最終授業→引っ越しの人生

朝、職場に着いて、まずはダラダラ。なんか、気分は落ちたままです。まぁでもこれでいいのかなとも思います。
ただ、ずっと気になってることがあるのでaさん(笑)にライン。すると、とてもはげまされる返事が返ってきて、ホッとしました。と同時に泣けてきたり。なんだろ。とても暖かい人たちに囲まれてるってことかなぁ。
今日は今年度の授業日としては最終日です。ただ、特にやることもないのでまぁええかと思ったのですが、そういや今日は3月3日じゃないかと思って、プリントをつくるなど。
い「いいかい、今日は話したいことがふたつある。ひとつはね。99年前の今日あったこと、知ってる?」
s「関東大震災!」
い「あれは9月1日」
s「阪神・淡路大震災!」
い「あれは1995年」
s「熊本大地震!」
い「あれはもっと最近や。てか、地震から離れい!」
みたいな会話。で
「今日はな、部落の人らが差別を許さないって立ち上がって、全国水平社を結成した日やねん。その時に、日本ではじめての人権宣言って言われる水平社宣言ってのがつくられたんやわ。もうな、すごいし。配るわ」
と言って、プリント配布。なんか一生懸命読んでます。
い「もうひとつはな、発表会が終わったんやわ。フルボッコにあったけどね。結果は3月9日に出るねん。誕生やけどな(笑)」
s「ほな、37歳になるんや(笑)」
い「いや、36歳(笑)」
という話。
しかし、水平社宣言を一生懸命読んでる子がいてうれしいな。ただ「難しくてわからん!」とか言ってます。まぁ、そんな難しくてわからん文章をつくるわけですから、燕会の人たちはそうとう学力高かったんでしょうね。
そんなこんなで、今年度の最終授業も終了。
で、6時間目のホームルームの時間は、今年度で定年を迎える教員へのサプライズ。みんなで乱入して花束を渡すという、ここ数年されるようになった恒例行事です。もちろん生徒とは打ち合わせ済み。お祝いの言葉を読んだり、花束渡したり、記念品を渡したり。
なんかいいなぁ。いかにも高校教員やなぁという感じです。ずっと「おべんきょ」の世界にいたので、自分がこういう世界にいるってことを忘れてました。
「来年はせんせいですね」
とか同僚に言われたので
「サプライズで年休とったろか」
というと「それは困る」と笑われるなど。そうか、来年、あの場所に立つのか。
大学教員の最終講義は、その人の専門どまんなかの話をカリキュラムとは別にやるみたいで、たぶん盛大なセレモニーになるのかな。そういうのとは違うけど、この世界にはこの世界のやり方があるってのはいいし、それをみんなでつくるってのもいいな。

で、夜はちょぼやき会。
今日話してくださるのはKちゅかる子さん。内容は「引っ越し人生」です。
たぶん「引っ越し」って、人生の節目で、それは人生の節目があるから引っ越すってこともあるかもしれないけど、人生の節目にするための引っ越しってのもあるのかな。だから、引っ越しにはその人の人生があらわれるし、住む場所とか選び方とか、いろんなところに「その人となり」があらわれるんじゃないかな。
そんなことを考えて頼んだんだけど、おもしろかった。なんだろ、笑いを混じえながらなんだけど、それは今振り返ってのことだし、だからこそおもしろい。
なかでも、「車イスの友だちが来られるようにエレベーターつきのところというのがはずせない条件」というところから「居住する場所を選ぶ自由が奪われている人がいる」ってところへ持っていって、だからこそ「こんなふうに引っ越しできるのは健常者の特権」というふうに自らに指を向ける語りは、ほんとうにさすがだなって思いました。
で、懇親会。今日はFじ尾さんのお宅におジャマして、水平社宣言のビデオを見ながらワイワイやりました。
いやぁ、楽しかった!

今年も人権教育実践交流集会

今日は、毎年共同研究者をさせてもらっている「人権教育実践交流集会」です。本当は三重でやる予定でしたが、このご時世なのでweb開催になりました。とは言え、当初、共同研究者は東京に行ってもかまわない感じだったんだけど、結局全員webでってことになりました。楽だけど、さびしいなぁ。
てことで、指定された時間にzoomにログイン。まずは打ちあわせ。まぁ前に一度打ちあわせはしているので、その確認です。もっとも、打ちあわせの内容を若干忘れているところもあったりして、そのあたりはお約束ですね。
で、昼休みをはさんで、午後から集会がスタート。
まずは松村智広さんの講演です。いつものことながら、立て板に水の語りです。ただ、中身は立て板に水ではないです。なんだろう。小さなトピックスをつなげながら、全体に大きな流れをつくる感じでしょうか。これ、なにがすごいって、小さなトピックスを拾いあげる日常の観察力ですね。そしてそれらひとつひとつに意味づけをする。ほんとうにすごいなぁと思いました。
ただ、それはそれとして、一番ビックリしたのはほんとうにM1グランプリに出ておられたんですね。
てことで、全体会終了。分科会の開始です。
今回は、最初に東さんから男女共同参画の歴史についてのレクチャーがありました。これまでレクチャーを避ける方向でおこなってきたからこそ、前回「レクチャーはなぁ」と言われたんですよね。ただ、ここ数年、レクチャーを希望する参加者とか、レクチャーを必要とする参加者も出てきたみたいで、この1年間、分科会の持ち方を検討してきました。まぁでもこれって、「わかってる人」≒「内輪」ではない、新たな参加者が出てきたっていうことで、それそのものはいいことだと思うんですよね。
で、東さんのレクチャー、10分ではムリだろうというくらい中身の濃い内容でした。
その後、レポートが2本。さらに、グループ討議。
全部を聞きながら、わたしはなにを話さなければならないのかを考えていました。
やはり、気になったのが「身体のつくりが違う」ということが繰り返し言われていることかなぁ。「身体のつくりが違う」という認識がいつ頃からつくられていったのかっていうことは、この間の「おべんきょ」のなかで知識を獲得しました。さらに、そのような「身体のつくりが違う」とされるものに「役割」を付与するのではなく、「役割」を付与する過程で「身体のつくりの違い」がつくられていくってこともわかりました。なので、「「初潮教育」で女子を視聴覚教室に集める」ことを事例に、そんな話をしてみたり。
レクチャーしちゃったけど、意味を逆転させたり、新たな観点を提示したりすることが自分の仕事だと思ったので、許していただこうかな。
てことで、今年の人権教育実践交流集会はあっけなく終了。楽だけど、やはりさびしいなぁ。

あれから1年

今日は校内ロードレースの日です。例年は外を走るのですが、今年はこのご時世なので、校内の最外周をグルグルまわるコースです。とは言え、子どもたちはふだん授業で走っています。てことは、わたしもふだん走ってるってことです。
午前は1年生の部。わたしの役割はロードコーンの内側を走らないように監視する役ですが、そんなことする子はいません。なにをするかというと、「ファイト」「ガンバ」って言う役です。と、ひとり生徒が「メガネを預かって」と言ってきてビックリするなど。まぁええけどね。基本的には、わたしの側からは面識がない子なんだけど、この間補習で走ったときにいたから、なにか距離を短く感じてくれたのかな。
午後は2年生の部。午前に役割があったから、午後の役割はなし。もちろん、ゲンコもあるし「フルボッコ大会」もあるしで、いろいろやらなきゃならないことがあるのですが、ここは走ろうかなと。てことで、女子の部に出場。まぁわたしが走るのは、けっこうたくさんの子が知ってるので「走るんやなぁ」くらいな感じです。
ふだん1周660mくらいを2分20秒くらいで走ってるグループと一緒にスタート。ただし、ふだん走っている距離は4km弱ですが、今日は7km弱です。2倍とはいかないけど、ペース配分とかがかなり違います。さてさて、どうなるか。
走りはじめたら、いつもの通り「なんでこんなこと好き好んでやってるんだろ」と思いますが、そのうち走ることで頭がいっぱいになります。そうこうするうちに、トップの子にラップされたり。まぁいいです。それが今の自分の力です。高望みをするわけでもなく、でもあきらめるわけでもなく、とにかく自分が走れるペースを守り続けることです。
ということで、無事ゴール。ゴール前のトラックではたくさんの子が拍手してエールをくれました。ただし「飛ばせ!」って言われたのには「ムリ!」って答えましたけどね。結果は6.8kmを38分20秒。だいたい1kmを5分40秒のペースです。うん、まぁまぁかな。あとで配布された着順を見ると、女子270人ぐらいの中の45番くらい。上位1/6は上出来です。来週の月曜日は、この話題からかな。

それにしても、ちょうど1年前に肩を骨折しました。ちなみに今回「走ろうかな」と言うと「こけるなよ」とあちこちから言われたので、まぁそういう状態までは持ってこられたのかな。
あれから1年。いろんなことがあったなぁ。

いい交流ができた

ということで、今日はオリパラ講演会です。今回の講師は安昌林選手、東九条出身の在日3世の柔道世界チャンピオンです。
基本的にはオリパラにはかかわらないことにしていましたが、去年、副支店長が
「やりたい!」
とか言ってきて、さらに
「知ってるか?」
と言われたので
「オモニは知りあいやで」
というところから、深みにはまり込んでしまいました。
安選手、諸事情で韓国から出られません。なので、zoomを使ったオンライン講演会になりました。
まぁそれはそれでいいんですが、その準備で4月くらいからバタバタしていました。さらに、オンライン講演会ってやったことないから、まぁそれなりにプレッシャーがかかってもいました。が、一昨日の若手教員の「大丈夫でしょう」の笑顔にずいぶんと助けられました。

で、講演会スタート。
なんか、いい感じです。もしかしたら子どもたちにとってスクリーン越しの講演は、逆に距離が近づくのかもしれません。しかも、各教室でやるから、質問がたくさん出てきます。そんな中、朝鮮初級学校に通っていた小学校時代、京都市立中学校に行った時のギャップ。高校時代や大学時代の努力のこと。そして、ハラボジのこととご自分のこと。韓国に行ってからのこと。ほんとうにいろんな話をして下さいました。
なんか、50分の講演があっという間に終わってしまいました。
ほんとうに講演を聞いたと言うよりも、世界チャンピオンとのいい交流ができたという感じでした。うちの子どもたちは幸せモンです。

てことで、午後イチの授業を終えて職員室に帰ってきたら、ネットのトラブル。結局、ハブの調子が悪かったみたいですが、放課後全部かかってしまって、仕事がなにもできず。まぁしゃーないか。

いったん休憩か?

朝起きたら、少しおべんきょ。でも、今日はあまりしっかりとおべんきょできません。
とりま、おにぎりを握ってガッコに行きます。ちなみにおにぎりを握るのは、昼ごはんにかける時間の短縮のためです。
ガッコに行ったら、わたしのセクションの人は誰も来ていません。そりゃそうか。土曜日です。てことで、採点開始。なにせ、昨日あった試験の返却目標が月曜日の1時間目です。ここで返さないと、火曜日にガッコに来なきゃならなくなります。火曜日は年休をとりたいので、そうなると今日来ざるを得ない。なんか、年休とるために土曜日に来るという時点で本末転倒感満載です。が、それでいいんです。
てことで、2時間ばっかで、ひとクラス終了。あと15分あるので、もうひとつのクラスを少しだけやりましょう。
で、限界までがんばって駅へ向かって走ります。電車の中でおにぎりをパクついて、到着したのは奈良です。今日は7月にあった女人禁制のシンポの第2回シンポです。今回の目玉は井上理津子さんがパネラーのうちの1人ってことです。さらに、池田恵理子さんも来られるんだとか。メッチャすごいです。ついでに言うと、井上さんが話される時間は20分。池田さんに至っては5分しかありません。そのためにわざわざ自費で東京から来られるわけで、なにかがおかしい(笑)。ちなみに、わたしも5分しゃべるので、なにかがもっとおかしい。
わたしの今回のもくろみは『いつまで続く「女人禁制」』の著者のサインをコンプリートすることです。なので、さっそくみなさんにサインをしてもらいました。

やったね!
ただ、中川さん・佐々木さん・宮前さんの3人はzoomでの参加だったので、またの機会があればってことですね。
パネラーの中川さん・佐々木さん・源さんの話は、前回のシンポをさらに短くした感じ。あの時はみなさん好き放題に延長されていましたからね。で、井上さんの話は基本的には本に書いてある話です。でも、遊廓をどうとらえるかという観点で言うと、「そのままとらえる」ことの必要性を語られて、それが「部落史の見直し」とつながる気がして興味深かったです。
で、わたしも5分だけ本に書いた時の考えを話してみたり。
それにしても、シンポの最中にセンセからコメントが返ってきました。とてもうれしいコメントと、「どうしよう」と迷うコメントです。
そんなこんなで、シンポも終了。おっと、帰りの電車まであと15分。あわてて駅まで走って帰って、小一時間かけて京都へ。電車の中で、センセに返事。さあ、家に帰っておべんきょ少しやってビールだな。
と思って家に帰ってメールを見たら、さっそくセンセから返事が返ってきていました。そうか、希望が出てきたな。
とにかくやらなきゃ。明日からふたたび。

今回はお外で

今日はトランスジェンダー生徒交流会です。このご時世にやるのか?って話ですが、本来は合宿だったので、それを通常の交流会にしただけでもおとなしいというものです。まぁ少ない参加者であっても「やる」ことに意味があります。
ということで、会場へ。
今日のメニューは「芋煮」と「豚汁」です。似てるけど、まったく違います。ちなみにわたしの役割はごはん炊きです。鍋で1升炊きますが、1.2倍で10分7分7分10分ということさえ覚えておけばOKです。みんなで野菜をガンガン切って、あとはグツグツ煮るだけです。できあがったところで、お外へ。いちおう「密を避ける」ために公園での開催です。
外で食べる芋煮&豚汁はおいしい。そうこうするうちに、卒業生が子どもたちを集めて話しあいをしています。わたしはここでは入るのはやめておきましょう。その代わり、他の人といろいろ話。そうこうするうちに、ちょっと肌寒くなってきました。3時か…。
ということで、机と椅子を撤収して、部屋の中へ。ここから本格的な話しあいです。
なんだろう…。例えば、身体への違和が強い子が、こういう交流会は必要ないのか?わたしはそうは思わないんですよね。身体を変えるのはいつでもできる。でも、それまでの間にやらなきゃならないことはあると思っています。だから、性別違和とは別に、やるべきことはやる。そして、そのことについて話しあうことには意味がある。今回もディープな話しあいができたかな。
そうそう、交流会の卒業生が、高校時代の友だちを連れてきてくれました。なんでも、卒業旅行に一緒に行った仲なんだとか。高校時代はたいへんだったけど、最後にそういう関係ができたって話を聞いて、ほんとうによかったなぁと思いました。

交流会のあとは打ちあげです。いつものお店に行ってダラダラ呑んでダラダラ食べて。それにしてもお酒もアテもおいしいな。お開きになったのは何時だろう。てことで、これまたいつものようにKっかわくんが家まで送ってくれたり。いや、ホンマに、いつもすみません。

眠い

朝起きるとメッチャ眠いです。ヤバイです。でも仕事です。ちなみに、仕事感はというか、平日感というか、そんなのはまったくありません。そりゃそうか。この間、脳みそがノンストップで働いてましたからね。
出掛けに今日一日のおさらいをした時、突然思い出しました。今日ってちょぼやき会やんか!大切なちょぼやき会を忘れるとかありえません。が、忘れてたんですよね。先々月も忘れてたことがあったからなぁ。まぁいいことです。5年前もこんな感じでしたり
とりあえず眠い目をこすりながら出勤です。今日からほんの少しの間、おべんきょでストップさせてたものを動かさなきゃなりません。
まずは書類仕事から。サックリ終了です。ちなみにこれ、1週間前に終わらせてたら、いろいろ楽でした。でもま、そうもいかなかったよなぁ。
お次はこれの続きです。ネタは考えてあります。が、そこへどこから切れ込むか。まぁ、トピックスはいろいろあるので、そんなのをつなぎあわせばいいかな。
と、若い衆から人権学習の相談が。もしかしたら、昨日を待ってくれてたのかなぁ。少しゆったりした気持ちで相談に乗ってみたり。
そんなこんなで定時が来たので、ちょぼやき会の会場へ移動開始です。
今日はなぜか世界人権宣言のスライドです。この間、あまり自分史を語ってくれる人がいないんですよね。covid-19のせいか、参加してくれる人が少ないというのもあるかな。なによりみなさん忙しいし。というか、まだわたしはしゃべってないから、わたしがしゃべればいいんだけど、なにをどうしゃべればいいか、まとまってないんですよね。まぁ3月以降かな。
で、スライド開始。通常バージョンと今年の短縮バージョンをミックスしたロング・バージョンです。それでもあっという間に終わってしまったから、短いんやなぁ。まぁでもこれでええのかも。
終わってから、いろいろ意見交流。「「あかんのちゃうん」からの流れはいいですね」なんていう感想があって、少しうれしかったり。
ちょぼやき会のあとは「ストーンズ」です。今日は投げ銭ライブがありました。ライブは楽しいけどしゃべれない(笑)。
そんなこんなで、1日が終わりました。
今日はおべんきょのことをほとんど考えませんでした。2ヶ月ぶりかな。でも、明日から、また考えなくちゃね。

0、どうすんねん

昨日、5を終えてとまりました。今日はなんとしてでも0をやらなきゃなりません。でないと、アウトです。
てことで、朝から0を前にうんうんうなりました。
いちおう5ができたら0もできるはずですが、それがそう簡単にはいかないのがおべんきょってものです。いや、違うな。わたしの脳みそが足りないからだな。とにかく、どこもかしこも同じフレーズが出てくるのが困ったものです。まぁ、しゃーないっちゃしゃーないんですけどね。
それでも、10時ぐらいにフレーズが浮かんできて、ほんの少し進みました。
で、昼からお出かけ。向かうはウトロです。先日「ウトロの歌姫」が天寿を全うされて、今日はウトロ守る会の人たちが景南さんと写真を撮るんだとか。ガチでヤバイ状況ですが、今日行かなかったら一生後悔する気がしたので、行くことにしました。そういや、こないだもこんなこと言ってたな。でも、あの時よりは状況ははるかに逼迫してますがね。
でも、行ってよかったです。景南さんの思い出も話しあえたし、なにより守る会の人たちと久しぶりに会えました。それにしても、すごい人から花束が来ています。

でも、たぶん7年前だったら来ないよな(笑)。あの頃は、「早よ終わるで!」と怒られてはったからなぁ。てか、マイクを渡してたきつけてたのはわたしですけどね。
で、みんなで写真を撮って、わたしはおうちへ。
再び0をうんうん。それでも、帰り道にヒントがあったので、それを文字化して、なんとか終了。
さて、あとは、いろいろ調整です。が、センセからいろいろアドバイスがあって、それらを触っていると、無限に時間が必要になります。これはヤバイ。深入りしたくないけど、深入りしてしまいます。底なし沼です。どうすんねん。まだ「よ牛」も書かなきゃならないし。もっとも、さっきこの人から「1時間前に書くのがちょうどいい」とか言われてひっくり返りそうになっていましたけどね。
でも、8時ぐらいに限界が来て、ダメになりました。「よ牛」は明日だな。不安だけど。

「「シリーズ映像で見る人権の歴史」を活用した人権教育について」とか

今日は午前も午後も出張です。
午前は第2のふるさとから一山向こうの山間の町。ここで毎月人権教育担当者が集まって、子どもたちの情報交換や人権教育の実践交流をしています。
まぁこんなことをやってるって、たぶん同じ学校の教員もほとんどわからんだろうなぁ。もちろんそれじゃいけないので、担任さんに「今度こんな会議があるので、子どもの状況を教えてください」って話をして、さりげなく、かつ露骨に伝えてるんですけどね。とにかく、ふだんからこういう交流をしていると、いざという時に小・中の教員が動いてくださいます。これまで何度も助けてもらったし、逆に高校の生徒の状況を報告することで、小中学生の未来の姿を知ることもできます。とにかく大切です。まぁでも、こういうことが小・中・高でできるのは京都だからってこともあるかもです。なにせ、全県一区の高校だったら不可能ですからね。
そんな感じで午前の会議終了。
午後の会議の前に昼ごはん。久しぶりにお店に入って食べましょう。が、目当てにしていたお店が休み。もしかしたらあいてないかなと思っていったお店が2軒とも休み。さらにもう一軒行っても休み。どないなってるねん。しかたないので確実にあいてる店に行ってカツ丼を注文してしまいました。

うまかったけど、おなかいっぱいです。

で、午後の会議は第2のふるさとです。普段は午前に人権教育についてあーでもないこーでもないと話しあう会議ですが、今日は研修会です。講師は上杉聰さん。タイトルは「「シリーズ映像で見る人権の歴史」を活用した人権教育について」です。上杉さんは「シリーズ映像で見る人権の歴史」というDVDの監修を外川正明さんと一緒にされています。で、そのDVDをどう使うかを、監修者から直接聞こうというもくろみです。
上杉さんと言えば、部落史の見直しの第1人者です。こんなのをつくった頃に、ずいぶんとお世話になりました。で、今回はどんな感じかな。
まずは身分制度の話から。うーん、それはさすがに知ってる。てか、ここの人たちはみんな知ってる。まぁでも、その語り口から新たな知見が出てくるかもと思っていたら、なるほど、そういう説明をするのかというところもあって収穫がありました。
続いて水平社の話。山田孝野次郎の話に着目しているのがいいですね。そうか、「山田孝野次郎之碑」というのがあるんだと思って検索してみたら、山田孝野次郎の没日とわたしの誕生日が同じということが発覚。今日一番の収穫でした(笑)。
最後は日本国憲法の話。これはおもしろかったですね。「social status」をどう翻訳するかで「社会的地位」→「社会的身分」となっていった話とか、「差別を受けない」→「差別されない」になった話とかを、小学生が国会図書館の公文書のサイトから考えていくという、かなり高度な小学生の調べ学習ではあったけど、その内容はおもしろかったです。
てことで、出張の1日が終了。
さぁ帰っておべんきょだ…。

コロナ時代に考えたいバリアフリーと障害にまつわる問題

今日は1年生の人権学習の日です。講師は去年に引き続き今年も小林春彦さんです。
てことで、朝から準備です。考えてみたら、他の教員は「よろしく」で終わるんだけど、わたしは自分に「よろしく」と言って、自分で「がってん!」と言って、結局自分でやるんですよね。今ごろ気がついたかって話ですけどね。
授業は2時間。うち1時間は明日の試験勉強です。大丈夫かなぁ。
で、昼過ぎに迎えに行って、そのまま体育館へ。今日は思いのほか早く準備が終わりました。講演前に10分ばっかヒマだったり。そうこうするうちに子どもたちが体育館にやってきて、いよいよ講演開始です。
小林さんの語りはゆるいです。
もしかしたら、子どもたちって、テレビの中の高いテンションの語りに慣れていて、こういうゆるさが入らないのかもしれない。でも、こういうのが大切なんですよね。
小林さんの今年のテーマは「コロナ」からわかったことです。なので「ソーシャルディスタンス」vs「フィジカルディスタンス」です。そして、その「ソーシャルなディスタンス」を以下に近づけるかって話です。でも、メインの話はいつもの通りぶれません。
小林さんの話って、まさに障害の社会モデルに至る道筋を、自分自身の試行錯誤した経験の中で話をされるんです。これがおもしろい。通常は、障害学の歴史から社会モデルを語るところを、「自分史」から語られます。このことの価値、子どもたちはわかってるかなぁ。まぁでも、教員もわからないかもしれないな。
考えてみると、わたしは小林さんの話を何回も聞いているし、初めて会ったのが12年前ですからねぇ。いろいろあったわ。
で、質疑応答が生徒から出ないので、教員に求めてみました。すると
「小林さんにとって変えられないものとはなんですか?」
というのが出てきて、なるほどなと。答は
「他者」
でした。
たしかに「他者」は変えられないな。でも、変えようと思わなかったら変わるんですよね。それは、わたしです。人権畑で長くやってきたけど、わたしを変えたのは「障害の社会モデル」です。で、それはたくさんの障害者と出会うことができたからだし、その発端のひとつが小林さんでした。だから、小林さんはわたしを「変えた」わけじゃないけど、わたしは小林さんと出会って「変わった」。なので、そんな話をフォローで入れてみたり。
そんなこんなで、今年の2学期の講演3連発も終了。たぶん、うちの学校、豪華だと思うし、それらを聞くことができる子どもたちはもちろん、教員も、そしてわたしも幸せだと思うんですけどね。
で、小林さんと京都まで移動。プチ打ちあげです。去年は社納さんと藤尾さんを呼び出すという暴挙に出たけど、今年はおとなしくふたりで話をして、6時前には解散。
さぁ、家に帰っておべんきょしなくちゃ。