で、大分からのりだりだ

この懇談会で、今回の大分での怒濤の4日間は終了。
Gさんの車に乗せていただいて、Kさんも一緒に大分駅へ。でも、直接駅まで行かずに、ちょっと昼ご飯で寄り道。駅の近くにあるものすごくおいしい魚を食べさせて下さるお店へ。ここ、Kさんのおつれあいの昔からのなじみのお店らしいです。女将さん、ちょっと怖いけど、チャキチャキしておられて、情の深い方です。
いろんな話をしているうちに、驚かせついでに(笑)カムアウトしようという気がふと起こって、昔の写真を見せてみました。
その瞬間、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をされて、続いて出された言葉が「えらいよ。ほんとうにえらいよ」でした。これにはビックリしました。
そこからの女将さんの顔は、いままでよりも一層優しい顔つきになります。そして、話をする内容も一層深くなります。
ひとつ差し出すと、相手もそれに応えて差し出して下さる。そういう関係が、自分がほんの少し前へ出ることで得ることができるとするならば、それはほんとうに幸せなことなんだよなぁと強く思いました。
大分での最後の時間をゆっくり楽しませていただきながらも、気がつくと3時。京都に帰ると8時です。さぁ、帰らなくちゃ…。

まつりな日々4日目・番外編がおもしろい

昨日、Gさんから「いつきさんの話を聞かせたい高校生がいるんだけど」というオファーがありました。なんでも、竹田高校では人権についての課題別の調べ学習をしておられるとか。で、かつて久住中学校で話をさせていただいた時聞いて下さった卒業生が、今年「性同一性障害」についての研究をされているとか。たまたま一昨日、Gさんにその卒業生から「資料を貸して」という電話があったので、「ちょうどいつきさんが長湯に来ているから話を聞いたら」ということになって、調べ学習をしているグループとの懇談会になったという…。
まぁ、「性同一性障害」についてわたしから話を聞くというのは、そうとうにゆがんだことになるので(笑)、そのあたりについては若干の配慮もしながら、それでもふだんの高座では決して言わないところまで、ふんだんに話をすることができました。
でも、なんで話ができたんだろう…。そう考えると、高校生たちがわたしから話を引き出してくれるんですね。ひとつひとつの質問にていねいに答えようと思うと、単にその質問に答えるだけじゃなくて、それにまつわるさまざまなことを言わないと、ほんとうに答えたことにならない。その「周辺」のことを考え、言葉化していく作業の中で、自分が気づいていなかったいろんなことがつながっていって、そこから新たな言葉が生み出されていくんですね。
その一例。

問「男性だった頃はつらくなかったんですか?」
い「…。つらくなかったですね。だって、あきらめていたもの。あきらめていたらつらくないです。逆に、あきらめなくなってからがつらかったんですよ」

これ、言われるまでわかりませんでした。でも、そうだったんですよ。「あきらめる」っていうことはそういうことだし、「あきらめない」っていうことはそういうことなんですね*1
たった2時間の懇談会だったけど、すごくたくさんのことを発見というか発掘させていただいた気がして、すごく充実した時間を過ごさせてもらった気がしました。

*1:なんだか、わけわからんな(笑)