おせちな一日

てことで、大晦日当日。
とりあえず、今日は一日かけておせちをつくらなくちゃいけません。
実は4年ほど前までは、わたしはおせちは一切ノータッチだったんですが、3年ほど前にいきなりおせちづくりに参戦して、去年くらいからは半分くらいはつくりまして、ことしは全面的につくろうかな、と。
とりあえず、つくったものリスト。

  • くわいの炊いたん
  • 小芋の炊いたん
  • タケノコとフキの炊いたん
  • 煮しめ
  • 牛肉のたたき
  • 豚の肩ロースのワイン蒸し
  • 豚のバラ肉と豚のロース肉の中華風煮
  • 栗きんとん

午後2時頃からはじめて、8時頃にはほぼ終了。6時間かぁ。けっこう長丁場ですね。
もっとも、最後にまだチョロチョロつくらなくちゃならないものとかつくり忘れてものもあって、最終はえらい遅い時間になってしまいましたけどね。
でも、日付変更線を越える頃には、上の子どもと近所の神社に「初詣見物」に行く程度の余裕はありました。
てことで、先にあしたの日記を書く関係で、レシピの詳細はのちほど(笑)。

年末にこんなのでいいのかなぁ

朝起きると、体調は最悪。そりゃそうです。空きっ腹にワインと日本酒を交互に飲むような無謀なことをしたら、翌日はダメダメです。
それでもようやく昼前には復活してきたので、昼ご飯づくり。考えてみると、家にいる時って、たいていごはんばっかりつくっています。特に、今日はパートナーが用事で外出しているので、当然といえば当然ですが。
でも、やっぱりイマイチな体調です。昼ご飯のあとは、レスト。夕方になって復活して晩ご飯をつくって、その後レスト。
まぁ、身体は休まるけど、あしたは大晦日ですぜ。掃除もぜんぜん。年賀状もまだ。大丈夫かなぁ。

餅つき

ウチの弟は寺をやっているのですが、この日は、恒例の餅つき大会です。
ところが、朝起きると雪(笑)。
どうなんねんと思ったのですが、どうやら車で20分ほど離れた京都の町中とわたしが住んでいるあたりは気候が違うようです。寺に着くと、雪は舞っている程度でした。
10時頃からボチボチと餅つき大会が始まります。わたしはというと、基本的には火の番です。なにせ、鎖骨の骨折から立ち直りつつある状態ですから、杵が振れるわけがないです。てか、そうでなくても火の番なんですけどね。
この餅つき大会。弟はお酒をふんだんに出す。で、おかずは各自の持ち寄りというスタイルなようです。で、わたしは数年前からローストチキンとサムゲタンを出すというのが恒例になっています。
さて、10時過ぎに現地に到着。そこから、炭いごし開始。それと並行して、ローストチキンを火にかけて、厨房ではサムゲタンの用意。なんてことをしていると、あっという間に昼前です。てことは、お酒も解禁。日本酒とワインを交互に楽しみながら、火の世話をしたり、炭火焼きを楽しんだり。そうこうするうちに、まずはローストチキンのふたが開く時間。解体職人がいないのがつらいですね。しかたないから、わたしが解体職人も兼任です。
とりあえず、宴がたけなわを少し越したところで、対馬から送ってきたというさざえの壺焼きなんかもつくってしまいました。もっとも、わたしは結局食べてないですけどね(笑)。
で、そろそろ寒くなってきたところでサムゲタンのふたが開く時間…。と、そこに某焼肉屋の店長が来られるとの情報。ふたを開けるのはしばしストップ。やがて、店長が到着されたところで、4時間ほど炊いたサムゲタンの登場です。ふだんよりも1〜2時間長く炊いただけあって、トロトロになっていました。ダッチオーブン、すごい!
そんなこんなで遊んでいるウチに、だんだんとあたりが暗くなってきました。ふと気がつくと、ぜんぜんわたしは食べていない(涙)。いつものこととはいえ、さすがに今日はかなりお腹が減っています。ちょうど、最後に残った人たちが某焼肉屋さんに行くとの情報が入ったので、わたしも一緒に行くことに。とにかく、「ごはんがほしい」ということで、焼けた肉を丼の上にのっけて食べて、ようやくお腹も一段落。
長い一日だなあ。

温故知新の続き

12月16日の日記で引用した文章の続きがわかりました。
やすいちさんから教えてもらったもう一冊の本をようやく見つけました。

今度は、だれもが反対できない民主主義という一番美しい名まえを借りて、こうするのがみんなのためだと言って、人々をあやつろうとするだろう。弁舌でおだてたり、金力で誘惑したり、世の中をわざと混乱におとしいれ、その混乱に乗してじょうずに宣伝したり、手を変え、品を変えて、自分の野望をなんとか物にしようとするものが出て来ないとは限らない。そういう野望を打ち破るにはどうしたらいいであろうか。

の続きです。
とりあえず、長くなりますが引用します。

それを打ち破る方法は、ただ一つある。それは、国民のみんなが政治的に賢明になることである。人に言われて、その通りに動くのではなく、自分の判断で、正しいものと正しくないものとをかみ分けることができるようになることである。民主主義は「国民のための政治」であるが、何が、「国民のための政治」であるかを自分で判断できないようでは民主国家の国民とはいわれない。国民の一人ひとりが自分で考え、自分たちの意志で物事を決めて行く。
(中略)
だから、民主主義は独裁主義の正反対であるが、しかし、民主主義にも決して権威がないわけではない。ただ、民主主義では、権威は、賢明で自主的に行動する国民の側にある。それは、下から上への権威である。それは被政治者の承認による政治である。そこでは、すべての政治の機能が、社会を構成するすべての人々の意見に基づき、すべての人々の利益のために合理的に行われる。政治の上では、万事の調子が、「なんじ臣民」から「われら国民」に変わる。国民は、自由に選ばれた代表者を通して、国民自らを支配する。
(中略)
もちろん理論だけから言うと、独裁者や「情深い支配者」がその国民に対して、公共の福祉にかなった政治をするということは、ありうることであろう。しかし、独裁主義の制度の中に国民のための政治の保障を求めることは、常に失敗に終わったし、また、いつの時代にも必ずまちがいである。歴史の教えるところによれば、一部の者に政治上の権威の独占を許せば、その結果は必ず独裁主義になるし、独裁主義になると戦争になりやすい。だから、国民のための政治を実現するためのただ一つの確実な道は、政治を国民の政治たらしめ、国民による政治を行うことである。
(中略)
全体主義の特色は、個人よりも国家を重んずる点にある。世の中で一番貴いものは、強大な国家であり、個人は国家を強大ならしめるための手段であるとみる。国際車はそのために必要とあれば、個人を犠牲にしてもかまわないと考える。もっとも、そう言っただけでは、国民が忠実に働かないといけないから、独裁者といわれる人々は、国家さえ強くなれば、すぐに国民の生活も高まるようになると約束する。あとでこの約束が守れなくなっても、言い訳はいくらでもできる。もう少しのしんぼうだ。もう5年、いや、もう10年がまんすれば、万事うまく行く、などと言う。それもむずかしければ、現在の国民は、子孫の繁栄にために犠牲にならなけれなばらないと言う。その間にも、独裁者達の権力欲は際限もなく広がっていく。やがて、祖国を列国の包囲から守れとか、もっと生命線をひろげなければならない、とか言って、いよいよ戦争をするようになる。過去の日本でも、すべてがそういう調子で、一部の権力者達の考えているとおりに運んで行った。
つまり、全体主義は、国家が栄えるにつれて国民が栄えるという。そうして、戦争という大ばくちを打って、元も子もなくしてしまう。
これに反して、民主主義は、国民が栄えるにつれて国家も栄えるという考え方の上に立つ。民主主義は、消して個人を無視したり、軽んじたりしない。それは、個人の価値と尊厳とに対する深い尊敬をその根本としている。すべての個人が、その持っている最もよいものを、のびのびと発展させる平等の機会を与えられるにつれて、国民の全体としての知識も道徳も高まり、経済も盛んになり、その結果として必ず国家も栄える。つまるところ、国家の繁栄は主として国民の人間としての強さと高さとによってもたらされるのである。
(後略)

この箇所、Yちゃんと待ち合わせている四条河原町の角で座って読んでいたのですが、思わず泣きかけましたよ。
『民主主義』というのは、上巻と下巻にわかれていて、現在出ている本はその合本です。全部で379ページに及ぶ本ですが、これを1948年から1953年まで中学校・高校の社会科の教科書として使っていたんです。
なぜ1953年以降、この教科書が使われなくなったか。
まさに、それは日本の政治が大きく舵取りをする中で、邪魔になったからなんだと思います。1950年にできた警察予備隊は、1952年に保安隊になり、1954年に防衛庁自衛隊ができます。1952年には破防法も公布されています。そういう時期に、この教科書は使われなくなったんだということです。
すでに遅いのか、それともまだ間にあうのか。日本がさらに大きく舵取りをしている今、でも、小さな一歩からその舵を逆のほうに切っていきはじめないといけなんだと、あらためて感じます。

リベンジ

昼間、パートナーはなんだかバタバタしなくちゃならなかったみたいです。わたしはというと、今日は年休をとっているので休み*1。久しぶりに寝坊を楽しもうと思ったけど、起きてしまうのはいつものこと。それじゃぁということで、ダラダラとごはんをつくって遊びました。
夕方から、ブツの受け渡しのために、Yちゃんと合流。前に行った時あいていなかった「スタンド」を攻略しました。
たしかに雰囲気はいいです。出てくる料理は…。頼んだのは豚キムチ・ホルモン焼き・コロッケ。
豚キムチは、「なつかしいキムチ(笑)を使ってる」という感じですか。ホルモン焼きも、「なつかしいホルモン(笑)を使ってる」という感じです。コロッケは、ホクホクのなつかしい味。
てことで、どうやらなつかしい店のようです。
ちなみに、呑んだのは「樽酒」と「生搾りゆず焼酎」でした。Yちゃんに言わせると、後者は「ここに醤油が入ったら、鍋に使えるなぁ」という代物。おいしかったです。
スタンドのあとは、久しぶりの天一*2攻略。天一は、あくまでも天一でした。

*1:学校っつーのは、「仕事納め」だからどうということはない職場です。どちらかというと、その前にあった「終業式」近辺のほうがよほど大切なわけで。

*2:八千代会館前ね

日直

いちおう、今日の午後は日直ということで。
といっても、「何かあった時」のための日直なわけで、なにもなければ「いる」ことが仕事というものです。しかも、なにもないことの確率の方がはるかに高い。てか、日直が走りまわらなくちゃならないことが起こったら、逆に困るわけで…。
てことで、とてもヒマな午後でした。
まぁ、そんなことですから、ふだんはなかなかいろんなことで邪魔されてできないような時間のかかる仕事、集中力のいる仕事をすることができました。
ま、平和な一日かな…。

子どものつぶやき

下の子どもがふと漏らした言葉。
「世の中には男の人と女の人の間の人もいるよね?」
「うん、いるよ」
「でも、みんないるって思ってないの」
「それは、みんな知らないだけなんだよ」
そしたら、にっこりと笑って
「あ〜、わたし、この家に生まれてきてよかった〜」
へへへ、まぁたまにはそんなこともあるさ(笑)。

数学の授業で…

もちろん、冬休みですから、授業はありません。
単に、数学の授業をしながら、自分は何を伝えているのかなぁとボンヤリ振り返っているだけのことです。
現行のカリキュラムって、前後のつながりとかすごく少なくしてあるんです。たぶん、「一ヶ所つまずいても、他のところに影響を及ぼさないように」という配慮なんでしょうが、あきませんね。んなことやっていたら。
結局、すべての公式なり規則なりが「天から降ってきた」みたいな感じが出てしまうんです。やっぱり、「あのときあそこでやったことが、当時は「なんじゃ?」と思ったのに、ここで出てきたか」みたいな、そういうのがないと面白くないんです。
あと、演算の基礎みたいなものが、すごく脆弱な感じもします。例えば、足し算とかけ算の違いとか…。そのあたりをきちんと教え、定着させていないから、「2x=1」を解いたら「x=-1」なんていう答を出したり「x^3+2x^2+x」を因数分解したら「x(x^2+2x)」とかいう答を出したりするようになるんです。
特に後者はすごく多いですね。これ、係数で省略できるものが「1」であるということが、いまひとつわかっていないんです。あるいは、前者についていうならば、四則演算の記号で省略できるのが「×」であるということが、いまひとつわかっていないんです。
おそらく、「単位元*1」が演算によって異なるなんていう話をしていないわけですわ。だから「逆元*2」についても触れていない。だから、「移項」というのが、単にテクニックになってしまう*3
もちろん、実際の教科指導では、単純にテクニックでいいと思うんだけど、でも、どこかでこういうことに触れておかないと、すべてが「天から降ってきたテクニック」になりかねないと思うんです。
だから、最近は折にふれてこういう話をします。
そして、結論は

でもね、いいかい。
省略するのは簡単なんだ。大切なのは、省略されているものを見つけること。
いいかい。
語られていることだけを追っかけるのは簡単なんだ。でも、語られていないこと、隠されていることを見つけ、その言葉に耳を傾けることが大切なんだ。
そのためは、いつも耳を澄ましていること、アンテナを張りつづけていること。
いいかい?

しかし、こんな教科指導してていいのかなぁ(笑)。

*1:Aと演算した結果がAになる、みたいな。

*2:Aと演算した結果が単位元になる、みたいな。

*3:実際には、逆元を演算することで移項を実現しているんですよね。

謀議…

謀議っていうか、実は打ち合わせですけどね。
来年8月に開催する全外教の生徒交流会の開催場所の第一候補地に行って打ち合わせをしてきました。で、ほぼ即決ですね。第一候補地から開催場所に、その場で気持ちが固まりました。
なんと言っても、受けいれていただく町の姿勢がすごくおもしろいです。間口が広くて好奇心が旺盛で、それを支える熱いもてなしの心とか、いろんなものが伝わってきました。多種多様なエスニシティを背景に持つ子どもたちが、ここでならゆっくりと交流が持てるという安心感がほんとうにあります。これから一年、いろいろとお世話になると思いますけど、よろしくお願いします。って、ここで書いてもどうしようもないのですが(笑)。
打ち合わせが終わったら、まずは散歩。この季節にありがちな電飾の町がありますので、そこをめぐってきました。伝統的な日本家屋をはしごを伝ってのぼっていくサンタさんの電飾のミスマッチが、なんともいえず楽しいです。これが単なる一軒の暴走だったらなんということもないのですが、この町では、気がつくとみんながやっていて、気がつくと「オサナリエ」という固有名詞ができているという。しかも、どの家がどんな電飾をしているかという地図入りのチラシまでつくっているという、まあ愉快な町になっています。
散歩のあとは、近くのコミュニティセンターで、なぜか宴会。鍋を囲んでみんなでワイワイと楽しいひとときを過ごしました。
それにしても、おいしい鍋をつつきながらも、なぜここで自分が鍋を食べお酒を飲んでいるのかわからないという、不思議な体験でした。実は、この町の人たちって、振り返ってみると、ほとんど瞬間しか出会っていないんですよ。にもかかわらず「いつきちゃん!」っていいながら、気がつくと篤くもてなしてもらっているという、それがこの町の人のあったかさ*1なんでしょうね。そんな不思議な気分のする鍋のひとときでしたが、本当に楽しませてもらいました。と同時に、この町とはこれからも長いつきあいがあるんだろうなという、そういう心地よい「つきあい」の予感があるひとときでもありました。

*1:=好奇心(笑)

雑事

うちは、京都市北部にあるにもかかわらず、暖房施設が貧弱です。そこに輪をかけて貧弱にしたのが、ウチの子どもたち。
3週間ほど前、コタツ机を引っ張ったら、いきなりガクンと倒れました。なんと、コタツ机の足が一本とれています。しかも、足が折れたんじゃなくて、ヒーターユニットのついている板*1が割れています。そこにいた下の子に「どうしたん?」と聞くと、えらい話しにくそうです。「もしかして、上に座ってギコギコしたの?」と聞くと、なんとなく「うん」みたいな感じです。まったく…。
まぁ、割るヤツも割るヤツですが、割れる板も割れる板です。なにせ、表面を見たら樹脂ですが、中を見たら紙が貼りあわせてあるだけです。こらサクいわけですわ。割れたというより、紙がちぎれてはがれたという感じです。
とりあえず、その時は木工ボンドとガムテで補修したのですが、きのう部屋を片づけている時、再びはがれてしまいました。
こうなると覚悟を決めるしかないですね。板を買ってきて、切って、穴を開けたら終わりですから。さいわい、3週間前と違って、肩も動くようになってきたので*2、なんとかなるでしょう。
板を買ってきて、採寸して、不要な部分を切って…。と、ドリルが…。充電してないorz*3。まぁしゃーないな。気長にやりましょう。
てことで、作業は昼ごはんのラーメンづくりに移行。
スープはもちろん、昨日の鶏ガラを圧力鍋にかけておいたものです。それを水でのばして、味噌醤油味のスープをつくることにしました。ちなみに、味噌は昨日実家からもらってきた信州の手づくり味噌らしいです。醤油は、北海道の親戚から送ってきた行者ニンニクを漬け込んだ醤油。ちなみに、水は近所の神社の水。これだけいい素材を使えば、味が悪いわけないです。元手はタダですけどね(笑)。
てことで、おいしいラーメンをいただきました。そうそう、ゆず胡椒をちょこっと入れると、これがまた…。
てことで、出発です(笑)。

*1:天板じゃなくて、その下のヤツ

*2:今朝レントゲンを撮ってもらったら、基本的には治りは順調。これからは積極的に肩を動かして、さびついた関節にグリスをくれてやるようにした方がいいみたいです。

*3:工具マニアにあるまじき(笑)