突如はじまる

授業をはじめようと思ったら、生徒の雑談につい聞き耳をたててしまいました。なんか、バイトの話をしています。思わず
「一昨年、求人広告見たら、高校生の時給は760円でな。なんでか知ってる?」
最低賃金の関係やろ」
なかなか知ってます。
「ほな、皿割って給料から天引き。○か×か」
「×」
おお!
「ほな、「勝手言うんなら、今日から来ていらん」。○か×か」
「うーん」
「×やで。結局な、雇用者が権力持ってるねん。だから、労働者を守る法律が必要になるねん。ほな、さまざまな理由で所得がなくなっても生きる権利を保証する法律、知ってるか?」
「…」
生活保護法やねん。あれは、国の責務やねん。そやけどな…」
まぁこうやって、突然はじまるわけですわ(笑)。

「困る」ということ・管理職との面談にて

かつて管理職なんてケンカ相手だと思ってたわたしですが、最近はめっきり丸くなりまして(笑)。もちろん管理職になりたいなんて気は毛頭ないですが、それでも「ご苦労さんやなぁ」とは思うわけです。
そんな中でも、教職員評価なんてものが導入されて、管理職の仕事量が激増しているみたいです。
そもそも「管理職」が「管理」するものはなにか?どうも「評価せい!」とか言っている人々は「教職員を管理する」って誤解してるんじゃないかなぁ。じゃなくて、学校全体の管理責任者なわけで、その仕事はもっと多岐に渡るし、そのすべてを「一人で管理」ってやると不可能だから、役割分担があるわけです。もっと言うなら
「ボク*1が管理者なんだから、みんな言うこと聞け!」
では学校は動きません。じゃなくて、各セクションから出てきた話を総合的に調整したり追認したりして「最終責任をとる」ってのが、おそらくは管理職なわけです。

ま、そんなことはいいんですが…。
で、教職員評価の関係で、年2回の面談と年1回の授業参観がありまして、まぁそれだけでもたいへんだなと。だって、講師以外の教職員、うちのガッコだと60人くらいいて、面談ひとり1回30分と授業が50分。うわぁ(笑)。

ま、そんなことはいいんですが…。
で、今日、管理職と面談をしたわけです。
で、開口一番
「去年、やってほしいと頼んだこと、覚えてる?」
^^;;。
忘れました(笑)。
ま、いいんです。それを直接は忘れても、課題は同じですから。基本的に「経験の継承」です。
これは難しい。なにせ、最近雇用される人は優秀です。そつなくこなすんです。わたしのような大量採用時代の粗悪乱造教員が3年とか10年かけてできるようになったことが、1年とか2年でできるようになります。
でも、なにかがちがうんですよね。それは、たぶん雑味かな。灰汁といってもいいかな。
そんなことを考えながら、校長に
「あの子ら、困ってないんじゃないでしょうかねぇ」
と言ってみると
「われわれとはベースが違うから」
と同意されてしまいました。あ、そうか。困るところまで行ってないというか、困ることをしていないというか。
同和教育で何を学んできましたか?」
って聞かれたので、いろいろ考えたけど
「「保護者や地域の思いを聞く」って、やはりすごくおおきかったですね。最近は保護者や地域の思いや願いを聞くというより、「学校の思いや願いを聞いてもらう」みたいな感じな気がしますからねぇ」
っ言ったら、笑われてしまいました。
「「学校の思いを聞いてもらう」その通りですね」
って。
保護者や地域の思いを聞くと、困るんです。できることとできないこと。できるけど困難なこともある。現実との乖離もある。その狭間でもがくのがわたしにとっての、教員というか担任というか、そんなのの役割でした。それが雑味や灰汁を育ててくれました。
学校の思いを伝えるなら困りません。なぜなら、子どもや保護者にとって、学校は権力を持っているからです。ふたつの「正しさ」がぶつかった時、権力側の「正しさ」が勝つとは、月曜日の金城さんの言葉です。だから、どう伝えるかという困り感はあっても、「自分の価値観そのもの」に揺るぎはない。だから困らないんです。
てことは、どう困ってもらうのか…。あるいは、困った体験をどう共有するのか。
今年のテーマにしてみようかなぁ…。

*1:ここはあえて「ボク」(笑)。

京都府民の人権意識調査からわかること

今日は某研究会の総会です。眠い目をこすって(笑)参加しました。まぁ、事務局やってるから当然のことです。
で、午後は記念講演。講師は「おべんきょのセンセ」です。
講演の内容は、個人的にはすでに2回ほど聞いていますが、でもだからこそ「みんなに聞いてほしい」と思う内容でした。
とても簡単に言うならば、京都府民の部落への忌避意識は、10年前も20年前も現在も、さほど変わっていないということです。となると「んじゃ、やっても意味ないじゃん」となるのですが、実はそうでもない。それは地域差があるからです。有り体に言うなら、京都府中部・北部は忌避意識が低く、京都市内と南部はそれが高い。なぜなら、中部や北部は人権啓発をかなりていねいにしておりるからなんですね。ま、それ以外に、「部落のありよう(周囲の捉え方)」みたいなのも関係するんじゃないかと、なんとなくは思いましたが、それはおいといて…。
では、どんな啓発が有効かというと、ここで「接触仮説」というのが出てきます。簡単に言うならば「差別と闘っている人間と出会ったことがある」という回答と「差別はいけない(「どちらとも言えない」とは回答しない)」という回答の相関関係があるってことです。で、この時の「差別と闘っている人間」は、別に当事者である必要はない。てことは、例えば、学校で言うなら当事者ではない教員でもいいし、社会教育で言うなら、当事者ではない人権擁護委員でいいわけです。
これはとても気が楽です。だって、自分がやればすむわけですからね。
また「魅力ある啓発」としては、やはり当事者の講演はとても有効です。
つまり、このあたりを組み合わせていくことで、学校教育の中での人権教育のヒントが手に入るわけです。
まぁ、ぶっちゃけな話をするなら、直感的には感じていたし、結局昔からやっていたことなんですけど、昨今の状況の中でくじけそうな気持ちになることもあるわけです。それをデータとして見せてもらうことは、ちょっと後ろから背中を支えてもらえる気がして、やはり元気になるんですよね。
「これまでやってきたことを、もう一歩前へ」
って。

朝起きると、やはりめっちゃしんどいです。この体調で…。悩みます。しかも、なんだか仕事が詰まって、やりたい仕事がろくにできない状況です。頭の中を「おべんきょー」という言葉がよぎります。行くべきか行かざるべきか。
とりあえず、お友だちのS納さんに
「今日の集まり、出席連絡してないんですが、頭数に入ってるんですか?」
とメール。すると、電光石火で
「もちろん!二次会もさくっと」
という返事。
「り、りょうかい」
「ふひひ」
というわけのわからんやりとりがあったので、すべてを振り払って行くことにしました(笑)。
向かった先は、関西沖縄文庫。今日は「ちゃんぷるーを食べながら、戦争と平和の境目について語る会」という謎の集まりがあるとか。ちなみに話題を提供して下さるのは金城馨さんと辛淑玉さん。いやがおうにも期待が高まります。
ちなみに、金城さんの話は何度か聞いていますが、辛淑玉さんの話を聞くのははじめてです。どんな話をされるんだろo(^^)o。

会場に到着すると、いきなりS納さんが辛淑玉さんに
「カウンターの闘士」
とかいう紹介をされます。いや、ちゃうし^^;;。でも、リュックについてる缶バッチを見て、辛淑玉さん、「おぉ!」みたいな反応されていました。普段はいきなり殴られるんじゃないかなんて思うこともあるだけに、いいこともあるもんだなと。

で、おふたりの対談。
硬と柔、急と遅。クリスタルブレードのような輝きを持つ辛淑玉さんの言葉。かたや、金城さんの言葉はしなやかに届いてくる、なんと表現すればいいのか、例えようがない感じです。
そんなおふたりの話を聞いていると、自分の中から「考え」が引き出されてくる感じです。
辛淑玉さんの
帰化した韓国人も日本人とみなされていない。沖縄も日本人とみなされていない。たぶん部落もそうでしょ。セクマイだってそう」
という言葉は、実はストンと落ちてくるものでした。かつて金城さんの講演で聞いた話とつながるものでした。初めて会ったふたりとは思えません。

にしても、金城さんのものの考え方、好きですねぇ。
「深く考えると疲れて考えるのをやめちゃうので、「もう少し考える」んです」
なるほどなぁ…。「少し考える」ことを続けていくことで、いろんなことを考えることができますよねぇ。
ま、そんなこんなで、30分ちょいのセッションのはずが1時間近くになって、晩ごはんタイムです。まさに「ちゃんぷるー」な食卓にさいぼしの差し入れがあったりして、めっちゃ豪勢です。オリオンを飲みながら、今度は自己紹介。ひととおりまわったところで、突然辛淑玉さんからの金城さんへの質問タイム。これがいいツボついています。聞いてる人、みなさん爆笑しながらも「なるほど」を連発です。

で、9時をまわったところで二次会会場へ。
ここでわたしはちゃっかり辛淑玉さんの隣に陣取って、あれやこれやと話。テンション高く見えるけど、情が深い人ですね。
うーん。この場を去るのがあまりにも惜しいです。結局、最終電車を見送って、デッドライン電車で帰りました。
でも、一点の悔いもないです。
素晴らしい企画をありがとうございます→S納さん!

怒られた

朝、眠いです。もうやです。
でも、大阪に行かなくちゃなりません。今日も人の話を聞かせてもらう予定になっています。
でも、かなり身体がグダグダです。パートナーがマッサージをしてくれました。
で、出がけに
「もしも元気があればカウンターに行こうかな」
とつぶやくと
「あんたな!元気なんやんか!」
と怒られてしまいました^^;;。でもそのあと
「話聞き終わったら帰ってきなさい」
というつもりを
「カウンター終わったら帰ってきなさい」
っていい間違えていたから、たぶん、そうなんでしょう。

で、まずは話を聞かせてもらったんですが…。
まぁ驚きの連続でした。「そうやったんやぁ」「へー」「ほー」です。
しかし、ふと思ったのですが、「自殺予防」と「いじめ対策」って、イコールの関係になるんだろうかと。「性的マイノリティの68%がいじめられた経験を持ち、そのうち約30%が自殺しようと考えた」とのことなんですが…。
なんかこれ、「いじめが原因で自殺しようと考えた」という筋書きに乗った言説のような感じがするんですが、はたしてそんなにまっすぐつながるのかなぁ。
例えば、トランスの場合、もともと自分の存在がイヤで、根源的にはそちらが自殺念慮の原因で、それとは別にいじめが存在している可能性もある。もちろんいじめる側はトランスにからまるところをついてくるわけで、いじめられた方も「それが原因のいじめ」とは答えるわけですが…。
もちろん「自殺予防」も「いじめ対策」も大切なんですけど「自殺予防をするためのいじめ対策」と両者を直線的に捉えると効果が薄いのではないかなと。というか、もっと言うなら「いじめを解決したのに自殺した」なんてこともありうるかもしれない。その時「いじめ」と「自殺」を直線的につないでしまうと、「あるはずのない犯人」を探すことになってしまうのではないかということです。
実は、わたしは、昔から、この「内在する自らの存在へのフォビア」にこそ、もっとも注目しなくちゃならないのではないかなぁと、漠然と考えているんですけどね…。

てなことを考えながら、話も無事終了。
で、お礼にお昼ごはんを奢って、瞬間の躊躇の後、御堂筋線に乗りました。
外に出るといい天気です。こんな日はどこか河原にでも遊びに行きたいものです。やれやれ…。でもしかたないですね。河原の代わりに心斎橋から難波まで散歩しますか。
いつもの場所に行くと、いつもの人々がおられます。ほんとに頭が下がります。
わたし、実は街宣の内容、聞こえてないんです。なんだろ…。単なる騒音でしかないんです。意味を伴った「言葉」と認識できない。仮に認識できるとすれば、「悪意に満ちた騒音」。あるいは「とても下品な騒音」。
だから、一字一句に腹を立てたりしているわけではないんです。でも、その「悪意」や「下品」を浴び続けると、どうしようもない消耗がやってくる。いつもカウンターの場にいる人たちは、そんな「音」を浴びながらやっているからこそ、頭が下がるのです。そして、そんな「音」が街の中に響くことへの反発が、わたしをカウンターに向かわせているような気がします。
今日もいつものようにカウンターをやって、ぐったりと疲れました。いつものようにビールを飲みに行く元気もありません。
とりあえず、スミノフアイスを1本呑んで、早々に帰ることにしました。

と…。
やばい!
今朝、パートナーに怒られたんだ(;_;)。
パートナーのカウンターが一番こわい(;_;)。

3連発

なぜか朝の9時半に大阪へ。またまた人の話を聞かせてもらいに行った次第でして…。
なんか、「居心地いいところ」に落ち着くためには、たぶん試行錯誤しなくちゃならなくて、そのためには一度振り切れる必要もあるのかなぁと思いました。
これ、まぁ、年齢の問題もあるんでしょうけど「年齢ゆえにそこそこで」ってやると、逆に長引いてしまう。で、その「長引き」は、本人にとっては「残された時間」との兼ね合いで、かなり切実なものになる。とするなら、「ええ歳」の人にも一度「振り切れ」を経験させる余裕を持つことが必要なんじゃないかなぁ。
なんてことを考えながら聞かせてもらいました。

で、京都にもどって「某在日外国人教育関係」の会議です。まぁ、こちらの方はいつものように淡々と^^;;。
にしても、同じ時間に奈良では大変なことが進行中です。ホントは駆けつけたい気分だけど、そうもいきません。時折、会議の参加者に奈良からの情報が入ってきます。と、突然H本さんから「カウンター報告ありました」とのメール。あれ?H本さん、大分じゃないの?え?あ!そうか!全女に参加してるんだ!いろんな人が、それぞれの場所で関心を持ちながら見つめているんですね。
どうやら奈良ではカウンターが圧倒してヘイトスピーチを無効化したとのこと。それはそれで、現実的にはよかったわけなんですが、もう少しさかのぼって考えると、そもそもヘイトスピーチなんかができることそのものがアカンわけで、複雑な気分です。

で、夜は京都駅近辺で会合。久しぶりの集まりということで、いろいろ今後のことを話し合ういい機会になりました。
しかし、せっかくのユニバーサルトイレ、「カギを開けておいてね」と言ったのに開けておいてくれなかった。そのせいで、車いすユーザーとケンカしちゃったじゃないですか。まったくもう…。ま、酔っぱらいがシラフの車いすユーザーにからんだだけのことなんですけどね^^;;。

ま、そんなこんなで、頭の中がグルグルしそうな土曜日が終了。
ふぅ…。

今年もやってきた

今年も「これを仕事と言っていいのかな日」がやってきましたo(^^)o。
とりあえず、いつもの時間に起床。子どものためのおべんとをつくるのはいつも通りですが、わたしのぶんはおにぎりだけです。うちではおにぎりの担当はパートナー。なので、ここは甘えることにしましょうo(^^)o。
で、いつもの時間の電車に乗って、いつもの時間に駅に到着。でも、今日の集合は駅前なので、ベンチに座ってバッハを聞きながら朝の空気を楽しみます。と、ぼちぼち子どもたちも集まってきて…。
やがてバスも来て、さて出発。バスに乗りながら、「そう言えば、2年前のバス車内はきつかったなぁ」とか、ふと思ったり^^;;。バス車内でペーパー読みたかったけど、担任さんといろいろおしゃべり。この間ぼんやりとしていたプランが、少し鮮明になったかな…。
で、到着したのは二色が浜。
子どもたちはボールを持って走り出します。まぁ、高校生であっても、芝生とボールがあればそんなもんでしょう。なにやらオニごっこしてる子らもいるし。
で、バーベキュー開始。てか、炭いこしの開始ですね。高校生、炭がいこせません。炭をいこすの、原理がわかれば簡単なんですけどねぇ。酸素をいかに供給するかということと、炭が互いを熱しあうということかなぁ。強い火が起こる「芯」みたいなものをつくればすぐにいこります。
てことで、子どもたち、肉を焼きはじめました。わたしはあちこちの班に顔を出して、つまみ食い。
「どう?」
「んまっ!肉の油がほどよく溶けてタレと混じり合うハーモニーがたまらんなぁ」
わけのわからんコメントを返します。
と、ある班を見ると、見慣れた白い肉があります。
「それ、もしや」
「豚足、食べる?」
やるな!つい聞いてしまいます。
「豚足、冷たいのと熱いのとどっちが好きや?」
「冷たいのやなぁ」
思わず
「通やな」
ともらしてしまいました。さらに横には美味しそうなチョジャン。ほんとに知ってるな…。まぁ、通は塩って話もありますが(笑)。
なんか他にもパンケーキ焼いていたりチーズフォンデュをやってたり、多種多様なバーベキューの楽しみ方をしています。
そんなこんなで、無事バーベキューも終わり。
浜辺でクラス対抗のビーチフラッグ大会をしたりして、帰りのバスへ。
さすがに疲れました。
いかんいかん。でも、ペーパー読まなくちゃ^^;;。

マジ、ヤバい(;_;)

午前はガッツリ授業です。とは言え、個人的には昨日の事後学習をしなきゃいかんと思ったので、そんなこんなを話して。
で、午後からは「考え」たり作業したり。
4時半ですでに抜け殻です(笑)。でも、今日は約束の日です。行かなくちゃ…。
と…。レジュメを…。切れない(;_;)。しかたない。タイトルは「メモ」にしておきましょう。

てことで、なーんもなしでセンセと話。なんしかこの間考えてきたことや、やりとりの中で思いついたことをひたすら話をしてメモをとります。センセは「ダラダラした雑談」と思っておられたようですが、実はわたしにとってはそれが「思考法」だったりします。まぁ、迷惑な話だとは思いますが…。
それでも、ほんの少し前にすすみました。
で、今後の日程を詰めて…。
やばいわ(;_;)。
「ほんの少し前」ではダメじゃん(;_;)。

半径1メートルをつなぐこと・「地球のステージ」がやってきた!

今日は朝から緊張しまくりです。なんせ、午後を半日使って「地球のステージ」鑑賞ですから…。
今年度、うちの職場の人権学習のやり方を大きく変えました。これから3年間かけてそれを完成させていこうと思っているのですが、その第一弾が、今日ある「地球のステージ」なんですよね。
にしても、同じ日に「生徒会選挙」があるのが致命的ではありますが^^;;。こんな日程組んだの誰やねん!って、わたしか^^;;。

でも、なんだかんだで無事開演。
うーん、ざわつくなぁ…。なぜだろう。たぶん、一部の人間なんだと思うんだけど…。

たぶん、「聞かない生徒」は「無関心」なんだと思うのです。じゃ、そういう生徒が関心があるのは?もしかしたら「半径1メートル」の範囲の出来事なんじゃないかなと思うのです。なので、そこからはみ出た「地球」には関心がない。アフリカで起こる戦争や、そこで死んでいく子どもの姿、あるいは熱が下がって喜ぶ桑山さんの表情には関心がない。
じゃ、「聞く生徒」や「わたし」の世界は半径2メートルなのか?
それは違うと思います。やはり、わたしたちの世界も「半径1メートル」でしかないのです。じゃ、なぜ関心が起こるのか。それは「半径1メートル」同士が重なる部分を感じるからじゃないかと思うのです。
「半径1メートル」のふたりが、ほんの少し近づくと、「20センチの重なり」ができる。すると、「重なり」の向こう側に「180cm」の「和集合部分」ができる。そうやってできた「和集合」をたどっていけば、やがてそれは100メートル先にまで届く。そうやって「世界」を広げ、そこに感心を持つことができるようになる。
そんな気がするのです。
世界を広げるためには、人と人との距離を少し近づける。のかな…。

うわ。桑山さんが厳しい言葉を!
水を打ったような静けさです。時にはこんなのも必要なのかもしれません。注意を向けることによって関心を持つこともあるかもしれません。
でも、桑山さんが厳しい言葉を向けたのはわかります。自分の「地球旅行」は無関心でも耐えられるけど、「震災」の話は耐えられない。
そんな桑山さんの気持ちを、自分のこととして子どもたちに伝えることで、桑山さんの笑顔と、そして厳しい言葉の裏側に込められた「無関心への悲しみ」と「無関心への怒り」を伝えることができるのかもしれません。そして、それがわたしたちの仕事なのかな。

公演終了後、何人かの生徒が真っ赤な目をして桑山さんのところに行きました。あとで
「「1年生ですが、うちの学校の生徒がすみません」って誤ってくれた」
と、桑山さんは話してくれました。そして
「今日は、とても満足できた公演でした」
と笑顔で話してくださいました。
きっとそれはホントのことなんでしょうね。

うーん。
明日からが勝負です。まずは、授業の雑談からかな…。