「理解教育」ではない

今日は某人権教育研究会の総会でした。で、午後は記念講演。講師は松永真純さん。テーマは障害者問題です。
まずは、リバティ大阪時代のエピソードから。「子どもたち対象の授業の依頼があった時、部落問題や在日外国人問題だと「差別について話してほしい」と言われるんだけど、障害者問題だと「障害者理解」って言われる」というあたりから。そして「部落理解とか在日理解っていう言葉はありますか?」と。
なるほどなぁ。そうですよね。で、「なぜこういうことになるかというと「個人モデル」なんだ」と。ふむふむ。「自分は自分が障害者であることを引き受けるためには「障がい」ではなく「障害」でなくてはならない。障害の「害」にこだわるなら、その前に「健常」という言葉にこだわるべきではないのか」と。
で、バリアの話。「車いすが階段を登れない時、つい車いすに目が行ってしまう。でも、高い段差を「ヒト」が登れない時は段差に目が行ってしまう。でも、どちらも同じ。上に行けるようにすればいい」って話から誰でも乗れる地下鉄にする運動の話が出てきます。
そうなんですよね。声を上げること、妥協しないこと。
やがて、話は「青い芝の会行動綱領」を朗読する森修さんの映像へ。なるほど、わからなければ何度も聞けば、そして、聞こうとすれば、聞こえてくる。中学生の作文「聞こうとする力」の問題なんですね。
そうやって、障害者の問題は自分自身を問う問題であるということへと、自然と導いてくれる話が続きます。
質疑応答では、再び「青い芝の会行動綱領」の話。
うーん。
力強いというか、ヤケクソというか。でも、すごいです。たぶん、あとに引けないギリギリのところから反撃する時に出てくる言葉なんでしょうね。「水平社宣言」といい、「青い芝の会行動綱領」といい、なぜにこんなに。まぁ、あとは自戒の念をこめて、省略します(笑)。
いやぁ、この話、聞けてよかった。

冒頭に

今日の冒頭のひとこと

なんかね。ここしばらくの動きで、A政権は「第三次世界大戦」の引き金を引いたかもしれない。
一連の動きは、明らかに「宣戦布告」に見える。で、それを受けて、「日本をテロの対象にする」って宣言されちゃったよね。「日本国内にいたら関係ない」ってわけじゃない。現に、フランスでは爆破事件があったよね。日本もその対象になったってことだよ。
とにかくね。
英語を勉強しなさい。日本のマスメディアは何も語らない。だから、海外のメディアから直接情報を仕入れるために、英語を勉強しなさい。自分の身を守るためにね。
じゃ、英語ほど大切ではない数学の試験を返すね。

日本に「第三次世界大戦」を起こすほどの力があるかどうかはわかりません。でも、そんなことではないんです。微妙なバランスの上で戦争は「世界」にまでは広がっていなかった。あるいは先進国(と呼ばれる国)はそこから逃れ続けてきた。そのバランスが崩れる。
バランスを崩すためには大きな力は必要ありません。ほんの小さなバランスのほころびが世界のバランスを崩しうる。
「積極的平和主義」とやらが「第三次世界大戦」の引き金となる可能性は十分にある。

仕事仕事仕事(笑)

朝のうちから自分のアドレスあてにタスクリストのメールを飛ばします。いや、考えたことを覚えられなくて、じゃ、「メモとれよ」と言われたら、「メモしたら書いた字が汚すぎて読めない」と答ざるを得ません。
あとはひたすら仕事です。
とても細々とした仕事。ノートにハンコをペタペタ。成績処理。外部への電話。書類づくり。会議。あ、忘れちゃいけない授業(笑)。
細々したことも、すべてをトータルすると7時間45分+45分*1では収まりきりません(笑)。
ま、そんな一日。
本が読みたい(;_;)。

*1:勤務時間+休憩

エコノミー症候群

一夜あけた今日は、生徒引率の出張です。まぁこんなことめったとないので、たまにはね。
とはいえ、わたしの役割は「いること」です。他にはなんにもありません。てことで、当然のことながら「仕事」を持っていくわけです。
まぁもろもろあって、ちょいと狭いところに逃げ込んで仕事をしました。こういう秘密基地感覚、好きです。が…。3時間ほどぶっ通してやると、さすがに股関節が痛い。てか、エコノミー症候群になりそうです(笑)。