やはり長いな

今日の午前は第2のふるさとで会議です。なので、朝は少しゆっくり。で、新しいリュックに荷物を詰めてスタート。まだ身体になじんでないですね。でも、おいおいなじんでいくでしょう。とりあえず肩ひもの調整からかな。
しかし、大量の紙を入れてるから、重い。車で出張であれば、この重さは関係ないんですけど、電車での出張はこれがしんどい。さらにおべんともあるし、おべんと用のお茶を入れたペットボトルもあるし、とにかく重いです。さいわい、今日の行き先は駅から近いので、それだけが救いです。
出張先に行く途中、ふと気になって、午後の出張場所を確認したら、そこは来週で、今日は別のところでした。しまった。少し荷物を減らせたな。
で、会議の前に夜の仕事のためのデータをダウンロード。やはりipadはむずかしい。やはりわたしは自分でディレクトリをつくって、そこに整理していくほうが性に合ってますね。
と、そこへ会長がやってきて
「ほれ」
と荷物をくださいました。これこれです。しまった。また荷物が重くなる(;_;)。その代わり、財布が軽くなる(;_;)。
で、会議のスタート。今日は完全にフリートークです。まぁ、(部落)差別をどう教えるかって話です。
なんかね。おそらく、子どもたちは、差別は個人間で行われるものって考えてる。だから「自分はしない」からいい。「差別する人が悪い」となる。でも、そうじゃない。本来は差別の結果は権利の不平等としてあらわれる。あるいは権力の不均衡と言ってもいいかも。その「権利」は、例えば「婚姻関係」みたいな制度的なものだけじゃなくて、例えば「アウティングされるかもしれないという不安を抱えるかどうか」みたいなものも含まれる。つまり、社会構造の問題です。
が、「社会構造の問題」と言ってしまうと、子どもたちにとって「そんなんムリ」「自分とは関係ない」となる。でも、本来はそんなことじゃなくて、個人と個人の関係は社会構造の中に埋め込まれている。というか、社会構造との相互行為の中にある。
そんなあたりを顕在化させるもののひとつが、例えばマイクロアグレッションかな。社会構造の中に埋め込まれた個人間の発言が被差別者を傷つける。発言の背景には社会構造としての権利の不平等がある。
マイクロアグレッションについては「発言しないように気をつけなくちゃ」と捉えられてしまうことがよくあるんだけど、そうじゃなくて、そういう社会構造の中にいるってことを意識化するってことなんですよね。
まぁ、そんなことを考えているので発言したけど、スルーされました(笑)。
で、午後の会議へ。今度は京都府中部の町です。こちらの会議は、どちらかというと、行事関連の確認が多いので、そんなに考えない。いや、考えるか。わたしの役割は講師の選定ですね。今の人権教育担当や新規採用教員に必要な知識はいったいなにかってことをひたすら考えてます。なので、例えば土田さん浜田さん山田さんに来ていただいています。次は何か。すでに頭の中にはキーワードはあります。あとはどなたにお願いするかです。なので、会議中に依頼メール。どうなるかな。
そんな感じで午後の会議も終了。再び移動です。
やってきたのは夜の仕事の現場です。
とりま仔牛控室に行って、出勤のピッをやって、速やかに印刷開始。とてもじゃないけど、プリントを持ってはいけない。てか、プリントアウトし忘れてたのもあるので、PCを使ってみたり。助かります。さらにwifiを使うための申請もしておきましょう。これで次回から安心してyoutubeを使えます。
で、夜の仕事開始。
まずはこの間「教員が使うひとつの言葉で、その場にいる誰かを排除してしまうかもしれない可能性」ってことを話してたから、マイクロアグレッションにかかわる動画を見せてみました。
そこからは輪読→コメントの繰り返し。こんなのでいいのかなぁ。輪読してるテキスト、決して悪くないんだけど、ところどころで引っかかります。そこをコメントするのが大切かな。もちろん「ほんまそれ」というところもあるので、そこも言わなきゃ。
まぁ、現職教員の経験談をダラダラ話すだけですね(笑)。
そんなこんなで、リアクションペーパーを書いてもらって終了。しかし、こんなのでいいのかなぁ。でも、こんなのしかできないからなぁ。まぁ、来年度話が来なかったら、それはそれ。
さぁ、帰りましょう。家に帰ったら9時だ。
しかし、火曜日は長い一日やな。自業自得ですが。

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