「お礼」のしかた

朝起きてトイレに行くと、大丈夫でした(笑)。
まぁ、あたってものたうちまわるようなのじゃないから、別にそれはそれで大丈夫なんですけどね。
職場に着いたら、まずは「おべんきょ経過報告」です。センセから「2019年度のことが書いてない」って言われて「ありゃ」ってなりました。あらためて振り返ると、2017年11月に出して、最初の返事が2018年5月。再提出は8月かな。それの返事が11月。そこからは12月に出して2019年2月に返事、3月に出して4月に返事、5月に出して6月に返事、7月に出して8月に決定でした。
てことは、2019年の前半は2ヶ月に1回「おべんきょ成果」とつきあってたんですね。あらためて「慌ただしかったなぁ」と。
で、再提出したら「2019年度の努力が反映されました」とのお返事。ちょっとうれしかったです。

今日の授業は午前に2時間。ゆったりペースです。片方のクラスは単なる授業。ただ、今年も授業のやり方を変えました。直接的な原因は肩のせいなんだけど、もともとやりたかった方法でした。まだまだ改善の余地はあるけど、たぶん有効です。
もうひとつのクラスはプリント学習。同じクラスを担当しておられる方が見に来られました。もちろん「ひとりでやろうとするな!」って言ってやったんですが、ほんとうにみんなよく勉強しますね。質問もどんどん出てきます。いつもの通り質問には質問で返します。そしたらちゃんと気づいてくれる。苦手な子もセンセイ役をやってるし、いい姿が見られました。
午後は少し資料をあさってみたり。

放課後は、Hがしさんと電話。
「いつきさんならあのデータから何を引き出す?」
って言われて
「うーん」
ってなるなど。
いや、とてもおもしろいんです。いいデータです。生データは見てないけど、たぶんいろんなことが示されてるはずです。そんなデータと向き合うと、いろんなことが浮かび上がってくるはずです。ただし、それが浮かび上がってくるためには、一度自分を「無」にしなきゃダメです。なぜなら、「自分」はデータから浮かび上がってくるものをフタしちゃうからです。データから浮かび上がってくるものに「すげー!」って感動し、そこから読み取れるものをより鮮明にするために、さらにデータを読む。そうやって出てきた「ストーリー」こそが、実は「自分」なのかな。つまり、そこに「ストーリーを見出す」って作業が、「自分」のやることなんでしょうね。
例えばこのpdfのAさん、はじめにとれるだろうと思ってたデータとはまったく違うデータでした。「うーん」と思ったけど、何度も読むうちに、少しずつ「そんなことやってたんだ!」って思って「すげー!」ってなって、それで書けました。2019年度のやりとりはデータについてはほとんど変更しませんでした。それは、たぶん「返事」を書いてくださったおふたりも「すげー!」って思われたからなんだと思います。で、おふたりは「お前の書き方では「すげー!」は伝えられないよ」って、必死でアドバイスしてくださったんですよね。わたしの「慌ただしさ」は、とりもなおさず「おふたりの慌ただしさ」でもあるわけですからね。
あのデータの魅力を引き出してほしいなぁ。わからないことがあれば、「もう少し教えて」って言えば教えてくれるはずです。そうやって引き出した魅力を適切な手法で伝えてほしいなぁ。そうすれば、自ずと結果が出るんだけどなぁ。その結果こそがデータを提供してくれた人への「お礼」なんだよなぁ。

電話のあとは、放送部に乱入して「合宿やるぞ!」と口走るなど(笑)。ほんとのほんとに今年はやめようかと思ったけど、「続ける」ことの大切さを考えると、やはりやったほうがいいってことです。
てなことをやってると、定時です。
さぁ、家に帰って筋トレやって、ビールだビール!

とにかく送る

昨日はせっかくのほとんど何もない土曜日だったのに、「おべんきょ成果」はあまり進みませんでした。
主たる理由は「見通し」です。「これでいこう」と思ったけど、やはりブレる。ブレると修正が必要になります。ところが修正すると全体のバランスが崩れて、いままで積み上げてきたものがグラつく。
これの繰り返しで、なかなか前に進まない。そうやって昨日を過ごしました。
でも、今日いったん送らないと、ぜったいにメンタル崩します。それでなくてもずっとメンタル低いままですからね。
午前はずっと「どうしよう…」と思いながら、twitterとfacebookに逃避してました(笑)。
昼前に「そうだ、散歩しよう」ということで、1時間ばっかほっつき歩きました。
散歩はいいですね。「時間の無駄」と言えばそれまでなんですが、リフレッシュにはなります。が、暑い…。
帰ってきて昼ごはん食べて、決戦のために残された時間は、あと約1時間です。
どうしよう。とりあえず前に書いた文章と今の状況が不一致です。どちらにあわせるか。通りがいいのは「前」です。ただ、シンプルなのは「今」です。もちろん両方ともダメという話もある(笑)。でも、それは今は考えない。
うんうん考えて、とにかくこれでセンセに送るかと。
大切なのは妥協です。妥協と言っても、あきらめじゃない。前へ進むための妥協です。今のところにからめとられ続けたら、もっとしんどい「次」に手がつけられない。
てことで、「エイヤ」と送ってしまいました。
さてと。次はこれのレジュメやな。21日が〆切です(笑)。

英語のこととか恒例の訪問のこととか

朝起きると…。ちゃうな。夜、寝られませんでした。いや、たぶん寝たけど、うとうととしか寝られませんでした。眠たいまま6時に起きて、コーヒーを淹れたらいきなりパソコンを開いてパチパチ。寝られなかったのはおべんきょ成果のせいでした。なにせ文章が頭の中に湧いて出てきたものでして。
で、職場に行って、まずは書類仕事とかやって、そこから「おべんきょタイム」の準備をしてみたり。あー、でも、今日は自分のをやりたい。あとひと息で終わりまで行くんだけどな。意を決して、センセにメール。ほんとは「おべんきょタイム」楽しいし、たぶんセンセもわたしが参加したほうがいいんだろうけど、今日もごめんなさい。
それにしても、英語で書かれたものは英語で読まなきゃ細かなニュアンスは伝わらないってことを、あらためて身にしみて経験しました。日本語訳って、すでに訳者の解釈が入ってるんですね。だから、その制限内でしか理解できない。「variance」なんて単語、数学の人間なら知ってないとアカンのでしょうけど、でも、まさかここで出会うとはなぁ。なんでこんな単語をこの場面で使ったんだろう。たぶん意味があるはずなんですよね。ちなみにgoogleセソセイによると「the fact or quality of being different, divergent, or inconsistent.」ってのが定義らしいけど、divergentってのが入ってるのか。
まぁそれでもなんとかかんとかほんとのほんとにあとひと息のところまでもってきたかな。とはいえ、まだ連峰そのものはとっかかりなんですけどね。

で、午後からは恒例の訪問です。今日は第2のふるさとに行きましょう。まずは上の子の母校へ。支店長さんは知り合いです。話を聞いたら年下とのこと。なんでもわたしと同い年の人からパシリで使われてたとか笑ってました。そんな風景を若い教員に見せなきゃねってことで、大学出たての教員を連れていきました。お次はセンター。深刻な話もしたけど、メッチャ世話になった人とほんとにしょーもない話もしたし、かつて担任してた子とも楽しく話をしたし。これもまた若い教員に見せなきゃならん風景です。教員の仕事は教壇の上だけじゃなく、教室の中だけじゃなく、ガッコの中だけでもない。あるいはガッコだけでできることはたかが知れてる。だからこそ「助けて!」って言える関係をつくらなきゃならんってことです。

訪問から帰ったら、部室に新入生が4人いました。おー、入ってくれるのか?
まぁそんなこんなのパタパタした1日でした。

読むは易し書くは難し

今日は午前は雑用をして、昼ごはんを食べて、久しぶりにゆらゆらしながら、送られてきた『解放社会学研究』を読んでみようかと。
1本は大坪真利子さんの「「個人の選択」としてのカミングアウトという困難」、もう1本は眞野豊さんの「多様な性(生)の選択をめぐる不可能性ーーAさんは、なぜ「性別再変更」をしたのかーー」です。それにしても、『解放社会学研究』の投稿論文が両方ともセクマイ系ってのがおもしろいな。
大坪さんのは同性愛者に限ると断った上で「選択的」という言説を再考するというもの(だと思う)です。たしかに「カミングアウト一般」というのは論じられないわけじゃないけど、そのぶん網目が粗くなりますよね。だからこうやって限定したところで論議するのはとてもよくわかるというか、見習わなきゃならんところだなと。ただ、そうであるからこそ、トランスのカミングアウトとの違いみたいなのが際立ちます。もちろん「引きづられたらアカン」と思いながら読むのですが、つい「つくづく同性愛とトランス、違うわー」って思ってしまう。まぁ「制度としての性別」の強固さって話なんですけどね。もちろん、その強固さは「異性愛規範」とセットだから「同性愛とトランスは違うとは言い切れない」って話もあるかもしれませんが。
で、そのあたりの話が真野さんので、「トランスはなぜ性別二元論に回収されてしまうか」って話(だと思う)です。「多様な性」と言いながら、例えばトランスは「多様な性を生きてないじゃん」「典型的な女/男を生きてるじゃん」と非難されてきたし非難されてもいる。で、真野さんはそうした「選択」を個人のものと考えるのではなく、外部にある性別二元論の圧力によって生み出されるとされるんですね(と思う)。それがFTMTFの方へのインタビューを通して明らかになる。で、真野さんは「「多様な性」なんて生きられない。みんな「多様な生」を生きてるんだ」とされる(と思う)。まぁそりゃそうです。そもそも「多様な性」というのは選択肢の問題であって、生きるものではないですよね(笑)。で、性別二元論に基づく「制度」をおしつけておきながら、「多様な性をなぜ生きない?」って言われても、それは困るわな。
まぁそんなことを考えながら、なかなか楽しい2時間ばっかを過ごしました。が、問題は、読むのは簡単なんだけど、書くのはたいへんってことです。夕方1時間ほど七転八倒して、倒れたついでに筋トレやって。そんなことしてるから、2〜3行書くのがやっとだったりするわけで。
やれやれ。

しまった!今日は青森パレードとか大阪でデモとかあったんだ。
動きが鈍くなってるな。

ひと区切り→今日も惜しむ会

朝起きて、気持ちを引き締めてPCに向き合います。先はまだまだ長いけど、とにかく今日で一区切りしたい。誰の何を使いながら「編んで」いくかですね。
それにしても、『セックス・チェンジズ』の膨大な論考と、にもかかわらず、とてもわかりやすい文章に、あらためて「すごいな」と思いました。もっともトランス男性目線やなーと思うところは多々あるのですが、『トランスジェンダリズム宣言』が「トランス女性目線」って言われたこともあるし、それは書いた人の立場とか理解できる範囲があるわけで、そういう限界を意識化することが大切なのかなとも思います。
そんなこんなで、いろんな人の論考を使いながら、なんとかひと区切りしました。

夕方になったところで、今日も崇仁新町です。今日はモルタル職人さんプロデュースの呑みです。メンバーはこの人とかこの人とかこの人とか、そのおつれあいさんとかお子さんとか。ついついサインをもらってしまいました。

しかし、場違いというかなんというか。もちろん高校教員ということもありますが、もうひとつは分野が違う。みなさん現象学とか哲学とかが専門ですが、わたしは数学というか教育社会学というか、そっち系列です。自ずと読んでいる本とか知っている人とか、ぜんぜん違います。でも、みなさん優しい方々なので、そういう門外漢のわたしにもわかるように会話をして下さいます。
なんか、とても刺激的だったけど、お酒も刺激的で、まったく覚えてません。でも、楽しかったな。またみなさんと会って呑みたいな。いつか店をされるちょぼやき屋さんで。

一難去ってまた一難→もうひとつのおべんきょ

今週は「お試し登校」期間です。ただ、わたしは授業がないので在宅勤務をしてました。が、今日は30分の授業がふたコマあります。なので、いつもの時間に出勤です。
で、授業ですね。まぁ、やり方は忘れてないです。でも、新採の頃だったら忘れてるだろうな(笑)。
問題は肩です。とにかく手が上がらない。なので、左手で右手を支えてあげます。とは言え、限界は頭の高さ。黒板の上3分の1は使えません。まぁでも、これはかつて足を骨折した時も同じでした。あの時は半分だけだったかな。ここまでは覚悟してたのですが、新たな問題に直面しました。
問題が写せない。
プリントを左手で持って写そうとすると、右手が上がらない。右手を上げようと思ったら左手で支えなきゃならんからプリントが持てない。
どうする?
そうか。マグネットでプリントを黒板に貼りつけたらいいのか。
それにしても、電子黒板とかプロジェクタがあったら楽だろうな。前から教科書を黒板に投影するってのは考えてはいるんですけどね。
そんな感じで無事「お試し授業」は終了。

午後は年休をとって前のおべんきょ場所へ。いつもの4人のおべんきょ会です。
ほんとはこんなことやってる場合じゃないんだけど、やはりおもしろいんですよね。教員の仕事って、他の仕事からはわかりにくい。いや、誰もが自分の仕事以外はわかりにくいものではあるとは思うのですがね。ただ、ほとんどの人が「学校」を経験します。だから「わかってる気」になってしまう。「生徒」の経験と「教員」の経験はまったく違うんですけどね。
で、その教員の仕事ってどんなんなんだろってなると、今度は自覚的・分析的に考えないと、教員自身もわからない。慣れちゃいますからね。
で、ここを考えるのが楽しい。それが「この場」なんですよね。
てことで、約3時間、あーでもないこーでもないと話をして解散。ほんとは飲みに行きたいところだけど、そうもいかないご時世です。
さぁ、帰ってビールだな。

半日が白紙に→リハビリとか感謝するとか

朝ごはんを食べてPCをあけると、なにかが変です。どうやらwindows updateをして再起動したらしい。昨日起動していたアプリケーションがどんどん自動的に起動していきます。と、wordが起動して出てきたのは、昨日一段落する前のもの。最後保存してなかったっけ。でも、これアカンやろ。勝手に再起動するなら、自動的に保存しろよ。
ちなみに、わたしは「自動保存」はオフにしてます。今まで自動保存中にフリーズして、それまでの変更がパーになったことが何度かあって、保存は自分ですることにしたんです。が、これはあまりにもショックです。なにせ、最後にうまく収まった文章は「終わったもの」とみなして、「次のこと」を考えてたから、「収まった文章」は忘れてます。どうする?
どうすることもできないので、とりまあきらめて、病院に行ってリハビリです。今日は担当の方がおやすみとのことで、別の人が担当されました。
なんか、ひたすら筋肉の緊張をほぐしておられます。どうやら肩まわりの筋肉がメチャクチャ緊張していて、そのために動きがとめられてしまってるらしいです。さらに、脳みそが筋肉の動かし方を忘れてる。しかも筋力が低下してる。なので、今日のリハビリはマッサージとトレーニングでした。ちなみに、トレーニングと言っても、ペンギンみたいな動きをするだけのことなんですけどね。でも、それが負荷になるってことは、ほんとうに筋力がないってことですね。
で、家に帰ってトゥンセラーメンです。

やはり辛い(笑)。
で、再びおべんきょ成果と向き合います。
ちなみに、昨日の昼前からネットが不調でとまってます。なので、職場からのメールはスマホで確認しなきゃなりません。
と、メッチャ深刻な内容のメールが来ました。なにをするにも予算が必要です。その予算がたりない。どうする?規模を縮小する?いや、それは不可能です。とにかく方策を考えなきゃ。
と、副支店長から「解決させた」との連絡が。ありがたい。わたしがいないところで、それでもなんとか実現させるべく、みんなが知恵を絞って動いてくださってます。ほんとうにありがたい。人権教育、みんなでやってるんやなぁ。
てことで、安心して、再びおべんきょ成果と向き合います。鶴田さんはここで使うんですよね。そうか、杉浦さんもここで使えばいいんだ。あれをこうやって、これをこうしてとパズルみたいに組んでいたら、とにかくできました。半日吹っ飛んだな。でも、前のよりもいいかもしれません。
で、次の方向を向きましょう。まずは東さんの有名なひと言を紹介して、そこからスタートです。が、資料が少ない。どうする?よし、ここはSusan Strykerを使おう!読みはじめると、とてもわかりやすい文章なので助かります。ただ、自信がない。なのでスキャン→GT-textでOCR。で、google先生に渡そうと思ったら、ネットがないんでした(;_;)。しかたないので、OCRの結果をチェックしてたら、ネット屋さんが来られて復旧。ラッキーです。で、とりあえず翻訳してもらったところで、今日は終了です。
あとはお風呂→ビールだ!

一段落して、今日もまた

とにかく「おべんきょ成果」を前に進めなきゃなりません。ひとつの章の3つのうち7割方はできてるはずです。あと少しでこの章は終われる気がしています。
なんしか今日はなぜか「ガイドライン」とにらめっこです。おもしろいのは
「ガイドラインはあくまで
医療者に対する治療指針であり,治療を受ける者に厳格に強いるべき規則ではない」
という文章が2回登場することです。なんか「大事なことだから2度言いました」的な感じがします。
が、読んでいくと「これ、すごいな」と。例えば「たとえば,本人の望む生活を試みるなかで,
周囲の好奇の目に曝されることへの耐性も必要である」とありまして、そりゃそうなんだけどなと(笑)。そんなこんなを読んでると、ガイドラインを満たそうと思うと、まぁとにかくハードルが高い。自分はよくそのハードルを越えたなと。てか、ハードルひっかけて倒して通過したのか(笑)。
そんなこんなで、最後に苦しみながら5行ばっか書いたところで力尽きました。まぁでもひと区切りついたから、今日についてはよしとしましょうか。
で、Kっ川くんが来てくれたのでリハビリタイムです。リハビリのメインは病院に移りますが、たぶん緩めてもらわないと限界みたいな時が来るだろうから、これからもよろしくです。

夜は「崇仁新町を惜しむ会」です。メンバーは「ちょぼやき会」の有志です。とにかくまずはピールで乾杯です。あとはなんだかんだと話しながら、持ち込んだワインを飲んだり、好き放題です。ちなみに料理は1500円でおまかせだったのに、「1000円でできたし」とか言われて、ほんまにええの?と。さらに取り置きしておいてもらったハンバーグを食べたり。
そんなこんなでワイワイ飲んでると「こごり、あまったし、センセ、持って帰り」とか言われて、もううれしさ絶頂です。最後に頼んだキンギョは「レジ閉めたし、お金はいらん」とか。
でも、ほんとになくなるんだなぁ…。

てことで、リハビリ

昨日の今日でリハビリです。担当してくださるのは入院時にお世話になったU村さんです。長い間来なくてすみません。
U村さんは、とにかくよく話されます。なにをどうすればいいのかとか、理屈先行のわたしとしては、とても助かります。が、どうやらそれだけではないらしいです。というのは、U村さんがふと黙られたあとの会話です。
U「集中すると黙っちゃいますね」
い「黙ると、こちらも肩で何が起こってるかわかりますね」
U「それまずいんですよね。肩に集中すると肩が緊張しちゃうんです」
つまり、わたしが肩に意識を集中させないために話をされてたってことなんですね。すごいわ。
で、Kっ川くんのリハビリのおかげかな。関節とか肩甲骨はとてもなめらかに柔らかく動いてるみたいです。ただ、筋肉が緊張してる。それがよくないみたいです。
「家でも可動域を広げるための動きをしたほうがいいですか?」
と聞くと
「それよりも日常の動作が痛みなく楽にできるようにしてください」
とのことでした。
とにかくジッとさせて緊張させるのはもってのほかです。一番いいのは身体のあちこちを触って、「痛みなく動く」ことを脳みそに教えることらしいです。なんでも、今のわたしの脳みそは「動かしたときに痛くてもいい」って考えてるらしい。すると筋肉が緊張するから、可動範囲が狭くなる。
そうか。筋肉と脳みそはつながってるんだ。
リハビリが終わると、肩が少しだるいです。まぁでも、ひたすらストレッチだったので、そんなもんなのかな。Kっ川くんのリハビリのあともだるいもんね。
てことで、これからしょっちゅう来なきゃならんことになりました。交通手段をどうするかだな。

で、家に帰って在宅勤務です。なにせ5月いっぱいは在宅勤務がOKです。
まずはおべんきょタイムです。残り30分しかないけど、SCATのこととかM-GTAのことなんかを教わったり。なんでもSCATはデータ数が10人くらいになると挫折するらしいです。一方、M-GTAはデータ間のつながりみたいなのがズタズタになるんだとか。そんなあたりから、データの取り方とかに話が移行していって、深いなぁと。それにしても、わたしはこういう分析手法をまったく知らずにやってるわけで、ほんとにアカンなと。
午後もおべんきょタイムです。おふたりの発表を聞いて、いろんな人のコメントを聞いて、ついチャットでつぶやいてしまって、みたいな。
その後、職場から送られてきたファイルにいろいろ書き込んで返送。このあたりで肩がちぎれそうになってきました。アカン、もう限界…。
結局自分のおべんきょは進まず。まぁしかたないか…。

継承

今日はなにもないけど出勤です。いつもの電車に乗ろうと思ったら、安定の大遅延。てか、とまってるのかよ。振替輸送はめんどくさいなと思ったら、なぜか電車がやってきました。なんでも1時間遅れのだとか。なので、結局ふだんよりも早く出勤できました。
午前の後半はzoomをつかったおべんきょタイム。この間つくったレジュメを使っての発表です。「こんなんでいいのかな」とドキドキしながら発表したあとは、センセのコメント。よかった、案外うまくいってたらしいです。
ここからコメントとかディスカッションとか。勉強になりますね。なんとなくおぼろげだったMCDの利用の観察って、そういうことだったんだと。ずっと「MCDを利用して分析する」って思ってたけど、「人々が知らず知らずのうちに使ってるMCDの利用のしかたを分析する」んですね。それって、具体的には「わたしたち」が日常的におこなってるカテゴリー化の実践を顕在化させるってことなんですね。で、そのカテゴリー化は「ことば」をつかっておこなってる。なので、その「ことば」の使い方に注目をする。
まさに「発話は行為」ってことです。
ちなみに、センセによるとこないだの「おべんきょ成果」はEM的なものらしいです。自分でも気がついてなかったけど、たしかにそうかもしれません。おそらく「EM的なものの見方」が好きなのかな。

で、夕方は恒例の会議。2ヶ月ぶりの大阪です。新快速はガラガラでした。
会議の前にセルフブランチ。

会議そのものは「フィジカル・ディスタンス」をとっての進行です。ただ、会議のあとのひとときは、あまりディスタンスはとらなかったり(笑)。
そんな中、突然電話がなりました。21年前の卒業生からです。当時はやんちゃくれだったけど、今は社長をしてます。なんでも、いま、いろんなことがわかってきたんだとか。
卒「せんせ、おれな、いま毎朝3km歩いて出勤してるねん」
い「原チャとちゃうんや(笑)」
卒「こないだ「お金ないねん、めぐんで」っいう人がおってな、3000円持ってたから2000円渡したら、すぐにコンビニに行きやったわ」
い「へー」
卒「おれがやで。2000円もらうんと違ごて、やったんやで」
なるほど。カツアゲしとったからな(笑)。
卒「今の子らはどうや?義理人情わかる子おるか?」
い「減ったなぁ」
卒「熱血もおらんやろ」
い「それはおるで」
卒「そうか。せんせ、飲んでるんやろ。じゃましたな。切るわ」
い「うん、またな」
ふと思い出して電話してくれたのかな。すごくうれしかった。
それからもうひとつ。「熱血もおらんやろ」と言われたときに、暑い教員の顔が何人か浮かんだのがうれしかったです。
別にみんな同和教育をやってるわけじゃない。というか、そんなことは意識してないと思います。でも、やってることは同和教育に近いものがあったりします。
なんか「同和教育の継承」って言ってたけど、継承しなきゃならんのは、そういう「形」じゃなくて、「暑さ」なのかもしれません。「暑さ」が伝われば、子どもたちを見る目が変わり、子どもたちの姿を通して見る社会の見方が変わる。そして社会への接し方も変わる。
そんなもんかもしれないな。