当たり前のことを当たり前に

朝、なんとか起きました。
昨日は夜8時に寝て、一度1時に起きて、そこからまた寝たから、9時間くらいは寝てますね。でも、寝たりない。とにかく眠いまま出勤。眠いまま仕事。でも、眠いから、淡々と仕事ができて、いらんこと考えないからかえって雑務は進みます。
で、夕方、やるのはめんどくさいけど、どうやらやらなきゃしゃーない雑務に突き当たりました。それはなにかというと、「授業アンケートの分析」らしいです。
これ、前から「あまりやる意味ないよなー」と思っているムダ仕事です。だって、そんなん、生徒の顔を見たらわかることです。でも、どうやらそういうものではないらしい。
ちなみに去年はあまりにも忙しくてほったらかしていましたが、今年は口実もないからやらなきゃしゃーないなと。で、同僚が集計してくれたデータを見たのですが…。まぁ、はっきり言ってうれしいのはうれしいですね。ふだん心がけていることが数値となって返ってきたわけですから。
例えば…。
「先生は、生徒の発言や意見など反応を大事にしている」に対して「そう思う64.1%」「だいたいそう思う33.33%」「あまり思わない2.56%」「思わない0%」です。これ、母集団が39人なので(笑)、2.56%は、言い換えると一人ってことです。まぁ、一人いることはそれはそれで大事に受けとめなきゃならないわけですが、でもまぁ、相性ってものがあるので、そんなこともあります。おおまかな傾向としては、大事にしてると考えてくれている生徒がほとんどってことです。
でもこれ、当たり前のことを当たり前にやれば、当たり前に出てくる数字です。
子どもが質問できるような雰囲気をつくる。子どもの質問を拾う。子どもの質問に答える。それだけのことです。
で、授業なんてのは質問でつくられるものだと思ってます。だって、質問がないんだったらビデオテープ(笑)を流せばいい。テレビですら双方向なんだから、授業は当然双方向です。
だから、うれしいけど、それは「当たり前のことをやろうと心がけていたら、子どもたちが受けとめてくれた」といううれしさなんです。
そして、当たり前のことを当たり前にやったら、子どもたちはそれにこたえようとしてくれる。だから雰囲気は学習しやすくなるし「41.03%、53.85%、5.13%、0%」、知識や学力が身についたとも感じてくれる「28.21%、48.72%、17.95%、5.13%」。
でもこれ、逆に言うなら、子どもたちががんばったおかげでこの数値になるわけです。
だから、集計してくれた同僚が「すごいですね」って言ってくれた時のわたしの答えは「だって、あのクラスだもん」でした。

さてと。
分析、どうするかな(笑)。

セーフと参加、参加とセーフ

今日は最後のp4cの日です。これまで1年間p4cをリードしてくれたFぁよんさんと、いろいろ打ちあわせ。
F「今回は最後なので、「友だち同士」じゃない2つのグループにして、そのかわりみんなが興味を持つ話題でやってみたいと思っています」
I「でも、みんな「話題」の問題じゃなくて、「メンバー」の問題って言ってるよ」
F「あーそうでしたねぇ。じゃぁ、友だち同士にしてみますか…」
I「うーん、でも最後だしなぁ。どうする?無難に行くか、攻めてみるか…」
F「そうですねぇ…」
I「やっぱ最後だし、攻めてみるか」
F「そうですね。攻めましょう」
てことで、グループはくじ引きで、話題は「最近気になったこと」を出し合うということになりました。やはり、ものすごい緊張です。でも、笑顔(笑)。
はじめにFぁよんさんがこれまで半年やってきた中身を再度説明。そして、わたしからもp4cへの思いを少し語りました。

なぜ、この「考える」って言う授業をしてきたか。それは、「不思議」って思うことを考えてほしいと思ったから。そして、それはひとりでやるものじゃなくて、誰かとやるものだっていうことを知ってほしいと思ったから。
例えば、わたしは数学の授業をやってる時、生徒が「わからない」と言ったとする。そしたら「なぜわからないんだろう」と思う。そして、その「わからない」ということの答を知っているのは「「わからない」と言った生徒」だから、どこがわからないのかを教えてもらう。そうやって、生徒から教えてもらうことで「教え方」を考えてきた。わたしは、ひとりで考えるんじゃなくて、生徒達と考えてきた。君たちに教えてもらったんだ。
確かに「話しやすいメンバー」だと楽だね。だって、「○○だよね」「そうそうそう」で話が通じるから。でも、こんな実験がある。白人ばかりのグループと、白人・黒人・ヒスパニック・アジアといったさまざまな人がいるグループで同じテーマについて論議させたら、さまざまな人がいるグループの方がよりクリエイティブな討論ができたんだよね。つまり、「異なる視点」があることが、より考えを深めることになるんだ。だから、「話しやすいメンバー」ばかりと話していたのではダメなんだ。もちろんしんどいよ。でも、そのしんどさの先に、クリエイティブな論議がある。
だからね。これが最後。あと80分でこの授業は終わる。この80分間、一度「わたしがやりたい」と思ってみたことにつきあってみて。子どもの頃に感じた「なぜだろう」という気持ちを思いだして、子どもに返ったつもりでつきあってほしい。

さてと、どうなるかな。
みんなで出し合った「最近気になること」。「お金はなぜ減るのだろう」「どうせ死ぬのになぜ生きているのだろう」「スマップの解散」「ベッキーの不倫」「なぜぷにゅぷにゅのおなかは人気があるのか」といった「気になること」が出て、多数決。そして、コミュニティボールを使って話しあい。今日はなんかみんな話をしてくれます。誰も「別に」とか「わからん」とか言いません。すると、話が深まっていく。深まっていくと、みんなの表情に変化がでてきます。わからない時は「わからない」という顔。おもしろい時は笑顔。「変だ」と思った時は「変だ」という顔。表情がくるくる変わっていく。
そして、結局80分。話題を変えながらも最後までみんなで話ができました。感想を見たら「今日はおもしろかった」と書いてくれた子がたくさんいました。

きっと、みんな「いつきちゃんがああ言ってるんだから、最後ぐらいつきあってやるか」って思ってくれたんだろうな。そして、つきあってみたら、案外おもしろかった。きっとそんなもんだと思うんです。
でも、そこからわかったこと。
Fぁよんさんもわたしも、「セーフな空間」をつくろうと思ってきた。でも、それは「話しやすいメンバー」としかつくれなかった。だからみんな参加できなかった。でも、そうじゃなかったんだ。「参加すること」を通して「セーフな空間」がつくられるんだ。順番が逆だったんだ。
最後の最後。もうこの授業はありません。が、ひとつ大切なことに気づけた気がしました。また、そのうちやりたいな…。

コミュニケーション能力?

今日は午後から出張、会議でした。
そこで考えたこと。
なんか、最近の就職試験ではコミュニケーション能力が重視されるらしいです。なるほど、なんとなくわからないわけでもない。てか、最近なんてことは言わなくても、例えば「気が利く」なーんてことは昔から言われてたし、そんなのも、一種のコミュニケーション能力なのかな。で、たしかに最低限のコミュニケーション能力があったほうが、たぶん楽なんでしょうね。「きちんと受け答えができる」とか「考えたことをきちんと話してくれる」とか。逆に「何を考えてるかわからない」「こちらが言ったことに対してどう反応してくるかわからない」なんていうのはキツイのかな。
でも、そんな話を聞いているうちに、だんだん嫌気がさしてきました。なんか、「住みにくい世の中になってきたなー」と。そりゃ、「診断されないアスペルガー」が増えるわけです。
コミュニケーションなんてとれなくていいじゃん。大切なのは、必要なことが伝わることで、それはコミュニケーション能力の問題じゃなくてコミュニケーション方法の問題なんじゃないか?で、コミュニケーションとりたいと思う人が、相手にふさわしいコミュニケーションの方法を考えればいい。たぶんそれを「合理的配慮」っていうのかな。まぁ、そんなことを言わなくても、
「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう」
って言いますからね。
例えば、会話のやりとりが苦手な人ならメールやチャットでやりとりすればいい。逆に履歴が残っていいかもしれない。こちらがいうことに的確に答えてもらえないなら、チェックリストを用意すればいい。そしたら、漏れが減ってかえっていいかもしれない。というより、チェックリストをつくる過程で、チェックリストをつくる側がいろんなことを考えられる。
なんか、そんなこんなの工夫をすっぽかして、コミュニケーション能力という、ある種あいまいなところに依拠するのはあかんのとちがうかなぁ。
というか、もっと言うなら、きちんとやりとりができるヤツなんてつまらないです。予想に反する反応が返ってきた時の驚きからものごとが生み出される。こちらが「どうコミュニケーションをとればいい?」と考えるところにこそ発見がある。
根底にあるのは同化主義。それを担保するのは単一民族主義。
なんてことを考えてたんだけど、たぶん、そこにいた人々、けっこうコミュニケーション能力高そうな「いい人」っぽかったので、まぁ、こんな話は通じないだろうなぁとか思ってました(笑)。

去年一年を振り返ろう

今日まで雪と氷の世界にいるつもりでしたが、風邪をひいて声が出ない状態が続いているのと、なにより雪が少なくてスキー板ががたがたになりそうなので、予定を一日早めて帰ることにしました。
ということで、特にネタもないので、なんとなく去年1年間を振り返ることにしました。
ちなみに、「安保法制反対」で色塗られた1年だった気もしますが、それはおいといて、もっと個人的な話ということで…。

  • 1月

年始早々から、ひたすら修士論文を書いていました。で、1月13日にようやく提出31日に口頭試問があって、ようやく3年間の大学院生活が終わりました。

  • 2月

修士論文を出したうれしさもつかの間。2月11日に大阪府立大学の博士後期課程の入試へ向けて、ひたすら勉強。不安の中で迎えた入試は見事に失敗。不合格を覚悟していたら、なぜか合格。最長6年間の大学院生活がはじまることになりました。

  • 3月

気がつくと来てしまったGID学会。シンポジストとか座長とか、夜の仕掛け人とかやらなきゃならなくて、なんかものすごく走りまわったけど、わたしよりもHがしさんの方がもっと走りまわっていただろうから、まぁそれはそれ。でも、楽しかった
あと、「しょーもない決意」をしたのもこの3月か。

  • 4月

2014年から恒例にしようと考えた三条の花見も2年目。2015年は無謀にも公園でやったけど、地元の人から「どうぞどうぞ」と言われて一安心。大学院の方も、オリエンテーションなんかがあって、「いよいよはじまる」という期待感と、「どうすんねん」という不安感が混じるも、考えてみると3月のGID学会で走りまわっていたキャンパスだから、今さら感もあったりしました。
4月は「通知」が出た時でした。いろいろ考えたけど、いろんな人からエールがもらえたな

  • 5月

5月の連休は、ひたすら日本教育社会学会の学会誌に投稿すべく、修士論文のリメイクをした。〆切の5月10日(日)に中央郵便局で出して、ようやく終了。まぁあかんやろな…。でも、生まれて初めて書いたマジの論文でした。

  • 6月

考えてみると、2014年9月のカウンターの時に「修士論文書くので、カウンター休みます」宣言をした時、みんなから「そりゃそっちが優先だ。がんばって!」って励ましてもらって、それ以来ずっと行ってなかった。いつも気になってたけど、ここ数年よりも回数が減っていたから少し気が楽だった。でも、西院でヘイトスピーチやるヤツが出てきたので、久しぶりにカウンターに参加ヘイトスピーチそのものに対しては怒りがあるけど、みんなから「帰ってきたな」って感じで見られたのはうれしかったかも。

  • 7月

2010年のXデーに続いて、2015年7月にYデーを迎えた。それはとってもよかったんだけど…。トランスジェンダー生徒交流会初の試みのキャンプ。とっても楽しかったけど、帰り道で大出血1リットルの涙ならぬ1.5リットルの出血(推定)で死にかけた。

でも、「人の優しさ」にもたくさん触れた。なんか、「生きててよかった」ということが実感できたな。
そして、もうひとつ。日本教育社会学会の学会誌『教育社会学研究』の査読を通ったとの連絡が入った。生まれて初めて書いた論文が査読を通るって、「はじめて入ったパチ屋で大当たり」な気分だったけど、素直にうれしかった。査読の修正意見はかなりあったけど、でも、それぞれの意見が見事にツボを突いていて、すごく勉強になった。

  • 8月

まずは査読の意見に基づいたリライトが前半かな。身体を動かしちゃいけなかったのが幸いしたか?
あと、横浜

から5時間かけて横浜

に行ったのも楽しかったけど、なんと言っても愛農学園に行ったのがこの夏一番のヒットだった。もう、あまりにも楽しすぎ!また行きたいと思う学校だった。マジで遊びに行きたいな…。

  • 9月

不思議なほど個人的な記憶がないと思ったら、やはりこの1ヶ月はガチで安保法制反対の集会やデモに参加していたんだな。強行採決の瞬間を見て、あらためて「ぜったいあきらめないぞ!」と決めた。

  • 10月

年末まで続く「全土日壊滅状態」のはじまりを告げる「ロナルド結婚式」。そこからはじまって、盛岡に行ったり卒業生の会〜在日外国人生徒交流会があったりと、えらいことでした。

  • 11月

11月は毎年死んでます。まずは、東九条マダン。そしてリビングライブラリ。そうそう、生まれてはじめて青森にも行ったんだ。でも、そんな中、各種〆切がずっとわたしの首を絞めていた。
その一方、とうとう出ました!『教育社会学研究 第97号』!雑誌のリード文には

学校においてなされる性別分化のとトランスジェンダー生徒の葛藤の関係に取り組んだ「トランスジェンダー生徒の学校経験」ほか計4つの論稿を掲載。及び、「教育社会学と教育実践」および「文化的再生産」に関する教育社会学の研究動向を整理した2つのレビューを掲載

とあります。リード文にとりあげてもらったのは、これまたかなりうれしい!

  • 12月

K野さんの結婚式があったなぁ。他にもいろいろあったけど、やっぱり人生初のチョゴリかな。

「カウンター仲間」の…。違いますね。カウンターで知りあった「仲間」なんですね。そんなみなさんが、わたしにとっての「ホーム」なんだって思えた貴重な経験でした。

てことで、去年もいろいろあったなぁ。
今年は…。あまりいろいろありすぎない方がほんとはいいんだろうけど…。でも、日常を掘り起こしていくと、そこにはたくさんのことがきっとあるはずだ。それを書いていこうかな。

白黒グレー

なんか、自分はずっとグレーゾーンで生きてきたなと、あらためて感じます。でも、たぶん、それなりのところまでやってきた。大切なのは「ゴニョゴニョ」に依拠せずにやってきたということ。だって、今の状態を手に入れたのは「Xデー」以前ですから。
でも、グレーゾーンって大切なんじゃないかなぁ。だって、「線引き」をしないやりかたですからね。それを人は「ケースバイケース」とか「柔軟な対応」って言うのかな。

白黒グレー

なんか、自分はずっとグレーゾーンで生きてきたなと、あらためて感じます。でも、たぶん、それなりのところまでやってきた。大切なのは「ゴニョゴニョ」に依拠せずにやってきたということ。だって、今の状態を手に入れたのは「Xデー」以前ですから。
でも、グレーゾーンって大切なんじゃないかなぁ。だって、「線引き」をしないやりかたですからね。それを人は「ケースバイケース」とか「柔軟な対応」って言うのかな。

慣用句?

とある場所にて、トランスの人々のライフヒストリーに触れる機会があったのですが、なんとも言えない、すんごい違和感が…。
「男性として堂々と生きていきたい」
うーん「堂々と」かぁ…。
これ
「女性として堂々と生きていきたい」
とはならんよなぁ…。
なんか、すんごいジェンダーバイアスを感じます。
さらに言うと、「堂々と」が「聞き手」の中にあるジェンダーバイアスに誘導された語りだったとすると、「正の強化」となって、これはますますこわい。

てなことを考えた夜でしたが、その後は呑み会。
今日は忘年会なので、いつもとは違うお店で、遅めのディナーです。なんかもう、料理もワインもおいしい!
でも、メッチャ遅くなった。12時まわってる?どないするねん。

無関心

今日はp4cの授業のある日です。
前期に比べて後期のほうが準備をしているかな、いい感じな時間がないわけじゃないという感じなんですが…。さてさて、今日はどうかなぁ。

今日は、まずは福島の高校生が輪になって話しているビデオを見て、その後クラスを半分にわけて、輪になって話し合おうかと。
ところが、固い。前回のキャッキャやってた感じがまったくないです。しかたないので、「何が違うのか」を聞くと、いくつかの答えが返ってきました。
ひとつは「テーマが難しい」。もうひとつは「メンバーの問題」。まぁ他に「めんどくさい」とか「そもそもこういうのがイヤ」とか、みんなはっきりと言ってくれます(笑)。
で、一番関心があったのが「メンバーの問題」なんですね。つまり「仲よし同士」なら話せるけど「知らない人」とは話せない。もちろん、その気持ちがまったくわからないわけではありません。が、やはりなぜなのか聞いてみました。すると、返ってきた答えが

  • 言葉が通じない
  • (自分の考えを)言っていいかどうかわからないから緊張する

なんていうのが出てきました。でも、一番驚いたのが

  • 知らない人が話すことには関心がない

でした。
いったい、なぜこんなんなんだろう。
Fぁよんさんといろいろ話していたのですが…。
もしかしたら、子どもたちは自分が揺らぐことがこわいのかなぁ。そして、他者を揺らがすこともこわいのかなぁ。
仲間うちであれば、まぁ、誰がどういうことを考え、誰がどういうことを話すかは、だいたい想像がつきます。そういう予定調和の中ではコミュニケーションがとれる。ところが、知らない人は何を考え何を話すかわからない。と同時に、自分が話すことが相手にどう伝わり、それによって相手がどう反応するかわからない。だから、こわい。
わたしなんかは、「わからないからこそ話さないとわからかい」と思うのですが、子どもたちは「わからないから、かかわらない」なんですね。それが「関心がない」につながる。
で、これ、他愛ない話なら、まぁいいのですが、社会的に必要なとき(例えば政治)なんかの場面で、これをすることは、まさに「政治的アパシー」ってやつにつながるのかな。とても深刻です。
で、どうすればこれを突破できるの。まぁ、ひとことで言うなら「関心を持つ」ことからしかスタートするしかないんでしょうけど、そのための具体的なプランが思いつきません。
困った…。

情報を減らす

今日は三重の教員のI垣さんと呑み。いや、別にはじめは呑む気はなかったんですけど、なんとなく「行きましょか」と。
でも、これがおもしろかった。
発端は全同教の三重のレポートの裏話からはじまったんですが、いつの間にか「教える」ことについての話になっていきました。
もともとわたしは「小学校教員のような高校教員」を目指していて、教え方も小学校でのやり方をずいぶん参考にしています。でも、あらためて小学校教員やってる人の話を聞くと「へぇー」ってなります。
今日教えてもらったのは、図形の面積なんかの問題を出す時に「わざと情報を減らす」ということ。
情報が少なくなると情報がほしくなる。で、そんな時、勉強が苦手な子は、やみくもに情報を集めるんだけど、「なんのためにその情報を集めてるのか」「その情報をどう使うのか」ということを考えてない。なので、結局解けなくなる。じゃあどうするかというと「必要な情報を得る」ためのトレーニングをしようということなんですね。そのために、情報に穴を開ける。そして、「どの情報な必要なのか」を考えさせる。
なるほどなぁ…。

アクティブラーニングとかICTとか、いろん「横文字」を氾濫させているけど、「なぜそれか」なんてことを現場に考えさせない。「これからは必要なんだ!」とか言ってる。でも、「なんのために必要なのか」ということを考えることが必要だし、その結果「不要」という結論が出るかもしれない。で、そこまでを含みこんでやらなきゃならんと思うんですよね。

だんだん腹が立ってきた


これ、渋谷区役所のトイレのピクトらしいです。これを「素敵なデザイン」と言う人は、自分を3つのうちのどこに入れているんだろう。そして、わたしはどこに入るんだろう。
多様性というのは、「普通の人がいて多様な人がいる」んじゃない。すべての人が多様性というパレットの上に自分の場所を持っているということ。「女」「男」「多様」じゃない。「女も男もレインボーの中に入っているんだ」
レインボーの中に格差があるって、よくわかる。
障害者運動が言ってきた「Nothing about us without us」という言葉がお腹の底からわいてきた。

日本脳性マヒ者協会 
全国青い芝の会 行動綱領とその解説

一、我らは、自らが脳性マヒ者であることを自覚する。

我々は、現代社会にあって、「本来、あってはならない存在」とされつつある自らの位置を認識し、そこに一切の運動の原点を置かなければならないと信じ、且つまた行動する。
私たち脳性マヒ者は、この社会においては、「本来生まれるべきではない人間」「本来、あってはならない存在」という認識を持たれているのだという自らが置かれている社会的立場を、被差別者としての立場を認識し、健全者が行う私たちに対する差別への怒り、恐怖、悲しみを持ち、そしてこういった社会的立場であるからこそ、この社会を変えられるのだとする強烈な意思を持つことであり、そこに一切の運動の原点を置かなければならないと信じ、かつまた行動する。

一、我らは、強烈な自己主張を行なう。

我々が、脳性マヒ者であることを自覚した時、そこに起こるのは自らを守ろうとする意志である。
我々は強烈な自己主張こそ、それを成し得る唯一の路であると信じ、且つまた行動する。
私たち脳性マヒ者は、自らが置かれている社会的立場を自覚した時、そこに起こるのは人間として生きぬくために自らを守ろうとする意志である。
そしてそれは健全者社会に向けて「殺すな!」「私たちは生きるべき人間である」と叫ぶこと、すなわち強烈な自己主張を持ってしか自らを守ることはできないのだと信じ、かつまた行動する。

一、我らは、愛と正義を否定する。

我々は、愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発し、それを否定することによって生じる人間凝視こそ真の相互理解であると信じ、且つまた行動する。
私たち脳性マヒ者は、健全者社会が持つ愛と正義を一方的に押し付けられてきた。それにより私たちの自由は奪われ命をも否定されてきたことを鑑み、それが健全者自らのためのものではないのかと鋭く指摘すること、すなわち愛と正義を否定することにより、人間を深く見つめることに伴う私たち脳性マヒ者と健全者との関係性の回復こそが真の相互理解であると信じ、かつまた行動する。

一、我らは、健全者文明を否定する。

我々は、健全者のみが創り出してきた文明が、われら脳性マヒ者を弾き出すことによって成り立ってきたことを認識し、運動及び日常生活の中から、我々独自の文化を創り出すことが現代文明の告発に通じることと信じ、且つまた行動する。
私たち脳性マヒ者は、健全者が創り出してきた文明が、私たちを人間として見ず、全く無視し切ったところで成り立ってきたということを認識し、運動及び日常生活の中から私たち独自の文化及び生活様式を創り出すことが、健全者文明への告発に通じることと信じ、かつまた行動する。

一、我らは、問題解決の路を選ばない。

我々は、安易に問題解決を図ろうとすることが、いかに危険な妥協への出発であるか身をもって知ってきた。
我々は、次々と問題提起を行なうことのみが、我々の行ない得る運動であると信じ、且つまた行動する。
私たち脳性マヒ者は、自己主張することなく簡単に問題を解決しようとすることが、私たちの置かれている社会的立場を容認する危険な妥協への出発であることを身をもって知ってきた。
私たちは、次々と問題提起を行なうことこそが、私たちの行なうことのできるただ一つの運動であると信じ、かつまた行動する。

「問題解決の道を選ばない」。鋭く突き刺さる言葉です。自分もこの道を選ばなきゃと思いながら、それがなかなかできない。そしてそのことを指摘される。突き刺さります。
なぜできないのだろう?
きっとそれは、問題提起し続けなくても生きていけてしまうところに自分がいるからでしょうね。
でも、そこからでもできると信じてやりつづけなくちゃなりません。