び、微妙やなぁ…

今日はわたしの勤務校の人権教育講演会。希少難病の方とその支援者の方々がスピーカーです。
当事者の方は、実はうちの学校の卒業生。さらに、わたしの2巡り目の担任の時の同学年の生徒です。もっとも、向こうは進学コースにいて、わたしは「それ以外コース」だったので、直接教えてはいなかったんですけどね。
というのはともかく…。
当事者の方の語り。すごくいいんです。いいんですけど…。
いや、自分が病気になる前の生活、病気と知らずに病気が進行している最中のこと、検査を受けている時の気持ち、告知を受けた時の話、さらにどんどん病状が進行していく中で感じたこと、そして今やろうとしていること。
ほんとうにいい話なんです。でも、何かが足りない。なんなんだろう…。
支援者の方の話。ちょっと乱暴だけど、なかなか「支援者とは何か」みたいなところで示唆に富む話でした。はじめは「うさんくさい系かな?*1」とか思っていたけど、そんなこともありませんでした。どころか、けっこうおもしろかったんだけど…。
やっぱり何かが足りない。なんなんだろう…。

いろいろ考えるんだけど、「伝えたいこと」があるんだろうなぁ。だから、逆に伝わらないんじゃないかなぁと…。「伝えたいオーラ」が、かえって自分の持つ「しんどさ」みたいなものを刺激してしまいます。ましてや、相手は「希少難病」。まぁ「自分のしんどさなんてとるにたりない」と考えざるを得ません。そうなると、やっぱりしんどくなる。
やっぱり、スピーカーの側こそ、相手のしんどさに自分のしんどさを重ねあわせて、相手に共感しながら語ることが大切なんじゃないかなぁ。難しいですけどね。

*1:「失礼!」って、こんなところ見てないよな←こればっか

変なヤツら

今朝、パートナーから聞いたところによると、これについての下の子どものコメントが

バーカ!バカバカバカ!バーカ!

だったそうです。
ちなみにこの間友だちが
「世の中には男と女しかいない」
と言ったら
「実際、お父さんは性同一性障害だから男でも女でもないんですが」
とか言っていたそうな。
さらに、下の子どもの友達は
性同一性障害って「障碍」じゃないよね」
みたいなことを言っていたそうな。
なんだ、こいつらわ(笑)。

デッドラインと言われる時間まで、あと11時間50分

ネタ拾い

物事の考えを深めるやり方って、いろいろあるとは思うのです。
人によっては本を読みあさったり、人によっては資料を読みあさったり、人によってはタバコを吸いながら虚空を見たり…。わたしにとっては、誰かとそれについてしゃべるというやり方があっているみたいなんです。
てことで、そのターゲットとして、おなじみK本さんとA久◯さんのコンビ*1と会談。お二人はちょうどわたしの会議場所の近くで、やっぱり午後から会議があるとか。まぁランチを食べながらダラダラ話です。
「いやぁ◯◯の原稿、オチが見つからなくって」
「へ〜、でもさぁ、◯◯って、××にはないの?」
「ないと思うんですよねぇ。いや、あるか。あるけど、△△とはちょっと違うかなぁ」
てことで、××と△△の◯◯の有り様についての議論が深まります。
てなことを1時間半ほど話をしてタイムアップ。あとは自分で考えを深めなければなりません。
でもね、ものすごく刺激的だった。話をする中で、新しいテーマを与えてもらえます。そのテーマについてしゃべりながら、自分の新しい考えや、いままでの考えの間違いに気づかされます。それを繰り返しながら、自分ではとうてい到達できないところまで「連れていってもらう」ことができるんですよね。
そんなおふたりに、そしてわたしたちの「関係(?)」に感謝!

*1:わたしを入れたらトリオか。本当はSさんもいて「カルテット」なんだけどね

陸トレ・雪と氷の世界(2日目)

晩ご飯を食べて一日の仕事がほぼ終わりになろうかと思うころ、スクールのお客さんが「ミーティングがしたい」と言ってこられました。まぁ、スクールの間は夜はヒマなので、みなさんとおしゃべりをするのも楽しいかなというところです。
で、久しぶりにスキーの技術ビデオなんかを見ながら、しばしのスキー談義です。
考えてみると、雪がたくさんあるところで育った人や、1シーズンずっとスクールで勤務している人よりも、わたしみたいに好きが高じて、非常勤でスクールのスタッフをしているような人間の方が、お客さん達にとってはいいのかもしれないと、ふと思いました。
だって、1シーズンの滑走日数が100日なんていう人のうまくなるなりかたは、普通のお客さんにはとうてい参考にならないと思います。わたしなんて、最も滑った時で年間20日かな。最近では10日滑るのが目標という程度です。そうすると、雪上にいない時にどんなイメージをつくるのかが勝負のカギになります。今考えると、雪の上に立てない間にほんとうにいろんなイメージトレーニングをして、体に「いい姿勢」「いい動き」をしみつかせていきました。てことで、今日はその一端をお客さんに披露。披露しながら、わたし自身も「こんなことを考えて「陸トレ」してたなぁ」と、振り返りながら整理をすることができました。

で、考えてみると、「伝える力」っていうのは、「特殊な環境*1」で達成した人よりも、「普通の環境*2」で達成した人の方が、より大きな力をもっているんじゃないかなぁと思いますね。それは、苦手な生徒に数学を教える力は、わたしたち教員よりも生徒の方にあるということと共通をしているのかもしれないなぁと思ったりもします。

てなことで、スキー談義の夜は更けていきました。ちょっと幸せかも(笑)。

*1:ある意味恵まれた環境

*2:ある意味恵まれていない環境

てことで、いつき的2009年10大出来事

たぶん10個もないけど、とりあえずあげてみましょう。

1、子どもの進路が決まった
やっぱり、これが一番大きいですね。まぁ、子ありってこんなものです。

2、jaseの連載開始
毎月原稿を書くということが、けっこうしんどいことがよくわかりました。でも、自分のその時その時の考えをまとめるという意味では、けっこういい機会になっているかな。

3、女性ロッカールームの鍵をもらった
まぁ紆余曲折はありましたが、なんか「なりゆき」でロッカールームの暗証番号をもらいました。でもうれしかったなぁ…。

4、「語る」ようになった
まぁここ数年のことですが、とくに今年は「パレスチナ」のことを通して、ずいぶんいろいろ考え、語りました。

5、独自ドメインをとった
まぁこれはたいしたことはないんですけどね…。

6、右肩があがらなくなった
「寄る年波」と言われたので、「年波って、夜食べるものですか?」と言い返してやりました。

7、本気の腰痛になった
「寄る年波」と言われたので(ry

8、「新ネタ」の突破口が見えた
リビングライブラリーで話をしたのがきっかけですね。

9、自転車復活
今までは子どもの自転車をパクっていたのですが、大学の時に買った中古のロードレーサーを復活させました。いやぁ気持ちいい!

10、もうないな…
おそらくは、新しい出会いという意味では、去年のこれが、近年ではもっとも大きかったもののうちの一つかなぁという気がします。そういう意味では、今年は「新たな」というよりも、いままで与えられた出会いを深めていく年だったかな。そういう意味では「熟成の一年」ということにしておきますか。

思わぬ出会い

とりあえず1時間ほど研究室でダラダラして、外に出ると、車いすの人がたたずんでおられます。ふと
「お手伝いしましょうか」
と声をかけると、
「あ、お願いします」
と言われてしまいました(笑)。実はちょっと先を急ぐんだけどとは思ったのですが、まぁこれもなにかの「縁」ということで、車いすを押しながら最寄りの駅へ。
いやぁ、車いすって、たいへんだ!まずは一般道。一般道って、水はけのために「かまぼこ型」になっています。すると道路の左端を車いすを押していると、左へ左へととられていきます。おかげで左腕にえらい力が必要です。
「まぁ誰もいなかったら自分で行くんですけど、けっこうしんどいんですよね」
とは車いすユーザーの方の弁。なるほどなぁ。
しかも、なかもづ駅に着いたところで、一番近い出入り口は使えません。なので、いったん南海のホームまで行って線路を越して、その向こうにあるエレベーターを使わないと降りられません。メチャ遠回りです。さらに、エレベーターを降りると改札までは緩やかだけど長いスロープ。車いすユーザーの感覚になると、「これはたいへんだ」と、思わず考えてしまいます。
でも、これって経験しないとわからないですね。今まで何回もここに来たんですが、今日はじめてわかりました。うん、いい勉強だ。またネタをひとつゲットです。

ジェンダートーク・ふたたび

琵琶湖から京都への帰り道は、実はダダ混みの道です。特に秋が深まり紅葉の季節になると目もあてられません。これを避けるためには、大原から大移動がはじまる前にそこを通過する。これしかありません。
てことで、焼肉はサクッと切り上げて、京都へ向かいます。おかげさまで無事渋滞がおこる前に市内に抜けられました。
さて、夕方からはこの日の続き、自転車の引き取りです。実は、ショップの人から「一緒にいてあげてね」と言われていたのでした。まぁ実際にはつつがなく引き取りは進んだみたいで、わたしは空気入れの使い方を実習してはるところに到着。
さて、自転車で京都の街を闊歩しますか。
まぁ、闊歩と言っても飲み屋を探すだけのことですが…。
京都の街の広さは、自転車にちょうどいいですね。特に、鴨川〜東大路あたりをふらつくには最高です。
で、とある飲み屋へ。
今回のテーマは「運動は自分のためにするのか?」。あぁむずかしい。
わたしにとっての運動は、結局は「場づくり」なわけです。で、大切なのは、「場」の中心にわたしがいて、わたしを中心にすべてがまわることではなく、わたしは単に「場をつくる」にとどまることなんですよね。もちろん、「場」をつくる瞬間には深くコミットをするのですが、そこからできるだけすばやく身を引く。後の仕事はコーディネートですか。
こういうスタンスでやるためには、「その場が自分にとってなくてはならない場」であっては、とてもではないですが、できないんですね。なので、「場」をつくるたびに、「そこがなくてもいいわたし」になる。まぁかっこよく言うと、「つくった場の最初の卒業生はわたし」みたいな感じになるわけです。
もちろん、その「場」へのわたしの影響力はすごく大きいだろうとは思います。でも、それはわたしが主張するのではなく、そこへの参加者が自分で感じることなんだとも思います。
こんな感じなので、「自分のために」という感覚は、非常に稀薄なんですね。どちらかというと、「その場を必要としている人」「いまだ来ないけど、きっと必要とするであろう人」のためにやっている感じ。当事者感覚がすごく稀薄なんです。
で、こういうわたしの感覚は、
「男性の頃からあったのか?」
という質問があったりして。で、答は
「もとからあった」
なんですね。
わたしとしては、ジェンダーとはあまりかかわりないように思うのですが、どうなんですかねぇ…。

継承するということ

今日あったある会議で、終わりも近づいた頃、いろいろなよもやま話モードになりました。
会議の中で、議題に沿った話はもちろん大切なんですが、それよりもおそらくは「よもやま話」の中にあることの方がもっと大切なんだと思います。なので、けっこう楽しんで聞いていたのですが…。
ある方が、
「長くこの分野をやってこられた◯◯先生の話を聞きたい」
と言われたんです。
「自分の知らないことを、もっともっと知りたい」
ということなんです。
かなりベテランの方で、おそらくはいろんなことを知っておられるはずの方です。でも、「この分野」については「自分は初心者だ」と思っておられて、だからこそ知りたいと思っておられる。すごく謙虚な方だなぁと思いました。それはそれでいいのですが…。
ただ、ふと思いました。
継承することって、とてもむずかしい。
ある物事や、ある考えっていうのは、おそらくはそれが出てくる時代背景があり、さらにいうならばその時代背景が生む「空気」「場」「熱」の中から出てくる。あるいは、あるベクトルを持つ勢いとか、いろんなものがある。それを今振り返って語ることは、あるいはできるかもしれない。でも、それは伝えることにつながるのだろうか。あるいは、継承できることなんだろうか。
わたしも「この分野」の中ではけっこう長い方のようです。まぁ20年選手かな。20年選手っていうことは、最初は20歳台っていうことです。その時の自分の未熟さとか、熱さとか、勢いとか、わたしを取り巻く状況とか。そういう中から、当時のわたしの考えや行動が出ている。その頃のことを伝えることは、おそらくは至難の業なんだと思うのです。

でも、伝えなくちゃならない。そうしないと、きっと歴史の中に埋もれてしまう。そんな気もするのです。

別のギョーカイについては、2000年にデビューした*1ので、わたしはまだ10年選手です。でも、10年選手だからこそ、そして東京ではなく関西、それも京都にいたからこそ伝えられる「なにか」を持っているのかもしれない。
まぁボチボチやっていきますか…。

*1:場所は岡山ね