今年もやってきた東九条マダン

起床は平日と同じ5時45分です。眠い…。なにが悲しくて休みの日にこんな早起きをしなくちゃならないのかと思うのですが、東九条マダンだからしかたないです。昨日の夜は疲れ切っていて荷物の積み込みができなかったので、朝早くから荷物を積み込んで、もと山王小学校へと向かいます。
会場について、場所を確認して、荷物をおろして、途方に暮れるのは毎年のことです。なにせ、荷物が多い。でも、卒業生や仲間の人達が来てくれて、ようやく開店準備ができました。

今年のキムチはどんな味かな。

ふむ、漬かりが少し浅めかな。あと、少しチャバしてるかな。少し塩抜きが足りなかったかもしれません。でも、ごはんにもキムチにもあいそうです。
で、肉を焼きはじめます。いい煙具合です。

昼前まではほとんど動きがなかったのが、11時をまわったあたりからとつぜん大忙しです。ごはんとか、炊いても炊いても間にあいません。
ちなみに、わたしの仕事はというと、ごはんを発泡スチロールの器に入れる係です。なので、炊けるまで45分ぐらいはヒマです。みんなものすごい勢いで働いておられるのに、すみません。でも、その時間を使って、いろんな人とあいさつしたり交流したり。そうそう、来年度の全外教の会場の話もできたのは、とてもよかったです。
で、お昼の2時半頃からお客さんの動きがピタリととまりました。どうしよう、あと2?。えい、焼いてしまえ!ごはんはあと5合。えい、炊いてしまえ!と思ったのが失敗の素です。全然売れません。でもいいんです。祭です。たしかに儲けは大切だけど、それだけじゃないんです。ここに集まって年1回お店を出すのがいいんです。
てことで、定番の裏メニュー。

これはあっという間に売り切れました。来年はこれも売ったらいいのかな。

片づけの後は、厳しい反省会(笑)。なにやら炎が出ています。

ここでも来年へ向けて「丼をメインメニューにすべき」とか「値段を上げて肉の量を増やせばいい」とか、すでに来年のことを話し合っています。てことは、来年もやるんだ(笑)。
ちなみに、今年の東九条マダンは赤字でした。

キムチとタレづくり

朝起きると、メッチャしんどいです。飲み過ぎなのか食べ過ぎなのか。まぁ、しんどいに決まってます。
一時間くらい布団の中でゴソゴソして、なんとなく起きてしまいました。で、車を借りて、いったんお家へ。漬物樽をピックアップして再び東九条へ。と、朝ごはんの準備ができていました。もっとも、昨日の鍋を温めなおしただけですけどね(笑)。
で、モーニングヱビスを決めて、再びダウン。といきたいところですが、お尻に火がついてるゲンコをすこしいじったり。それにしても、あるひとことを言うために、それを言った人を探さなきゃならなくて、しかもわたしのセンモンじゃないところなので、かなりたいへんです。それでも、ひとつおもしろいのを見つけたのでよしとしましょう。
で、10時半くらいにゲンコはあきらめて、にんにくの皮むき開始です。やがて皮むきか完了したら、りんごだの梨だのなんだのかんだのを皮をむいてはミキサーかけて、鍋に放り込んでグツグツやるだけです。ま、コチジャンと間違えて豆板醤と甜麺醤を買ってしまったのはご愛嬌。そこは東九条なので、どこなとで売ってます。てことで、タレは時間との勝負になりました。
キムチはというと、とうがらしをドカンと放り込んで、こねてこねてしていると、やがてサラサラだったとうがらしになんとも言えないしっとり感が出てきて、ヤンニョムの完成です。あとは白菜にすり込むだけなので、皆さんにお願いです。
キムチが完成したところで、タレの試食タイムです。鶏・イカ・豚こまにからめて焼いたらおいしい!まだ
つくってすぐなので、辛味が強いけど、冷めたら落ち着くでしょう。最後は焼きうどんをつくって試食も終了。マダンが楽しみです。
てことで、2日間つきあってくれた放送部の卒業生に最後まで甘えて家に送ってもらったり。
でも、家に帰ってほっこりしたら、もうダメです。ダウンやな…。
あしたのおべんきょ会、どうしたものやろ…。

芋掘りはできなかったけど

今日は第二の故郷の人権ネットワークと地元の共同作業所の交流会です。かつては毎年のように行ってたけど、ここ数年はガッコは土曜日にガンガン行事を入れるわ、わたしも土曜日にガンガン用事が入るわで、なかなか行けませんでした。てか、日が決まるのが遅すぎるし。あ、わたしの予定が早すぎるのか(;_;)。でも、今年は例年よりも一週遅れで開催ということで、例年通りだったら行けなかったけど、ほんとに久しぶりに行けることになりました。
てことで、8時半くらいに最寄りの駅に集合。そこに卒業生が来てくれて、山の上にある会場まで送ってくれて、さっそく準備開始です。広い体育館にシートを敷いたり机を運んだり。わたしはなんとなく「たこ焼きの試し焼き」をして遊んでいたり。そうこうするうちに作業所のみなさんが到着されました。ここからは、なぜか「試し焼き」の流れでたこ焼き担当になってしまっていました。でも、第二の故郷のおばちゃんと「あーでもない、こーでもない」とダラダラ話をしながらたこ焼き焼くのは楽しいものです。
そんなこんなで、2時くらいまでたこ焼きを焼いて、タネがなくなったので閉店です。ここからわたしはお尻に火がついているゲンコを少しパチパチ。そして、いつものように3時から片づけです。片づけてる最中、みなさんから「来るか?」とか聞かれて、もちろん答えは「はい」です(笑)。
それにしても、早いわ。一時間ほどで片づけ終了です。

食肉の街、ふたたび

今日は某人権教育研究会の現地研修です。今回は、食肉の街・向野です。ここ、わたしは去年来ました。その時に、ぜひここにみんなを連れて来たいと思いました。でも、もうひとつ連れて行きたいところがあって、そちらをかなり模索していたのですが、どうやら今年から受け入れをやめてしまったらしく、一年早く向野にしたというところです。
午前、少し遅目に家を出て大阪市内を経由して、ふたたび大阪府内の最寄りの駅へ。そこから歩くこと15分ほどで到着です。それにしても、ムラに入ったかなと想ったら、生肉のおいしそうなにおいがしてきました。人によっては「くさい」というのかな。でも、すき焼きやしゃぶしゃぶをはじめる直前の香りです。メッチャおいしそうにしか感じられません。やがてセンターの近くに行くと香ばしいかおりが…。これは油カス?なんかもう、あまりにも食肉の街です。
で、研修開始。今回は塩谷さんはノドを傷められたとのことで、案内してくださるのは別の方です。まわったところは前回よりも少なかったのですが、話が充実しています。てか、お風呂だけで20分とか話ができるってすごいです。だって、一般的に「銭湯について20分しゃべれ」って言われてもムリです。
その後、講演です。塩谷さんも並んでおられます。不安です^^;。
まずは「まちづくり協議会」の人から、ご自分のライフストーリーとムラの概要についてです。なかなかハチャメチャというかなんというか。でも、これもまた時代やなと。
その後、質疑応答。ここで塩谷さんが黙っていられなくなったのか、語りはじめられました。いや、塩谷さんの話はすごいんだけど、痛めておられるのどが心配です。それでも、やはり語りたいこと・伝えたいことがあるんでしょうね。だんだん声が出はじめるのがすごいです。最後に、なぜか「フードバンク」のはなしになって、これまたなぜか「ハチミツ」のおみやげをもらってしまったり。
研修会のあとは自主研修です。仲よしの他校の教員と、フラフラと街歩き。すると、そこここに食肉の街の痕跡があります。例えば、枝肉を吊るすフックなんかが、当たり前のように家の前にあったり。でも、今は使っておられない。なんかさびしいな。もっとも、この街をそんな風景にしたのは、きっとわたしたちなんでしょうね。てことで、ムラ中のお肉屋さんでさいぼしの中の最高級品の「カッパ」をゲット。ちなみに、一緒にまわった教員に「カッパやで、これおいしいねん」というと、お店の人が「ほれ、食べ」とひと切れずつくださいました。ラッキー!食べると口の中で溶けました。こんなの、はじめて食べましたよ。
そんなこんなで、自主研修も含め、今年の現地研修は終了。

同和教育をどう伝えるか?

今日は某人権教育研究大会の出張です。ちなみに職場の近くなので、受付の役がまわってきました。まぁたいしたことはないですけどね。
で、受付はあっという間に終わったので、会場に入って記念講演を聞けました。講師は耼原成壽さん。全同教のえらいさんです。ちなみにわたしはもちろん面識などあるはずもありません(笑)。
講演内容は、どちらかというと小中向けです。なので、高校には直接使えないけど、それでも参考になることは多々ありますね。ただ、教材研究とかしながら伝えていくとか、そういうことがわたしは苦手だというあたりが問題なんだな。
しかし、途中、「〇〇について説明できますか?」シリーズはまいったな。あまり説明できないです。やはりコンテンツが少ないってよくわかります。まぁ、説明するときは調べるんですけどね(笑)。

で、午後は分科会。しぱらく話を聞いてると、遅れて入ってきたのは某会長。
「あのレポートのここ、どう思う?」
「はいはい、質問しますがな^^;」
てことで、優しく質問。すると、某会長
「優しなったな(笑)」
いや、前から優しいし…。
で、某会長、そのレポート終わったら別の分科会に行っちゃいました。残されたわたしはどうせぇと。だって、今日はおとなしくしようと思ってたのに、目立っちゃいましたよ。
仕方ないので、総括討論でも
「学校って行かなかゃならんのですか?」
とか暴走しちゃいました。あーあ。
そんなこんなで、今年の大会も終了

多様な出会いをコーディネートしたい

朝、目が覚めた瞬間「ここはどこ?」って思ったけど、なんとかホテルであることを思い出して、次の瞬間「あれ?ロビーに何時集合だっけ」と不安になって時計を見ると、7時半。よかった…。
とりあえず朝ごはんを食べて、荷物を整理して、ひと息ついてロビーへ。どうやら集合は8時半だったらしく、余裕でした。よかった。

で、今日は分科会。レポートを頼まれているのですが、当然何も考えていません。まぁ、リビングライブラリについてはずっと考え続けてきた内容だから、いまさらなにか新しいことはないですよ。
てことで、いつもの通りなげやりなレポートをしてしまいました。でも、それを澤田さんがみごとにフォローしてくださるというか、盛り上げてくださるというか。ありがたいです。
で、岩手県からのレポート。アルバイト調査と労働についての授業です。
もしかしたら、全国的にアルバイトを禁止する高校が増えてるのかな。まぁ、禁止する理由はいろいろあるんだけど、それだけ社会と隔絶させてどうすんねんども思うのです。しかも、最近は「遊ぶ金ほしさ」というより、家計の補助とか将来の進路のためとか、かなり切実な理由が多いので、やみくもな禁止はきついと思うんだけどなぁ。
で、アルバイトをするなら、やはり労働法について知らなきゃならんと思うのです。当たり前だけど。でも、教員が知らないんですよね。わたしも含め(笑)。
ま、そんなことを考えているうちに、分科会も終了。
で、全体会もつつがなく終わって、解散です。

で、沖縄の人と一緒に、向かうは東山駅です。その向こうには「おたふく」があります。
で、4時くらいまで呑んで、さらに九条に向かって、8時くらいまでウダウダして、本日の行動はすべて終了。
さてと、家に帰る体力は残ってるかなぁ(笑)。
しまった、今日は天一の日だった(;_;)

で、お楽しみの交流会

今日はトランスジェンダー生徒交流会の秋の例会です。昨日早起きしたので、さすがに眠いです。起きるの、イヤです。動くのもイヤです。でも行かなきゃ。
てことで、いつもの買い出しの待ち合わせ場所へ。こんな時に頼りになるのは、仲間の力です。大切な仲間たちが、今日も買い出しを自ら買って出てくれました。というよりも、その前からですね。メニューを決める時から、考えてくれたり、買い物リストをつくってくれたり。
交流会って、ついわたしの名前や顔が出ちゃうけど、わたしはなんにもしてません。いや、してるか。酒飲んでるな(笑)。ほんとに交流会をしてるのは、厨房で子どもたちが料理をする段取りをしてる人とか、会場で孤立してる子に話しかけてくれる人とか、そんな人で成り立っていることをひしひしと感じます。
今回のメニューはガパオ、パスタ、チャプチェ、ひっかり雑炊です。それ以外にバックヤードには蒸し豚があったりラッキョのキムチがあったり。当然のことながらワインが進むわけです。
子どもたちはというと、ドッチボールをやってたりするので公園に見に行くと「はいれ」と。はいはい。本気で投げたボールを受けられて、返さたのが顔面に当たるのはお約束です。
で、そのあとは話し合い。今回は卒業生がめっちゃたくさん連れて来てくれたので、トランス女性とトランス男性でわけることにしたみたいです。まぁ、お互いを知ることも大切だけど、まずは自分の置かれた状況を相対化し社会化することが大切ですからね。
でも、そんな時に「わたしはどこに行けば」という子どもがあらわれるわけで、とっさに「オルタナティヴ分科会」をつくったり。たぶん、ここが一番おもしろいやろな。
交流会に来てるのは、基本トランスですが、Xの子やQの子や、模索中の子も来ます。そんな子らを、下手に水路づけしないことが大切なんだと思います。常に「ALT」を用意することかな。
そんなこんなで、今日も6時前まで話しあって、なんとか終了です。

片づけが終わったら、いつもの通り打ち上げです。もう、身体はかなりフラフラですが、打ち上げまでが交流会です(違)。てことで、10時過ぎまで飲んで、ようやく終了。
さてと、明日がまた早いんだな…

シンポジウム「わたしたちを語る」

今日はうちの職場の人権教育研修会です。例年は「リビングライブラリ」をおこなっていますが、今回は5人の方に来ていただいてシンポジウムにしてみました。来ていただいたのは、S納さん・T花さん・Fぁよんさん・T部さん・暴走機関車さんです。で、コーディネーターはわたし。なんしかここ2週間ほどメチャクチャな生活をしていたので、中身については、ライングループでの打ち合わせになりました。
で、シンポジウム開始です。
まずは、それぞれの自己紹介を10分ずつ。案の定、「あとになればなるほど長くなるの法則」でしたが、そもそも10分では語りきれない人々ですからやむを得ないといえばやむを得ないです。みなさんの話を聞きながら、さまざまなキーワードが浮かんできます。
「善意のアドバイスがきつい」「無関心」「内面化された嫌悪」「まわりと違うのはよくないことというメッセージ」「言わない・言えない・言いたくないがいないことにつながる」
そうした話につなげながら、最終的には「語ること・隠すこと・さらすこと」へと持っていきました。

教職員のみなさんの感想を見ていたら、おおむね好評な中に、厳しい意見もあって、まぁそれはそうだよなぁと。
でも、けっこういい線を突いていたというか、さまざまな提起が聞けたんじゃないかというか。いつも思うんですが、パネラーや講師の話から、「結論」を教えてもらうのじゃなく、自分がそこから何を探し気づくのかということが大切だと思うんですけどね。

昔と今をつなぐ・田川フィールドワーク

ホテルの朝ごはんのバイキングって、激しく迷います。パン中心でいくのかごはん中心でいくのか。ただこれ、両方のメニューが拮抗しているときは当然迷うのですが、拮抗していないときは迷いようがないはずです。が、やはりパンとコーヒーを朝ごはんとしたいわたしとしては、迷うのです。ちなみに、今朝のメニューはキャベセンとウィンナーとヨーグルトがパン用で、卵焼きと焼き魚と納豆と漬け物と味噌汁がごはん用でした。で、選択をミスってしまい、キャベセンとウィンナーと納豆と味噌汁とごはんとヨーグルトとコーヒーいう、わけのわからない選択をしてしまいました。

で、M井さんに迎えに来ていただいて、向かったのは「田川市炭鉱・歴史博物館」…の駐車場。中に入るとお金がとられるし、「炭鉱とは何か」の説明はあるけど「炭鉱労働者」については「表の歴史」しかないんだとか。なので、単なる集合場所でした(笑)。で、車に分乗して、フィールドワークの開始です。ちなみに、案内して下さるのは人権情報センターの光武さん。メッチャマニアックな方らしいです。

  • 田川翔魂之碑近辺

最初に向かったのは「田川翔魂之碑近辺」です。「近辺」というのは、この「碑」の下にあるお墓の中に、朝鮮人炭鉱労働者のお墓が無数にあって、そこを見に行ったからです。
なんでも、朝鮮人が亡くなった場合、焼いて骨壺に入れるところまでは会社はやるけど、「あとは自分で」となっていたそうです。で、その骨壺を夜中にお寺に持っていって放置する場合もあれば、夜中にお墓の適当な場所を掘って埋めて、その上に標識として石を埋める場合もあったそうな。で、この「碑」に下一帯に、そのようなあるとのことです。
まずは入り口。

これが日本人炭鉱労働者のお墓です。

ボタでできた墓石には、番号がふってあります。

そして、これが朝鮮人炭鉱労働者のお墓です。

なんでも、上に埋めてある石は珪石らしく、えらい堅いんだそうな。中には埋めてあった骨壺が表面に出ていることもあります。

で、「田川翔魂之碑」は、そんな朝鮮人炭鉱労働者の無念の死を祈念したものだそうです。

近くに市民プールがあって、キャアキャア楽しんでいる声が聞こえてきます。それとは対照的な風景がありました。

続いて向かったのは「三井寺」です。これ、関西の人間は「みいでら」と読みますが、こちらは炭鉱の所有者である「三井」がつくったので「みついでら」と読みます。
まぁ、お寺そのものは水子供養とか馬頭なんちゃらとかいろいろあって、それはそれでおもしろい。

でも、光武さん、そのあたりの説明はメッチャ簡単です。そして「いつきさんが好きそうなのはこっちでしょう」と案内してださったのは、三井寺の奥にある「捕虜収容所跡」でした。

なんか、興奮がマックスになるのが悲しい性です。ここ、裏がガケになっていて、とても逃げにくい地形だとか。

表に出ようと思って、そこにあった木のポールを見ると、こんなものが!

閂か何かのあとですね。なるほどなぁ。

  • ボタ湯

続いて向かったのは「ボタ湯跡」です。ちなみに、ここからは場所はさっぱりわかりません。なにせ、車でグルグルまわって、わけがわからなくなってますから。
ボタ山にはボタと混じって石炭も入っています。そんなのが自然発火して熱を持ちます。そこを通った水はお湯になります。それを使った温泉?が「ボタ湯」です。
立派な建物です。

ここ、現在は倉庫として使っておられます。中に入れてもらいました。女湯の脱衣室。いっぱい宣伝ポスターがはってあります。

鏡台跡かな。下には椅子が転がっています。

こちらは男湯。湯船の跡がはっきりわかります。

炭鉱労働で汚れた身体をきれいにし、疲れた身体を癒していたんだろうなぁ。
ちなみに、当然のことながら、裏にあるのはボタ山です。

が、現在は火力発電所の火力調整にボタを使うので、ほとんどボタ山は残っていないとか。

ここで、お昼ごはん。向かったのは「幸楽園」。ここで冷麺を食べました。うまい!

  • さりげなくある坑道入り口

お昼ごはんを食べたあと、ふたたび博物館の駐車場に集合。まずは添田のめんべい工場に行って「おみやげ」をゲットしました。ここからは、川崎に移動。完全に廃墟探訪がはじまります。
まずは、道から見える坑道の入り口です。

普通に家の裏にあるのでビックリします。たぶん、家の倉庫として使っておられるみたいです。てことは、裏山は石炭をガンガン掘ってるところだから…。こわいな。

  • 線路跡

続いて行ったのは「線路跡」です。

石炭を掘って、それをトロッコに乗せて外へ運び出す線路が、今も残っています。なぜかここ、入れます(笑)。

延々と線路が続いて、やがて行き止まり。

奥から見ると、遠くに外が見えます。

なんか「地下水道」を思い出します。
ちなみに、ここに光武さんの案内で入ったのは、わたしが2人目だとか(笑)。

  • 第一坑扇風機跡

続いて行ったのは「第一坑扇風機跡」です。これは、坑道に空気を送り込むための巨大な扇風機を格納していた小屋です。

近くには、なぜか山の方を向いたスピーカーが設置されていました。

共愛寮」は、朝鮮人炭鉱労働者が収容された「寮」です。入り口の代わりにメタセコイアが植えられたとか。

ちなみに、ここ、たぶん道から100mぐらいしか奥まっていないのですが、薮こきしないと行けなくて、たぶん1時間半ぐらいかかるとか。てことは、わたしのお座敷1回分ですね(笑)。

  • 排気口跡

お次は「排気口」の跡です。遠くにトランペット型のコンクリートが上を向いて設置されています。

  • なんかの台座跡

完全に苔むしていてわかりにくいですが、巨大な台座です。

  • ポイント切換小屋跡兼国語講習所跡

今は何が何だかわからなくなっている建物です。

もともとここは石炭を運び出す線路のポイント小屋だったそうです。その後、一時「国語(クゴ)講習所」として使われていたそうな。看板があります。よく見ると、「南朝鮮」とあります。

  • 排気口跡2

炭鉱は、三井みたいな大企業も持っていましたが、個人経営の炭鉱もあったとか。なかにはムラの人が持っている炭鉱もあって、そういう人は、当然かなりのお金持ちなわけです。「でも、ムラの人なんだよね」とは光武さんの弁。まさに部落差別ですね。
そんな、おそらくは小さな炭鉱の排気口の跡です。

これ、なんと個人の方が保存をされているとか。すごいなぁ。
神棚があります。

この穴は坑道の上にあけられています。

排気するときは、坑道の入り口を閉鎖して、上向きに扇風機を設置したとか。

  • 炭住

そして、再び伊田に移動して、「炭住(炭鉱住宅)」です。これがもっとも古いものだとか。


ちなみに、ここは「跡」ではありません。なぜなら現在も住んでおられるからです。ちょうどここを去ろうとした時に、郵便屋さんがバイクで入っていかれました。
そこから少し移動すると、炭住群があります。ここ、区長さんとの取り決めで写真撮影が許可されているとか。ちなみに、道の下側は長屋で、道の上は戸建てです。



近くには「炭売(炭鉱売店)」があります。

ここ、現在も現役の角打ちです。中にはビアサーバーもありました。スーパードライですけどね^^;;

ということで、田川のフィールドワークは終了です。
あとは、小倉の駅まで送ってもらって新幹線で京都へ。
長い長い1週間が終わります。

人と会う

朝、さすがにメッチャクチャしんどいです。
ここでふと気づきました。チェックアウトが10時。東京に13時。そうだ!マッサージに行こう!てことで、1時間マッサージに行きました。肩甲骨を背中から引き剥がしてもらって、ずいぶんと楽になりました。
で、東京に移動。落ち合ったのは新丸の内ビルディングの「フランツクラブ」なるビアバーです。ここで、おもーいビールをチビチビやりながら、話。お相手は、鈴木さんです。
こないだfacebookで鈴木さんの記事を読んで、ちょいと苦言を呈したら、ご本人が降臨されて、ビビったけど、間に長谷川さんが入ってくださり「会おう!」ということになりました。実際会ってみると、とても謙虚だし、仕事熱心だし、力はあるし、「いい人だ!」って思いました。
てことで夢中で話をしていると、あっという間に移動開始の時間です。で、鈴木さんとバイバイして、高円寺に移動。
次にお会いしたのはN村さん。9月のお座敷の打ち合わせです。この方とはじめてお会いしたのは5月5日のTRPのイベントでした。その前からだったのか、そのときにだったのかはわかりませんが、わたしに興味を持たれたのかな。まぁ、若年層に焦点をあてていろんなことをやってる人はまだまだ少ないから、そんなもんなのかもしれません。
で、このN村さん、当日は基礎知識なんかの説明をされるのですが、この資料がすごいです。はっきり言って、全部任せてもなんの問題もない感じです。というより、3時間とか5時間とかのレクチャーができる人のようです。参ったな。でも、きっとわたしにしかできないことがあるって思われたから声をかけてくださったんでしょうね。
そんなこんなで、いよいよ本日のメインイベント会場へ。