要求レベルをさげない

何が高くて何が低いかということはとりあえずおいといて。
例えば、学力と授業。
学力が低いと、いろいろたいへんです。なぜなら、諸矛盾が授業の中に集中するからです。なのでとても疲れる。で、要求しても応えてくれない。そこで、要求するレベルをさげて、なんとかそこで応えてくれるようにする。
でも、それを繰り返すと、要求レベルがどんどん下がっていく。で、下がっていくのは相手のせいと思う。なので、やがて要求しなくなる。
でも、これではいかんなぁと常々思ってます。なぜなら、要求しないということは相手を人間扱いしていないことにつながるからです。
わたしは願わくばそうではありたくない。なので、要求レベルを下げないでおこうと、常に意識化したいなと。
意識するのをやめた瞬間、わたしの場合、要求レベルは下がっていきます。なので、常に意識しないといけない。で、どうやれば意識できるか。それは、相手(生徒)を尊敬し続けることかなと思っています。尊敬することはあきらめないことです。あきらめなければ、常に要求レベルを下げないでいられる。なぜなら、人間として接するからです。
要求レベルをさげないことは、自分への要求レベルをさげないことにつながります。それは、自分にとってとても大切なことだと思います。
さて、明日もがんばろう…。

出張2連発

今日は午前も午後も出張です。つまり雑務はまったくすすまない、と(;_;)。
とりあえず朝の1時間だけ雑務をして、ガッコをスタートです。
にしても、「この町」の道はほんとにダメです。歩道→道を横断→歩道ってところの横断は歩道橋。それをさけようとしたらコの字型に3回信号を渡らなきゃなりません。で、歩道を歩いていたら、いつの間にか路側帯になって外側帯になっている。歩道の真ん中に電柱が立っていて、その一点だけ歩道がない。完全に車のことしか考えていません。にもかかわらず、地方の町らしくお年寄りが多くて、手押し車のおばあさまなんかがけっこうおられます。まさにバリアフルな町づくりです。当然のことながら、車が我が物顔で走りまわり、歩行者を蹴散らしていく。でも、きっと車に乗っている人間は、歩行者を「じゃま」としか認識してないでしょうねぇ。
この町、批判的に見るとネタがてんこ盛りなので人権感覚育つかもしれないけど、鈍感なままでいると、人権感覚ってどうなるんだろう…。
ま、いいや…。

そんなことを考えながら出張先へ。
今日はとある進学校のおべんきょ風景の見学です。
みなさん、こういう見学の時、何を見ておられるんでしょうね。授業方法なんでしょうか。わたしはその科目は専門じゃないので、授業方法も内容もさっぱりわかりません。なのでウロウロしていたのですが。
気がついたことが2点。
ひとつはセンセの声が小さい。もうひとつは板書量が少ない。なるほど…。理にかなってるわ。
ま、前者はすでにやってます。
後者は…。うちの職場で即実践とはいかないけど、少し粘り強くとりくんで取り入れていこうかな。