わたしたちのコミュニティ

わたしのサイトの中に「わたしたちのコミュニティ」というコンテンツをつくろうと思ったまま、すでに「永遠の工事中」となりそうな今日この頃です。でも、やっぱ考えることが多々あります。
トランスにとっての「たまり場」ってどこにあるんでしょうかねぇ。E館とかSイッチとかなんとかかんとか…。あるいは、OブリガードとかMグネットとか。でも、なんか違う。そしてなによりも京都にはない。
なので、玖伊屋ができたんだっけ。
玖伊屋に行くことによって、自分はずいぶんと助けられました。おそらく、玖伊屋で出会った人たちって、自分にとっての一生の「仲間」だろうなぁと思います。なにせ、それなりのいい歳になってもつきあい続けているんですから。そんな玖伊屋に恩返しをしたいと思って、いまはスタッフをしています。
かれこれ1年ほど通っている関西医科大学。待合室を少しでも楽しくしたいなぁと思って、最近ジェンダークリニックに行っている人たちの出会いの場をつくりはじめました。同じような思いを持っている人って、いるんですね。たまたまの出会いが、みんなが心の奥底に持っていたもやもやを形にすることになってきたみたいです。
そうそう、OブリガードもMグネットも、考えてみたら、きっと「憩える場所をつくりたい」という思いの結晶なんでしょうね。やっているうちに、しんどいことも山のようにあるだろうけど、そこに集まる人たちへの「仁義」で続けているところも多々あるんじゃないかなぁ。
結局、ほとんどの「場」って手づくりなんですよね。リアルに会えなくても、blogで会える。会えるから、しんどくても続ける。その繰り返し。
でも、だからこそ、どんな形であれ、出会えた人たちって、やっぱり大切だなぁと思ってしまうんですよね。だって、それぞれなりに、必死で生きている人たちですから。
こういうの、優等生だなぁと思うし、自分で書いていて鼻につくけど、酔った勢いでまぁええことにしようかな。今日はいろいろあったのよ。

めっちゃうれしかったこと

今日、授業から職員室に帰った時のことです。ある教員が「うちのクラスの生徒、『いつきちゃん、転勤せんほうがいいんとちゃうかなぁ』と言っているんです」とのことです。なんでも、その生徒、『婦人公論』を読んだそうな。で、なんで読んだかというと、別の生徒が持っていたからで、どうやら回し読みをしたそうな。で、別の生徒はなんで持っていたかというと、ある朝、新聞を読んでいた母親が「あんた!いつき先生が『婦人公論』に載ってるみたいやで。あんた仲ええんやろ。買って来!」と母親からお金を渡されたとか。で、『転勤せんほうがいい」と言った生徒は、なんでそう言ったか。「うちらは理解してるけど、転勤したらいじめられるんとちがうかなぁ」だそうです。
めっちゃ笑いました。「ほな、もうちょっと一緒の学校にいようかって言ったろうか。でも、留年せんとあかんがな」。ほんま後先あんまり考えてないよなぁと思ったけど、心の底からうれしかったです。
教員って、クラスの生徒に「最後まで守ったる!」って啖呵を切るのが仕事です。少なくとも、わたしはそう思っています。でも、生徒が・保護者がわたしを守ってくれている。そんなことを実感できることって、めっちゃ幸せです。
さてと、あしたも授業がある。適当にいじくったろうかなぁ。

ダルダル

なにせ、うちの上の子ども(中学生)は今日が終業式。なのに、わたしは今日も授業。うちの上の子どもは明日から夏休み。なのに、わたしはあしたも授業。うちの下の子ども(小学生)は明日が終業式。なのに、わたしは明日も授業。
生徒も教員もダルダルです。はぁ…。