言葉が軽くないか?

なんか、ここ最近、やたら「「命の大切さ」を伝えてほしい」などと言われるようになりました。まぁ、近年「9月1日問題」が叫ばれるようになってきたから、そんなのもあるのかもしれません。
ただ、わたしは「命の大切さ」を子どもたちに伝えられる自信がないんですよね。
だって、「命は大切」と言った時に「あぁ、大切だよな」って思うことができるのは、すでに「命は大切」と思っている子どもだと思うのです。じゃ、「命は大切」と思えていない子「生きてるよりも死んだほうがマシ」と思ってる子は?
「いや、もうええし。そんなきれいごと」
「たしかに大切なんだろうけど、でも、こんなふうに生き続けるよりも死んだほうが楽やし」
そんな子らにとって「命の大切さ」は「命は大切」という言葉では伝わらない気がするのです。
さらに言うなら、この、今の社会において、なんと命が軽んじられていることか。日常的に「死」が報道され、戦争への道を突き進むこの国この社会において「命の大切さ」という言葉がはたして伝わるのか?
わたしはそういうふうに思ってしまうんですよね。
そう考えるわたしにとって、「命の大切さ」という言葉はなんと空虚で軽いことか。
なので、今日は3つのクラスでそんな気持ちをぶつけてみました。なんか、みんなシンとして聞いていたし、あるクラスでは「みんな、どう思う?」って聞いたら、それぞれがそれぞれの考えを返してくれて、なんか、めっちゃおもしろかったです。
もしかしたら、可能性としては、こんな場の中で、ほんの少し伝わるのかも。もちろん、その時渦中にいる子には無理です。でも、その場にいた子が、将来どこかで「死んだほうがマシ」と思った時、思い出すことは…。ないやろな…。
その程度に、むずかしいことだと思ってるんですよね。だからこそ、「命の大切さ」という言葉のなんと軽いことよ。

One thought to “言葉が軽くないか?”

  1. 先生お久しぶりです! 携帯会社を変えたので、アドレスが変わってしまいましてお伝え出来ずごめんなさい!私のなんて要らないかなと思っていた以前、変更したら教えてね、と言われ、とても嬉しかったんですよ。
    ニュース見ました。高校の時、死にたかったです。いじめる人に対しての行動として。そのまま三年過ごしました。親には、勉強で勝て!なんやかんやで、かなしいかな、学生時代もそのあとも、頭がいい人が負けない世の中だから!と言われてたなあ。
    私があの時自殺しても、いじめっ子は、なんにも気にしないと思う。今になりそう思います。

    死ななかったけど、今でも、高校時代は地獄の記憶。←ごめんなさいね。先生は好きでしたよ^_^ 本気で生徒にぶつかって、上からじゃなく対等に、大泣きして大げんかしてくれましたもんね!「あの二人仲直りできないかなあ」、なんて、先生がまるで同じ生徒のように見え、クラスメイトと心配なんかしてました。。

    それから大人になり、病気をして入院したとき、死にたくないなあと思いましたが、退院して健康になり、それに慣れると、また感覚は元に戻り、現状に不満を抱いたりします。責任も、自分にあるから、生活がとても重たく感じるように。。
    ただ、生きれば生きるほど、苦しみの中での新しい発見があるのが面白く。学生の時のように、夏休み、冬休みがあるわけでもなく先生に叱ってもらえるでもないため、年がら年中、全て自分になります。したこともかえってくる。
    それを話す仲間がいることが、また面白いです。で、少しずつ、自分を生きるのが楽になります。まあ、まだまだですが。

    地獄の高校生活も笑、いじめも、知って良かったかな。無知は罪にもなるから。。 いろんな足跡つけて自分を生きたいな、ぐらいで、のほほんと生きております。
    うじうじしてた私はいま、人前で歌を唄っているんですよ♫ CMなども唄っております!
    そういう足跡、軌跡?が命かな。。
    先生にもまた、お会いしたいなあ^_^

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