大阪でフィールドワークとか

朝、1時間目の授業が終わったら、そのまま人権教育研究会の出張で大阪へ。
まずはリバティ大阪。
リニューアルされて、これで3回目かな。来るのは。でも、仲間と一緒に来るのははじめてです。まぁ、いまさらなんで「ほれ、あそこに写真があるやろ」とか、しょーもないツッコミを入れてました。まぁ、たいていの人は1枚は気づくのですが、もう1枚はなかなか気づきにくいやろうなぁ。なにせ、後ろの方で飲んだくれている写真やし(笑)。

他にも、ワークシートとか図録に載っているんですよね。はぁ…。
昼ご飯は、「浪速ならではの」ということで、「岳」に行ったんですが、なくなっていました_| ̄|◯。なんで、解放同盟の浪速支部に変わってるねん。てことで、「ニューなに和」に行きました。肉巻定食、うまかったです。つい、ごはんを全部食べてしまいました。ちょうど研究所の知りあいにあったもので、郵便配達をたのでしまったり*1、有意義な昼食でした(笑)。
午後は、太鼓集団「怒」のメンバーの話。
もともとは浪速の歴史について話を聞くはずだったのですが、講師の方が熱を出されたとかで、かわりに地元で地道な活動をしている人が話をしてくれました。たしかに、歴史を聴こうと思っていた部分については肩すかしを喰らった気がしますが、話の内容は、それはそれでよかったです。
「太鼓の作り手はいるけど、太鼓の打ち手がいない」という状況に、まずは外から疑問が来る。それに答えるようにして、だんだんと太鼓集団ができあがっていく。すると、逆に「太鼓」がアイデンティティを補強するみたいな感じ。あるいは、さまざまな差別的な状況と立ち向かっていく原動力としての「太鼓」。差別の壁を乗り越えていくための「太鼓」。言ってみれば「誇りうる文化」としての太鼓なわけです。そして、それを次の世代に伝えていく。
う〜ん。
ええ話やなぁ…。と思いながらも、「はたしてトランスに「誇りうる文化」はあるんだろうか」と思い、ちょっと複雑な気分。

*1:すんません

時間よとまれ…

今って、たしかに厳しい状況です。でも、それでも、危ういながらもなんとなくバランスをとった状態な気もします。
たとえば、仕事。
まぁ、いくら遠距離通勤といっても、せいぜいが1時間程度。東京近辺の人たちのことを考えたら、ごく普通かな。
あるいは、職場。なんだかんだといっても、しんどい生徒だけど、それでもけっこうかわいい連中です。年度当初はどうなるかといつも思うけど、今頃になるとそれなりになんとかなるしなぁ。
そして、同僚。基本的に、やはり楽ですね。すごく理解があるんだと思う。だからいろんなことをやっていられる。

たとえば、家庭。
家計は苦しいです。でも、まぁ、どこともそんなもんです。もちろん、こんなことで「安住」してはいけないことはわかっているけど*1、でも、なんだかんだといって暮らしていけているわけです。いまだに信じられないけど…。
上の子どもは、今、受験を控えていて、子どもも親も、かなりプレッシャーがかかっています。でも、勉強を見ることによって、子どもと親との「距離」は確実に近づいているし、日常的なふれあいみたいなのはすごく多いですね。子どもに「なんとなく今の自分ってええなって思ってへん?」みたいな事を聞いたら「うん」って答えてました。しんどいながらも充実感があるんだろうな*2

他にもいろいろとあるわけで、「すごく楽しい時期」じゃないけど、「まだすごくきつい時期」でもない。それなりにギリギリの線で妙なバランスを保っています。
なんか、もう、このまま時間がとまったらいいな。状況がここより悪化もしないし好転もしない、それでええやんという気が、晩ご飯のおでんを食べている時に、ふとしました。

*1:なんか、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」みたいな…。

*2:ヤツを苦しめているのは、今の「教育改革」をめぐる状況なんです。「あんなものが実現したら、やってられへん!」「オレたちこれからどうされるねん!」みたいな不安が、ものすごく押し寄せているみたい。

交流学習会・2日目

朝、責任者は責任があるので早く起きられたみたいです。でも、年寄りのわたしは、ちょっと寝坊気味。すんません。
と、横を見ると、きのうの夜、飲み過ぎでふらふらだった子が、「しんどい〜」とか言ってます。「ふだん、あんまり飲まないの?」と聞くと「飲みます。吐くまで」と殊勝な答え。若いな…。
とりあえず、わたしはシャワーを浴びて、朝食。和食か_| ̄|◯
今日のプログラムは、フィールドワーク。わたしの担当は「映画『パッチギ!』に見る東九条」。なかなか魅力的でしょう!で、案内をして下さるのは、東九条で生まれ育ち、いまも東九条マダンを中心的に担っておられる朴実さん。
いや、よかったです。ほんとうに。
いかに東九条というところが行政のみならず、「京都の人々」から放置されてきたところかということ。その背景にある朝鮮人差別の実態。そんなことが、街の中のあちこちにあるんだということがよくわかりました。でも、それって、ただ単に、東九条を散歩しただけではわからないんですよね。やはり、すぐれた案内人がいるからこそわかることなんです*1。これがフィールドワークというものなんだと思いました。ほんとうに勉強になりました。
街から帰ってきてからの話もすごかったです。「東九条マダン」という、民族文化運動をはじめる時の思い、はじめた時の苦労。いまもかわらない「同化と排外」の圧力と、それでもかわりつつある運動の成果。今、朴実さんが次の課題として考えられていること。そんなことが、やわらかい口調で語られました。でもね、その底流には、つねに「恨(ハン)」というのがあることも、ものすごく感じました。
そんな朴実さんと親しくつきあわせてもらっている自分*2を振り返るいい機会にもなりました。
そんなこんなで、あっという間に午前が終了。で、学習交流会は終了。
準備はいろいろあったけど、けっこう楽しかったし、あっという間にすんだなぁ。
で、一日半ほどあけた家に帰ると、そこには日常生活がありました。
昼ご飯は、東九条で「食べたい!」と思いながらガマンをしていたお好み焼*3。ビールを飲んだら、ほろ酔い気分→ちょっと昼寝。
夕方から子どもの数学を見て、ちょっとテレビを見て、明日に備えて寝ることにしましょう。

*1:あ、何回か散歩、ご一緒いただいた方へ。わたし、いままでの案内で何カ所か間違っていることがわかったので、また玖伊屋あけの朝にでもあらためてご案内いたします(笑)。

*2:日本人として、京都の人間としての

*3:うちの子どもが「たまにはカスを食べさせろ」と言っていましたんで(笑)

学習交流会・1日目

今日から明日にかけて、組合青年部の近畿ブロックの交流学習会とやらがあります。で、なぜかわたしもその運営スタッフになってしまいました。
まぁ、普通の組合であれば、わたしみたいな年寄りはさっさと青年部から出ているのですが、高齢化が著しいうちの組合では、「年齢他認」が原則でして、まわりが「あなたは青年部」と言えば青年部になってしまうというおそろしい状況があります。なので、なぜかわたしもまだ青年部らしい。
今日のわたしの担当は、開会行事の司会*1とチャング教室のコーディネート。
司会の方は、まぁなんということもなく終了。適当にネタを振ったけど、さすがに「開会行事」などというマジメなセレモニーではみんな笑ってくれませんでした_| ̄|◯
チャング教室はなかなかのものでした。もちろん、わたしは単にコーディネート役で、講師の方がおられるんですけどね。
なにしろみなさん、チャングを触るのがはじめて。そんな人たちに、チャングの基本的な知識からはじめて、基本的な打法、さらに立って叩くところまで、わずか3時間ほどでやってしまわれました。
はじめのうちはすごく緊張しておられた参加者も、3時間後には表情もほぐれてきて、チャングを楽しんでおられた感じだったが印象的でした。そうか、楽器にはそういう力があるんだ。
その後、夕食交流会。長〜いあいさつをするヤツもいるけど、この手の集まりではしゃーないです。たぶん、それでも短い方かな。交流会の最中に、チャング教室の発表会なんかもあって、けっこうもりあがった交流会でした。
その後、2次会。三条に繰り出して、しばし飲み。気がついたら閉店の時間です。
ここで他府県の参加者が「ラーメン!」と騒ぎはじめました。三条なんで、「長浜ラーメンかなぁ」と思ったのですが、えらい人混みで断念。で、ラーメン・ラーメン…。で、「そうだ!今出川に行こう!(笑)」タクシーで行きました。もちろん、みなさんかなりのカルチャーショックを受けておられたようです*2
で、宿舎に帰って、しばし歓談。その後、爆睡です。

*1:会議で「司会、誰やる?」ということになった時、みんなだまってしまったので、つい「んじゃ、やろうか」と言ってしまった(笑)。

*2:和歌山の人なんか、和歌山ラーメンとのあまりの差に(笑)

ま、負けた希ガス…

ぜったいにやりたくないと思っていました。でも、あまりの圧力に、とうとう耐えきれなくなってしまいました。なので、ついやってしまいました。
いえね、たしかに「時代の趨勢」に身をまかせた方が楽なんです。そして、圧力に抗するのではなく、圧力に屈するのでもなく、圧力を受け流すことが、いろんな人にとって、「その場限り」ではあるけど、逆に感謝もされるのかもしれません。
でも、ほんとうにそれが「正しい」のか。そう考えると、「流れに竿さす抗う」と言われても、頑として自分の主義主張のままに生きていかなくちゃならないとは思うのです。
一度流されてしまうと、もう元の流れにはもどれません。あとは、不本意な流れのままで、とりあえずやりすごしていくしかないのです。
そうはわかっていましたが、とうとうやってしまいました。

続きを読む

出勤

6時起床。しばしここがどこかわからなかったけど、ホテルの中であることを確認。ふと横を見ると、トースターが飛んでいました(笑)。
あわててLOOXはスリープさせて、シャワーを浴びて、ホテルを脱出です。で、新幹線に乗って、一路京都へ。そのまま職場に直行です。
それにしても、普段と同じ時間に起きて、普段と同じくらいの時間に出勤を開始して、職場に到着したのがふだんより2時間ほどしか遅くない*1。って、どういうことよ。

*1:もちろん休暇を取っていますよ

もちろん、その後は総括会議

用事があったり早く帰ったりしなくちゃならない人もいたけど、数人で「ちょっと行きましょうか」ということになって、前にも行ったお店で一杯。ここで、収録ではできなかったさまざまな話が爆裂。そうか。世論を味方につけるためには、「ベターな選択」を提示することもまた必要なのか…。
で、ホテルに帰ったのが2時。ここでようやくメールチェックをして、でもそのまま爆睡…。

なんでここにいるんだろう…

で、向かったのは、渋谷。といっても、今回は(笑)飲み会じゃありません。
会場に着くと、すでに他の方々はそろっておられます。晩ご飯のお弁当を食べながら、しばし雑談。そして、スタジオへ。
今回のテーマは「就職」。
う〜ん。自分としては、「不完全フルタイムトランスジェンダー」なんで、はたして「きちんとした性別」で働いている人たちと話があうんだろうかという不安もあります。で、実際に今回とりあげられた人たちの話を聞くと、すごい!自分がちっぽけな存在だなぁとつくづく思わされました。
ただ、今回は今回で自分なりにはヒットがありました。
ひとつは、ソニンさんから在日の話がかなり聞けたこと。民族学校出身で、ダブルスクールに通っていたこととか、そういう「在日」としての自分へのこだわり。あと、いまのアイデンティティの持ちようなんかもおもしろかったです。「自分は、朝鮮人でも日本人でもない「在日」という存在」「わたしは、在日として自分を好きになってくれた人はそれでそれで大切な人だし、わたしという人間を見て好きになってくれた人は、それでそれで大切*1」「在日っていうことを抜き出わたしを好きになってくれた人に、いちいち在日っていうことについての知識は要求しない」。いいとか悪いとかじゃなくて、おもしろかったです。
もうひとつは、いつのまにか石田さんとか堀尾さんが「トランスジェンダー」という言葉を使いはじめたこと。さて、こちらの方は、放映時にどうなっているかなぁ…。

それにしても、いつも思うのですが、「なんで平日のこんな時間に、わたしはこんなところにいるんだろう」という、この違和感。時々、ふと恐ろしくなります。なんか間違っているよ…。

*1:わたしからソニンさんに質問したんですよね。「ソニンさんは、「自分という存在を見てほしい」って言われるけど、その時の「自分」っていうのは、在日というラベルをなしにした「わたし」なのか、在日っていうラベルを含めた「わたし」なのか教えてほしい」って。このやりとりはたぶんカットされるので、メモメモ。