怒られた

朝、眠いです。もうやです。
でも、大阪に行かなくちゃなりません。今日も人の話を聞かせてもらう予定になっています。
でも、かなり身体がグダグダです。パートナーがマッサージをしてくれました。
で、出がけに
「もしも元気があればカウンターに行こうかな」
とつぶやくと
「あんたな!元気なんやんか!」
と怒られてしまいました^^;;。でもそのあと
「話聞き終わったら帰ってきなさい」
というつもりを
「カウンター終わったら帰ってきなさい」
っていい間違えていたから、たぶん、そうなんでしょう。

で、まずは話を聞かせてもらったんですが…。
まぁ驚きの連続でした。「そうやったんやぁ」「へー」「ほー」です。
しかし、ふと思ったのですが、「自殺予防」と「いじめ対策」って、イコールの関係になるんだろうかと。「性的マイノリティの68%がいじめられた経験を持ち、そのうち約30%が自殺しようと考えた」とのことなんですが…。
なんかこれ、「いじめが原因で自殺しようと考えた」という筋書きに乗った言説のような感じがするんですが、はたしてそんなにまっすぐつながるのかなぁ。
例えば、トランスの場合、もともと自分の存在がイヤで、根源的にはそちらが自殺念慮の原因で、それとは別にいじめが存在している可能性もある。もちろんいじめる側はトランスにからまるところをついてくるわけで、いじめられた方も「それが原因のいじめ」とは答えるわけですが…。
もちろん「自殺予防」も「いじめ対策」も大切なんですけど「自殺予防をするためのいじめ対策」と両者を直線的に捉えると効果が薄いのではないかなと。というか、もっと言うなら「いじめを解決したのに自殺した」なんてこともありうるかもしれない。その時「いじめ」と「自殺」を直線的につないでしまうと、「あるはずのない犯人」を探すことになってしまうのではないかということです。
実は、わたしは、昔から、この「内在する自らの存在へのフォビア」にこそ、もっとも注目しなくちゃならないのではないかなぁと、漠然と考えているんですけどね…。

てなことを考えながら、話も無事終了。
で、お礼にお昼ごはんを奢って、瞬間の躊躇の後、御堂筋線に乗りました。
外に出るといい天気です。こんな日はどこか河原にでも遊びに行きたいものです。やれやれ…。でもしかたないですね。河原の代わりに心斎橋から難波まで散歩しますか。
いつもの場所に行くと、いつもの人々がおられます。ほんとに頭が下がります。
わたし、実は街宣の内容、聞こえてないんです。なんだろ…。単なる騒音でしかないんです。意味を伴った「言葉」と認識できない。仮に認識できるとすれば、「悪意に満ちた騒音」。あるいは「とても下品な騒音」。
だから、一字一句に腹を立てたりしているわけではないんです。でも、その「悪意」や「下品」を浴び続けると、どうしようもない消耗がやってくる。いつもカウンターの場にいる人たちは、そんな「音」を浴びながらやっているからこそ、頭が下がるのです。そして、そんな「音」が街の中に響くことへの反発が、わたしをカウンターに向かわせているような気がします。
今日もいつものようにカウンターをやって、ぐったりと疲れました。いつものようにビールを飲みに行く元気もありません。
とりあえず、スミノフアイスを1本呑んで、早々に帰ることにしました。

と…。
やばい!
今朝、パートナーに怒られたんだ(;_;)。
パートナーのカウンターが一番こわい(;_;)。