だけどきっとしあわせなんだよ、みんな

で、午後から講演開始。はじまってしまえばこっちのもんです。あとはついでなので興味のある話を聞かせてもらいます。今日は、保健部関係の講演会だったので、性教育あり健康教育ありで、けっこうおもしろいです。でも、なかでもやっぱり聞きたいのは「薬物依存」の話。だって、DARCの人が来てくれて*1、自分の話も含めて聞かせてくれるんですよ。この方、毎年来て下さっているんだけど、なかなか聞けなかったんですよね。
へんに「薬はこんなに危険で、やっちゃいけない」とは言わないんですね。あと、薬の「害」ばかりを言うんじゃなくて、「やったらその時はほんとうにいい気持ちになるんだよ」という話をされるんですよね。でも、それと引き換えに失うものがたくさんある。それを経験した者として「やるなとは言えないけど、やらない方がいいと思う」という話をされるんです。
単なる「否定」は、ヘタすると「道徳話」になるんだけど、こうやって語られると「自分を大切にするために」という気持ちになるから不思議なものです。やはり、これがサバイバーの持つ力であり、それ以上にDARCというところでサバイヴの活動をされている人の持つ力なんでしょうね。

それにしても、うちの生徒は幸せだと思います。3年間の間にどれほど多くの当事者の話が聞けるんだろう。このDARCのひとはもちろん、部落や在日外国人の当事者から毎年講演を聞くことができます。そんな3年間は、おそらくは自ら望まなければ決して得られないと思います。だからこそ、一回一回の講演を、そこで語られるひとことひとことを大切にしてほしいなぁ。

*1:どうやら直接この人を呼ぶことができないみたいなので、名目上は保護司の人が講演者で、その補助という位置づけらしいですが、当然主役はDARCの人です。

美しい日本の慣習(笑)

例えば、教員の前で堂々とタバコを吸う生徒がいたら、どういう反応をするかなぁ。
もちろん、その生徒ごとに対応は違います。でもね、心の奥底で考えるのは、「なんで堂々と…」なんでうしょね。
あるいは、制服・半キャップで校区内をバイクで走りまわる生徒がいたら、どういう反応をするかなぁ。
これまた、その生徒ごとに反応は違うだろうけど、やっぱり「なんで堂々と…」って考えると思います。
基本的に「悪いこと」って認識していたら、隠れてコソコソやろうよ。逆に「堂々と」っていうのは「悪いと思っていない」わけで、そこから話をしなくちゃならないんですよね。
「あの子、よくなったよ。前はトイレだったけど、最近は校舎の裏で吸うようになったんだ」みたいな話がたまにあります。笑い話みたいなものだけど、一片の真実(?)がそこにはあると思うんですよね。「引け目の美学」ってヤツかなぁ。

米原子力空母G・ワシントン、横須賀配備」のニュースを見て、ふと思ったんですがね…。

やっぱ慣れない

「慣れ」っていうことについて、ちょこっとだけこの間書きました。
これ、あくまでも「伝える」という行為についてだけなんですよね。
個々の「出来事」については、おそらく慣れることは一生ないんじゃないかと思います。ひとつひとつの「出来事」は鮮明に覚えているし、それがフラッシュバックすることもある。ましてや、最近の出来事については、まだ「生の感触」なんですよね。
今日、その「生の感触」に触れることがありまして…。やっぱしんどいですね。だんだん気分が悪くなってきて、その場所から出て行きたくなりました。でも、出るわけにもいかないわけで、いろんな人がいろんなことを話しているのを遠くの方のこととして聞き流し続けたんですが…。

それでも、そういうことを言える人がいるっていうのは、まだマシなのかもしれない…。

「人は見かけによらない」というけど…

夏に講演していただいた人のテープおこしの校正を反映する作業*1をしながら、「あぁ、こんなこと言ってはったなぁ」と思い出しました。
なかでも「そうそうそう!」と思ったのが、次の言葉。

人は見かけによらないが、人は見かけで判断する。

そうなんですよね*2
「人は見かけによらない」っていうのは、それはそうなんだけど、まぁ言ってみたらキレイゴトなわけで。で、そこで子どもたちといろんな話をしても、実はまったく有効性がない。実際は「人は見かけで判断している」んですからね。それが社会というもので。
一斉服装頭髪点検って、ウチの学校もご多分に漏れずやっているんですけど。というか、毎月決まった日にやってます(笑)。
わたし、担任をやっていた頃はけっこうこの日を楽しんでいたんですよね。ここで、いろんな話ができるんです。
よくいます。こんなこと言う生徒。
「昨日、先生注意せぇへんかったやんか!」
「昨日は昨日で、今日は今日や」
「そんなん、ええ加減や」
「ええ加減に決まってるやんか」
大切なのは、注意するかしないかは、日によって差があるし、人によっても差がある。そのブレを見越して注意されないところに持っていくということなんだと、わたしは思っています。じゃないと、明度計*3とか持ち出していろいろしなくちゃならなくなります。でも実際は、「見かけで判断している」わけで、そこに基準を持ってこなくちゃならないんだと思っています。そういうトレーニングを積んでいくのが社会性なわけで。それを繰り返すことで、
「あぁ、ここではこういうかっこうはしちゃいけないなぁ」
とか、
「ここだったらOK」
とかいうスキルを身につけるんだと思います。

てなこと書きながら、これ、かなり自爆ネタになりそうだなぁ_| ̄|◯

*1:つまり、パソコン上の訂正作業

*2:まぁ、耳の痛いところもあるけど、それはそれということで…

*3:「メイド系」と変換されてしまった_| ̄|◯

変わったなぁ<自分

某A新聞の昨日の記事。「橋下知事は教育介入を」府内市長から共感、賛同
そりゃまぁ、「首長」ってある意味同じ立場だから、「自分はこうしたい!」と思っている人にとっては同じ思いでしょうよ。そこで「切り込み隊長になってくれ」みたいな話なんだと思います。
記事の中には、

教育委員会は戦後、政治からの中立性を保つため、首長から独立した行政委員会として創設された。

とありますが、まさにその通りなわけで。それをあらわした条文が、「(旧)教育基本法」の

(教育行政)第10条
1 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。

という条文ですよね。

それに対して、

「選挙公約で教育問題を掲げても、首長ができることは校舎のトイレの修繕ぐらい。隔靴掻痒の思いだ」(岡本泰明・柏原市長)などの発言が続いた。

という発言をする人がいるそうな。別にトイレの修繕だけじゃなくて、他にもいっぱいできることがあるんだけど、あるいはやっていることがあるんだけど、こういう物言いはかなり恣意的なデフォルメだと思います。
ちなみに、「新・教育基本法」の「教育行政」の個所は

(教育行政) 第十六条
(1)教育は、不当な支配に服することなく、この法律および他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担および相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならないこと。

(2)国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならないこと。

(3)地方公共団体は、当該地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならないこと。

(4)国および地方公共団体は、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう、必要な財政上の措置を講じなければならないこと。

となっていて、ここでも「適切な役割分担及び相互の協力」となっていたり、「必要な財政上の措置」となっていたりするわけで。まぁ、ここで「適切な役割分担及び相互の協力は、首長が介入することなんだ」とか、「必要な財政上の措置は全国一斉テストの結果の公開のためのお金なんだ」とか言う「理屈」を出すことが可能になったあたりで、この「新」の問題点が浮き彫りにされるのですが…。
にしても、今のところ、自分が言っていることが「不当な支配」をしようとすることであることがわからんか?

などと考えながら…。
かつて「教育委員会は敵」と目標を定めていたわたしが、今は養護する側にまわっているって、笑ってしまいますよ。

慣れ

あらためて考えてみるのですが…。
この間直撃を受けた時、その瞬間は「さもありなん」なんですよね。で、だんだんだんだん、じわじわじわじわとやってくる。でも、そのことを誰かに伝える時、けっこう笑いながら伝えるんですよね。
これ、たぶん芸風じゃないです。そうやって伝えないと、自分が持たないんだと思うのです。
そう思いながら、ここ数年の自分が出会ってきたさまざまなことを思いだしてみると、いつも「笑い」とか「スルー」とか、なんかそういう形で処理をしてきたなぁと。そして、「さもありなん」と思いながら、そういうことに慣れてきたんだなぁ、と。
いいことじゃないとは思うんですけどね。

芸風の変化?

関西人の笑いのとり方って、基本的には「自分をネタ」にするんじゃなかったっけ。他人をいじったり、ましてや他人を攻撃したりして、それでウケを狙うのは違うと思うんですがねぇ。
わたしはどうもこの人の芸風にはついていけないんだけど、大阪の人たちが支持したんだよね?だとしたら、大阪の芸風が変わってきてるのかな?
まぁ、なんか「おかんに怒られた」らしいけどね。

ほぉ〜

今日から文化祭。といっても、午前中は授業。午後から会場設営&開会式。
放送担当としては、この日が一番忙しいです。マイクコードが足りないのを思いだして急遽半田づけ大会になったり、生徒たちがセットした不足分に気づいたらそれを補ってみたり。さらに、夜には芝居の練習もはじまります。まだ音楽が決まっていないのを思いだしていろいろあさってみたり…。
てなことをやっていると、あっという間に夜。
なんとか練習を終わってお家に帰りました。
で、晩ご飯のビールを呑んで(笑)、テレビをスイッチオン。
はぁ、やめはりますか…。
まぁ、最近世情に疎い生活を強いられているので、そこにいたる動きはよくわかりませんでしたが、なんか突然だなぁ…*1
にしても、ずっとわからないことがですね。
小泉自民党が大勝したあと、安倍→福田→?*2解散総選挙なし=党内人事で総理大臣が決まっていくということ。そして、その間支持率がどんどん下がってきているということ。そしてなにより、「支持率が低いから解散しない」という論理。
いや、もちろん「政権を掌握し続けるため」というためなのはわかるのですよ。でも、「あんまりだよな」と、わたしは思っているのですがね…。

他にも福田の発言の中で「変だよ」と思うことが山のようにあった*3けどね。はぁ…。

*1:もっとも、サミットが終わって役割終了というシナリオはあるのかなぁとは、ちょっと考えていたけど…

*2:麻生?

*3:例えば、「民主党が反対するからものごとが決まらない」とか。それって、「わしらがだすことにはみんな賛成して当然!」ってことなのかな?

やりきれない思い

ここ数週間、まともに新聞も読めないしニュースも見られないという状況が続いていました。今週に入って、ようやく「情報」に触れられるようになりつつあったんですが、そんな中でほとんど最初に触れたニュースが、「ペシャワール会の伊藤さんの事件」です。
もちろん、人の命に重いも軽いもないわけですが、それをふまえたうえで…。
「そうか、ペシャワール会の人までもか」というのが率直な感想でした。

なんでこんなことになったんだろう。誰がここまで追い込んだんだろう…。

で「逃げるな!」

ここ数日、決定が先延ばしされていることがいくつかあって、ちょっと悶々としていました。でも、「決定」については、自分の意志ではどうしようもないんですよね。まぁ簡単に言えば「連絡待ち」かな。こういう時って、ほんとうにテンションが下がっていきます。どんどんどんどん自分の動きが鈍くなるし、動くことそのものにおっくうになっていきます。

ところで今日、ある生徒から持ちかけられて、放課後、階段で1時間半ほど立ち話をするハメになってしまいました。で、いろいろ話をしていたんですが…。
生徒に話をしながら、自分のスタンスを再確認している自分に気づいたんですね。
で、生徒との話が終わってから、「連絡待ち」の相手に電話をして、「やっぱり会って話をしないといけないですよね〜」みたいなことを話をしているうちに、すべてが動きはじめました。
すると、悶々としていた心が少し軽くなりました。

そうだよね、逃げちゃいけないんだよね。まずは自分から動きはじめること…。