読書感想文

先日、突然井谷惠子さんから「『オリンピックという名の虚構』を刊行した。献本したい」というメールが来ました。「へ?なんでわたし?」と思ったけど、オリンピックをジェンダーの観点で批判的にとらえる本は、もちろん読みたいので、ありがたくいただくことにしました。
で、もちろんいただいたら読まなきゃなりません。読んだら感想文を書かなきゃなりません。
ということで、読書感想文です。

とはいえ、ちょっとバタバタした毎日だったので、往復の電車の中で切れ切れに読みました。さらに、はじめの方は「オリンピック産業」にかかわる話で、あまりもドロドロのズブズブで、「まぁそんなもんだろうなぁ」という感じでした。
ただ、とてもおもしろいと思ったのが、あの本で一貫しているのは「スポーツ例外主義」という観点です。この「スポーツ例外主義」があるからこそ、経済的・法的・社会的に「例外」としてのスポーツが成り立ち、オリンピックが成り立っている。
そう考えたとき、学校の中にも「スポーツ例外主義」はあるよなと思うわけです。常識が通じない。「なぜ?」と問うと「体育は実技だから」「競技は男女別だから」「スポーツは規律が大切」とか、いろいろ出てきます。まぁだから上下関係がきっちりしていたり、体罰が起こりやすかったりするんだろうな。もちろん、みんながみんなそうなんじゃないけど、そういう構造があるってことです。
ちなみに、常識の通じなささでは、わたしもたいがいというか、下手するとわたしのほうがひどいわけですが(笑)、「なぜ?」と問われたときに「人権だから」とは言わない。きっと、人権とか差別とか言う言葉を使わずに説明を試みるんじゃないかな。
まぁいいや。
で、後半がおもしろいですね。とりわけジェンダーにかかわる話がおもしろい。
高アンドロゲン症の女性アスリートのことが、当然とりあげられるんですが、その背景には「正常な女性」観がある。その「正常な女性」は、白人女性なんですね。そこからはずれたひとつのモデルが高アンドロゲン症の女性である。だから、問題になる。てことは、そこにはジェンダーの問題だけでなく「人種差別問題」がからんでいる。
おぉ、インターセクショナリティ!
で、そことトランス女性排除の問題がからんでくる。
つまり、誰が正常な女性であるかということが、白人男性のまなざしを基準として決められる。そして、それを「女性」アスリートもまた支持する。なぜなら、白人男性のまなざしに「合格」したからこそ、女性アスリートとして活躍する場を与えられ、そこで優れた成績を残しているからです。そして、なぜそんなことが可能となるかというと「スポーツ例外主義」があるんですよね。
まぁこういう話を考えるにつれ、学校体育の問題とトランス女性排除の問題は根っこがつながっているんだなぁと、つくづく思いました。
とにかく、オリンピックとかスポーツとかへのまなざしが変わるという意味で、まさに「今」読むべき本のうちの一冊かなと思いました。

というのは、昨日の話。いや、読み終えたのが昨日で、それを考えたのが昨日から今日ってことです。
で、今日は今日で、「大人買いしたいな」と思っているマンガを探そうと、ちょこっと古本屋に入ったら、いきなりありました。

即買いです。
家に帰ってボチボチ読みはじめたけど、おもしろい!そして深い。校訓が「勤労・協同・理不尽」というのが、すごい。読み進めるのが楽しみなマンガです。

けっこうええんちゃうん

今日は朝イチリハビリ診察です。150日ルールが適用されたあとは、2週間に1回診察に行かなきゃなりません。ただ、それも今日を含め2回でおしまいです。
医「どうですか?」
い「こんな感じです」
医「ほう、だいぶあがるようになりましたね。115、120手前かな」
い「リハビリで正しい腕の上げ方を教えてもらえるのが助かります」
医「なるほど。じゃ、4月いっぱい正しい腕の上げ方を指導してもらってください」
てことで、今日の診察も終了。それにしても「正しい腕の上げ方」とか、考えようによってはマニアックやなぁ。そんなこと考えるの、友だちの中ではKっ川くんくらいかな(笑)。
で、ガッコへ。
今日は出張のない出張日なので、授業はありません。が、あれやこれやと事務仕事があることが判明。なんか、ウロウロしてるだけで午前が終わりそうです。
昼は昼で自転車通学者の登録とかあって、1時前にようやくおべんと。
おべんと食べ終わったら、昨日の感想文の入力開始。もちろん音声入力です。ただ、しばらくやったら6時間目にある避難訓練の放送セット。と、なにやらおかしなマイクがあります。なんだろと思ったけど、そうか。仮設のワイヤレスを小体育館においてるのか。
「それでこの間突然Yせんせいの声が大体育館に鳴り響いたのか」
とは体育教員の弁。そらあんた、周波数が一緒ですがな。てことで、ついでに周波数を変更してみたり。
避難訓練が終わってひと息ついたら、すぐに掃除カントクです。なんか、今年の掃除カントクの範囲、異様に広いぞ?まぁ、教職員数が減ったからそうなるのはわかるんだけど、それにしてもあんまりだな。掃除カントクが長くなったので、呼び出していた子は帰ってしまったか?めんどくさいな。
しかたないので、放送部室へ。今日から3日間、体験入部です。誰も来ないかと思いきや、ふたり来てくれました。入ってくれたら助かるな。
「そういや、明日、薬物乱用防止教育があるし、スクリーン吊りやって」
てことで、新入生を連れてスクリーン吊り。ところが、ギャラリーの下で部活やってる教員が
「スカートの中にパンツ履いてないと困る」
とのこと。なんでも気になるんだとか。放送部員は
「なんでやねん。気にするのがおかしい」
とか怒ってます。こいつら、真っ当なんだけど、この真っ当さがおかしく聞こえる世間だな。
「ほな、明日は見せパン履いてきてな」
とか言ってるわたしもおかしいかも。
そんなこんなで、4時前から再び作文入力開始です。
読んでた時は気づかなかったことがいろいろ出てきますね。
少なくない子が
「考えるだけではダメで、動かなきゃならないと思った」
って書いてます。もちろん、そういうふうに習ってきたんだろうけど、そしてそう書くのが正しいと知ってるんだろうけど、その「正しさ」を書けばいいことがわかる話だったんだとすると、やはりうれしいですね。さらに
「権利を奪われた人がいるということは、「助けて」という言葉に応える人がいなかったからだ。そして応えなかった中にはわれわれも入る」
みたいなことを書いてる子がいて、これまたすごいなと。
世界人権宣言の授業はすでにプレゼンがあるから、あれを使えば誰でも同じことができるはずです。が、ほんとうはできない。それは、あのプレゼンをつくる過程で、わたしの経験をまぜこんだし、さらにわたし自身の気づきがあった。だから、ところどころにエピソードを混ぜ込んでるんですよね。
「人権はだれか一部の政治家とか、人権を守られてない人を見た人がつくったと思ってた。でも、人権を守られてない人が声を上げ、それを見て一緒に動いた人がいたからできたとわかった」
って感想文がありました。たぶん、例えば女性の参政権の話もしたし、ヘイトスピーチ規制法の話もした。ヘイトスピーチの話をする時は、必ずカウンターの話をします。そこにはたくさんの仲間の写真があります。そんな人々を「カウンターの人たち」ではなく「仲間」として語ることが、さっきのような作文へとつながるんだと思います。
てことで、5時15分に入力終了。あとは新しい若い衆にまかせましょう。せっかくなので放送部室に行って
「すごいやろ、5時15分にガッコにいるぞ」
と言うと
「すごい!」
と言われるなど。さらに
「1年生に顧問のことを紹介するとき「5時15分まで学校にいるのを自慢しに部室に来るセンセ」って言わんとアカンやん」
とか言われて、納得するなど。
さぁでもそろそろ帰ろう。明日も忙しい。

なにもない土曜日

今日はなにもない土曜日です。久しぶりです。でも、昨年度に引き続き、今年度もこういう土曜日がけっこうありそうです。
てことで、早起きして、久しぶりにバイク仲間とくねくねしようかと思ったけど、起きられませんでした。いや、正確には目が覚めたけど、「もっと寝たい」という誘惑が勝ったということです。
とりま、猫の額で朝ごはん。

桜は、まだほんのりピンクが残っていますが、ほぼ終わりです。朝ごはんのあとはゆらゆらしながら読書でもしますか。

午前は日陰ということもあって、肌寒い。それにしても、このフリースの寝袋的なの、ぜんぜん暖かくない。
夕方、ちょっと走ろうかなと。相変わらず、30分走れるようになるのが目標です。結局32分ばっか走りました。平均1kmが5分45秒。ちょっと早くなってきました。帰ってきて筋トレ。その後体重計に乗ると、だいたいいつもの体重になっていました。が、油断は禁物です。てか、あと1kg絞ったら、いつものところにもどったことになります。

それにしても、「LGBT理解増進法」なぁ。
たぶん、「差別」の意味を取り違えている。差別は「人から人へ」じゃなくて、制度なんです。社会的な問題なんてす。規範と言ってもいいかな。つまり権利がないことなんです。同性婚が認められていないこと、あるいは手術しないと法的に自認する性別での扱いが受けられないこと、こういう状態にあることが差別なんです。なので、「理解」は差別の解消とはまったく違うってことです。そういうことをわかっていない人が「理解増進」とか言っている。もっとも、わかった上で、あえてやっている可能性も大ですがね。
まぁ、ただ、そういうのがまかり通るのは、やはり「人権学習」が「心の問題」になっていること、あるいは「人と人の関係」になっていること。そのあたりに原因があるんだろうな。かつて批判的に講演を聞いた時に、障害者差別の観点や法律の観点から意見が出されたけど、そういうところから「わたしたち」が学べていない。
明後日、なんとかカウンターパンチを出したいな。

配慮か?

今日の午前は新転任者のオリエンテーションです。かつて人権教育のセクションが独立していた時はここて話をしていたみたいです。が、今のセクションに併合されてからは話をすることがなくなりました。ただ、なんかそれはそれで腹が立ったので、「うちのガッコの人権教育の位置づけはそういうことなんやな」とネチネチといじめてあげたら、「忘れてた」とか言われて「だからな!」って言ったのは、もう5年ほど前のことです。今は位置づけられているのはいいのですが、逆に仕事を増やしてしまって「しもた!」と思ったのものの、後の祭りでした。
ちなみにこのあたりのことを昨日同僚に話すと
「はい、センセの負けー」
って言われたので、それはその通りだなと。
てことで、どんなことを話そうか…。
とりま、ゲンコを完成させて、そこから考えました。で、やったのは…。
ーーー
1.人権教育は人権学習とは異なるアンブレラ概念
2.人権教育は生徒を甘やかす?
3.それは違う。「厳しさの中に優しさを、優しさの中に厳しさを」。それぞれのキャラでふたつのバランスを考えてほしい。
4.具体的には?
5.子どもの話を聞く。「40人の子どもたちは、ランドセルの中に40の生活を詰めて学校に来る」。同じに見えるけど、生活背景はまったく違う。わたしたちにとって当たり前のことが当たり前ではない子どもがいる。
6.なぜそれをするかというと、わたしたちの仕事は子どもたちが幸せな人生を送れるようにすること。
7.「同和教育の総和は進路保障」
8.子どもたちが幸せな人生を送れるような進路保障にともにとりくみましょう。
ーーー
みたいな話を5分でやりました。いや、10分もらってたけど、前のふたりが時間オーバーするんだもん。

で、どうしようかと思ったけど、昼までの間に時間があるので、久しぶりに走ろうかなと。サッカー部の子らが練習してるまわりをぐるぐる。今日の目標は30分走ることです。で、1kmを6分40秒くらいのスローペースで、とにかく走りきりました。
そのあとは補強です。これも20回5セットやってたのを15回5セットに減らしました。とにかく継続しましょう。
と、去年授業を担当した某クラブのマネージャーが通りかかりました。
マ「センセ、トレーニングしてるの?」
い「うん、春休みに2キロ太ったんやわ」
マ「全然大丈夫やん」
い「いや、アカン、ショックやねん」
マ「センセはかわいいから大丈夫」
えーと。これはきっと喜ぶべきなんやろな。まぁ、女子同士の会話は「褒めあうこと」とは聞いてるからこその「褒め」なんだろうけど、ただ、だとすれば「褒め」の対象は「女子」ってことで、その対象足りうると認定されたってことか?まぁ配慮やろなぁ(笑)。でも、個人的には、文科省があげた事例通りの「型にはまった」配慮よりは、こういう個人間の即興の配慮のほうがうれしいな。

午後は研修会です。長い。疲れた。しかも、明日も会議やん。
まぁそれでもうちのセクションの長は飛ばしに飛ばして30分繰り上げて研修会終了。優秀やな。
研修から帰ってきたら、ゲンコへの返事が返ってきてました。そうか、狙いはそこだったか。難しいな。ただ、自分にしかわからない風景はあるのかな。きっと自分史本の続編としての「人権教育版」がほしいのかな。
まぁ、やってみますか。自分にとってもいい経験です。
てことで、定時になったから帰りますか。うわ、雨やん…。

採点の祭典→震災から10年

先週に担当教科の試験がありましたが、ずっとパタパタしてたので採点ができませんでした。唯一チャンスはおとついでしたが、おとついは若手教職員研修が盛り上がったので、採点する気分じゃなくなって、そのまま「梅が散らなかったメール」をもらったのでした。幸い、今日は試験返しのコマが入ってないので、今日を「採点日」と決めてました。
てことで、採点の祭典開始です。とはいえ、そこは数学です。ひとクラス1時間半で終わってしまいます。他教科の教員にもうしわけないです。
それにしても、学年末試験って、採点中に思わず声が出てしまいますね。
「なんで、下端ー上端にしてんねん!」
とか
「ふぁ?2を積分して、なんで2のまんまやねん!」
とかね。
面積の計算は2次方程式が解けないとできません。しかも、x^2の係数がマイナスになることが多いです。そうなるとできなくなります。
「しもた!ここでひっかかるか…」
って声が出てきます。
それでも採点を終えて、ノート点検→平常点の計算です。ここでまた、
「おわ!こいつ、プリントの日に限って欠席してるやん!」
とかいうことになったりします。
まぁ、波乱万丈なのが学年末の成績処理ってことです。そんなこんなで午後のはじめまでかけて、成績処理がすべて終わりました。
うーん、こいつらビミョーやな。みんな、トータルであと10点。各定期テストで、1問たくさん正解があればビミョーじゃなくなるんですが、あえてビミョーにもってきているとしか思えないほどにビミョーです。あとは成績会議しだいですね。

午後はリハビリ。新しい作業療法士さんは、肩にひねりを入れたり、上げる方向をビミョーに変えたり、バリエーションが豊富です。たぶん、前の作業療法士さんがひたすら腕を上げてストレッチしまくってくれたおかげで肩関節に余裕ができて、その土台の上にバリエーションがあるのかな。たしかに肩の可動範囲は広がってる気がします。もうひとがんばりするためには、自己練習が必要なのかな。サボってるからなぁ。

夜、ビールを飲みながらテレビを見ると、当然のことながら「震災から10年」特集です。
いつになく違和感があります。
例えば、阪神・淡路大震災の時ってこんなにいろいろあっただろうか。いや、テレビの特集はあったかもしれないけど、国が式典とかしただろうか。あるいは熊本大地震は?震災じゃないから無視?ことさらに東日本大震災に焦点化する背後になにがあるのか、とても気になります。
そしてもうひとつ気になるのが、↑みたいな感想を言わせない「空気」です。まさに「震災から10年」を追悼しなければならない「空気」です。
もちろんわたしは当事者じゃないのでわかりませんが、たぶん被災者の人や震災で大切な人を亡くした人って、「節目」で思い出すんじゃなくて、日々の生活の中で、ふとした時に「不在」を感じるんじゃないかと思うのです。それに対して、「節目」を設定することによる「震災のイベント化」は、そういう「日常感じる不在」を隠蔽してしまう。つまり、わたしたちが、被災者や震災で大切な人を亡くした人の「日常」に思いを馳せる想像力を奪ってしまう。そんな作用があるんじゃないかと思うのです。
そしてなにより原発です。原発を震災の「ひとコマ」にしてしまうことで、原発は相対的に扱いが小さくなってしまう。例えば「震災で亡くなった人」に焦点化することで、「人とは異なる」あるいは「構造的な」原発は相対的に扱いが軽くなる。そうやって、原発の問題を隠蔽していく。
そしてその先にあるのは「復興五輪」です。そういうプロパガンダの一環としての「震災から10年」というイベントであるように思えてしかたない。そしてそのイベントに、誰もが善意で参加する。参加しない人は「非国民」とみなされる。そうやって「正しい国民」が構築されていく。
なんか、そんな気がしてならない「震災から10年」の夜でした。

見つからない

3学期がはじまった先週はなんやかんやとあって、ずっと車通勤でした。なので、今朝は久しぶりの電車出勤です。緊急事態宣言が出てどうなってるかなと思ったけど、たしかに人は少ないかな。でも、4月みたいにガラガラというわけではありません。印象としては学生が少ない気もしますね。
で、出勤して、今日はのんびりの水曜日。まずは6時間目の「国際理解教育」の放送機材の準備からはじめようと思ったら、とんでもない水曜日でした。なんでも、担任さんがしばらく休むことが決まったらしく、副担任のわたしに担任がまわってきました。てことは、朝イチのスケジュールがガタガタになるってことです。
基本的にはガッコってのは全員が出勤してることが前提で設計されてます。例えば定期的な出張とか通院がある場合は、時間割もそこをあけて組んでもらってます。そこをあけてるということは、他のところに固まったりするので、ますますその時間は「いる」ことが前提になって、全体的には「休んでない状態」が前提になります。そこでひとり休むとジャグリングがはじまります。特に担任の場合はそれが顕著です。副担任が担任にまわる。すると副担任が本来やっていたところがあいてしまう。そこを誰かが穴埋めする。あるいはホームルーム中にやってる会議が成立しなくなるので、会議を別のところに設定しなくちゃなくなる場合もあります。すると、そのセクション全体に影響が出てくる。まぁこういう感じになります。
てことで、朝イチのホームルームに行って、機材準備をして、職員室にもどったら、名簿をつくって、6時間目のロングホームルームの最初と最後をフォローしてくれる人を探して…。
そんなことをやってる合間に授業して、昼休みは放送セット。5時間目におべんと食べて、すぐに講師さんと打ち合わせ。6時間目はロングホームルーム。
という1日でした。ひでぇ。
まぁ、「学校を動かす」ということは、こういうことです。これであと2〜3人休むと破綻するなと思うのですが、みんなでフォローしあってなんとかしちゃうから、みんなそんなことに気づかないんだよな。

放課後は1時間年休をとって前のおべんきょ場所へ。この間お願いした本が届いたとのことです。ありがたい。
帰りの電車を待ちながらパラパラと読んでると、使えるのは使えるんだけど、英語だしきついなぁとか。もう一冊は日本語訳だけど、こちらは完全な医学書です。うーん。
で、夜は学生さんのインタビュー。なんでも東九条マダンについて調査をしていて、わたしの話を聞きたいんだとか。わたしとしても興味があったので受けることにしました。まぁどうせ今日はおべんきょになりませんからね。
てことで、わたしなりの東九条マダンというか、東九条とのつながりを話してみました。ちなみに学生さんの指導をしてるのは片田孫晶さんです。インタビューを依頼されたのも、引き受けたのも、この人の影響が大きいですね。
インタビューが終わってから、パラムの会について話すのを忘れてたので、急遽「ほっこりカフェ」で追加インタビュー。でも、8時閉店なので、さっくり終っておうちに帰りました。

それにしても、あれを読むのか…。きついな。
というか、5の手がかりがイマイチ見つからないんだけど、どうしたものだろう…。

そこまで来てる

今日は午後から出張です。なので、午前は年休をとっておべんきょです。
それにしても、今さらながら仕事しながらおべんきょするのはきついってわかりました。そういや、休職したとか、ちょうど無職だったとか、あとはおべんきょが仕事だとか、そんな人ばっかりでした。ひとりそうじゃない人もいたか…。
まぁそれでもわたしは恵まれてますね。なんとかここまではやってこれた。
てことで、4の最終点検。まぁまぁまぁ、こんなもんかと。マーカーは入ってますが、そこの修正案はなにかの拍子に出てくるでしょう。
てことで、5へ。ここはもっと書かなきゃならないらしいです。なにが参考になるだろうか。わたしがやってることは、藤田由美子さんとか片田孫朝日さんとかと共通するところがあるので、そのあたりを読んでいるとキーワードにぶつかりました。あちゃぱ。なんで気がつかなかった?やばいな。英語文献じゃん。あわててどこかにないか調べると、ラッキーなことに前のおべんきょ場所にあることが判明。まぁ当たり前なんですけどね。なかったらおかしい文献です。なので、センセにメール。すると「なんとかする」とのお返事。ありがたや…。
ついでにレビューを読んでると、あちこちに必要な本があるので、これは買おうと。てことで、古本で何冊か注文しました。だって、高いもん。もちろんおべんきょ場所に頼めばお金は少しは出してもらえるけど、時間と交通費を考えたら、注文するほうが安いです。
あとはいろいろ考えながら本を読んだりペーパー見たり。そんなことをしてると、あっという間に出なきゃいけない時間になりました。
とりまおにぎり握ってボトルにお茶を詰めてスタート。行きの電車でもぐもぐ。昼とはいえ、たしかに乗客は少ないです。

午後は京都府最南端あたりで会議です。
いろいろ報告事項があったあと、今年度の残りの会議の話。
なんというか、covid-19の感染は、ほんとに身近なところに来てるんですね。まぁ昨日も同僚の知り合いの知り合いあたりが感染したみたいで、「休まなきゃなりません」みたいな話がありました。これが、例えば「同僚の知り合い」まできて「同僚」までくる。あるいは「生徒の家族の同僚」が「生徒の家族」まできて「生徒」までくる。そうしたら、次は「わたし」です。で、「わたし」になったら「わたしの家族」「わたしの家族の同僚」となって、「わたしの家族の同僚の家族」となる。
だいたいが、あれだけ狭い場所に1000人くらい集まって、しかもその中で動くことが前提のシステムになってるんだから、その中でどれだけ動きを抑えても感染は広まりますよ。誰かが「学校はハブだ」って言ってたけど、たぶんそうです。
ちなみに、この状態だと教員はエッセンシャル・ワーカーなんだと思うけど、まぁそうは見られてないだろうな。
学校を休校にしないのは、たぶん去年批判をあびたからだろうと思います。あと、遠隔授業のシステムもないしね。そういう意味では、学校って極めて原始的なシステムですからね。まぁ、一部の学校ではかなりシステムは整ってるらしいけど、それは「そういう学校」のことであって「こういう学校(笑)」ではない。
てことで、感染ってことを身近に感じながら毎日を送らなきゃならん状況になってるなとは思います。が、どうしようもない。
もちろん「休めばいいじゃん」って話なんですけどね。まぁそんなときに「福島からの自主避難者」のことを思い出すわけです。

まぁそんなことを考えながら会議は終了。
家に帰って、少し調べものをしたら、毎月恒例の会議の時間になりました。今回は全員がzoomです。たしかに効率的だし動かなくていいから楽ですね。そして「呑み」がないから身体にも優しい。が、「なにか」を削ぎ落としてる気がするわたしは、きっと原始的なシステムの人間なんだろうな。

昔の日記を思い出す

今日は1日こもりんです。ひたすら4を考えます。ほんとうは先週終わっていたかったんだけど、しかたありません。でも、今やってるところを突破したら、その次は動くはずです。5についても、頭の中にはかなりできている。とにかくやらなきゃ。
それにしてもAさん、すごいな。データを読めば読むほど、すごい実践をしています。そして、よくまわりを観察している。もちろん、そこにはバイアスが入っていることは織り込んでの話ではありますが、でもすごい。そして、その観察とか実践の語りを通して、Aさんのまわりに起こっていたことを、Aさんがどう解釈していたのかがわかる。それが5につながる。
ただ、5を書くためには「巨人」が必要です。おとついはわからなかったけど、実はきのうダメダメ先輩からヒントをもらいました。たぶんそのあたりだな。「巨人」のうちのおひとりに一度聞いてみよう。
ちなみにAさんの実践がわかって、自分がこの世界をどう見ていたかが理解できました。ただ、たぶんこの見え方は、なかなか理解してもらえないだろうなぁ。いや、「微細な差異に敏感」であれば、異なるケースとして理解できるかも。
ということで、こたつとトイレを往復する1日でした。

で、夜にテレビを見ていてふと気になったこと。
たぶん小学生くらいの子かな。調味料博士みたいな子が出ていて、世界の調味料300種類くらいを使いこなして、いろんな食事の味を「きめ」まくっていました。おもしろいなと思いながらも「あれ?」と思いました。
わたしたちは、何を食べているんだろう。食材の味を楽しんでいるのか、調味料の味を楽しんでいるのか。
そこでふと、かつて上の子どもに言ったことを思い出しました。たしか日記に書いたはず。
ありました
なつかしいな。東ジュンさんどうしてるかなぁ…。まぁここは見てないか。
てか、そこを6日ほどさかのぼったら、自分の人生を変えるような出来事があったりして、それはそれでおもしろい。

使いにくい

長いような短いような1週間も今日でおわりです。金曜日は授業のすき間の時間があるから、おべんきょを少しでもすすめようかと思ったけど、職場では無理ですね。集中できない。まぁ長期的に見たらどうせ仕事もあるし、そちらをやりますか。
ということで、あちこち連絡をとったり、月末へ向けて仕事をしたり。

それはそれでいいのですが、最近授業のしかたを完全に変えました。
年末から電子黒板を使いはじめて、投影の方法を変えました。が、年が明けて黒板に投影したらやっぱり暗い。なので、泣く泣くスクリーンを使うようになりました。まぁそれはそれでやり方はあるみたいです。
問題は、apple TVを使ってるので、mac系からしか投影できない。しかたないので、官給品のipadを使っていましたが、これはこれでいちいち借りに行かなきゃならないのでめんどくさい。そんなところ、ひょんなところから使ってないipadがあるとのことで、個人的に借りることができました。
問題は、どうやってデータを移すかですね。官給品の場合クラウドが使えなかったので、自分が借りているサーバーにpdfのデータをあげてsafariでそれを表示させてダウンロードという、わけのわからんことをしていました。が、個人持ちになったので、クラウドで同期すればいいか。
ということで、同期したのはいいのですが、ついでにjpegデータを加工したいなと。なので、そういうアプリをダウンロードしてみて、いざデータを開こうとしたら、ない。そうか、ipadって、単にデータを持ってきただけじゃダメなんだ。それをアプリに紐付けしないと行けないんだ。めんどくさい。
さらに、自分のタブレットがあって、ぷらすipadは重い。タブレットはペーパーを読むために買ったので、そのデータをコピーできたらいいわけです。てことで、データをコピー。いつも使っているpdfリーダーのiOS版があるのでそれもインストールして。はい、データを認識しません。これも紐付けしないとダメなのね。
android版だったら、アプリ側からフォルダを指定したら認識してくれるのに、iOS版はそもそもそういう機能がない。なんでもitunesを使えと。
itunesはイヤな記憶しかありません。当時ipod miniを使っていましたが、とにかくPCとつなぐと勝手に同期をする。こちらは必要なものだけを転送したいし、転送済の不要なファイルはPCでは使わないから消したい。なのに同期されてしまう。こんなタコな仕様はイヤだと思っていたら「I氏のつぼ」というものすごく便利なソフトがあったので、それを愛用していました。そう言えば作者のブログも愛読してたなぁ。
そんなこんなで、itunesは使いたくない。てか、たぶん使おうと思ったらapple idを統一しなきゃならない。いくら使ってもいいといわれても、借り物のipadなので、それはめんどくさい。なので、貸してくれた人のmacとご対面する日まで断念です。

てことで、やはり「野良」なわたしは、データ用のディレクトリを自分でつくって、ファイラーでデータを転送して、ソフト側からディレクトリを指定してという形で、すべてを自分で設定する方がいいですね。
とにかくipadは使いにくい。

転換点

今日はのんびり金曜日。もちろん気持ちは焦りまくっていますが、時間割はのんびりです。ただ、1時間目に卒業生がインタビューにやってきます。それまでにいろいろ雑事は片づけましょう。
で、9時にインタビュー開始。まずは
「録音しないの?」
からスタートです(笑)。まぁそれはするつもりだったからいいとして。
「インタビューの作法、学校で習った?」
と聞くと
「習ってないです」
とのお答え。まぁ、研究機関じゃないからいいのかもしれないけど、写真も撮るし、ちょっとアレやなぁ。てことで、倫理申請のこととか、その際公開範囲をどのあたりで考えているのかとか、いろいろ話をしてみたり。あとは、ダラダラとインタビューに答えてみました。それにしても「人生の転換点ってなにでしたか?」とか、答えようがないほどたくさんあるのを聞かれたり。たぶん、「人生の転換点っていうのがあって、それがあったから今の人生がある」みたいなストーリーがあるんでしょうね。でも、少なくともわたしの場合、それはない。ないと言えば語弊があるか。ありすぎる。つまり、常に転換点の連続だったので、そしてこれからも転換点の連続だろうから「これ」ってのはないんですよね。
まぁ、そんな話のあと、何枚か写真を撮ってもらって、インタビュー終了。
で、授業。
相も変わらず私語があるんだけど、今朝ふと思ったことを話してみました。
「私語をしている人って、私語をしていると思っていないんじゃないかなぁ。それをあまりにも自然な行為と思っているから、私語をしている認識がない。すると、私語を注意されても、それが自分だとは思わない。だから、私語をする」
どうすりゃいいんだか…。
あとは来週のプリントの準備をしたりして、あとはインタビューの読み込みです。
インタビューはおもしろい。今日も新たな発見があります。が、それを文章に落とし込めるかどうかですね。それがむずかしい。
ということで、久しぶりに定時に退勤。いや、最近出張とかリハビリとか年休とかで、定時にいませんでしたからね。
で、家に帰って5.3.をやっつけます。昨日やっつけたところの続きから。今日はふたりのデータから、それぞれの「転換点」を探ります。まぁ、この歳になると転換点は山のようにあったなぁと思うんだけど、データの人々は,ある程度転換点は明確です。が、その転換点で何をして、何が起こっていたのかは、その気になって読み込まなきゃわかりません。すると、だんだんと浮かびあがってきました。そうか!「棍棒を練るみたいな人」人なんだ!
ただ、これをどう使うかがわからない。うーん、今日はやめよう。きっとふとんの中にいたらコロボックルさんが来てくれる。