部落をどう教えるか

朝起きると絶不調です。ま、覚悟の上ですからしかたないです^^;;。
今日は昨日の中倉さんの講演を聞いた子どもたちのクラスがふたつあります。さて、どうするか…。
やはり
「昨日の講演、どうやった?」
から入らなきゃならないでしょう。だって、昨日呑みながら話してたのは「講演はネタ振り。講演のあとの事後学習こそ大切」ってことでしたから。
すると、これまた定番の
「部落がわからへん」
って答えが返ってきました。さてどうするか。逃げるかまっすぐ受けとめるか。やはり、昨日の今日だからこそ受けとめなくちゃならないでしょう。受けとめるにしてもどう受けとめるか。やはり、歴史抜きには説明できないでしょう。じゃ、歴史を語る?それではたぶん伝わりません。
よし!

仲間の結束を強めるための簡単な方法、知ってる?それはね、誰かをのけものにすることやねん。「あいつは違う。わたしら同じだもんねー」ってやるの。「同じ」であるためには「違う」がどうしても必要になるねん。
それは、昔も今もやっている。例えば、中国人に対して「声が大きくてうるさい」を理由にして「あいつらは違う=わたしら同じ」ってやってる。在日朝鮮人に対して「在日特権」とか言いながら同じことをやってる。その前は、琉球にもアイヌにもやってきたし、今もまだ残ってる。そして、そのずっと前の平安時代、まだ「国」なんていう概念が希薄だった頃、共同体の結束をはかるために排除されたのが「部落」の源流にあたるねん。

部落の人らは、もともとはケガレたものをキヨメる役目を担ってきたんや。それはなくてはならない役割やったんやけど、その人らと交わるとケガレが伝染るから排除してん。例えば、死んだ牛とか馬をのける役目をする代わりに、その牛とか馬をもらえた人がいたねん。義務と権利やな。革、高級品やろ。皮をはいで加工するのはすごい技術がいるねん。で、その人らは皮をはいで加工して殿様に収めたり、余ったのを売ったりしてん。だから、けっこうお金があってん。でもな、牛や馬の死に触れるからケガレたものとして排除されてん。やがてな、明治になって、義務がなくなってん。だから、ケガレたものではなくなってん。その代わり、権利もなくなりお金もなくなってん。そしたら、貧乏になるやろ。そしたら「貧乏や」って排除されてん。でな、こんな劣悪な環境ではあかんって、施策をやってん。ほならな「なんであの人らだけ」って排除されてん。

つまりな、排除することが目的やから、理由はどうでもええねん。「ケガレてる」でもええし、「皮をはいでる」でもええし、「お金持ち」でもええし、「貧乏」でもええし、「あの人らだけずるい」でもええし、「不祥事」でもええし。そのあとに「ほらね、だから。わたしらとちゃうねん」がつく。で、「わたしらおんなじやねー」ってなる。
だから「部落ってなに?なんで部落が差別されるん?」の答えなんてないねん。ぜんぶ理由やねん。差別することそのものが目的やねん。

でな。わたしな。そんなんやから、差別なくすの、簡単やと思ってるね。でも、難しいなって思ってるねん。
結局な、差別なくそうと思ったら、誰かを排除せずに人と人とがつながる方法をみんなが身につけたらええねん。たったそれだけのことやねん。とても簡単なことやねん。でな、そのためのカギはみんなが持ってる。君たちもわたしも持っている。
でもな、それをみんなが身につけるのがすごいむずかしいねん。だからな、みんながそれを身につけるための学習をせなあかんねん。それが人権学習やねん。そのカギを見つけることや使い方を学ぶための学習やねん。
うわ。30分もしゃべってしもた。ほな、数学するで(笑)。

ま、正確ではないです。でも、歴史を教えることが目的じゃないんです。歴史から学ぶことが目的なんです。だから、こんなもんで許してもらいましょう(笑)。
あ、わたし、数学の教員でした。専門外やわ(笑)。

こちらは今年も暑い

で、ニューエビスノへ(笑)。
今回のいけにえは、他校の教員さんと、K淵さんとOぎぴさんです。
いつものことながら、メチャクチャです。でも、この暑さがたまりません。ま、まわりの人にとっては迷惑きわまりないのかもしれませんが^^;;。
でも、わたしは途中でダウン。しばし睡眠ののち、無事終電でおうちに帰りました^^;;。

あいかわらず暑いけど

今日は人権学習。3年生は講演です。講師は中倉茂樹さん。かれこれ4年ほど来ていただいてます。
到着されたのは昼過ぎ。授業をしている最中です。せっかくですから、授業に入ってもらいましょう。連中、お客さんがいると緊張して、ちょうどいいんです(笑)。
今日の授業の内容は指数関数のグラフ。ほとんど教えることはありません。ひとつだけグラフを提示して、そこから類推してグラフを書いていけばいいだけです。大切なのは、どうなるかを考え、予想し、実際に書いてみることです。
授業のあと、中倉さん
「おもしろかった。いいクラスですね」
って言ってくださいました。連中、ノリがいいから、サービス精神発揮してくれたのかな。でも、食いつきはいいし、わからない生徒に教えてくれたり、たしかに楽しい授業でした。

で、午後から講演です。
いつものことながら、準備の時間は昼休みだけ。機材は運んであるので、放送部員がセッティングします。で、これまたいつものことながら、中倉さんも一緒にセッティングを手伝ってくだいます。まったく「どうよ」なんですが、でも、わたしもセッティングや片づけを手伝うタイプなんで、まぁええんちゃうかなって思っています。なんだろ…。たぶん「センセイ」になりたくたいタイプなんでしょうね(笑)。

話は、基本毎年の内容なんですが、実は少しずつ変わっている気がします。その変化は、文字にしたのではわからない変化な気がします。どこに力を入れるのか。だれにスポットをあてるのかは、ライブならではの感じです。
なにより、暑さの中に丸さが出てきた気がします。4年前は剛速球だったのが、いまはキャッチボールみたいな感じ。もちろん速いのは変わらないわけですが…。
なので、たぶん子どもたちも受けとめやすくなっているんじゃないかな。
そんな気がしました。

講演のあとはダラダラ話。ひとり他校の教員が来ておられたので、一緒にダラダラ。やがて、ときも満ちたので、「さて」と腰をあげました。

要求レベルをさげない

何が高くて何が低いかということはとりあえずおいといて。
例えば、学力と授業。
学力が低いと、いろいろたいへんです。なぜなら、諸矛盾が授業の中に集中するからです。なのでとても疲れる。で、要求しても応えてくれない。そこで、要求するレベルをさげて、なんとかそこで応えてくれるようにする。
でも、それを繰り返すと、要求レベルがどんどん下がっていく。で、下がっていくのは相手のせいと思う。なので、やがて要求しなくなる。
でも、これではいかんなぁと常々思ってます。なぜなら、要求しないということは相手を人間扱いしていないことにつながるからです。
わたしは願わくばそうではありたくない。なので、要求レベルを下げないでおこうと、常に意識化したいなと。
意識するのをやめた瞬間、わたしの場合、要求レベルは下がっていきます。なので、常に意識しないといけない。で、どうやれば意識できるか。それは、相手(生徒)を尊敬し続けることかなと思っています。尊敬することはあきらめないことです。あきらめなければ、常に要求レベルを下げないでいられる。なぜなら、人間として接するからです。
要求レベルをさげないことは、自分への要求レベルをさげないことにつながります。それは、自分にとってとても大切なことだと思います。
さて、明日もがんばろう…。

出張2連発

今日は午前も午後も出張です。つまり雑務はまったくすすまない、と(;_;)。
とりあえず朝の1時間だけ雑務をして、ガッコをスタートです。
にしても、「この町」の道はほんとにダメです。歩道→道を横断→歩道ってところの横断は歩道橋。それをさけようとしたらコの字型に3回信号を渡らなきゃなりません。で、歩道を歩いていたら、いつの間にか路側帯になって外側帯になっている。歩道の真ん中に電柱が立っていて、その一点だけ歩道がない。完全に車のことしか考えていません。にもかかわらず、地方の町らしくお年寄りが多くて、手押し車のおばあさまなんかがけっこうおられます。まさにバリアフルな町づくりです。当然のことながら、車が我が物顔で走りまわり、歩行者を蹴散らしていく。でも、きっと車に乗っている人間は、歩行者を「じゃま」としか認識してないでしょうねぇ。
この町、批判的に見るとネタがてんこ盛りなので人権感覚育つかもしれないけど、鈍感なままでいると、人権感覚ってどうなるんだろう…。
ま、いいや…。

そんなことを考えながら出張先へ。
今日はとある進学校のおべんきょ風景の見学です。
みなさん、こういう見学の時、何を見ておられるんでしょうね。授業方法なんでしょうか。わたしはその科目は専門じゃないので、授業方法も内容もさっぱりわかりません。なのでウロウロしていたのですが。
気がついたことが2点。
ひとつはセンセの声が小さい。もうひとつは板書量が少ない。なるほど…。理にかなってるわ。
ま、前者はすでにやってます。
後者は…。うちの職場で即実践とはいかないけど、少し粘り強くとりくんで取り入れていこうかな。

エッセンスとしての言葉

で、数学のおべんきょです。
今日はいままで2回のおべんきょでやってきたことを多項式でやろうということのようです。つまり、ユークリッドの互除法多項式でやろうと。
こういうことをしようとすると、すべて「定義する」ところからはじめなくちゃならないんです。例えば、「約数とはなにか」とか「公約数とはなにか」とか「既約な多項式とはなにか(整数でいうと素数)」とか。で、「既約な多項式は係数が有理数の場合1次式か、あるいは実数解を持たない2次式の証明」みたいなのを通過して、ようやく「ある多項式は既役な多項式の積で一意的にあらわせる」ことの証明で、本日の内容終了でした。

でも、ひとつひとつの式や言葉にムダがないんですね。一見まわりくどく見えるけど、そのまわりくどさは厳密性を担保するために必要なものであったり、あるいはわたしの理解不足を補足するためにあえてつけていたりするわけです。
なので、おそらく本来はエッセンスとしての言葉を真に必要な順序で書き並べることによって、ひとつのものごとをあらわしていくんでしょうね。

まったく!数学ってやつはo(^^)o!
という感じです^^;;。

きつい^^;;

昨日帰ったのはそんなに遅くはなかったのですが、やはり体調はどうしようもないほど疲れています。でも、あれとあれくらいはしなくちゃなりません。
ま、とりあえず「謝りの電話」からスタートです。で、なんだかんだなんだかんだとやっていたら、あっという間に放課後です。今日は勉強会もあるしなぁ…。ま、勉強会は楽しいですね。はじめは途方に暮れている生徒が、どんどん笑顔になっていくんですからね!
てなことをやっていたら、あっという間に時間切れ。

ぽかーん(・o・)

肉を食べながら、卒業生も来ていたので昔話をしていました。
「いつきちゃんと会ったの、まだ名前変える前やなぁ」「そうそう。あのころヒゲはやしてたよなぁ(笑)」「うんうん」
みたいな話をしてる横で、うちのガッコの生徒が口をあんぐりあけてます。
あり?
「もしかして、ネイティブ女性と思ってた?」
「うん」
今度はこっちが口をあんぐりあける番です。
まいったな、そんなことがあるんや^^;;。

いよいよ「恒例」になったか?

朝、いったん目が覚めて、朝帰りの人とあいさつを交わして二度寝。基本的に二度寝ができないわたしには珍しいですけど、まぁ当たり前か…。
で、ふたたび目が覚めて、暴走機関車に車に乗せてもらい、家まで荷物をとりに行きます。車の中では
「まぁいいんだけどさ^^;;」
が連発するようなむず痒い話を山のようにしてしまいました。まぁいいんだけどさ(笑)。
で、いよいよ本日のメインイベント、キムチとタレづくりの開始です。
とりあえずやるのはにんにくの皮むき。むいてむいてひたすらむいて。なしの皮むき、りんごの皮むき、拍子切り拍子切り。ひたすらその繰り返しです。
ヤンニョムは大量の唐辛子で練り練り。タレは大量の水分を飛ばすべくひたすらグツグツ。でも、2時間ほど格闘したら、なんとなくできちゃいました。
で、大切な味見。
うん…。うん!
今年のタレもおいしい!味は…。ぜひとも東九条マダンに来て確認をしてください!

延々と呑み

で、近くの居酒屋に移動して呑み開始。こういう時の呑みのおもしろさは、単にカウンターにまつわる話をするんじゃなくて、もっと自分寄りの話をすることなんですよね。
「みんなわからへんやろけど、オレ、元来は芸術家肌やねん」
とか
「自分の生まれはこのあたりで、こうこうこうで」
とか。こういう会話をすることで、単に「その場にいつもいる人」から、少しずつ人間としての立体感が出てきます。人間って多面的な存在であるとわたしは思っています。仮に「運動/活動」や「仕事」というだけのつながりであればそれば、そこだけの情報で充分です。でも、みんな魅力的なんですよね。てことは、少しでも立体的にその人を見たい。だから、こういう場での会話が楽しいんでしょうね。

てなことやっていながら、少しずつ時間が気になってきました。なので、暴走機関車に電話。すると、すでに現地に到着してるとか。こりゃまずいわ。
てことで、あわてて京都に移動。電車のつながりもよく、1時間で東九条に到着。
今日からあした、「卒業生の会」です。
みんなすでに宴たけなわです。今日は生後7ヶ月の子どもも参加していて、この子が場の空気を支配しています。
今回の卒業生の会のメインテーマは「二郎系ラーメン」(笑)。ジロリアンの卒業生が、なにやら熱く語っていました(笑)。
そんなこんなで、遅がけの参加者なんかが来て、ウダウダしているうちに、眠くなってきて、布団にもぐりこんでしまいました。しばし眠気に抵抗したけど、やがて、気づかないうちに落ちました。