体調悪し

朝起きた時、体中がゴキゴキです。皮膚と服がケンカをしていました。なんだろ、触覚過敏?これは、明らかに発熱の兆候です。でも、何度か熱を測ったけど、平熱です。
放課後、もう一回測るとちょい微熱。
さて、今晩から行くスキー、どうしよう。
ま、基本はスケジュール通り動くわたしです。スケジュール通り動いていたのですが、9時頃に急激に体調が悪化。熱を測ると39度に届こうとしています。これはダメです。
スキーは急遽キャンセル。そのまま倒れてしまいました。

今年もやってきた

今の子どもたちにとって「生まれる前」の話。
でも、だからといって風化させてはいけないと思います。それは、例えば戦争体験がないわたしにとって、でも、「戦争」は風化させてはならないということと同じです。
てことで、話しはじめたのですが…。
今年は調子乗りが茶化した。
久しぶりに腹が立ちました。で、思わず
「お前にとって、歴史とはなんだ!」
と、およそ数学教員とは思えない問いかけをしてしまったりして。

しかし、1923年から1995年、そして2011年へ。時代が逆行しているような気がするのは、わたしだけでしょうかねぇ。

わたしの基準点の置き方

今日のおべんきょは、先週に引き続き、人権学習の教案の発表会です。
ま、それぞれに対してそれぞれに考えたことは多々あったのですが、なにより大きかったのは、わたしのものの考え方を「言葉化」できたということでした。
例えば、在日外国人問題の教材における「我が国」「我々」「彼ら」という言葉、あるいは、障害者理解教育における「配慮」という言葉に、わたしは反応してしまったんです。前者については「我は誰を指すのか」「彼は誰を指すのか」ということ、後者については「配慮は誰が誰にするのか」ということでした。
まぁ、前者についてはよく言われることなんでいいとして、後者ですね。実はこの質問をしたら、発表者の方はよく考えておられる方みたいで「相互の配慮」という形で返されてきました。で、かつてわたしは障害者から配慮された経験があるので、瞬間「うーんやられた」となったんですが、でも言葉化できないまま「違う」とだけ返しました。

わたしが受けた「配慮の経験」というのは…。
とある、自立生活をはじめる人のための「ピアスクール」というところにおじゃました時のことなんですが。そこにCPの人がおられて、やたら話しかけてくる。正直わからないから「困ったな」と思いながらも、「わからん」と返してたんです。そしたら、向こうの方「しゃーないな」って感じで50音表を出して、話しかけてくれました。それでようやく会話ができるようになりました。
ただこれだけの経験なんですが…。
でもその時「ごめん、わからへんで」と思ったんですね。「いらん労力かけさせて」って。つまり、わたしがその人の言葉を理解する能力を持っていればそんなことさせなくても会話できたのに、わたしの能力不足のために相手に「配慮」させてしまった。もっと言えば「こいつ、わからんやっちゃな」って、わたしを見捨てることもできたのに、たまたま喫煙所で出会った見知らぬわたしのために、そういう配慮をしてくれた。立場を変えるなら、わたしが配慮を強いたとも言えるわけです。
で、これ。街角で英語で道をたずねられて困ったら「英語ができない自分のせい」って考えるのに、CPの人だったら「自分にわからないことを言っている」って相手のせいにしていた自分に気がついたんです。それ以来、CPの人の言葉がわからなかったら「わからないわたしの能力不足でごめん」と思うようになったんです。
ま、そういう気づきの経験でもあるわけです。

で、その時のその人とわたしの関係がどうだったからわかりませんが、わたしの側からすると、ま、アウェイな空間でもあったので、そのおかげで比較的フラットな関係に近かったからこそ、わたしを「変える」ことができたのかなと思いました。これが、わたしがふだんいる空間であればそれができだろうか。
そう考えた時、「マイノリティがマジョリティに対しておこなう「配慮」とは「遠慮」じゃないか」と、ふと思いました。
たぶん、わたしがひっかかったのは、そこだったのかな。

「配慮」という言葉にしろ「我々」という言葉にしろ、それらは、歴史や社会をどこから見るのかということと直結しているしているように思います。
ふたつの発表が、ともに用語解説や歴史を公的機関をソースとしていたのも象徴的でした。当事者の姿が希薄、あるいは見えない。もちろん「おべんきょ」の世界で生きてきた人に「当事者の視点」をいきなり求めるのは酷かもしれません。でも、それ抜きで「人権教育」はできないと、わたしは考えます。というか、わたしはそう考えていたんだということに、あらためて気づかされました。

「当事者にもいろいろいる」「特定の当事者の観点から物事をとらえるのは偏ったものの見方」という意見はあるでしょう。でも、「公的機関からとらえる」こともバイアスのひとつです。というより「バイアスがないふりをする」という意味で、「もっともバイアスがかかった物事のとらえかた」ということもできるかもしれません。
であるならば、わたしは「当事者の歴史や現状」をマジョリティであるわたしが見るという幾重ものバイアスのうえに成り立ったところに基準をおきながらやりたいし、きっとそうしたいと今までも思ってきたんだなと、気づかされました。

てことで、来週の発表は、そんなことに留意をしながらやりたいな。

ここでの力ではなく

で、放課後、
「数学教えて」
という子が来まして…。なんでも、看護学校を受けるとか。なるほど…。
まぁ笑いました。ほんっとにいろんなことを忘れてるんですね。
ま、いちから全部教えるのもひとつの方法かもしれないけど、なーんか違う気がするのはいつものことです。なので、記憶を呼び覚まさせるためのヒントを提示しながら、とにかく
「思い出せ!」
と。
試験の時にはひとりで解かなきゃならんのです。今解くことが大切なんじゃなくて、その時に解けることが大切なんです。
あ、これって、交流会といっしょだな(^^)。

今日もひたすら

実は「急ぎの大きい仕事」は全部で5つありまして。うちひとつはすでに終えて、次のものにとりかかっています。
ま、傍から見たら、ヘッドホンつけてキーボードを叩いてるわたしは遊んでいるようにしか見えないでしょうね(笑)。でも、聞いているのは「講演」でして、叩いている文章は、すでに起こしてあるものなんですよね。なにをしてるかというと、起こした文章のチェックなわけです。
起こした文章、たまに「?」って書いたあったり、聞き間違いがあったりします。そんなのをチェックしながら、ムダな重複なんかをカットして、読みやすく、でもライブ感がなくならないように仕上げようと。
今日は2本目をあげて、3本目にとりかかりました。
ま、でもこれ、しんどいけど、いっぽう、案外楽しいというか、勉強になります。ただ、まったく他のことができなくなるのがやっかいですよねぇ…。

「本名を呼び名のる」

「本名を呼び名のる」という教育運動がある。よく「本名宣言をさせる」と誤解されるが、それは違う。「呼ぶ」が、なぜ先にあるのか。それは、「本名」とは、呼ぶ側、ここでは日本人の側の問題であるということ。「呼べない」自分とは?そういう社会をつくっている自分とは?そこからスタートする。

というのは、とある一連の「やりとり」(論争とか論議とかって言葉を使えるのかどうか^^;;)に刺激されてつぶやいた内容です。
で、更にこの前提として「本名って何?」っていう論議がありまして。
この論議、たぶん、いまだ結論が出ないまま、それでも論議を抱えながら、それぞれがそれぞれの「本名」「民族名」「名のりたい名前」を「表明」しながら生活をしています。そしてそれが「表明」できないとするなら、あるいは「表明という思考から疎外されている」とするなら、それは「表明を害する」「表明から疎外する」社会に問題の所在があると考える立場をわたしはとっています。
この考えは、もちろん「本名を呼び名のる」運動から教わったものだし、ここ数年の「障害の社会モデル」から教わったものです。
翻って、トランスにとっての名前は?
いまだ自分の中で結論はついていません。でも、わたしが主体的にかかわるコミュニティでは「呼ばれたい名前」「名のりたい名前」を教えてもらうことにしています。これが「本名を呼び名のる」とどうリンクするのか。リンクしないのか。リンクさせる必要はないのか。いまだ結論はついていません。
でも、名前にまつわることは、それなりにめんどうであるということ。でも、そのめんどうさこそが大切であることを、「パラムの会」は示しました。
そういう蓄積の上に、いまのわたしはいます。

また、日をあらためて、ゆっくりとどこかに書きたいけど、急ぎの大きい仕事があるからなぁ(;_;)。

仕事が詰まる

急ぎでしかも大きい仕事があるので、それを再優先でしているのですが、なかなかそうもいかない事情がありまして、いろんな仕事や打ち合わせが入ってきます。そのたびに急ぎで大きい仕事は中断です。うーん、急ぎなのに…。間に合うんだろうか、不安になってきました。
で、午後から出張かよ!あー、もうダメだ…。

2月の遊びの予定

  • カフェ玖伊屋

日時 2月1日(土)〜2日(日)
場所 東九条マダン文庫センター
内容 宴会
http://kweeya.jp

日時 2月22日(土)11時〜16時
場所 大阪市
連絡先 tg.students2006-at-gmail.com(-at-は@に変えてください)

  • ケビン迎撃作戦

日時 2月22日〜23日
場所 東九条マダン文庫センター
内容 宴会

いくつになっても・飲み続けの3連休(3日目)

朝起きると、全身が痛いです。そりゃそうです。雑魚寝系こたつ寝は、身体へのインパクトはたいがいです(笑)。
それでも、何度も何度も睡眠にトライ。なんとか9時過ぎまでウトウトすることができました。
さて、朝ごはんをどうするか…。目の前には昨日の残りの鍋…。雑炊ですね(笑)。
飲んだ翌日の雑炊はうまい!しかも、お腹にやさしい^^;;。
その後、おみやげを買いに行くメンバーを尻目に、さらにわたしはダラダラです。動くの、めんどくさいなぁ…。一時間ほどたって帰ってきたメンバーの手には「肉羊羹」「炒りカス」「アキレス」なんかがぶら下がってます。これが徳島のおみやげです!
で、帰りに徳島ラーメンをいっぱいひっかけて、そのまま高速道路にオンです。帰りもまったく渋滞なし。すいすい進んで、あっという間に京都に到着。某所の冷蔵庫に放り込むべきものを放り込んで、ちょいと寄り道。寒空の中で2時間弱立ちすくしていました。しかし、なんか、怒鳴りつけてくる人がいたりして、みんなで「怖いね」とか愚痴りあったりして。
その後、家に帰って、上の子どもの誕生日パーリー。母親も交えて、のんびり晩ごはん→ケーキタイムです。
さて、今日は早く寝よう…。
と思ったら、「プロフェッショナル」かよ^^;;。

で、合宿へ・飲み続けの3連休(2日目)

お昼に京都駅集合。向かうは徳島です。
なんか、11月の全同教の時にたまたま出会った高校生二人組に目をつけられてしまったみたいで*1、それでも
「じゃ、徳島で合宿しましょう」
という約束をしてしまいました。なので、今日はその約束を果たすための合宿です。
道はガラガラ。渋滞もなく、あっという間に徳島に到着。本日の合宿所はなぜか「住宅」です^^;;。
「調理スペースがない!」
とか
「包丁がない!」
とか言いながらも、なんだかんだと、徳島名産の「肉羊羹」や「だし巻き」さらには「カツ」なんかを「うまいうまい」と食べます。やがて、本日のメインメニューの鍋を囲んでワイワイ話。
にしても、今日のわたしは根が生えたみたいに動きません。ま、いいか。
飲み物は、快調にビール→日本酒と進んでいきます。久しぶりに会った高校生二人組と、二人の出会いの頃の写真を見せてもらったりしながら、
「出会いの縁って不思議やなぁ」
なんて思っているうちに、記憶がなくなりました(笑)。

*1:単に飲み会ではしゃいでただけ^^;;。