思いがけない出会い…

朝、コーヒーを飲んで一息ついたら移動開始です。
新幹線に乗って「隣だれも来んといてな…」と祈っていたのですが、わたしよりかなり年上の女性が座られました。ま、若いビジネスマンよりよっぽどいいや。
しばらくパソコンをいじりながら仕事をしていたのですが、最も恐れていた?ことが起こりました。
「小さいパソコンですねぇ」
「えぇ」
「インターネットもつながっているんですか?」
「ま、携帯電話みたいなのがついているんで、つなげられるところだったらつながりますよ」
「小さいから持ち運びできますね」
「いやぁ、どこでも仕事をしなくちゃならなくなってよくないです」
「そう、文筆家かなにかですの?」
「いえ、単なるしがない高校教員です」
てな会話が延々とはじまりました。仕事にならへん(;_;)。
と思いきや、話は予想外の方向へ。
「あなた、本を書かれたらいいんですよ」
「えぇ、たまに友だちから「書いたらいいよ」と言われることがありますけど…*1
「わたしはね、この年になって漱石の研究をはじめているんですよ」
「えぇ〜!」
てなところから、ひとくさり漱石的観点から時事問題を語りあいます。
「あなた、漱石は読まないの?」
「う〜ん、龍之介の方がいいですねぇ」
「龍之介も漱石の言うことをきちんと聞いていればあんなことにはならなかったのにねぇ」
いや、そりゃそうですが…。でも、タイプぜんぜん違うし。
漱石ってね、若い人たちは「つむじ曲がり」としか思わないみたいだけど、単なるつむじ曲がりとは違うのよ。自分の場所をきちんと持っていて、そこから物事を見ているからつむじ曲がりに見えるだけなのよ」
「そういや、漱石ってイギリスに留学していましたよね。そういうところから見ることって大切なんでしょうね」
「そうなのよ」
「まぁ、わたしはへそ曲がりですから」
「へそ曲がりとつむじ曲がりはどう違うの?」
えらいむずかしい質問をされました。で、核心をつくひとこと。
「あなた、アウトローをめざしているんでしょ」
「…」そのとーりです(笑)。
「ところで、あなた、なんの仕事をしていたの?」
「いや、今度全国から在日外国人の子どもたちが集まってくる集会があるんですよ。その準備の文書をつくっていまして…。まぁ、集まれば集まるほど赤字が増える集会なんですけど、でもこんな集会するの、大切なんですよね」
「そう。じゃぁあたしもカンパ」
「へ?」
取り出された金額を見てビク〜リ。いちまんえんです…。
「じゃぁね」と新山口で降りて行かれました。すげぇ…。
あ、この方、「椿わびすけの家」というサイトを運営されているとか…。

*1:てか、普通「しがない高校教員」に「本を書け」って言わないですよね(笑)

宅急便屋…じゃないな…

朝、とりあえず職場へ。
できれば今週中にはめどをつけたい仕事があるのですが、原稿が集まりません。ひたすら電話をしたりメールをしたり、催促しまくります。で、わたしはわたしで原稿とか仕事がたまりまくっているわけです。なんだか、右の人のクビを絞めながら、左の人にクビを絞められている光景が、ふと頭をよぎります。
夕方までになんとかやらなきゃならないことをやって、職場を脱出。家とは逆方向のなら方面へ。ここで、スリッパを500足借りなきゃなりません。はたしてどのくらいの量になるのかと思っていたのですが、こりゃ、確かに普通の車では運べないな。
それにしても、ここまでくると宅急便というより運送業です。でも、プロの人たちは、これよりはるかに重い荷物をあちらからこちらへ運んでいるんだよなぁ。すごいなぁ。とは思うものの、ちょっと嫌気がさしています。

校長さんになったんだぁ…。

今日は人権教育の夏季研修会。講師は、糀秀章さん。
ずっと府教委におられるんだと思っていたんですが、校長さんになられたんですね。
「さて、講演がはじまる」と思い、いつもの通りイスの上に立ってビデオカメラをまわそうと思った瞬間、一番後ろにいたわたしと糀さんの目があいました。その瞬間、お互いに軽く会釈をしてしまったんですが…。糀さん、わたしのこと覚えていたんだなぁ…。
行政職から現場にもどると、やっぱり話の内容に具体性が増しますね。いままでも、全体を見渡した話だけというわけじゃなかったけど、今回の話は、わたしたちがいつも感じている空気を共有しているという感じだったかな。とても身近な感じで聞くことができました。
そうそう、こんなサイトを紹介して下さいました。
教職員人権研修ハンドブックです。
けっこう使えるかも…。

ジリジリ…

某大会の準備、全体の方はだいたいOKなんですが…。
わたしのセクションが全然進みません。なにせ、進めるための「題材」がまったくそろわない。本番まであと2週間を切りました。しかも、わたしが動ける日がこれまた数日しかないっす。ひたすら連絡が来るのをジリジリと待つ日々です。
いったいぜんたいどうなるねん…。

両性研・2日目

池上さんのファンであるわたしとしては(笑)、当然池上さんの助言を聞くべくその分科会に出なくちゃなりません。が、今回は、別の分科会に参加することにしました。
報告者は日野玲子さん
う〜ん。これって、分科会というより、特別分科会(内容はたいてい講演)ですね。でも、さすがにおもしろかったです。さまざまな手段を使うことで、「身体化されたジェンダー」を顕在化させることができるという提起。そこから、自らの意識を問うていくことが必要なんですね。
あと、「既製の言葉を簡単に用いないこと」。「言葉」って、生み出された時はすごく勢いがあるんだろうけど、それが慣用的になってしまうと形骸化していく。だから、常に意識的に「わたしにとって」と問い続けることが大切なんだということなんです。
今回は、もっぱら「意識」に集中して話しておられたのですが、もちろん「制度」を抜きにして語ることができません。「意識」と「制度」っていうの、問題の認識として、ともすればどちらか一方にかたよりがちなんですが、やはり車の両輪なんですね。「意識」を語る時には「制度」を意識すること。「制度」を語る時には「意識」を意識することが大切なんだろうな。
午前いっぱいの分科会を終わって、2日間の両性研が終了。次は、冬の教研集会ですね。
あとは、山口の友だちとか佐賀の友だちと一緒にそばを食べてビールを飲んで、東京駅へ。新幹線に乗ると、たまたま分科会で近くに座っておられた方がそこにおられたので、隣同士の席に座って、きのう〜今日の感想を話しながら帰りました。途中、ふたりとも寝ちゃったですけどね(笑)。
家に帰ると、まだ6時。東京って、近いなぁ…。

阿佐ヶ谷の焼肉屋

ホテルで一休みしてから、新宿で働いている友だちのところへ。仕事が終わって出てくるのをしばらく待って、一緒に阿佐ヶ谷へ。めざすは大門です。
とりあえず頼んだのは、ユッケとかチャプチェとか。あとはお肉系。
ユッケもチャプチェも、ちょっと甘めの味つけですね。カルビの中落ちの塩焼きがなかなかです。なるほど、おいしいっす。しかも、友だちのおかげでサービスも抜群だし(笑)。
で、話の方は…。
もう、友だちの仕事の裏話とか、そのたいへんさとか。そりゃそうだよなぁ。心を冷たくして働かなくちゃならないこともあるとは思うのよね。そこで、Kさんの名言。「いまは帆をたたんでいる状態なんだよ」。
場所は違えど、一緒に「冬の日を走り抜こうではないか」。いまは、夏だけど(笑)。

両性研・1日目

今年みたいにバタバタする年に、なぜわざわざ行かなくちゃならないのかとは思うのですが、去年は参加できなかったので*1、やっぱり両性研に行くことにしました。
6時半に家を出たら10時開会に間にあうのですが、昨日が昨日だったのでそんな時間に起きられるわけがないです。ようやく8時過ぎに家をスタートして東京へ。目指すは一ツ橋です。
会場に到着したら、すでに11時半。まぁ、昼ご飯タイム待ちという感じです。
まもなく昼ご飯。山口から参加しているお友だちを見つけて、一緒に近くの定食屋さん*2で燃料補給です。
午後からは、ちょっとまじめに参加。なんせ、午後一番は池上千寿子さんの第20回日本エイズ学会報告です。
で、報告内容は、まずはHIVの「とらえ方」の変遷からはじまって、日本の施策の対応の歴史・世界のとりくみの歴史あたりから、現在の状況の概説が語られました。なかでも「PWH(HA)」という言葉の概念の説明はよくわかったし、ストンと落ちました。
「PWH」というのは「Peolpe Living With HIV」の略です。

HIVに感染した瞬間、「名前を奪われ、「患者」として扱われる」ことへのカウンターとして、「PWH」という言葉をつくりだしていった。そして、PWHという概念は、誰もが「People Living With ◯◯」であるということを提起してきた。

てことかな*3。なるほど!そうなんだよなぁ。だれしも、なんらかのことと一緒に(なんらかのことをかかえて)生きているんですよね。自分の特殊性を主張するのではなく、それぞれの人が持つ「◯◯」を重ねあわせていくことから「共感」みたいなことがあるんじゃないかなぁ。
で、報告の〆が、なぜか「上杉鷹山の三助*4」だったという(笑)。

その後、シンポジウム。こちらのほうは…。
まぁ、「男性の育児休暇」が大切なのはわかるんだけど、そこにちょっとこだわりすぎていたんじゃないかなぁという気が…。すごく光っていたのが「南房総文化財・戦跡 保存活用フォーラム」の池田恵美子さん。自分の活動を報告された時に「かにた婦人の村」のある方の生き方から「働くことが生きることにつながる」みたいな言葉ありました。そこまでは「働くことから解放されること」みたいな話ばかりで「なんだかなぁ」と思っていたのですが、まったく逆の言葉が出てきたんですよね。
もちろん、それぞれのおかれている状況の中から出てくる言葉ではあるのですが、やはり苛酷な状況を生きてこられた方の言葉の中に、すごい迫力を感じてしまいました。
う〜ん、一回館山市に行きたくなってしまいました。

てな感じで、1日目終了。
山口から参加された方の珍道中にちょっとつきあって新宿へ。

*1:お友だちから「レポートするんだけど来る?」というメールがあったにもかかわらずm(_ _)m

*2:つっても、おしゃれ〜

*3:違ったり足りないことがあるでしょうが、補足してくださいね。>知ってる人

*4:自助・互助・扶助だそうです。池上さんは最後のを「公助」って言ってました。

打ちあわせ

午前は日直。仕事の主たる内容は…。とりあえず「存在していること」です。なので、存在していました(笑)。
もちろん、せっかく存在しているわけですから、たまりたまった仕事とか、これからたまるであろう仕事とかをこなし続けていたのは当然です。
で、夕方から打ち合わせのために滋賀県へ。
滋賀県の某駅で待ちあわせをしていたのですが、先方さんから電話。「ちょっと仕事の都合があって行けへんし、迎えに車をよこしたからそれで来て」「はぁ」「黒塗りの車やし」「はぁ?」。
駅を降りたら、確かに黒塗りの車がいました(笑)。わたしのスタイルは、ジーンズとサンダル*1。まいった…。思わず助手席に乗らせていただきました。
その後、2ヶ所ばっかでサクサクッと打ち合わせをすませて、晩ご飯を食べに行きました。
話の内容は、集まってきている人の多様さと同質さが混在する状況にふさわしく、メチャクチャです。ムラの人間が5万円もする本を買わされた話とか(笑)、青い話とか赤い話とか、もう、堪能させていただきました。
てことで、晩ご飯の場所から、今度は本来は黒塗りの車の後部座席に座る人の運転で駅まで送ってもらって無事帰還。
わけわかりませんわ…。
でも、この夏最大のイベントの成功は確信できました。関係者のみなさんよろしくお願いいたします。また、すべてが終わってから打ち上げしましょう!
その時は、参加者募集だな(笑)。

*1:裸足