今年も人権教育実践交流集会

今日は、毎年共同研究者をさせてもらっている「人権教育実践交流集会」です。本当は三重でやる予定でしたが、このご時世なのでweb開催になりました。とは言え、当初、共同研究者は東京に行ってもかまわない感じだったんだけど、結局全員webでってことになりました。楽だけど、さびしいなぁ。
てことで、指定された時間にzoomにログイン。まずは打ちあわせ。まぁ前に一度打ちあわせはしているので、その確認です。もっとも、打ちあわせの内容を若干忘れているところもあったりして、そのあたりはお約束ですね。
で、昼休みをはさんで、午後から集会がスタート。
まずは松村智広さんの講演です。いつものことながら、立て板に水の語りです。ただ、中身は立て板に水ではないです。なんだろう。小さなトピックスをつなげながら、全体に大きな流れをつくる感じでしょうか。これ、なにがすごいって、小さなトピックスを拾いあげる日常の観察力ですね。そしてそれらひとつひとつに意味づけをする。ほんとうにすごいなぁと思いました。
ただ、それはそれとして、一番ビックリしたのはほんとうにM1グランプリに出ておられたんですね。
てことで、全体会終了。分科会の開始です。
今回は、最初に東さんから男女共同参画の歴史についてのレクチャーがありました。これまでレクチャーを避ける方向でおこなってきたからこそ、前回「レクチャーはなぁ」と言われたんですよね。ただ、ここ数年、レクチャーを希望する参加者とか、レクチャーを必要とする参加者も出てきたみたいで、この1年間、分科会の持ち方を検討してきました。まぁでもこれって、「わかってる人」≒「内輪」ではない、新たな参加者が出てきたっていうことで、それそのものはいいことだと思うんですよね。
で、東さんのレクチャー、10分ではムリだろうというくらい中身の濃い内容でした。
その後、レポートが2本。さらに、グループ討議。
全部を聞きながら、わたしはなにを話さなければならないのかを考えていました。
やはり、気になったのが「身体のつくりが違う」ということが繰り返し言われていることかなぁ。「身体のつくりが違う」という認識がいつ頃からつくられていったのかっていうことは、この間の「おべんきょ」のなかで知識を獲得しました。さらに、そのような「身体のつくりが違う」とされるものに「役割」を付与するのではなく、「役割」を付与する過程で「身体のつくりの違い」がつくられていくってこともわかりました。なので、「「初潮教育」で女子を視聴覚教室に集める」ことを事例に、そんな話をしてみたり。
レクチャーしちゃったけど、意味を逆転させたり、新たな観点を提示したりすることが自分の仕事だと思ったので、許していただこうかな。
てことで、今年の人権教育実践交流集会はあっけなく終了。楽だけど、やはりさびしいなぁ。