せっかく思いついたことなので、短いけど、とりあえず別エントリで。
「どんな感じで取りあげたらいいんですかねぇ」
という、あまりにもおもしろい質問が来たので
「そうですねぇ。あの人とかこの人とかあの場所と過去の場所とか」
と思いつくままに話をすると、それはそれでけっこうウケたかも。で、
「いつきさんにとって、韓国併合100年とは?」
という質問が来たので、思わず
「100年たって併合が完成したということじゃないですか」
と、またまた暴言。
いや、「併合」が、仮に朝鮮人の同化政策・皇民化政策にその主たる目的があったとしたら、朝鮮「半島」については「失敗」したけど、「在日」については見事に成功しちゃったんじゃないかなぁと、最近の交流会の子どもたちを見てつくづく思うわけです。
その出発点は、父母両系主義になった1985年の国籍法の改正かなぁと思うわけです。ダブルの子どもたちは、片方が日本国籍だったら、強制的に日本国籍を付与されてしまうことになった。そのことによって、一気にその存在が潜在化しちゃったんですよね。まったく把握できないし、本人も意識せずに、自動的に「隠している状態」になってしまう。逆に顕在化させるためには「意識的」である必要がある。
結局、「在日」という存在は「同化」という手段で取り込まれちゃって、「社会」そのものは何も変わっていないんじゃないかなぁと思うわけです。
まぁ、思いつきではあるんですけどね…。
日: 2010年6月9日
突然の電話→予期せぬ呑み
今日はもともと某NPOの総会の日でした。でも、このところ家を開けっ放し&体調がかなり悪いということで、欠席連絡を入れていました。
「さて、今日は家に帰ってゆっくりしよう」
と思っていた夕方、一本の電話がありました。
「あの、K都新聞の◯◯と申しますが…」
なんだろう…。J南新報の記事*1を読んだのかな?それとも、まさかあのビデオを見たとか^^;;。すると、
「東九条のPクさんからの紹介で…」
なんでも、韓国併合100年を機会に、京都の在日朝鮮人をめぐるさまざまな人々を紹介するということで、その一環として、「京都・在日外国人生徒交流会」について話を聞きたいとか。この切れ込み方は、めっちゃ久しぶりやなぁ…。で、
「会って話を聞きたいのですが…」
「え〜と、あいているのは、土曜日の昼間とか*2、日曜日の夕方とか*3、あとは来週の水曜日か…。残る羽今日ですね(;_;)」
「じゃ、今日で」
「え〜と…。わかりました」
てことで、家の近くのD吉*4へ。
今日も呑みかorz