「つ」と向きあう

朝起きると5時半です。日曜日なのになぜにと思って、二度寝にチャレンジ。が、寝られません。うーんと思って目が覚めたら7時でした。二度寝できて幸せです。
朝ごはんのあとは、盆明け仕事の事務仕事。いろいろダウンロードしたり、メールしたり。このあと、採点の祭典が待ってます。とはいえ人数は少ないですけどね。たぶん、あっという間に終わるでしょう。
昼前におにぎりとお茶を持って出発。今日はウトロのウェビナーです。なんでウェビナーで出発かというと、ウトロで配信するからです。
到着したら、みなさん「久しぶりー」と声をかけてくださいます。まぁ昼間に来るのはこの時以来です。が、この時はスタッフじゃなかったので、それの前というと、ウトロ・ウィークか。そりゃ久しぶりです。
まずは腹ごしらえ。お次は…。やることない(笑)。まぁダラダラしながらウェビナー開始を待ちますか。せっかくなので、3階の「放火事件」のパネルを見に行きましょう。「あそこはどうなってるかな」と思ったら、修正されてました。人を識別するときに、性別を使ってるところがあったんですよね。気になってたけど、なんか言いにくくて、それをある人につぶやいたら、その人が代弁してくださって、修正が入りました。よかった。人種や民族と紐づけることは人権問題ということはようやく浸透してきました。人権問題だからこそ、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムがあるわけです。でも、性別と紐つけることは、いまだ人権問題とは認識されない。まぁだからこだわり続けるのですがね。
で、ウェビナー開始。
放火事件の判決をどうとらえるかですね。
弁護士は不満だったそうです。なにしろ、差別というひとことが判決文の中になかった。でも、ウトロの人々は「画期的」という評価をしてます。それは、ずっと排除され続けてきた人々、居住権を奪われてきた人々が、はじめて裁判に「勝った」からです。それは求刑がそのまま維持されたところにもあらわれているし、判決文の中にもあらわれています。ウトロの人々にとっては、放火事件は去年のことでなく、土地裁判の前の水道敷設運動の前の、おそらくはGHQとの闘いにまで、いや、もしかしたら、ウトロ形成期にまで遡るのかもしれません。ウトロの人々は日本の司法から、行政から、立法から「認められて」こなかった。それがようやく認められた。ようやくスタートラインに立てた。きっとそういう気持ちなんでしょうね。でもだからこそ、「わたし」たちが次の一歩を踏み出さないといけない。
そして田川さんの話がしみた。
ウトロのオモニたちは
「あんなことして未来を棒にふってしもて、かわいそう。遊びに来たらおいしいものいっぱい食べさせてあげたのに。そしたら、あんなことせずにすんだのに」
と言っておられる。どこまで優しいねん。足を踏まれたものの痛みは足を踏まれたものにしかわからない。わからないことがわかっているからこその、その優しさなのかな。
そんなこんなでウェビナー終了。とてもよかった。
その後、特別展の話し合い。わたしはここ20年くらいが欠落してます。が、そこを知ってる人が知らないことを知ってる。だから、これにかかわるんです。が、かかわる前に話しておかなきゃならないことがある。それは、わたしの「」にかかわることです。おそらくは決して癒やされることのない「つ」です。だからこそ、それから逃げるのではなく、それがあることを認め、話し、そのうえで、さぁ、かかわりましょう。いろいろ相談しているうちに、ふとかつての練習場所に行ったことがあるかどうか聞いたら「ない」とのことだったので、行ってみました。

懐かしい農楽の練習場所。ここも来年にはなくなるのかな。

サイレンはまだ残ってます。あのサイレンがあることの意味も、もしかしたらあることすら、最近かかわってる人は知らないかな。だから、それを伝えなきゃなりませんね。
そんなことを考えながら、ミーティング終了。
さてと、帰ってビールだな。明日は仕事か(;_;)。