「困る」ということ

よくインクルーシブ教育がらみで「困った子は、困っている子」と言われます。これ、教員目線で「この子、困った子だなぁ」=「教員が扱いに困る子」というのは、実は本人が一番困っているんだよということなんですよね。つまり、視点を教員から生徒に移すことでパラダイムの変換が起こる。そのことを通して、「教員の困り感」に疑問を呈するわけです。
これは、とっても大切だよなぁと思います。
が…。
たまに「この人、困ってないんじゃない?」と思うこともあります。いや、たぶん、その人自身は困っておられます。が、困っている感が伝わってこない。
なぜなんだろう…。「困っている子ども」となにが違うんだろう。
よくわからないです。が、ふと思ったのは「右往左往していない」ところにあるのかもしれません。ブレがない。言いかえるなら、「変化する意志」がない。さらに言いかえるなら、「変化をまわりに要求する」ということなのかな。
もちろん、そのことそのものは別に悪いことだとは思いません。が、それは本人がなんとかする以外方法はないです。だって、「この人のために、あなた変わって」なんてことを、他者が言えるはずがない。
まぁなにがどうということもないのですが、なんとなく…。

倒れた

み]倒れた
朝起きると、おふとんがかぶさっていました。うれしいなぁ。こういうみなさんの優しさが、身体に染み渡ります。
ということで、朝ごはんは素麺。単に昨日の残り物です。
しばし話をして、いずみちゃんの「さぁ、そろそろ片づけましょう」のかけ声で片づけ開始。
「洗い物はなんですかー♪」
「そんな歌、ないよ」
などという意味のない会話を交わしながらダラダラ片づけ。人数が少ないということは、洗い物も少ないということです。みなさんの協力の甲斐もあって、11時半頃には閉店。

さてと、あとは「おたふく」です。今日はいずみちゃんとふたり。お店もけっこうすいていて、またーりとした呑みを楽しめました。
さてと、あとはバスに乗って帰るだけです。
家に帰っておふとんの上に倒れたら、そのまま爆睡です。やはり疲れがピークに来ているのかなぁ。