言葉が軽くないか?

なんか、ここ最近、やたら「「命の大切さ」を伝えてほしい」などと言われるようになりました。まぁ、近年「9月1日問題」が叫ばれるようになってきたから、そんなのもあるのかもしれません。
ただ、わたしは「命の大切さ」を子どもたちに伝えられる自信がないんですよね。
だって、「命は大切」と言った時に「あぁ、大切だよな」って思うことができるのは、すでに「命は大切」と思っている子どもだと思うのです。じゃ、「命は大切」と思えていない子「生きてるよりも死んだほうがマシ」と思ってる子は?
「いや、もうええし。そんなきれいごと」
「たしかに大切なんだろうけど、でも、こんなふうに生き続けるよりも死んだほうが楽やし」
そんな子らにとって「命の大切さ」は「命は大切」という言葉では伝わらない気がするのです。
さらに言うなら、この、今の社会において、なんと命が軽んじられていることか。日常的に「死」が報道され、戦争への道を突き進むこの国この社会において「命の大切さ」という言葉がはたして伝わるのか?
わたしはそういうふうに思ってしまうんですよね。
そう考えるわたしにとって、「命の大切さ」という言葉はなんと空虚で軽いことか。
なので、今日は3つのクラスでそんな気持ちをぶつけてみました。なんか、みんなシンとして聞いていたし、あるクラスでは「みんな、どう思う?」って聞いたら、それぞれがそれぞれの考えを返してくれて、なんか、めっちゃおもしろかったです。
もしかしたら、可能性としては、こんな場の中で、ほんの少し伝わるのかも。もちろん、その時渦中にいる子には無理です。でも、その場にいた子が、将来どこかで「死んだほうがマシ」と思った時、思い出すことは…。ないやろな…。
その程度に、むずかしいことだと思ってるんですよね。だからこそ、「命の大切さ」という言葉のなんと軽いことよ。

ある工夫

フリック入力完全移行2日目。まぁ、フリックというか、そもそもスマホを使うのは、基本的には朝と夕方ですから、そんなに頻繁に使うものではないです。でも、その朝の電車の中でブログを書くわけですから、やはり完全フリックにが早くなることは喫緊の課題ということになります。
で、心配してはいたのですが、ずいぶんと慣れました。これなら、次のステップにもたどりつけそうですね。

今日はもうひと工夫。往復の電車で快適に本が読めるための細工をしてみたりしました。ふむ、これはいいかも。
そんなこんなの、なかなか有意義な日になりました。