今日は3年生の人権学習の日です。実は時間割変更を依頼するのを忘れていて、めっちゃビビりながらガッコに行ったのですが、特別時間割を組んでもらってることが判明してホッとした1日のはじまりでした。思わず教務部長に
「ありがとう。こうやってなにも言わなくても自動的に進んでいると、メッチャストレスが減るわー。さすがは教務や」
と言うと
「はじめて褒められたわ(笑)」
と言い返されたり。まぁそうですよね。教務ってうまくまわってるのが当たり前で、そうじゃない時に存在が顕在化する。放送と似たところがありますからね。
さらに事務に行ったらプロジェクターが用意されていて、これも感謝です。ほんとにみなさんの支えがなければどうしようもありません。
ちなみに、今日の内容は恒例の「部落差別」です。去年は「でも闘う人がいた」をつけ加えたのでした。今年はどうしようかと思いながら出勤してたのですが、「そうだ、タイトルを変えよう」と思いました。そのためには「入り」をつけたさなきゃ。
まずは
「さぁ!今年も人権学習だo(^^)o」
からスタートしましょう。そして、なぜ人権学習をするのかを、世界人権宣言の授業を振り返りながらおさらいです。
人権学習はみんながハッビーになるためにあるんですよね。なのに、子どもたちは人権学習の日は自分が加害者であることを突きつけられる日と勘違いしてる。いや、加害者であることは間違いないんだけど、それは「みんなが」ハッビーになるために乗り越えなきゃならないものとして存在しているわけで、単に加害者であることを突きつけてもイヤになるだけです。
ただ、みんながハッビーになるためには学ばなきゃならない。その時の題材としてさまざまな人権課題を闘ってきた人をとりあげるとともに、その人権課題に共通する社会構造を見つけること。それが人権学習なんじゃないかと。
なので、タイトルは「部落差別を考える」から「部落差別から学ぶ」に変更です。
そんなこんなでスライドをリメイクしたり、PCやプロジェクターの動作確認をして、午前の空き時間が終了。3・4と授業をして、昼休みは機材セット。10分だすき間があったので、おべんとをかきこんで、再び体育館へ。
そして人権学習スタートです。
「いいかい、みんな、自分が奪われている権利を認識することが大切なんだ。なぜなら、奪われていることが当たり前になると、そのことに気づけなくなるからね。それは君たちだけじゃない。わたしたち教員もまた同じ。そして、その奪われている権利を獲得する。そのために人権学習があるんだ」
ほとんどアジテーションです。でも、みんな、なんか、固唾をのんで話を聞いてくれている感じがします。
その後映像を見てもらって、そのまま部落についての認識度のあたりを話しはじめたところでチャイム。
「ここでいったん休憩ね」
と言うと、みんないきなり「ふー」とか言って脱力してたから、メッチャガチで聞いてくれてたのかな。
休み時間のあとは後半戦投入です。そのまま45分走りきって終了。
疲れた。
でもまだ機材の撤収と感想文読みが待ってます。ほんとは走りたいけど、走ったら今週のスケジュールが崩壊します。これから3週間はガマンですね。
3クラス感想文を読んだところで定時が来ました。よし、帰ろう。角打ちに寄ろう。
角打ちに行くと、いつものおじさまたちがしょーもない話をしておられます。ホッとします。今日はフロアのおじさまたちと同じテーブルで飲もうかな。
とりま、日本酒と鶏天。
うまいわー。もうあと半分飲もうかと思ったら、おじさまが
「出したるわ。ただし半分と違ごて1杯やぞ」
とのお言葉。ありがたくいただいていると、これまたいつものおじさまが来られて、もうひと盛り上がり。なので、さらに半分飲もうと思ったら、おじさまが
「出したるわ」
とのお言葉。ありがたくいただいたところで閉店時間になりました。
「おねぇさんは390円ね」
安いわ…。
さぁ、帰ってビールをもう一杯飲もう。明日への活力です。
カテゴリー: 考え
見解が違うのかなぁ
今日の1時間目はまたまたプリント学習です。てか、これくらいの頻度が、実は定常運転だったりします。プリントの最後に「今週のとりくみについてひとこと」欄がつくってあります。ここ、ちゃんと読んでないんだろうけど、プリントの感想を書く子が多いです。なので
「今週のとりくみを書くんやで。例えば「寝てしまった」とか「それでもがんばった」とかね」
と言うと、またまた「眠たかったけどがんばった」みたいなのが続出して、オリジナリティがないなと思ったり。
それにしても、今週は寝ている子が多かったです。共通しているのは、とあるクラブです。そういや朝練をしているので、そのせいかと思って聞いてみると、朝は7時から朝練、夕方は20時まで練習らしいです。すでに夕方じゃないけどね。すると、遠い子は家に帰るのが22時とかで、家を出るのが5時とからしいです。これはもたんでしょう。そりゃ寝るわ。てか、ここまで来ると、なんのためのクラブかわからなくなりますね。
そんなことがあって、昼休みに放送部関連でミニトラブル発生。まぁ昨日リハーサルをして[1]わたしはリハビリに行ってたけどね(笑)、今日も準備をしていたのに、突然「放送部なくていいよ」となったという事案です。まぁ放送ってそういうものなので、別に個人的にはどうでもいいのですが、そこで考えたことがあるんですよね。
わたしたちはなんのためにクラブをしているのか。
もちろん、クラブは本務外です。なので、しなくてもいいのが大前提です。ただ、放送部は「委員会」的な側面があるので、そういう活動にしています。なので、当然のことながら教育活動の一環としてやっている。だから「任せる」んです。任せられて、そこでそれなりに役割を達成して充実感を味わう。いわゆる自己有用感というやつです。そのことが部員たちの成長につながる。
実は「なくていいよ」となったのは、簡単に言えば業者が入ったからです。確かにイベントを成功させるためには業者を入れればいい。そうすれば「いいもの」ができる。でも、それは教育活動ではないと、わたしは思っています。
例えば、リハーサルの時に行事をする人間と放送部で打ち合わせをする。それもまた教育活動の一環です。そうやって、放送部も当事者としてある行事にかかわり、裏方として行事の実施に携わる。限られたリソースの中でやるわけだから、当然ガマンしなくちゃならないこともあります。でも、それを工夫で「よりマシ」なものにしていく。その過程が、とても大切だと思っています。極端に言えば、結果ではない。というか、結果は後からついてくる。
だから、業者を入れれば簡単に終わることを、時間をかけてやる。
ちなみに、行事にかかわったクラブの部長は、速攻謝りに来てくれました。謝りながら涙を見せていました。ええ子です。実は部長はことの顛末を知らされていなかった。でも、責任者として謝りにきた。「部長」という役割を与えられることで成長する。これもまた教育活動です。
そういうわたしの考え方と、今回の行事に携わった顧問とでは、どうやら見解の相違があったようです。でも、その見解の相違は、もしかしたら「教育観」の違いかもしれません。
そんなことを考えたできごとでした。ちなみに、こういうことが言語化できるようになったのは、実は「夜の仕事」をするようになったからです。てことで、今度の「夜の仕事」にいいネタができたなと。
てことで、先週歯が欠けたので、帰りに歯医者に寄りました。どうやら、寝ている時に「噛み締めている」らしいです。なので、マウスピースをして寝ろとのこと。マウスピースとかして寝られるだろうか…。
footnotes
↑1 | わたしはリハビリに行ってたけどね(笑) |
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あっという間やな
朝、目が覚めると眠いです。そりゃそうです。1時に寝るとか、平日では考えられません。その考えられないことをやるのが酔っ払いということか…。
てことで、出勤。
今日は1時間目に自習カントクがあります。とはいえ、担当者の仕込みがいいのか、みんなマジメに勉強しています。てか、あっさりと終わっている子どももいます。まぁ数学得意な子には簡単ですからね。格差が激しい教科です。
で、2時間目。やはりこちらもプリント学習。その間に送ってもらったプレゼンを見るなど。うーん。
「らしさ」とか「ジェンダーバイアス」をLGBTに結びつけるのって、さまざまな教材でよく出てくるんだけど、無理があると思うんですよね。だって、例えばトランスジェンダーとか「らしさ」を利用して性別を移行するみたいなことがこれに書いてあります。そりゃそうです。第3のジェンダーとか脱ジェンダーバイアスとかやったら、「その枠」にはまってしまう。もちろん、Qの人とかXの人とかnon-binaryの人はまた別ですが、いわゆるトランスジェンダーの性別移行なんて、そういうものです。だから「らしさ」を問う教材って、直接トランスジェンダーとは関係がなくなるんですよね。にもかかわらず、「自分らしくしていい」というあたりからトランスジェンダーと結びつけてしまうと、「トランスジェンダーって男/女なのに女/男らしくしたい人」みたいな理解へと導きかねない。なので、わたしはジェンダーバイアスの問題は扱わないんですよね。
まぁそんなあたりの話を濁った頭で考えるなど。
その後も降りかかってくる授業をなんとかこなして、リハビリへ。やはり痛い(笑)。でも、その70%を攻めないと、可動域は広がらないんですよね。
帰りにウトロに寄って、すこしおしゃべり。
そんなこんなであっという間に一日終了。一日は早い。でも、まだ木曜日。一週間は長い…。
やはり長いな
今日の午前は第2のふるさとで会議です。なので、朝は少しゆっくり。で、新しいリュックに荷物を詰めてスタート。まだ身体になじんでないですね。でも、おいおいなじんでいくでしょう。とりあえず肩ひもの調整からかな。
しかし、大量の紙を入れてるから、重い。車で出張であれば、この重さは関係ないんですけど、電車での出張はこれがしんどい。さらにおべんともあるし、おべんと用のお茶を入れたペットボトルもあるし、とにかく重いです。さいわい、今日の行き先は駅から近いので、それだけが救いです。
出張先に行く途中、ふと気になって、午後の出張場所を確認したら、そこは来週で、今日は別のところでした。しまった。少し荷物を減らせたな。
で、会議の前に夜の仕事のためのデータをダウンロード。やはりipadはむずかしい。やはりわたしは自分でディレクトリをつくって、そこに整理していくほうが性に合ってますね。
と、そこへ会長がやってきて
「ほれ」
と荷物をくださいました。これとこれです。しまった。また荷物が重くなる(;_;)。その代わり、財布が軽くなる(;_;)。
で、会議のスタート。今日は完全にフリートークです。まぁ、(部落)差別をどう教えるかって話です。
なんかね。おそらく、子どもたちは、差別は個人間で行われるものって考えてる。だから「自分はしない」からいい。「差別する人が悪い」となる。でも、そうじゃない。本来は差別の結果は権利の不平等としてあらわれる。あるいは権力の不均衡と言ってもいいかも。その「権利」は、例えば「婚姻関係」みたいな制度的なものだけじゃなくて、例えば「アウティングされるかもしれないという不安を抱えるかどうか」みたいなものも含まれる。つまり、社会構造の問題です。
が、「社会構造の問題」と言ってしまうと、子どもたちにとって「そんなんムリ」「自分とは関係ない」となる。でも、本来はそんなことじゃなくて、個人と個人の関係は社会構造の中に埋め込まれている。というか、社会構造との相互行為の中にある。
そんなあたりを顕在化させるもののひとつが、例えばマイクロアグレッションかな。社会構造の中に埋め込まれた個人間の発言が被差別者を傷つける。発言の背景には社会構造としての権利の不平等がある。
マイクロアグレッションについては「発言しないように気をつけなくちゃ」と捉えられてしまうことがよくあるんだけど、そうじゃなくて、そういう社会構造の中にいるってことを意識化するってことなんですよね。
まぁ、そんなことを考えているので発言したけど、スルーされました(笑)。
で、午後の会議へ。今度は京都府中部の町です。こちらの会議は、どちらかというと、行事関連の確認が多いので、そんなに考えない。いや、考えるか。わたしの役割は講師の選定ですね。今の人権教育担当や新規採用教員に必要な知識はいったいなにかってことをひたすら考えてます。なので、例えば土田さんや浜田さんや山田さんに来ていただいています。次は何か。すでに頭の中にはキーワードはあります。あとはどなたにお願いするかです。なので、会議中に依頼メール。どうなるかな。
そんな感じで午後の会議も終了。再び移動です。
やってきたのは夜の仕事の現場です。
とりま仔牛控室に行って、出勤のピッをやって、速やかに印刷開始。とてもじゃないけど、プリントを持ってはいけない。てか、プリントアウトし忘れてたのもあるので、PCを使ってみたり。助かります。さらにwifiを使うための申請もしておきましょう。これで次回から安心してyoutubeを使えます。
で、夜の仕事開始。
まずはこの間「教員が使うひとつの言葉で、その場にいる誰かを排除してしまうかもしれない可能性」ってことを話してたから、マイクロアグレッションにかかわる動画を見せてみました。
そこからは輪読→コメントの繰り返し。こんなのでいいのかなぁ。輪読してるテキスト、決して悪くないんだけど、ところどころで引っかかります。そこをコメントするのが大切かな。もちろん「ほんまそれ」というところもあるので、そこも言わなきゃ。
まぁ、現職教員の経験談をダラダラ話すだけですね(笑)。
そんなこんなで、リアクションペーパーを書いてもらって終了。しかし、こんなのでいいのかなぁ。でも、こんなのしかできないからなぁ。まぁ、来年度話が来なかったら、それはそれ。
さぁ、帰りましょう。家に帰ったら9時だ。
しかし、火曜日は長い一日やな。自業自得ですが。
走りまわった
朝、診察&リハビリです。まずはレントゲン。
つながってますね。最初の写真をあらためて見ると、えらいことでした。
その後、手首をグリグリやって
「固いなぁ。でも前回よりはマシかな。リハビリがんばってください」
とのお言葉。
で、リハビリです。
作業療法士さん、あちこちの筋をうまくほぐして
「ふむ、曲がるようになったかな」
とひとりごとを言ったあとグイと曲げられます。うまいな。
リハビリのあとは移動開始。昨日「行く」と言った研究会の会場へ向かいます。途中ワープしたりして、なんとか間に合いました。新会長さんから
「昨日はどうも」
とあいさつされるなど。なんかもう、変な世界になりつつあります。
やがて、研究会開始。今年度の研究課題を見た瞬間カチンときました。
「「わが国」ェー」
しかたないな。今日はおとなしくしてようと思ったけど、発言するしかありません。なので、挙手。が、無視されました。しかたないな。直談判やな。
レポートがはじまるタイミングで事務局長のところに行くと、昨日のHさんがおられたので
「人権教育の世界でこんな言葉つかったらアカンやんか」
とひとこと言って、事務局長に向かって
「もう少し言葉に対してセンシティブにならんとアカンで」
とすごんでしまいました。
こういうの、ほんとはものすごく疲れます。やりたくない。でも、やらなきゃならないんです。だって、もしもあの場に外国人教員がいたら、どんな思いになるか。いや、あの場にいなくとも、府内に外国人教員はおられるし、その人を排除する言葉は許せません。
で、席に帰ってレポートを聞いていたのですが…。
みなさん、ていねいなとりくみをされています。が、なにかが違う。なんなんだろう。やはり病理モデルなのかな。「その子をなんとかする」なんです。もちろん、その側面が必要ではあります。が、そのことだけを考えるのか、「社会モデル」を念頭に置きながらパッチワークとしての「なんとかする」と考えるのかは、まったく違います。このあたり、まんまこないだの佐藤さんへのリプライです。そして、レポートから後者のテイストが伝わってこない。後者のテイストは何によって伝わってくるのかというと、まわりの子にかかわる語りの有無かなと。つまり「集団づくり」です。あるいは、「集団」とまでは言わなくとも、その子とつながりがある子の間にある相互変容みたいなものかな。そういうのが伺えない。結果、意地の悪い言い方をするなら
「せんせい、がんばらはったね」
になってしまう。それは人権のレポートではない。
とにかく「うーん」と思いながら研究会をあとにして、夜の仕事へ。
冒頭「わが国」の話からスタート(笑)。
いや、言葉にセンシティブになることって、決して言葉狩りではないということです。それは、今は「保護者」と言ってるのが、かつては「父兄」だったように、ある言葉が誰かを排除してるという問題提起の中で、教育界において使われる言葉は変えてきたということです。その延長に「国民」や「わが国」という言葉への問題提起がある。そういうことを「次の教員」に知ってほしいんです。
そのあとは、いつもの通り、のんびりと時間を過ごして、無事終了。
「こんなんでええの?」
と聞くと
「いいんとちゃいますか」
って言ってたから、まぁええのかな。
それにしても疲れました。帰ってビールだな。きっとうまいでしょう。
なんでこんなに疲れるんだろ
朝はいつものように出勤。今日は昼前にふたコマだけなので楽勝です。で、職員朝礼に行くと、ホワイトボードに「放課後職員会議」の文字が…。テンションだだ下がりです。
で、職員室に帰って、各種書類をつくろうかと。ここで、えらいことに気づきました。なんか、書類を入れてる引き出しがいっぱいです。これはアカン。
ということで、断舎離開始。てか、こんなに古いものが入ってたんだ。そんな気づきがあるということは、「こんなに古いもの」は見てなかったということなので、捨ててもいいということです。そんな感じでバサバサ捨てて、さっぱりしました。これで書類がつくれます。
で、授業が2発。けっこう質問に来てくれたのでよしよし。まぁ、「そこ聞くか」というところを聞いてくるのはご愛嬌。そこを聞いてくれたらいいんです。
今年度はけっこう授業のスケジュールがつまってたので、かなり焦って授業をしてしまいました。ひとコマあたりのスピードもそうですが、毎週の確認プリントをやる時間も惜しんだので、子どもたちも確認できなかったんでしょうね。それをまとめてやってる感じです。
そんな感じで、あっという間に昼休み。
午後は昨日のリアクションペーパーの入力です。
昨日の夜の仕事では「国民ェー」というスライドをつくりました。何が伝えたかったかというと、ある言葉を使う時に、なにかを排除してるかもしれないということを意識することが大切ってことです。「国民」という言葉を選択するということは、自動的に外国籍者を排除してしまうということです。さらにそれの事例として、カジノ反対のポスターを見せて「日本人の税金」という言葉の選択に自動的に付与される意味について話しました。
それに対して「批判するつもりはないけど閉塞感を感じる」というリアクションがありました。そうか。ここに閉塞感を感じるんだ。わたしは自由になるんですよね。言葉の選択肢を広げ、その中から選択する。そういう行為は自由だと思ってるんですよね。あるいは「国民」どいう極めて縛りのきつい限定された意味の言葉があった時に、そこにほんの少しだけ「余白」を加える。それは「国民だけじゃないんだけどね」どいうひとことでいい。そういう余白を加えることは、閉塞感とは真逆という感覚があるんだけど、おかしいかなぁ(笑)。
まぁ、そんなことを来週話してみましょう。
6時間目はセクションの会議。だけど、特に議題はなし。なので情報交換をする人もおれば、しない人もいる。わたしは報道特集の映像をチェック。これを見せた時、みなさん、なにをキャッチされるかなぁ。
放課後は職員会議。なんだろ、このムダ感は。読めばいいことをしゃべって伝える。まぁ、しゃべられなければ読まないんだけど、それなら「〇〇について書いてあるので読んでおいてください。あとで「読んでない」はなしですよ(笑)」としゃべればいい。会議そのものの必要性はあるだろうけど、すべての会議が必要とは思えないですね。
で、会議が終わったら定時前。うーん…。まぁええか…。なんしか疲れました。
家に帰ってビール前の体重計のメーターが普段より1kg少ない数値を指してました。そういうことなのね。さそやビールがうまいことでしょう(^^)。
連携
今日は午後からリハビリです。この間行った時にリハビリ不足な顔をされたので、それ以降、気がついたら手首を曲げたり指を曲げたりしていました。ちなみに、どういう時が一番しやすいかというと、授業中だったりします。今のわたしの授業スタイルは、書くことがほとんどありません。話をする、指を指すがほとんどで、たまにアンダーラインを引く程度です。必然的に、手は空いている。なので、しゃべりながらでもなんでもリハビリができます。
てことで、リハビリに行ったら「ほぅ」という顔をされました。が、それはそれで今動くところからさらにその先の70%を攻められるわけで、それはそれでイタタタタとなりますが、リハビリが進んでいるということかな。
その後、今日はいつもお世話になっているお医者さんのところで骨密度の測定をしようと。前回は1年ほど前になるんですね。
待合室ではデータ読み。やはりおもしろいな。いろいろ気づきがありました。
と、
「レントゲン室に来てください」
と呼ばれたので入ったところ、ふと不安になりました。プレート入ってて測れるのか?そこへいつものファンキーナお医者さんがやってこられました。
「骨折してるの、どっちでしたっけ。あ、左か」
えーと…(笑)。
い「誰から聞きました(笑)?パートナー?」
医「いやいや」
い「Sさん?」
医「いやいや」
い「Yさん?」
医「いや(笑)」
わたし、整形外科のお医者さんにすごく世話になっています。このお医者さんはもちろん、デュピュイトラン拘縮、右肩の骨折、今回の左手首の骨折。ちなみに、今回の骨折の振り出しは近くの整形外科からはじまりました。なので、全部で5人の整形外科の方にお世話になっています。これらのみなさん、全員同じ大学です。かつ全員同じクラブです。それもラ○ビー部(笑)。おそらく先輩後輩の関係もありながら、みなさん仲良しなんでしょうね。なので、あるお医者さんに他のお医者さんの名前を言うと
「あー、あのセンセイね」
と返ってきます。てか、そもそも同じ大学というのは少し調べたらわかりますが、全員が○グビー部というのは教えてもらわないとわからないわけで、それはみなさんから教えてもらってるんですよね。
もしかしたら、これって守秘義務違反と言われるのかもしれません。でもわたしは「連携」と呼びます。なぜなら、同じことを教員だってやっているからです。なんのためか。それは、よりよい生徒指導のためです。今回だって、イチから説明しなくとも、「次の話」からスタートできました。だから、わたしはありがたいと思っています。だから
「ガンガン情報交換してくださいね」
とお願いしました。
しかし、お医者さん、骨折してるのを知ってるのを伝える時、「あ」とか言いながら、実は言いたくてしかたない感じで、めっちゃうれしそうだったから、言いたくてしかたなかったんだろうな(笑)。ファンキーというか、変態というか、子どもというか。ほんとうに、わたしは、整形外科に限らず、お医者さんに恵まれてるな。
わたしの関心
今日の授業はふたコマ。まぁ楽勝です。ただ、月曜日に代講に行って、明日自習カントクが入るから、束の間って感じですか。それでも朝から放送室に行って「今日がんばろうね」と。6時間目の生徒会選挙と放課後のリハーサルと、放送部はいろいろ動かなきゃなりません。
それにしても、若い教員は生徒といますね。いいことです。
わたしは生徒とはいない。そうしはじめたのはいつ頃かなぁ。たぶん3回目の担任の頃からかな。となると20世紀の最終盤の頃ですね。放送部もずっと一緒にいたけど、いつの頃からか「任せる」って決めました。任せたら伸びる。生徒会は…。15年ほど前はどっぶりと浸かりこんでました。ただ、それは必然があった。その後若い教員が担当するようになって、わたしはフェードアウトした。それもまたいいことです。
こうやって、表の動きからフェードアウトする。裏でやることって、表にならないから、たぶん人々の記憶には残らない。
そう言えば、かつて「かかわりが中途半端」って言われたことがあります。たぶんどっぷりとかかわること。その子の一切を丸抱えにすること。そんなのが必要なこともあるかもしれないし、そういう話であれば中途半端なかかわりかたしかしてきませんでした。でも、わたしという触媒を介して子どもと子どもがつながって、そこに何らかの変革があるなら、それはそれでいいし、そういうやり方は中途半端になります。楽っちゃ楽だけど、子どもたちの記憶に残らないという代償はあるけど、それはわたしの問題だから、まったくどうでもいい話です。
勤務校についても、いろいろ価値観を変えてきたと思うけど、表立ってはなにもやらないから、たぶん、個々の教員は自分で変わったと思ってるだろうな。それでいい。それがいい。人の影響で変われば、また人の影響で変わる。だから、変わることに「わたし」はいらないし、そもそも存在しない。まぁ、ずっとこんなふうにやってきたけど、それはそれで寂しくもあります。が、まぁ、いなくなっても大丈夫なら、そのほうがいい。寂しいのはしょせんはわたし個人の問題だし、その寂しさはかえってジャマになる。
てかまぁ、たぶんわたしの関心は「ここ」にはないんだろうな。関心はどこにあるんだろ。そもそも関心はないのか。いや、ないことはないか。
その場において、ある人がどのように振る舞うのか。その振る舞いによってその場がどう変化し、また人々の振る舞いがどう変化するのか。わたしがコミットするとするなら、そこに大きな変化をもたらすのではなく、小さな波を起こす。その小さな波が大きな波に飲まれてしまって消えるのか、それとも小さな波として人の振る舞いに影響を与えるのか。そしてそれが場の変化へとつながるのか。そんなのを観察する。
うーん、いやらしいな(笑)。
中身がわからない
今日は午前に3発授業です。が、まったく疲れません。そりゃそうだ。目一杯省力化してます。言い換えると、グダグダ説明してもダメってことです。今の授業のしかたは3年目です。ただ、一昨年は年度途中に変更したので、実質2年目です。たぶんこなれてきたのかな。それよりも大きいのは生徒か。そこに一番左右されるし、教員ができることなんてタカがしれてます。
授業の合間はゴールデンウィークの宿題づくり。
あまり宿題とかやりたくないけど、あまりほっとくのもあれなので、少しだけ計算をしてもらおうかと。どんな体裁にしようかと思ったけど、今回は問題用紙と解答用紙をわけてみました。
実は発達障害系の生徒のためを考えたらわけないほうがいいらしいです。が、わけてないのは数学くらい。他の科目はほぼわけてます。おそらく今後は数学もわけはじめるんじゃないかと思われるので、その前フリです。
放課後は少しゴールデンウィークの準備をしてみたり。
いつもの通り定時に職場を出て、今日は普通に乗りましょう。前のおべんきょ場所で4人のおべんきょ会です。と思ったら、向こうからセンセが来られて
「zoomですよ」
とのこと。あわてて駅までもどったら、ちょうど電車が来たのでラッキーでした。
家に帰ってzoom開始。
今回のお題は、たぶんわたしが提示したものかな。「言葉」をめぐるあれこれです。
考えてみると、学校というか、教育をめぐる言葉って、中身がよくわからない。というか、定義づけが難しい。例えば教育基本法の第一条の教育の目的に
「教育は、人格の完成を目指し…」
とか書いてあるけど、「人格の完成」ってなんですかと(笑)。てか、人格が完成してないわたしがそんなのにたずさわっていいのですかと(笑)。
大もとの法律がこんなんだから、あちこちに「理念」が散りばめられています。なので、現場でも「理念」が語られます。ただ、理念の中身がよくわからないので、それを具体化する言葉がない。必然的に
「アレや!」
「アレか!」
という、傍から見たらわけのわからん会話になります。ただ、中の人はそれで合意できてるから、それでいいと思ってしまう。
まぁ、それはそれでいいんだと思います。王将で
「こーてるりゃんがー」
で通じてて、それでいいのと同じです(笑)。
ただ、それを「外の人」になって眺めるとおもしろい。別にだめとがなんとか言うのではなく、そういう世界がそこにあることがおもしろい。そのおもしろさを描きたいなと。
そんなディスカッションを1時間ちょいやって、おしまい。zoomでやると、そのままシームレスにビールに移行できるのがいいな。
プライスレス
今日は1・2時間目があいてます。なので、ずっと懸案事項だった、わたしがターゲットとすべき生徒の把握をしましょう。
学校外から見たら、へ?と思われるかもしれませんが、学校の中の人からするとあたりまえのことだったりします。
例えば保健部であれば、健康状態なんかが気になる生徒をマークします。例えば体育科であれば、運動制限がある生徒をマークします。教務部であれば、学力的に厳しい生徒をマークします。生徒指導部であれば、生徒指導上課題があるとされる生徒をマークします。なので、人権担当も社会的に厳しい状況に置かれてる生徒をマークするのです。もちろん、マークしたからといってなにかが、わたし個人にできるわけじゃないです。じゃなくて「マークしてるよ」ってことを情報共有して、学校全体としてサポートをしていくってことです。
ただ、社会的に厳しい状況に置かれてる生徒のことは「プライバシーが」とか言って、マークすることについて理解されない。でも、そんなことしたら、厳しい状況に置かれたその生徒を放置することになります。それはやっちゃいけないことだと、わたしは考えています。
まぁそんなことで、いろいろ資料をあさるわけですが、ほんとうはわたしがやっちゃいけないことなんですよね。本来は担任さんがやらなきゃならない。ただ、特に1年生の担任さんは忙しい。なので、これがなかなかやってもらえない。まぁ、優先順位の問題ってことですか。だから、優先順位をあげくれる人は、さっさと情報をくれたりします。
あと、今年は骨折があったから、1週間ずれてってのもありますね。
それでもなんとかあさることができました。そうそう、関係諸方面に依頼してた情報も来ました。なんでも「関係部署で慎重に検討した結果」とか担当者が言ったので、「んなもん、もったいぶらなくてもええねん!」と返しておきました(笑)。
で、授業。
まだまだ固さが見られますね。
「君ら、静かやな。マジメなんか?」
とか煽ったら、変な顔されたので
「確かに変やな」
と笑っておきました。
ただ、問題を解くためには動けばいいと思ってます。みんなでディスカッションしながら、解法を身につければいい。
「年度当初に甘やかしたらあとでたいへんになる」って言う人もいます。でも、年度のはじめからそういうふうに運営していけば、そういうものだって思ってくれるだろうし、きっと遊ばない。なぜなら、授業への参加方法を、そうやって身につけるからです。大切なのは、主体的に動くことです。
さらに難しい問題だって誰にあててもかまわない。
「ええか。当ててるけど「わかりません」はありえへんで。相談してもいいし、教えてもらってもいいって言ってるんやからな」
てことです。
もちろん、わたしが解いたほうが効率はいい。でも、あてることの意味は、「任された」という緊張感を持つとともに、その問題に対して責任を持つこと意味します。だから、あてる。そして時間を保障する。
ただ、さすがに今日は
「そろそろ書いてくれー」
って言いましたけどね。
午後はセクションの会議→職員会議。
みんな会議が好きやなぁ。「読んでおいて」ですむ書類をなぜ説明するんだろ。役割分担してる話を説明するってことは、説明してる内容が自分とは関係ない役割だと、完全に時間のムダでしかないんですけどね。
てことで、時間ギリギリまで会議の場にいたけど、タイムオーバーしたので脱出。
帰りは角打ちに寄りましょう。
今日もいつものおじさまたちが飲んでおられます。わたしに話しかけたと思ったら、シモに落ちた話をして「ここは聞かんでええねん!」と言ったり、みなさん、てきとーにかまってくださいます。
い「みなさん、このあたりの人ですか?」
お「そやで。みんなそうや」
い「このへんでおいしいお店ってどこですか?」
お「自分で行かなわからへん。そやけどな。ユッケジャンがうまい店はええ店や」
奥が深いです。
それでも日本酒を1.5杯飲んだらちょうどいい感じになりました。
お「もう1杯飲むか?おごったるで」
い「いや、今日はやめときますわ」
ということでお勘定。日本酒1.5杯とコロッケ・きざみで540円。安いなぁ。でも、ここで過ごす時間はプライスレスです。