全同教・1日目・夜

夜は魑魅魍魎が跋扈する交流会。今年は200人を超える人数が集まり、ひたすら自己紹介に終始するという、もう、わけのわからない交流会でした(笑)。
でも、とくに若い部落の子が自分の今の状況を話したり、ものすごく熱い交流会になりました。
交流会が終わって2次会に行く途中、K口くんと一緒になったので「あの「部落の人間として生きることを選んだ」っていうの、すごくよかった!」ってほめたら「なに言うてんの、あんたやあんた」って言われました。やっぱりそうか…。で、わたしはわたしで「あれを教えてくれたのな、U佐の…」って言ったら「あぁ、M野さん!」って。まぁそういうことで、まわりまわっていくわけです。
K口くんのそのあとの話に大爆笑。「そのあと、「ちょっぴり誇りに思える」って言ったやんかぁ。あれね、「ちょっぴり」がミソやねん。オレ、電車の中で解放新聞拡げて読めへんもん。いろいろ気ぃつかってんねん」。
ええ感じや…。
2次会では、なんだかいろいろ説教臭いことも話していたような気がして、思い出すと落ち込んでしまいそう。やれやれ…。ホテルで3次会「カフェいつき」をやろうかという話もあったのですが、みんなすでにダウン寸前だったみたいで、そのまま終了。みんな年とったよね(笑)。

全同教1日目・午後(その2)

ということで(笑)、2本目のレポートは、大阪の「情緒障害短期治療施設」に併設された小学校の分校からのレポート。まぁ、すごいです。相も変わらず大阪は。それにしても、大阪っていろんな学校があるなぁと思います。それだけきめ細やかな対応が可能になるっていうことですね。たぶん、ニーズは他府県にもあるんだろうけど、そのニーズにこたえきれていないというか、切り捨てているんでしょうね。
その後、討論の時間。
わたしは統一応募用紙について、軽く意見表明と問題提起。
ひとつは、統一応募用紙の性別記載欄のことについて。高校生だと特例法の最初の要件にひっかかるので、性別変更はできません。となると、性別記載欄に書いてある性別と、名前なり姿なりとの食い違いが激しく、望まないカミングアウトを強いられてしまいます。統一応募用紙の精神からいうならば、性別記載欄も削除すべきではないかということを、まず提起しました。
でも、その一方で、「いつまで隠すねん。どこまで隠すねん」ということ。トランスの人間にとって、性別へのこだわりは、自分という人間を形成していく上でとても大切な要素になります。つまり、「性別」は自分自身の「能力・適性」と密接な関係があるわけです。だからこそ、「それを言いたい」というのは「あり」だろうと思うのです。あるいは、K口くんも特別報告の中で「選んだ」と言っているわけで*1、そういう生き方丸ごとを認めていく社会にしていかないといけないと思うのです。
結局、統一応募用紙の精神って、「単なる労働力としてのみ評価しろ」ということで、そこに人間性って欠如しているように思えるんですよね。確かに、統一応募用紙ができた当初は必要だったとりくみだろうけど、いま、それを越えるとりくみが必要になっているはずなんですよね。もしもそれができていないとするならば、それは、わたしたちが怠慢をしてきたということにつながるかと思うのです。
てことで、「ふたつの思いの中でジレンマがあります」と、かわいらしくまとめてみました(笑)。
そんな発言をしたら、東京の企業の方が続いて発言されました。「わたしたち企業の側も、いつまでも統一応募用紙に甘えていてはいけないと思います。もちろん、選考にあたって差別をなくすのは当たり前のことだけど、「話したい」と思う人が話せる企業をつくっていかないといけない」。
すごいよ!この人!
分科会が終わって、その人、ツツッとやってこられてこう言われました。「いつきさん、高野山で一緒に呑みましたよね。わたし、東京の東ジュンさんなんかとも知りあいで、いつも「一緒にのみに行こう」って誘われているんですよ」。なるほど…。東ジュンさんの手は、こっちにもまわっていましたか…(笑)。世間は狭いなぁ(笑)。
てか、きちんと覚えてなくてすみませんでした。あの時、実は半分寝ていたんです。

*1:これ、今回本当によく使わせていただきました。ありがとう!

全同教1日目・午後

午後は分科会。「進路・学力保障」の分科会に参加したのですが、会場が遠い!全同教にとって、「自主活動」と「進路・学力保障」は命だろうと、わたしは勝手に思っているのですが*1、えらい冷遇されているなぁという感じです。おかげさまで、参加者も少ないのなんのって。それでも150人ぐらいはいたらしいですけどね。
1本目は、熊本の高校のレポート。「言わない・聞かない・提出しない」という「統一応募用紙の精神」にかかわった進路保障のレポートだったのですが、なんだかよくわかりませんでした。ただ、その後の質疑応答なんかの中で、少しわかってきて、まぁよかったのですが…。
気になったのは、県の部落解放高校生集会の代表を部落外の子がやっていることにかかわる、教員側の評価です。わたしは、ぜんぜんかまわないと思うのですが、どうもレポーターは「被差別経験がないものなんだけど…」みたいな評価をしているように思えてなりませんでした。でもね、部落外の子が、そういうふうになるってすごいことだよなと思うのです。「自分の経験に依拠してしか隊列に加われない人」よりも、「自らの生き方として選択的に隊列に加わった人」のほうがよほどすごいと、わたしなんかは思ってしまいます。
その子、集会で寝ていた部落の子に「部落の人たちが出しあったお金で今ここに来ている。その思いに答えるためにも、寝たらあかんやんか」みたいな注意をするわけです。それに対する部落の子の答が「確かに寝ていたけど、ひとつでも持って帰ろうとしていたんだからええやんか」というもので、これって、完全な開き直りですよ。なぜこういう会話で、それでも成り立つかというと、部落の子が「部落」という立場に依拠しているからだと思います。これ、反対の立場だったらこういう「返し」はあり得ないと思います。
外部からの指摘を真摯に受けとめる姿勢がないから、この間のうわこらなにをすr

*1:「進路保障は同和教育の総和」という言葉もあるんだよなぁ…。

「つなぐ」ということ

でも、宇和島の人たちの話を聞きながら、「うらやましい」と思ってしまったのは、やっぱり「伝える」「つなぐ」ということについてなんですよね。「親から子へ、子から孫へ」というのがよく言われるのですが、セクマイのギョーカイではあり得ないことです。でも、そうした「つながり」から学ぶことはたくさんあります。
セクマイのギョーカイでは、そうした「つながり」を、血縁や地縁、あるいは民族とは別に、自覚的につくりだしていく必要があります。
部落や在日の場合、世代間で価値観の対立があったとしても、それを越える別の「つながり」というものをまだしもつくりやすいのかもしれないけど、セクマイの場合はそうはいかない。そこの対立は、決定的な対立になってしまいます。しかも、「前の世代を越える」という形だったらまだしも、「前の世代を否定」という形での対立になると、「つながり」というものがまったくなくなってしまう*1
でも、誰かが誰かとつなぐ役割を担わないといけないと思うのですよ。もしもその一端を担うことができるなら、やはりやらなきゃならんかなぁと思ってしまう今日この頃です…。
そうそう、特別報告のトリを努めたK口くんの話の最後の一文。「自分は部落民として生きることを「選んだ」。こんな自分をちょっぴり誇れる気がします」っていうの、すごくよかった!

*1:そういう意味では、やはり障碍者運動から学ぶべきところがたくさんあるのかなぁ。

全同教1日目・午前

午前は全体会。
開会行事ではいろんな人があいさつをするんですが、今回感じたことは、「教育基本法改悪って分水嶺だなぁ」ということでした。なんらかの形で教基法に触れる人と、まったく触れない人がいます。なかでもいいあいさつだったのは、松山市長と自由同和会の上田藤兵衛さんの話。「すごい!」と思いました。で、一番触れていないのが、全同教の基調報告。あかんやろう…。
その後、特別報告。一昨年行かせてもらった宇和島の人たちの3代にわたる部落解放への思いが切々と伝わってきました。わたしは、気がついたら、どういうわけかその宇和島の人たちが聞いているのと同じ場所に座って聞いていました。最初に話された80前のおばあちゃんが、話し終わったらいつのまにかそこにおられたりといったこともあって、すごく「生」の空気が伝わってきました。いや、ほんとうにそこで聞けてよかったと思いました。