はしご

2時間ほど時間があるので、京都駅から四条までブラブラと歩きます。
京都の裏道って、ほんとうにおもしろいです。「えっ」と思うところに予想もしない店があったりして、まったく飽きが来ないですね。
で、四条だの寺町だの新京極だのを久しぶりにぶらついて、待ちあわせ場所へ。登場したのはおなじみA久◯さんです。
「どこに行こう」
「え〜と、おっさんの行く店か、おっさんの行く店か、おっさんの行く店か、どれがいい?」
「全部おっさんの店じゃない(笑)」
てな会話をしながら、錦にある居酒屋へ。ここでしばし話をしながらのんびりと呑みます。いちおう今日合流してくるはずのE井さんからのメールを待ったのですが、どうやら仕事がテンパっておられるみたいですね。大丈夫だろうか…。なんとか連絡がとれて、「今日は無理」ということが確定。
「じゃぁ店を変えましょう」
ということで、新京極にある店に行くことにしました。ここでもダラダラと話。でも、ダラダラとした話をしながらダラダラと飲むのって、ほんとうに久しぶりです。
お互いけっこう疲れていたので、今日は3合で終了。珍しいわ。

あわただしいランチ

今日は東京から友だちが仕事でこちらに来るということで、
「ランチでも一緒にいかが?」
と誘ってみました。
てことで、午前の会議が終わったところで、大急ぎで京都駅へ。待ちあわせ場所に行くと、いましたいました。
とりあえず、京都タワーの東側にある「惣平」へ。って、ランチって感じじゃないですよね(笑)。
友だちは午後の仕事まで40分ほどしか時間がないのに、それでもビールを軽く呑んでしまいます。まぁしゃーないですよね。
わずかな時間だったけど、この間のモヤモヤみたいなものをお互いに話したりして、なかなか有意義な時間が過ごせました。で、明日のランチの約束をして、とりあえずお別れ。

スピーチの極意…か?

まぁこの寂れたところ、誰も読んでないでしょうけど、いまから書くは、単に「ふと思った」一般論です。

ある会議で発言がぜんぜんなかったので
「じゃぁ近況報告を1分間で」
とふってみたことがあります*1
発言はないのですが、みなさん言いたいことがいっぱいあるんですよね。だから、話しはじめると長い。
まぁそれはそれでいいんです。いいんですけどね…。
例えば、10人いたとして、30分しか時間がないとする。となると、ひとりあたり2分程度で話をしないと、たぶん30分をオーバーします。で、2分で終わろうと思うと、1分で終わるつもりで話をしないとできないと思っています。
「1分間」って、メチャクチャ短いです。そのこと、たぶん頭では誰もがわかっているんでしょうけど、なかなか実感できないんじゃないかなぁと思います。
1分間で話をするというのは、結局は次のような感じなんですよね。
言いたいことが5つあったら、そのうちの1つをセレクトしなくちゃなりません。で、ひとつをセレクトするということは、同時に「残り4つを切る」ということなんですよね。で、たぶん正しいのは「後者」の考え方だと思います。でも、つい「思い」が残ってしまうので話したくなる。その思いを断ち切るところから、まずははじまると思います。
さて、4つを切り捨ててひとつだけ残った。でも、そこに起承転結とオチ*2をつけるとなると、ものすごく内容をそぎおとさないと無理です。枝葉末節を切り捨てて、それでも絶対に必要な枝を残すという作業は、ほとんど植木職人の世界だと思います。
でも、そうやってつくられた「1分間のスピーチ」には、たぶん「余韻」があるんじゃないかと思います。
大切なのは、「話すこと」ではなく「聞いてもらうこと」=「伝わること」。そして、それは「考えてもらうこと」につながるんじゃないかと思います。その考える余地が「余韻」だと思います。

とはいえ、わかっていてもむずかしいんですけどねぇ。

*1:と、過去形にしてみる

*2:これは必ず必要(笑)