ。で、その中で「成果」をあげることを要求され、「実績」がないと予算がカットされる。ノルマとしても論文を書かなきゃならない。そんな話を聞いていると「しんどそうやなぁ」と思わざるを得ません。
で、わたしにとっての仕事の定義とは何かという話をしていたのですが、それは「エントリのつけかた」と、身もふたもない返しをしてしまいました。でも、あらためて自分のエントリのつけかたを考えた時、ほとんどが「趣味」だったりするわけです。
実は、「高校教員」として求められている「最低限の仕事」って、本当に少ないなぁと思います。授業と授業にまつわるさまざまな準備、そしてそれにまつわる評価。あと分掌の仕事。それ以外に教員として要求されている雑務。そんなものかな。在日外国人生徒交流会とかトランスジェンダー生徒交流会なんて、その中に入っているとは思えません。ましてや、某在日外国人教育関係の会議なんて、完全な「趣味」です。もっというならば、授業への工夫とか生徒との雑談とか、家庭訪問とか学級通信とか、なんだとかかんだとか、こういうのもある意味「趣味」です。「趣味」といって悪ければ「思いこみ」かな。
で、こう考えるとすごく楽なんですね。
ゼロベースはすごく低くて、そこに足していくのはすべて自分の選択。自分が「好きでやっている」と考える。
まぁ逆に考えないと、生きること=仕事になってしまいますからねぇ*1(笑)。

*1:引っ越す前はまさにそうだった

び、微妙やなぁ…

今日はわたしの勤務校の人権教育講演会。希少難病の方とその支援者の方々がスピーカーです。
当事者の方は、実はうちの学校の卒業生。さらに、わたしの2巡り目の担任の時の同学年の生徒です。もっとも、向こうは進学コースにいて、わたしは「それ以外コース」だったので、直接教えてはいなかったんですけどね。
というのはともかく…。
当事者の方の語り。すごくいいんです。いいんですけど…。
いや、自分が病気になる前の生活、病気と知らずに病気が進行している最中のこと、検査を受けている時の気持ち、告知を受けた時の話、さらにどんどん病状が進行していく中で感じたこと、そして今やろうとしていること。
ほんとうにいい話なんです。でも、何かが足りない。なんなんだろう…。
支援者の方の話。ちょっと乱暴だけど、なかなか「支援者とは何か」みたいなところで示唆に富む話でした。はじめは「うさんくさい系かな?*1」とか思っていたけど、そんなこともありませんでした。どころか、けっこうおもしろかったんだけど…。
やっぱり何かが足りない。なんなんだろう…。

いろいろ考えるんだけど、「伝えたいこと」があるんだろうなぁ。だから、逆に伝わらないんじゃないかなぁと…。「伝えたいオーラ」が、かえって自分の持つ「しんどさ」みたいなものを刺激してしまいます。ましてや、相手は「希少難病」。まぁ「自分のしんどさなんてとるにたりない」と考えざるを得ません。そうなると、やっぱりしんどくなる。
やっぱり、スピーカーの側こそ、相手のしんどさに自分のしんどさを重ねあわせて、相手に共感しながら語ることが大切なんじゃないかなぁ。難しいですけどね。

*1:「失礼!」って、こんなところ見てないよな←こればっか

変なヤツら

今朝、パートナーから聞いたところによると、これについての下の子どものコメントが

バーカ!バカバカバカ!バーカ!

だったそうです。
ちなみにこの間友だちが
「世の中には男と女しかいない」
と言ったら
「実際、お父さんは性同一性障害だから男でも女でもないんですが」
とか言っていたそうな。
さらに、下の子どもの友達は
性同一性障害って「障碍」じゃないよね」
みたいなことを言っていたそうな。
なんだ、こいつらわ(笑)。

デッドラインと言われる時間まで、あと11時間50分

ネタ拾い

物事の考えを深めるやり方って、いろいろあるとは思うのです。
人によっては本を読みあさったり、人によっては資料を読みあさったり、人によってはタバコを吸いながら虚空を見たり…。わたしにとっては、誰かとそれについてしゃべるというやり方があっているみたいなんです。
てことで、そのターゲットとして、おなじみK本さんとA久◯さんのコンビ*1と会談。お二人はちょうどわたしの会議場所の近くで、やっぱり午後から会議があるとか。まぁランチを食べながらダラダラ話です。
「いやぁ◯◯の原稿、オチが見つからなくって」
「へ〜、でもさぁ、◯◯って、××にはないの?」
「ないと思うんですよねぇ。いや、あるか。あるけど、△△とはちょっと違うかなぁ」
てことで、××と△△の◯◯の有り様についての議論が深まります。
てなことを1時間半ほど話をしてタイムアップ。あとは自分で考えを深めなければなりません。
でもね、ものすごく刺激的だった。話をする中で、新しいテーマを与えてもらえます。そのテーマについてしゃべりながら、自分の新しい考えや、いままでの考えの間違いに気づかされます。それを繰り返しながら、自分ではとうてい到達できないところまで「連れていってもらう」ことができるんですよね。
そんなおふたりに、そしてわたしたちの「関係(?)」に感謝!

*1:わたしを入れたらトリオか。本当はSさんもいて「カルテット」なんだけどね

陸トレ・雪と氷の世界(2日目)

晩ご飯を食べて一日の仕事がほぼ終わりになろうかと思うころ、スクールのお客さんが「ミーティングがしたい」と言ってこられました。まぁ、スクールの間は夜はヒマなので、みなさんとおしゃべりをするのも楽しいかなというところです。
で、久しぶりにスキーの技術ビデオなんかを見ながら、しばしのスキー談義です。
考えてみると、雪がたくさんあるところで育った人や、1シーズンずっとスクールで勤務している人よりも、わたしみたいに好きが高じて、非常勤でスクールのスタッフをしているような人間の方が、お客さん達にとってはいいのかもしれないと、ふと思いました。
だって、1シーズンの滑走日数が100日なんていう人のうまくなるなりかたは、普通のお客さんにはとうてい参考にならないと思います。わたしなんて、最も滑った時で年間20日かな。最近では10日滑るのが目標という程度です。そうすると、雪上にいない時にどんなイメージをつくるのかが勝負のカギになります。今考えると、雪の上に立てない間にほんとうにいろんなイメージトレーニングをして、体に「いい姿勢」「いい動き」をしみつかせていきました。てことで、今日はその一端をお客さんに披露。披露しながら、わたし自身も「こんなことを考えて「陸トレ」してたなぁ」と、振り返りながら整理をすることができました。

で、考えてみると、「伝える力」っていうのは、「特殊な環境*1」で達成した人よりも、「普通の環境*2」で達成した人の方が、より大きな力をもっているんじゃないかなぁと思いますね。それは、苦手な生徒に数学を教える力は、わたしたち教員よりも生徒の方にあるということと共通をしているのかもしれないなぁと思ったりもします。

てなことで、スキー談義の夜は更けていきました。ちょっと幸せかも(笑)。

*1:ある意味恵まれた環境

*2:ある意味恵まれていない環境

てことで、いつき的2009年10大出来事

たぶん10個もないけど、とりあえずあげてみましょう。

1、子どもの進路が決まった
やっぱり、これが一番大きいですね。まぁ、子ありってこんなものです。

2、jaseの連載開始
毎月原稿を書くということが、けっこうしんどいことがよくわかりました。でも、自分のその時その時の考えをまとめるという意味では、けっこういい機会になっているかな。

3、女性ロッカールームの鍵をもらった
まぁ紆余曲折はありましたが、なんか「なりゆき」でロッカールームの暗証番号をもらいました。でもうれしかったなぁ…。

4、「語る」ようになった
まぁここ数年のことですが、とくに今年は「パレスチナ」のことを通して、ずいぶんいろいろ考え、語りました。

5、独自ドメインをとった
まぁこれはたいしたことはないんですけどね…。

6、右肩があがらなくなった
「寄る年波」と言われたので、「年波って、夜食べるものですか?」と言い返してやりました。

7、本気の腰痛になった
「寄る年波」と言われたので(ry

8、「新ネタ」の突破口が見えた
リビングライブラリーで話をしたのがきっかけですね。

9、自転車復活
今までは子どもの自転車をパクっていたのですが、大学の時に買った中古のロードレーサーを復活させました。いやぁ気持ちいい!

10、もうないな…
おそらくは、新しい出会いという意味では、去年のこれが、近年ではもっとも大きかったもののうちの一つかなぁという気がします。そういう意味では、今年は「新たな」というよりも、いままで与えられた出会いを深めていく年だったかな。そういう意味では「熟成の一年」ということにしておきますか。

思わぬ出会い

とりあえず1時間ほど研究室でダラダラして、外に出ると、車いすの人がたたずんでおられます。ふと
「お手伝いしましょうか」
と声をかけると、
「あ、お願いします」
と言われてしまいました(笑)。実はちょっと先を急ぐんだけどとは思ったのですが、まぁこれもなにかの「縁」ということで、車いすを押しながら最寄りの駅へ。
いやぁ、車いすって、たいへんだ!まずは一般道。一般道って、水はけのために「かまぼこ型」になっています。すると道路の左端を車いすを押していると、左へ左へととられていきます。おかげで左腕にえらい力が必要です。
「まぁ誰もいなかったら自分で行くんですけど、けっこうしんどいんですよね」
とは車いすユーザーの方の弁。なるほどなぁ。
しかも、なかもづ駅に着いたところで、一番近い出入り口は使えません。なので、いったん南海のホームまで行って線路を越して、その向こうにあるエレベーターを使わないと降りられません。メチャ遠回りです。さらに、エレベーターを降りると改札までは緩やかだけど長いスロープ。車いすユーザーの感覚になると、「これはたいへんだ」と、思わず考えてしまいます。
でも、これって経験しないとわからないですね。今まで何回もここに来たんですが、今日はじめてわかりました。うん、いい勉強だ。またネタをひとつゲットです。