ジェンダートーク・ふたたび

琵琶湖から京都への帰り道は、実はダダ混みの道です。特に秋が深まり紅葉の季節になると目もあてられません。これを避けるためには、大原から大移動がはじまる前にそこを通過する。これしかありません。
てことで、焼肉はサクッと切り上げて、京都へ向かいます。おかげさまで無事渋滞がおこる前に市内に抜けられました。
さて、夕方からはこの日の続き、自転車の引き取りです。実は、ショップの人から「一緒にいてあげてね」と言われていたのでした。まぁ実際にはつつがなく引き取りは進んだみたいで、わたしは空気入れの使い方を実習してはるところに到着。
さて、自転車で京都の街を闊歩しますか。
まぁ、闊歩と言っても飲み屋を探すだけのことですが…。
京都の街の広さは、自転車にちょうどいいですね。特に、鴨川〜東大路あたりをふらつくには最高です。
で、とある飲み屋へ。
今回のテーマは「運動は自分のためにするのか?」。あぁむずかしい。
わたしにとっての運動は、結局は「場づくり」なわけです。で、大切なのは、「場」の中心にわたしがいて、わたしを中心にすべてがまわることではなく、わたしは単に「場をつくる」にとどまることなんですよね。もちろん、「場」をつくる瞬間には深くコミットをするのですが、そこからできるだけすばやく身を引く。後の仕事はコーディネートですか。
こういうスタンスでやるためには、「その場が自分にとってなくてはならない場」であっては、とてもではないですが、できないんですね。なので、「場」をつくるたびに、「そこがなくてもいいわたし」になる。まぁかっこよく言うと、「つくった場の最初の卒業生はわたし」みたいな感じになるわけです。
もちろん、その「場」へのわたしの影響力はすごく大きいだろうとは思います。でも、それはわたしが主張するのではなく、そこへの参加者が自分で感じることなんだとも思います。
こんな感じなので、「自分のために」という感覚は、非常に稀薄なんですね。どちらかというと、「その場を必要としている人」「いまだ来ないけど、きっと必要とするであろう人」のためにやっている感じ。当事者感覚がすごく稀薄なんです。
で、こういうわたしの感覚は、
「男性の頃からあったのか?」
という質問があったりして。で、答は
「もとからあった」
なんですね。
わたしとしては、ジェンダーとはあまりかかわりないように思うのですが、どうなんですかねぇ…。

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