まぁ、そういうのが必要な時っていうのがあるわけで、そういうのをしたというだけのことです。そのことを、ここにメモっておこうかな、と。
月: 2006年9月
仕事と趣味の境界
今日の午後は、文化祭準備とか前から懸案事項だった視聴覚教室の改造に着手しようとこころに決めていました。
まず最初にやったのは、コード類の点検。長い間放ったらかしにしてあったコード類なんで、接触不良がおこりまくっています。なので、まずはコイツの修理。キャノン端子をいじるのは久しぶりです。横から放送部員は「なにをしてるの?」みたいな感じで見ています。いや、君たちもできないといけないのよ。
ケーブルをミキサーにつないで、コネクタ部分をチョコチョコといじると不良個所がわかります。ねじをくりくりはずすと、ガンガン断線しまくっています。こりゃあかんわ…。で、半田づけ。修理をすると、当たり前ですが、すっきりとした音がなります。いい気持ち。
次にやったのは、視聴覚教室の改造。といっても、プロジェクタ用のコネクタボックスの取り付けをして、コードを引き回しただけですけどね。金曜日につくったボックスを机にねじ止め。コードを引き回して、じゃまなドアの角っこを切り落として、おう、見栄えがよくなった。満足満足。
最後にやったのは、舞台設営。うちの学校の文化祭は、1年生は仮装パフォーマンス。2年生は小演劇、3年生は演劇となっています*1。で、小演劇の劇場は武道場。ここ、なんにもないフロアなんですが、底に柔道部の畳を積みあげて仮設の舞台をつくります。そのまわりに暗幕を張り巡らせるわけですが、これがやっかいなんです。ロープ一本に暗幕の重さをすべてかけなくちゃなりません。
で、役に立つのがローピング。だいたいこういう場所でにわかに元気になるローピング自慢のおっちゃんってどこにでもいるんですが、ウチの学校では、おばはんが元気になるわけです。
ロープを肩に担いではしごをよじ登る姿は、ヒゲの頃も今も一緒です(笑)。端っこはねじり結び。終端はトラックノット。グイグイ引っ張ると、ロープは見事に張れます。暗幕をかけたところでもうひと張り。いい感じです。あとは、端末処理のインクノット。
それにしても、この「芸」を誰に伝えようかなぁ…。
謀議
今度の夏に、京都で某全国集会をするかどうかの謀議。
みなさん優しくなりました。昔だったら「やるぞ」の一言。わたしたちは「はい」しか言えなかったんですけどねぇ。ま、人材が不足しているご時世なんで、少ない人材を大切に育てようと言う思いなんでしょうけど、なんだかなぁ。だんだんイライラしてしまって、ちょっと攻撃的な物言いをしてしまいました。あーあ。
ま、どうせ某全国集会、いつも事務仕事をしているから、わたし的にはさほど仕事の増減はないし、どーでもいいんです。
謀議の後、そのうちの一人とちょっとビールを一杯飲みに行きました。
謀議のメンバーのうちの1人の方、数年前に生死の境を彷徨う、というより、あの世から生還という方がぴったりくるような大病をなさって、重い障害をもっておられます。もともと人権教育にたずさわっておられた方で、自分が障害をもつことによって、またさまざまなことに気づかれています。そんな話をいつも聞かされて「なるほどなぁ」と思うのですが、ここだけの話、ちょっとしんどいところもあります。やっぱり、自分のことで精一杯という感じなんですよね。
で、そんなことをビールを飲みながら話をしていたんですけど、「ちょうどそれって、トランスである自分に気づいた頃と同じなんとちゃうかなぁ」ということを言われて、「なるほどなぁ」とストンとおちました。わたしも自分のことでいっぱいいっぱいだったし、今だってそうじゃないかと言われたら、やっぱりトランスとして「育ち中」なんでしょうね。おそらく、その障害をもっている方も、障害者として育ち中なんでしょうね。
うん、ちょっと次回から違う観点で接することができそうだな…。
パートナーの実家へ
9月はパートナーの弟さんの誕生月。あと、古いビデオデッキがもらえるとかで、パートナーの実家に行きました。みんなでシュークリームをほおばりながら、あーだこーだと話。上の子どもと弟さんが仲がいいもので、久しぶりに会えて、えらいうれしそうでした。ただ、わたしが所用があるために、お昼前に退散。
その後、帰りにごはんと思ったのですが、下の子どもが臭いに敏感でお店に入れません。しゃーないので、そのままみんなは家で昼ご飯。わたしは用事の場所に行く途中、なか卯に入ってごはん。久しぶりの牛丼じゃ。
会食
1年半ほど前に一緒に仕事をしたのが縁でお友だちになった人たちと、久しぶりのごはん。まぁ、ビールがおいしい季節ですから…。
お一人は、会食の前にも会食があったとかで、すでにちょっとハイテンション。他の人たちもそれに釣られてテンションがどんどんあがっていきます。お店の方は、なんでも6月にオープンしたところとか。ちょっとしゃれた感じで、いいお店でした。
話の方は…。仕事のこととか近況報告とかブログのこととか、まぁ普通の話かな…。
ただ、みなさん忙しい合間だったので、車で来ておられて飲めないんですよね。車で行っていなかった人はわたしともう一人だったんですけど、もう一人の人はすでに前のところでも飲んでいたようで、まぁこれが最後じゃないということで、「またね!」と早じまい。身体に優しいな…。
某ミーティング
お留守番
忘れてた
Help!・その2
帰りの車の中のニュースで…。
安倍氏が総裁選出馬表明とか。「美しい国、日本」その内実として「自由と規律を知る凜とした国」「他国から尊敬される国」。なんかいろいろ言ったらしいです。
こわい…。
「美しい」の中身は誰が決めるの?「規律」の中身はだれが決めるの?「尊敬」って誰がするの?
あまりにも形容する言葉が多すぎます。形容詞の中身は、人さまざまだし、その自由度が認められるものだと思うのです。でも、それを一般化してしまう動き。こわすぎます。
「規律」ひとつとっても、先日の校内研修ですら論議がありました。わたしなんて、全員がきちんと前を向いて静かにしている教室*1よりも、みんなが数学について教えあいながらワヤワヤやっている教室*2の方が、はるかに規律があると思っている。でも、ウチの学校でも大半の教職員は前者が「規律」と思っている。たぶん、「規律を知る」となると、わたしなんてつぶされるんだろうなぁ。そういう教育改革を「上から」やるわけでしょ?しかもそこに「自由を知る」なんてある。完全な矛盾だと思いますけど…。
「尊敬」。誰かから尊敬されるのって、「尊敬されよう」と思ってできることじゃないと思うんですけど。自分がしなくちゃならないと思うことを淡々とやった結果として、もしかしたら尊敬されるかもしれないです。でも、そんなことは自分が望むこととは別に、副次的にくっついてくるかもしれない結果でしかありません。
再度掲載です。
庭上一寒梅 (テイジャウノイチカンバイ)
笑侵風雪開 (ワラフテフウセツヲオカシテヒラク)
不争又不力 (アラソハズマタツトメズ)
自占百花魁 (オノヅカラシムヒャッカノサキガケ)
Help!・その1
行きの車の中のニュースで…。
「大阪市では、同和地区に過剰に配置されていた教員を引きあげて…」「青少年会館の利用率が低いので、民間委託して…」
おいおい…。
そりゃぁ昨今報道されている不正行為はあかんと思います。でも、それと加配制度って関係ないっしょ。
そもそも、「過配」じゃなくて、「加配」です。「加えて配置」をしているんです。つまり、加配設置校は、教員定数外に教員が配置されているんです。結果的に、教員数に余裕があるんです。教員数に余裕があったら、最終的にその学校の教員の仕事に余裕が出てくるのです。それが、最終的には、その学校のすべての生徒に還元されていくんです。加配って、そういうものなんです。
加配を引きあげるということは、その学校の教員数が減るということです。ということは、例えば分掌配置をはじめ、試験監督や掃除監督などの細かいところにいたるまで、「引きあげ前」と同じレベルを維持しようとすると、加配以外の教員の仕事の負担が増えるんです。すると、その跳ね返りは生徒達に行くんです。
いま、現場では少子化に伴って、一校あたりの教職員の数が少なくて、ひいひい言っています。「生徒が少なくなったら教員も少なくなるでしょう」と思われがちですが、実は違うんです。生徒が少なくなっても、仕事の総量は実は、あまり変わらないんです。だから、いまの定数法では学校現場はまわらなくなってきているんです。なぜ、「加配を引きあげろ」という方向に行くのかわからない。なぜ「すべてに学校に加配を配置せよ」にいかないのか、わたしにはわからない。
同じことは、青少年会館の利用の問題にもあります。使えばいいじゃん。なぜ使わないの?いま、青少年会館は一般に開放しています。例えば、青少年会館じゃないけど、人権文化センターをトランス交流会で使った経験があります。使えるんです。なぜ使わないの?民間に委託して、なにかいいことがあるの?トランス交流会の時にはずいぶんと便宜をはかってもらったけど、あんなの、民間に委託したらできなくなると思います。それだけじゃないです。いま、「夜回り先生」みたいなことをやっている青少年会館もあるんですよね。それもこれもいっしょくたにしてつぶそうとする。
なにかが違う。話の展開の方向が、どこかまちがっていると思う。