「遊所」としての祇園・清水の歴史 ー門前町の成立と展開ー

今日は午後から講演&フィールドワークの出張です。ちなみに、講師は下坂守さん、タイトルは「「遊所」としての祇園・清水の歴史 ー門前町の成立と展開ー」です。すでに人権教育研究会の講演かどうかわからないタイトルですが、これもまた人権です。
ちなみに、下坂さんの話は4年前3年前の2回聞いています。それぞれ近接する内容ではありながら、別の話で、メッチャおもしろかったし、いろんなことがストンと落ちた記憶があります。なので、ぜひとも呼びたいと思っていました。ただ「マニアックすぎるかなぁ」と思って伸ばし伸ばしにしていました。が、近年のcovid-19のために遠方へのフィールドワークを自主規制してるので、京都府内で行き先を考えなきゃならなくなって、それなら下坂さんにお願いできるではないかと。てことでお願いしました。
もちろん、みなさんには「マニアックですよ」とは伝えてあります。が、同時に「マニアにはたまらないですよ」とも伝えてあって、さぁどうなるか。
講演開始は13時ですが、会場設定のために12時には行かなきゃなりません。それのさらに事前準備のために、朝イチは家で待機。で、頃合いよしとスタート。会場設営をして、ひと息です。ところが下坂さんが13時直前になっても来られない。もしかしたらと思い、メールの過去ログを見ると、暫定的に13時半と伝えたメールがあるだけで、確定した時間を伝え忘れていたことが判明。アカンやん。それでも13時に来られました。
「すみません、伝え忘れてました」
「いいですよ。そのままはじめましょう」
どんだけものに動じない人やねん。そういや、4年前にも「資料を使ってください」って言われたし、きっとそういう人なんやろなぁ。
てことで、到着されて、すぐに講演開始です。
今回の話は近世における祇園の成立がひとつのテーマです。ここで、近世の祇園近辺の地図や絵図をこれでもかとばかりに何枚も何枚も見せられます。このマニアックさがたまりません。特に今回は「遊所としての祇園」なので、そこで働く女性たち[1]茶立てや遊女や芸妓・舞妓が、幕府と祇園社や建仁寺の利害関係の中でさまざまに翻弄されていく姿を語られます。
それにしても、文書や絵図を見ると、歴史の変遷はわかる。でも、歴史学者って、それがなぜだったのかを考えられるんですね。で、それを裏づけるための資料を探す。そうやって、ひとつひとつの歴史を位置づけていく。
印象的だったのは「これがどこにあったのかはわかっています」「これがいつだったのかはわかっています」という言葉が何度も出てきたことかな。そこまで確定させているってことです。
やがて話は清水の話へ。なんでも清水寺の舞台は3つあったんだとか。でも、現在はふたつしかない。消えたひとつはなぜ消えたのか。これをまた、丹念に絵図と文書から明らかにしていかれます。「執念」という言葉が頭をよぎります。たぶん「知りたい」んだろなぁ。
なんでも清水が焼けて、時宗の僧侶が勧進をして清水寺を再建したんだとか。でも、その僧侶は清水の中に入れてもらえなかった。そこで、清水の隣にお寺を建てて、その横に清水寺を模した小さなお寺をつくった。ところが、時宗の寺が焼けて、それが小さな寺に延焼して、清水の舞台が焼けた。そんな中で、時宗の寺は谷向こうに追いやられ、小さな寺は撤去された。なんか、そんなストーリーでした。
そして最後の最後に「坂」の話。
清水の絵図には清水に参拝する人がたくさん描かれてます。でも、そこに反対方向に行く人が何人かいる。それが「坂者」です。腰になにやら吊り下げてます。「弦(つる)」です。ここから、弦を売るのが生業だったことがわかります。さらに弓矢町の入口にある門の横で物乞いをしてる人がいます。死者の服である白装束や柿色の服を着てることから「癩者」とわかります。したがって、ここが物吉村であることがわかります。そんなことをサササっと、でも濃密に説明されました。
1時間半の濃いぃ講演の後はフィールドワークです。
まずは清水坂を東へ。ここ、尾根道だったんですね。両側を音羽川と轟川が流れてたんだとか。やがて秀吉が新しい五条通りをつくって、そちらにメインストリートは移動して、そのあたりに非人小屋をつくったんだとか。でも、後に再び清水坂も発展する。
その後、東山通りができる前の南北の道へ。この入り口のあたりが鳥辺野で、そのあたりに無縁仏を放り込む穴があったんだとか。で、南北の道にもやっぱり非人小屋をつくる。まぁこのあたりは、もともと田畑しかないところだったわけですからね。
南北の道を抜けると松原通りです。ただ、ふだんのパチモンおさんぽの時はもっと手前で引き返すので、「へー」という感じです。
そして「弓矢町」です。
「坂者」は弦を売るだけじゃなくて、葬送が終わったあと、その道具を奪う権利があったんだとか。このあたりになると、今の価値観からは理解できません。あと、鴨川の河原の耕作もやっていたんだとか。これ、おそらくスキルが必要で、坂者にしかできなかったのかな。だから、坂者はけっこう裕福だったらしいです。さらに同じ非人でも、清水近辺の人たちは外部から流入してきた人であるのに対し、坂者は地の人なので、まったく違うとのことです。ちなみに、弓矢町は祇園社の寺領でも建仁寺の寺領でもない。どうやら、愛宕念仏寺の寺領ということを主張してたとのことです。で、その愛宕念仏寺は坂者が交代で管理してたので、独立した寺領でいられた。さらに坂者は祇園祭のキヨメをやっていて、先頭の人がそれにあたる。さらにその後ろに武者の姿をした人が配置されていて、それも坂者がやっていた。今はその役目はないけど、今も祇園祭の時は弓矢町のあちこちに兜や鎧が出されるんだとか。
そして物吉村(長棟堂)あとです。
物吉村もおもしろい。どうやら物乞いも権利で、都のあちこちに物乞いをするルートがあって、まぁおそらく追い払うためだろうけど、けっこうな金額を集めることができてたらしいです。だから、「死を待つ貧乏な人」という悲惨なイメージとはまったく違ったらしいです。なんなら、癩を患ってなくても癩者になりすまして物吉村にいた人もいたとか。となると「業病」とかいって感染を恐れられてたんじゃないかって話にも疑問がつきますね。逆に言うなら「業病」って概念は、例えば物乞いの権利を剥奪する過程でできた案外新しいものかもしれませんね。知らんけど。
ここから団栗通りのあたりへ。四条通の両側、祇園の門前町は「ちゃんとした」遊所で、多様なニーズに応えられる場所は、もう少し南側。つまりこのあたりだったんだとか。ここで「陰間茶屋」という名前が出てきて震えが走りました。思わず
い「いたんですね」
下「いましたね。たくさん史料が残ってます」
とのこと。
そこから建仁寺の前にある花見小路です。ここが京都で一番新しい「遊所」です。入口にある「一力」は昔からあったんだとか。ちなみにもともとは「一力」ではなく「万」で、「よろずや」だったらしいです。
ただ、花見小路はもともとはここから南しかなくて、北へ向かう道がなかった。つまり、「おたふく」前の道はなかったってことです。北へ向かう道は「切通し」だったんだとか。で、「切通し」に来た時、思わず「ここかぁ!」と叫ぶなど。おさんぽコースです。
最後は、大和大路の入口で説明されます。一銭洋食の店の人が不思議そうな顔をされてます。
「ここが大和大路で、あそこが目やり地蔵。あっちが南座です。かつて鴨川の堤防はこの大和大路だったので、南座は河原にあった」
とされたあと
「京都はいろいろなものが残っていて、地図や絵図と今を比較するといろんなことがわかります。ただ、今の人は、そういうことに興味がなくなってきてるように思います。たいへん残念です。なので、もっと研究が進むことを願っています」
でフィールドワーク終了。タイムオーバーで余部まで行くことはできませんでしたが、ほんとうにメッチャおもしろかった。
実は下坂さんの説明で五条・四条をまわるのは夢でした。やっと実現したなぁ。

その後、夜の仕事へ。今日から模擬授業がはじまります。学生さん、うまいなぁ。きっとプレゼンの場をかなりこなしてるのかな。
まぁわたしが言えるのは「何を」ではなく「いかに」です。なので、そんなコメントを少ししておしまい。
長い長い1日が終わりました。
今日のビールはうまいだろうな。

footnotes

footnotes
1 茶立てや遊女や芸妓・舞妓

トランスジェンダー国会

そもそもの発端は、8月末の論客との飲み会でした。その時に10月12日に東京に来てほしいというオファーがありました。正直言って「マジかよ」と。なにせ、週のまんまん中の平日です。その後、仕掛け人のとまとさんからメールがあったけど、ふにゃふにゃ言ってペンディングしておきました。が、日程が近づいてきて、そろそろペンディングもできなくなってきて、どうするかと。時間割を確認すると、行って行けないことはないなと。ならば行くかと。
ということで、ここ数日交流会のみなさんからいろいろ声を集めてました。昨日それをまとめたものをとまとさんに送って、今日が本番です。
なんでも永田町に10時集合なんだとか。てことは、いつも乗ってる電車と同じ時間に出る新幹線に乗らなきゃなりません。てことは、いつもと変わらない時間に家を出なくちゃならんといゔことです。せっかく労働者の権利を行使してるのに、なんでやねん。で、駅まで急いでいたら、突然足元が「カコン」とかいって、そのまま転倒。ヤバイな。擦り傷はいいんだけど、肋骨が痛い。ヒビが入ったかな。
それでも駅まで急いで、なんとか間に合いました。
新幹線の中ではひたすら準備。メモをとったりアンダーラインを引いたり。と、ペーパーを見ると、体液の跡が…。あかんやん。
そんなこんなで東京駅に着いて、地下鉄に乗って国会議事堂前へ。

レインボー国会以来なので5年ぶりか。
しかし肋骨まわりが痛い。で、参議院会館の前に行くと、「それらしい」みなさんが集まっておられるのが見えて、あそこだなと。で、話を聞くと「登壇者は10時半」とのこと。えーと。なんのためのヒビ[1]たぶんだ?
会議室が開くと、速攻準備開始です。が、身体が痛いので、手伝いは断念。やがて登壇者も来られて、国会議員も来られて、参加者も来られて、11時から「トランスジェンダー国会」がスタート。
まずは国会議員のあいさつから。えーと、どんどん時間が後ろへずれ込んでいきます。どうするねん。やがてLGBT法連合会の五十嵐さん→HRWの土井さん→静岡大学の笹沼さんとレクチャーがはじまります。ここで時計を見ると、ほとんどオンタイムにもどりました。すげぇ!
お次は鈴木げんさんの語りです。ちゃんと読み原稿つくっておられます。えらいなぁ。そして東優子さんのお話。
「特例法のハードルが高いとか低いとか、そういう話ではなく、人権問題なんだ」
という言葉に力をもらいます。
で、わたし。
「わたしは学校ではカミングアウトしてません。バレてますけどね。まぁノンカムフルバレです」
で笑いがとれたのでよし。続いて
「トランスジェンダーの当事者ではあるけど、トランスジェンダー生徒の当事者ではありません。なぜなら子どもたちに困難をもたらす学校の教員だからです。仮に子どもたちが学校を糾弾するなら、糾弾される側の最前線に立たなければならないのはわたしです。それがイヤだから、交流会をしています。今回は子どもたちや保護者の声をとどけるために年休とって来ました。明日は振替授業でたいへんで」
で笑いがとれたのでよし。
あと、子どもたちや保護者の文章を読んでコメント。その後
「国会議員のみなさんになにをしてほしいのか、それはわかりません。でも、こんな思いをしている子どもや保護者が同じこの国にいます。もちろん、日本国籍者だけではないです。その人たちのためにできることを考えてください。もしもわからなければ聞いてください」
そして最後にこの動画を見てもらいました。動画が終わると拍手が起こりました。やはり子どもたちの姿が伝える力はハンパないです。
「こんな笑顔が、交流会の場だけでなく、どんな場所にいても見られる、そんな社会をともにつくっていきましょう。もしも交流会に遊びに来たければ連絡をください。あ、連絡先を書いてない。とにかく一緒にビールを飲みましょう」
で終了。最後にも笑いがとれたのでよし。
東さんが
「よかったよ!」
と褒めてくださいました。優しい人だなぁ。
あとはエリンさん→中塚さん→杉山さんで、トランスジェンダー国会終了です。
続いて衆議院会館に移動して2時から記者会見です。主催者だけが話すのかと思ったら、いきなり土井さんからマイクを渡されて、思わず
「マジですか」
と。何も考えてませんでした。というか、質問聞いてなかった(笑)。それでも、話そうと思えば話せるのが器用な人だなと。そんなこんなで1時間ばっかの記者会見も終わって、今日の行事は終了です。
あとは打ち上げです。考えてみたら、昼ごはん食べてないです。なのでおなかは減ってるし、のどは乾いてるし。東京駅近くの居酒屋にみんなで移動してカンパーイ!

やっと人間にもどれました。あとはあれこれ話しながら飲むは食べるわ。てか、食べ物の量がハンパないです。よく食べるなぁ。
で、お店を出たら、鈴木げんさんがやってきて
「もう一軒行きましょう」
とお誘いを受けてしまったので、もう一軒いきましょう。
その後、「名古屋に泊まればいい」「浜松に泊まればいい」と提案されたけど、すべて却下。
9時過ぎにお店を出て、鈴木さんと一緒に東京駅へ。たぶんかなりふらついてたのかな。エスコートしてもらって、コンビニでチューハイを買って、新幹線のドアまで送ってもらいました。ありがと!また会いましょう!って、ここ読んでないよな(笑)。
新幹線の車内でひと口缶チューハイを飲んだら、そのまま爆睡です。一度「乗り越した!」と思ったけど、やはり新横浜でした。てか、そのために新大阪行きにしたんですよ。
で、なぜか京都の前で目が覚めて、無事、トランスジェンダー国会も終了。しかし、明日がしんどいだろな。

footnotes

footnotes
1 たぶん

現実に帰るつもりが

朝起きて、とりま朝ごはん。その後、即撤収です。なにせ、午後から雨らしいです。しかも、仮設小屋場の出口が小さい。ここのみなさんが殺到されたら出るのにえらい時間がかかりそうです。
それにしても、仮設小屋がメッチャ濡れてます。そりゃそうか。一昨日は雨だったので、露がすごいんだわ。まぁ帰って干せばいい。
さっくりと片づけて、帰って食器洗い。部屋の中にロープを渡して仮設小屋干し。その後、せっかくなので、スーパー銭湯に行って、身体に染みついたにおいを洗い落としましょう。
帰りにたこ焼きを買って、ビールと一緒に昼ごはん。その後本を読みはじめたけど、当然のことながら昼寝。
まぁそんなぐだぐだな1日です。まだ現実逃避やな。まぁでも、明日は現実に帰らなきゃ。なぜ帰らなきゃならんかわからんけどね。

現実逃避

朝、なんとなく荷物をカートに載せます。入るようで入らない。入らないようで入る。
午後、晴れてきました。よしよし。と、会議が終わったとの連絡が入ったので行動開始。高速を使って移動して、京都府南部の仮設小屋場へ。到着すると、いっぱいです。そりゃ3連休の初日だし、あしたは雨だし。
とにかく仮設小屋を設置できるところをなんとか見つけて、設置開始。あっという間に終了。明るいうちに設置できてよかった。
あとは鍋の宴会です。でも、鍋だけだとアレやな。焼きましょう。

食べ終わったら、仮設小屋の中で2次会。見上げると、月。

でも、眠くなってきたので、寝ましょうか。

今回もしゃべってしまった

今日は某人権教育研究大会です。去年最後かもと思ったけど、そんなこともなく、やっぱり来てしまいました。
ちなみに、今年は受付があたっているので、雨の中メッチャ早い時間に会場に到着。当然のことながら会場は開いてません。寒い中、外で読書です。てか、ベンチが屋根の外にあるから座れない。やれやれ。
そうこうするうちに会場も開いたので、受付業務開始。と思いきや、「やったげるよ」との優しいお言葉を吐いて下さる人がいたので、甘えることにしました。
午前は記念講演。去年はF川さんの予定でしたが、中止になりました。今年の講師は黒川みどりさんです。タイトルは「水平社百年の歴史と部落問題の今」。冊子にスライドが全部載ってます。おもしろそうです。
黒川さんは『つくりかえられる徴』というのを書かれていて、これがわたしの部落差別のとらえ方とか、部落問題学習のつくりかたに大きな影響を与えています。ただ、読んだかどうか覚えてない(笑)。で、話を聞くと、あちこちに「境界線」という言葉が出てきます。つまり、さまざまな形で「部落/部落外」の境界線をつくるということです。言いかえるなら「部落(民)とは何か」を研究する。そして、その時々の言説において部落民が構築されていく。もちろん、それはそのような「境界線」を必要とする社会背景があるわけです。つまり、以前の境界線が使えなくなる。するとあらたな境界線がつくられる。それが、今回は使われなかったけど「徴」なわけですね。
黒川さんの話は(いわゆる)解放令からはじまったけど、そこにおいてもさまざまに「境界線」がつくりだされていくということは、知ってはいたけど、意識していませんでした。自分の部落問題学習のスライドが、もう少しつくりこめるかな。いや、やめておきましょう。わたしが知っていて、それを認識しながら話をすることが大切です。わたしは数学の教員ですから、部落史「を」教えることはできない。部落史「で」教える。そのために必要な知識だったな。でも、自分のとらえ方でいいということを、あらためて言ってもらった気がします。
講演のあと、控え室に乱入してみました。
実は、黒川さんとは1年半前にお会いしています。ただ、この時は黒川さんは忙しかったらしく、すぐに帰られました。なので、認識されているかどうか…。と思ったら、きっちり覚えておられて、恐縮しまくりです。
しばし話をして、でも、すぐに帰られました。静岡ですしね。
てことで、昼ごはん。今日は荷物が多いのでおにぎりです。お茶を買おうと思ったけど、大きいのしかありません。どうせ飲みきれないので、水分なしでおにぎりをパクついて、最後に朝に買ったコーヒーで〆にしました。その後、知りあいと雑談。で、午後の分科会。
分科会は4本のレポートです。静かにしていようと思ったけど、やはり静かにできませんでした。
例えば1本目のレポート。「部落」と言えばいいのに「これまで差別されてきた地域」などという、まわりくどい表現をされます。まぁ、「ないこと」にするよりはいいんでしょうが、なぜこういう言いまわしをするのかな。そして「根深さ」を強調されます。わたしはあまり「根深い」と思っていないので、なんだかなと。てか、根深さを強調することによって、部落問題の特殊性をつくりだす気がしてイヤなんですよね。
2本目のレポートではコミュニケーションの問題を「コミュニケーションに問題を抱えるとされる子」に原因を求めているところにチクリ。
ある時聞いた講演の中に「コミュニケーションって、相互行為なのに、その原因を一方にだけ求めるのはおかしい」って話を聞きましてね。ガッテンボタンを1万回くらい押したくなりまして。ガッテンボタン、ご存じですか?」
すると、レポーターの方
「今の話を聞いて、わたしもガッテンボタンを押しまくりたくなりました」
とのお言葉。話が通じてよかった(笑)。
レポートが終わってから『ソーシャル・マジョリティ研究』を推薦しておきました。
3本目のレポートが、これまたマニアックです。なんと、題材として「◯ぐみ」を取り扱っておられる。さすがにはじめて見ました。そして、部落・在日・障害といった、いわゆる「三題噺」を一切取り扱っていない。すごいな…。まぁいろいろ質問したけど、おそらくわたしとは違う感覚なんだろうなぁ。もちろん、わたしの感覚が正しいとも何とも思っていないけど、「めんくらった」というのが感想ですね。
そして4本目は夏の研究会で発表して下さった高校のレポート。これはサポート的な質問をしなくちゃね。てことで
「発達障害と日本語指導が必要な生徒を「特別ニーズ教育」とくくっておられますが、どういう経緯でそうされたんですか?」
と援護射撃。なんでも5つに分類していて、その5つ目が「その他」なので、そこに全部をぶっ込めるという(笑)。
その後、総括討論。誰も手をあげないので、これまた仕方なく
「差別の問題を心の問題や人間関係の問題にしてしまいがちなんだけど、ほんとうは社会構造や制度の問題として捉えないといけないと思う。みなさんはどんな仕掛けをしておられますか?」
と爆弾投下。さらにそれだけではダメなので
「昨年度、日本語指導を必要とする生徒が府立高校に4人しか入ってこなかった。ほんとうはもっといるはずなのに。小学校・中学校の状況を教えてほしい」
とさらなる爆弾投下。
結局、司会の人のまとめの時間を奪ってしまって、ほんとうに申しわけありませんでした。
しかし、去年は「最後かも」と思ったけど、今年は路線変更」もあるので、「どうせ来年もくるだろうな」と思いながらの終了でした。まぁでも、現役を続けているから参加できる。だから問題提起もできる。それでいいのかも。

今年は2年生にも

昨日早めに寝たので、朝は少しマシです。行きの電車の中でいろいろ考えます。そして出勤して、そいつをスライドに落とし込みます。そんなことやってたら、1時間かかりました。しかし、はじめ、改訂版が見つからなくてビビりました。
2時間目は午後の準備。
3時間目は、地上1000kmの説明(笑)。4時間目の授業は支店長と副支店長が来ました。お互い「行ってもなぁ」「来てもなぁ」でしょうね。たいへんやわ。お互いに。ただ、2つのクラスに
「ちょっとナーバスになってます」
と前ふり。もっとも
「ワクワクしてるんやろ」
とツッコミも入ります。
で、昼休みに6時間目のための体育館セット。5時間目におべんと食べて、いよいよ6時間目です。

今日は2年生の人権学習。内容は部落差別です。ただし与えられた時間はひとコマ+掃除の時間で、65分というところ。なので、いつも見せている動画はなしで、わたしの話だけです。
となると、部落差別についての説明が必要になります。どうしようか…。
今回は1学期に3年生対象にやったのに加えて「特権を認識する」を入れました。その後、部落差別の説明。
「まぁ、メッチャざっくり言うと、そこにルーツがあったり、そこに住んでいるだけで差別されるっていう、わけのわからん差別や」
ここで終わろうかと思ったけど、せっかくなので「誇T」に登場してもらいました。背中の文章を生徒に読んでもらって
「そういう場所をルーツに持つことを誇りに思うという闘いがあるねん。これからその話をするし」
でスタート。とにかくみんな一生懸命聞いてくれてる感じです。もちろん、話をするわたしも必死です。ふとうしろを見ると、仁王立ちしてる人の影が。あれは支店長やな(笑)。
で、最後のスライドを話して
「これでわたしの話を終わります」
と言ったら、拍手が出てきました。マジかよ^^;。
で、機材の撤収。考えてみると、準備と話と撤収のすべてをわたしがやるわけで、こりゃ担任さんは楽やろな(笑)。ただし、わたしがいられる時間は限られてます。いなくなったらどうするのかな。まぁ、わたしが考えることじゃないし、たぶんやらなくなるだけでしょうね(笑)。
てか、来年度の1学期の内容、どうしよう…。

放課後はESSが昼休みに放送したいという音声の収録。今の放送部はこういうことをやってないから、ちょうどいいです。久しぶりにsound engineを立ち上げてみました。1テイク目はピークの音が歪みました。1年生がそれを気にしてくれたので、よしよし。2テイク目は校内放送が入りました(笑)。3年生曰く
「すみません、窓、閉め忘れました」
そやね。スタジオじゃないね。
3テイク目でようやくOK。まぁ、不満はないわけではないけど、その気になれば補正できるし、それもまた勉強です。
で、駅まで同僚に乗せてもらって、いつもの電車に乗れました。で、いつもの場所に移動。

今日はちょぼやき会です。今日のテーマは「竹花せんせい」です。当然ご本人にも来てもらってます(笑)。
あらためて見たけど、いい番組ですね。ただ、ああいう形でカミングアウトを捉えると、やはりカミングアウトが正義って感じになりますね。カミングアウトしてない立場としてはモヤるところはあります。
ちなみに、ゲイのカミングアウトとトランスのカミングアウトって違います。トランスのカミングアウトは、どうしても「自分への理解を求める」内容になりがちです。逆に言うなら、それが必要ないのであれば、特に言う必要はない。というか、言うことがそのまま「場所」からの排除につながりかねない。あまりにもリクスが高すぎます。一方ゲイのカミングアウトは竹花せんせい曰く「関係性の問題」とのこと。つまり「場所」からの排除はない[1]今のところ。なので「自分への理解を求める」ものではない内容にしやすい。
そういう意味で、加藤さんとかはるさんと竹花せんせいのカミングアウトに対するスタンスの違いが出てきて、それがおもしろい。
そうそう。あと、竹花せんせいは「ゲイのカミングアウト」という飛び道具を使って子どもたちに自己肯定感を持てるよう促したけど、そういう飛び道具を持たなかったり、あるいは「使いたくない」人はどうすりゃいいのかって話ですね。そういう意味でも「カミングアウトが正義」みたいな番組のつくりは、いろいろもやります。
ちなみに、続編の話があるらしいけど、竹花せんせいの子どもたちの間では「もうカミングアウトもしちゃったし、ネタ、ないよね」らしいです(笑)。
てことで、動画鑑賞のあとは飲み。
お店への道中のひとコマ[2]photo by ippo-kun

なぜか飲み放題を頼んでしまったらしく、さんざん飲んでさんざん食べて、バイバイ。明日はかなり忙しい1日だけど、大丈夫かなぁ。
しかし、「本」の人と今週は3回飲んだな。

footnotes

footnotes
1 今のところ
2 photo by ippo-kun

数学Ⅱっぽいのはなんだろ

朝は「通学路指導」があるので、勤務は早めだけど、電車は1本あとのに乗ることにしましょう。ふだんはロングシートだけど、この電車は転クロです。こっちのほうがいいなぁ。まぁ、ふだんのは立てる人数が少ないからロングシートなのかな。
で、駅の近くの踏切で「指導」です。まぁあいさつするのと「道の端を歩けよ」と「気をつけて急げよ」を言うくらい。それでもみんなおとなしくなりました。
で、職場に移動。朝ごはんを食べたら、いろいろ書類を副支店長のところに出して、あとは事務仕事。
授業はいつものダラダラペース。
それにしても、三角関数の値の出し方をして、別のことをやったら、値の出し方をして忘れます。どうしたものかなぁ。まぁ、わたしもフーコー読んでバトラー読んだらフーコーを忘れるし、さらにサックス読んだらバトラーも忘れるから、一緒か(笑)。
午後は生徒会選挙。みんな公約をきちんと言うようになりました。かつては「よろしくお願いします」しか言わなくて、「それは公約ではない」という話だったけど、それはなくなったな。でも、今度は実現不可能だろうということを公約に掲げるって話も出てきて、でも、実現可能なことだけだとおもしろくないってのもあって、まぁどうしたもんかなぁ。
放課後は追認指導。
数学Ⅱらしい内容ってなんなんだろうと、あらためて考えます。指数・対数・三角関数も微積も、たしかに数学Ⅱっぽいんですけど、今ひとつインパクトがない。やはり複素数か。
てことで、たったひとりの追認は複素数の計算にすることに決定。
「今日の追認はお話ね」
と前置きして、「変態が世界を変える」の話です。そして
「今日はね、i^2=-1、これだけね」
でおしまい。
きっとこの子にとって、人生で最後の授業です。それは1対1でやる、たった5回かもしれない。でも、やっぱり人生最後の数学の授業なんです。であるならば、ほんの少しでもプラスの印象をもってほしい。複素数ができなくてもいいんです。それよりも
「数学って変態なんだ」
と笑ってもらえたらいい。
で、補習が終わったら、近くにいた友だちに
「わたしを苦しめてるのは変態やったわ」
とか言ってて、よしよしと思うなど。と、そのうちのひとりがやってきて
「わたしのお父さん、せんせいから数学習ったって言ってた」
とのことです。なんでも「ずいぶん世話になった」って言ってくれたとのこと。もしもそう思ってくれてたらうれしいな。
職員室に帰ったら、美術の教員が来て、「こっちこっち」と。美術室に行くと、美術部の子らがウトロのジオラマつくってくれてました。うれしいな。
そんな感じで、定時が来たので退勤。今日は体調が悪くないから、ビールの味が楽しみやな。

久しぶりの街歩き

今日は午前に授業が3発。てことは空き時間はひとコマ。とにかくさっさとやっつけましょう。
で、午後から労働者の権利を行使。いつもお世話になってるO田さんがこちらに来られてるのでフィールドワークです。
職場の最寄り駅で合流してウトロ平和祈念館へ。まずは館内案内。もちろん知ってることは少ないけど、まったく知らないわけではないです。展示資料があるので、それに基づいて補足する形で話せば、それっぽくはなります。そんなこんなで、2階・3階・展望台をしゃぶりつくしたら、すでに1時間たってます。あらためてすごい資料だなと。
お次はあたりを歩きます。今のウトロになってからは秀煥さんの案内で歩いたことはあるけど、自分で案内するのははじめてです。でもまぁ、公式の案内じゃないからいいでしょう。
あたりを歩いたら、もう一度2階に行きます。たくさんある写真がどこのものであるかがわかると、また写真のリアリティが増します。
そんなふうにして2時間ばっかの案内終了。ここから京都駅方面に移動して、お次は東九条から七条の街歩き。いちおうipadに写真データをとりこんであるので、そんなのをお見せしながら歩きます。最後に光公園でオールロマンスの話をして、本日の街歩き終了。
あとは角打ちです。

今日も常連さんが勢ぞろいです。みなさんにいじられながら飲んでいると、O田さん曰く
「人気者ですね」
と。そうですかいな。と、お店のおねえさんが
「人気者です」
とのお言葉。そうですか^^;。
で、角打ちを脱出して、次のお店へ。ここで少しおなかにものを入れながらホッピーを飲みます。で、ハンセン病をめぐるいろいろマニアックな話。
さらにO田さんがホテルに向かう途中にあるコンビニで、アイスクリームとストゼロをゲット。かつてけーちゃんとさんざん呑んだ場所で最後の1杯。ただ、ごれが悪かったのかな。フラフラです。
帰れるのか?いや、帰ったとして、明日は大丈夫か?

配信担当

朝、身体が動きません。あたりまえですね。でも、このままではアカン気がしたので、少し散歩。
家に帰って昼ごはん。カツを入れましょう。

トゥンセラーメンです。が、これがよくない。体調が悪化しました。
それでも今日はタスクがあります。「ヘイトスピーチヘイトクライムをなくすための集いin京都」のネット配信担当です。
なんでそんなことになったかというと、この間ウトロであったウェビナーの配信担当をするつもりだったけど、当日はリモコンタイプのカメラでされて、それはそれでよかったんですけど、カメラの動く範囲を越したらえらいことになったという。なので、つい「やりましょか」と言ってしまったという。
てことで、京都市地域・多文化勾留ネットワークサロンに移動。カメラを3台出してスイッチャーに接続。さらにPCも接続して、準備完了です。が、カメラ1台が調子悪い。すぐに電源が落ちます。どうしたものか…。と、気がつきました。もしかしたらオートスイッチがONかなと。やはりそうでした。
それにしても、ピクチャーインピクチャーになるのが1番だけなんですよね。で、1番は演者に向けたい。が、途中からは司会に向けたい。どうしたものか…。差し替えか…。こういう時にカメラが3台あると便利です。3台目で時間をつないで、その間に差し替えました。まぁおかげさまで、途中混乱してカメラがグチャグチャになりましたけどね。
てことで、2時間半の配信も無事修了。どうも音声がイマイチだったみたいだけど、それは油断したからで、次回はもう少しきちんとやろうかな。次回があったらだけですけどね。
まぁでもネット配信のことを考えずに集会が運営できたらしく、お褒めの言葉をいただきました。
で、某所に車を置いて「ほっこり」へ。ここでおいしいビールと日本酒をいただきながら、Cぬんさんと謀議。再来年、なんとかうまくやりたいな。
そんなこんなで、家に帰ったら7時前。さぁ、もう少し呑みましょう。明日は明日の風が吹く。

今回も楽しかった

朝起きると雨。猫の額は先週の台風対策で畳んだままです。なので、玄関先で朝ごはん。

ここも気持ちいい。てか、うちの玄関、案外いいかも。

てことで、9時半頃から準備をはじめてスタート。今日はトランスジェンダー生徒交流会です。
集合場所でしばしたたずんでいると、続々と初参加の方が来られます。ちなみに集合場所を間違われる方も多数おられたり。んー、来たら「なるほど、ここですね」と言われますが、どうもわかりにくいらしいです。でもまぁええか。
てことで、いろいろあって11時半くらいに会場に到着。速やかにぎょうざの皮づくり開始です。と、幼稚園児が「自分もやりたい」と手を出してきます。完全に小麦粉粘土と間違えてますね。
まぁそんなこんなで皮ができたら餡づくり。せっかくなので高校生にミンチを練ってもらいましょう。向こうでは小中学生がひたすら野菜を切ってます。そうこうするうちに寝かせていた皮もしっとりしてきたので皮伸ばしです。皮ができたら、今度は餃子包み。やはり水餃子はみんなで作業をするから楽しいですね。
で、みんなでランチタイム。
とにかく今日は人数が多い。60人くらいかな。玄関先は大混雑。

3時過ぎから話し合い。今回は小学生以下と中高生以上。そして大人の3つの輪ができました。わたしはもちろん中高生以上に参加。しかし、小学生以下グループが盛りあがっています。どうやら「にょっき」をしているらしいです。さすがはIっぽくんです。大人の輪は前からやりたいって言ってたSCの人がやってくれているのかな。そして、当然、台所グループもいるわけです。あとで見に行ったら、ワインを投入していたとか。まぁええでしょう。
そんなこんなで6時まで濃いぃ交流会をやって終了。
その後、某所で打ちあげ。当然のことながら、途中から意識が飛んで、結局Kっかわくんに送ってもらうなど。まぁ最後は定番だな。
うん、身体はしんどいけど、心は楽しかった。どっちをとるかというと、やっぱり心か。