お泊まり3週目

で、今日は午後から「全国在日外国人生徒交流会」の生徒実行委員の事前合宿です。もちろん会場は「東九条市民文庫・マダンセンター*1」。
コンテストが終わって、会場に向かいます。
で、わたしがやることは、晩ご飯のメニューづくりと買い出し、そして晩ご飯関係の雑事です。まぁ、子どもたちの相手は基本的には開催県*2がやることになっているし、どちらかというと裏方が得意だからこれでいいんだと思っています。
子どもたちを見ていると、延々と遊び、延々とごはんをつくり、延々とごはんを食べ、延々とダベっています。でも、この延々とした、一見何もないみたいな時間がとても大切です。10時頃からの子どもたちの話し込みは、突然とも言えるほど真剣なものになります。結局12時半頃まで、しゃべって、とりあえず一日目の「話し込み」の時間は終了。寝たのは2時ですよ。

*1:これが正式名称らしいです

*2:今年は広島

全国在日外国人生徒交流会卒業生の会・朝

寝てはいたものの、延々と話をする連中の声で、半分寝てて半分起きてる状態が一晩続きます。やがて6時。朝から仕事のKよぽんとOおべさんが帰る時間。「今日はありがとう。またね!」とあいさつをしたあたりでそろそろ起きようかと。
起きたから何があるわけでもありません。なんか、きのうの晩からの話の続きに参加するだけです。まぁ、みんな延々とアホな話をしています。
やがて、小腹がすいたので、パスタをゆがいて粉末のクリームスープをかけて簡単な朝ご飯をつくります。
あとは、延々とお片づけ。
と、気がつくとみんなで円形になって、なにやら話しあいをしています。聞いてみると「この会、これからどうする?」みたいな話をしています。さすがは3年間話しあいで鍛えられた連中です。いつのまにやら自分たちでこういうことができるようになっているんですね。望むべくは片づけもしてほしいけどね(笑)。
で、決まったのが「今後もこの会をやろう」「できれば年4回やろう」「連絡体制をつくろう」だったみたいです。
って、年4回かorz?身体がもたんぞ(笑)。
最後はある参加者のツーシーター*1の荷台に全員が乗って記念写真。
あぁ、終わった終わった。にしても、疲れたけど楽しかった!

*1:早い話が軽トラ

そのまま「全国在日外国人生徒交流会卒業生の会」へ移行

と、そこへ「ちわーす」とやってきたのが、かつて全国在日外国人生徒交流会で実行委員長をした大阪の子。

ここ数年で全国在日外国人生徒交流会にはたくさんの生徒たちが集まるようになっています。また、その中でも中心メンバーとして実行委員をした生徒たちは、その役割を通じて、ほんとうに大きく成長をしています。
ところが、そんな生徒たちも、卒業をしてしまったら受け皿がありません。
例えば、かつてのように在日韓国人だけの集まりだったら、卒業後「青年会*1」とか「韓学同*2」とか「韓青」とか「留学同*3」いろんな青年・学生組織があるので、そこが受け皿になっていました。
ところが、新渡日の子どもたちにはそんな受け皿はありません。まぁ、コミュニティはないわけじゃないけど。さらに、ダブルの子どもたちになると、MxiRoot Japanみたいなのはあるけど、リアルな場という意味ではいささか厳しいものがあるんじゃないかと思います。となると、そういう子どもたちは「交流会」を卒業していくと、友だちどおしのつながりはある程度は続くかもしれないけど、「在日外国人交流会に集うなかま」という意味でのつながりは徐々に稀薄になっていくんじゃないかと。
奈良なんかでは、現在「青年の会」というのを立ち上げて活発に活動をしているけど、それ以外の地域では、なかなか受け皿がないのが現状です。
そこで、せっかく集まった仲間が、卒業後も集まれる「場」をつくりたいと、ここ数年間考えていました。3月にその準備会的な合宿をやったのですが、この時は準備不足で不完全燃焼で終わってしまいました。で、今回、本腰を入れてやってみようと、2ヶ月ほど前から準備をしていました。
で、今日〜明日にその会をやることにしたわけです。

昼ご飯のうどんがたっぷり残っていたので、「まぁ食べろや」とか言いながら、再び話が盛りあがりはじめます。と、そこへ奈良から来た3人組が、さらに京都の卒業生が…。卒業生達が徐々に集まりはじめます。
いつの間にか、正面のホワイトボードには「へんなあつまりの大宴会」とか書いてあります。まぁその通りです。
高校生だといろいろとややこしいことがありますが、卒業生だといらない気苦労は必要ありません。今回の約束事は次の5つだけ。

  1. プログラムはない
  2. 出入り自由
  3. 飲酒・喫煙は未成年者は控えるように
  4. 近所に迷惑をかけない
  5. 友だち同士2〜3人で固まって話をするのはやめよう

極めて簡単です。
「だれが来そう?」「あいつは来るとか言っていたで」そんな会話を繰り返しながら、夜には総勢20人ぐらいの宴会がはじまりました。途中、いちおう自己紹介は入れてみたものの、もう、なにがなんだかわかりません。ちょっとは話しあいをするのかと思ったのですが、そんな気配はなし。みんな延々と話をしています。
と、Y子ちゃんが差し入れ&労働をしに来てくれます。感謝!
そんなこんなで、楽しい夜は更けていくのですが、わたしはほとんどダウン状態。3人がかりでマッサージをしてくれているうちに*4、おねむ状態になっていきました。

にしても、メガネを忘れたのは痛いなぁ…。

*1:民団系

*2:なんで一発で変換できるねん(笑)

*3:これも一発変換(笑)

*4:しあわせ〜

交流会月間のはじまり

「月間」と言っても、今日は月末ですが…。
まぁ、これからしばらくの土日、「京都・在日外国人生徒交流会〜全国在日外国人生徒交流会卒業生の会」「カフェ玖伊屋」「全国在日外国人生徒交流会」「トランスジェンダー生徒交流会」と交流会が延々と続きます。
今日は第1弾、「京都・在日外国人生徒交流会」です。
集合時間は11時。にもかかわらず、会場責任者のわたしが着いたのが11時10分。すでにKよぽんが到着しています。「待たせた〜」とか思っていたのですが、東九条の重鎮・朴実さんが会場を開けて下さっていたみたいです。やれやれ…。
昨日の夜に「メニューはなににしよう」「足踏みうどんはどうですか?*1」「それいただき」というメールをやりとりしていたので、とりあえずうどん玉だけつくることに。
そうこうするうちに、参加者や引率・スタッフがぽつりぽつりと来はじめます。といっても、京都の交流会はこぢんまりとしたものです。総勢6人で、うどんを食べながらダラダラと話をします。と、そこへ京都でリビングライブラリーをしようと企てておられる学生さん達が来られました。おかげさまで、それぞれの参加者が自己紹介をしたり、リビングライブラリのことをきっかけにいろいろと話ができたり、いい刺激が入りました。
それにしても、中学生の参加者、去年と今年とで全然違います。「語る言葉」を確実に獲得しはじめています。将来が楽しみです。小学生の参加者も、去年は恥ずかしがって名前も言わなかったのに、ずいぶんとしっかりしてきたし。「成長」が肌身に感じてわかりますね。
ダラダラとしゃべっているうちに、きがついたら4時。こんなまったりとした交流会もまたいいなぁ…。

*1:発案者はT江さん@国流らしい

それってわたしのこと?

今日の放課後は、教職員研修で「ケータイ・ネットと子どもたちの人権」という講演を聞きました。講師は「kurochan」さん。
まぁ、子どもたちがおかれているおおまかな現状については、去年も話を聞いたし、そこそこわかってはいるつもりです。ただ、ふと気がついたことは、「わたしにもあてはまる?」みたいこと(笑)。

そう言えば、職場ではリアルの会話よりもケータイやパソコンを経由したメールでのやりとり(会話)の方が多いかもしれない。
そう言えば、わたしもブログをやっている。
そう言えば、ブログを毎日(分)更新しないと、なにか不安だ(笑)。
そう言えば、わたしもネットに自分の「居場所」を見つけた*1
そう言えば、コメントがつくとうれしい(笑)。

う〜ん…。
まぁ、お風呂の中にケータイを持って入らないからまだマシか(笑)。

*1:今は違うけどね

お散歩@崇仁〜東九条

おとついの夜、こちゅかる子さんから「東京からお客さんが来るので、柳原銀行近辺の見所について教えてほしい」というメールが入りました。で、来られる日はわたしはたまたまヒマだったので、「んじゃ行きます」と安請け合いをしてしまいました。さらに、昨日の夜、ここの人から「東九条を案内してほしい」というメールが入りました。「じゃぁ、まとめていきましょう」ということで、今日の午前中は、崇仁から東九条のお散歩。
まずは、柳原銀行記念資料館に集合。ここで、学芸員の方のお話を聞きます。
フラフラと聞いていたのですが、ヒョイと目に入った崇仁歴史マップを見て「?」…。
右下に注目です。「なんで光公園のあたりに40番地があるの?」「なんでここが「オールロマンス闘争の舞台」なの?」。
ふみゅぅ〜。
まぁ今頃気づくわたしもわたしですが…。

で、説明を聞き終わったところで、お散歩開始。天気もいいし*1、気温も高いし、これは昼のビールがおいしくなりそうです。
崇仁の町中を一通りまわって光公園へ。ここで、しばらく雑談です。まぁ元ネタはこれですけど…。

で、ふたたびお散歩の開始。今度は東九条を歩きます。途中、おいしいホルモンを売っている店なんかを案内しながら、1時間半ほどのお散歩終了。

にしても、お散歩の最中の話は、けっこうハードでした。今回のお散歩は、もともと「LADD リーガルアドボカシー 〜障害をもつ人の権利〜」というところの方が企画されたものらしく、その意図のうちのひとつが「水平運動〜部落解放運動の「お金」の出所が知りたい」ということでした。だからこそ、柳原銀行がお散歩の出発点だったんですね。さらに、お散歩の後に行かれるのは水平社博物館。
なんにつけ、運動をするにはお金が必要です。例えば水平社を立ち上げる時に、どのようにしてお金を調達したのか。あるいは、「法」以前はどうしていたのか。すべてを自己資金でまかなっていたのか。
これは、極めて切実な問題です。特に、障碍者の場合、自己資金は極めて少ないことがほとんどです。その状態からどうやって運動を立てていくのかという時に、部落解放運動から学ぶことがあると考えられたようです。
にしても、そんなん、答えられますかいな、わたしの力量で(笑)。まぁ、明石民蔵が自己資金を持っていたとか、阪本清一郎が自己資金を持っていたぐらいの話しかわかりませんわ。てことで、あまり参考にならなかったかと思いますよ。やれやれ…。やっぱり自分の力をオーバーすることはしないことやなぁ(笑)。

*1:日焼けするorz

「部落差別はなぜ今あるのか? −部落史が変わったPart2−」

今日は府立高校の人権教育研究会の総会です。
午後からは記念講演。上杉聰さんの講演「部落差別はなぜ今あるのか? −部落史が変わったPart2−」です。
いやぁ、おもしろかった!とりあえずレジュメを紹介します。

1 部落差別はたいへんに古くから存在してきたものだから
 「穢れた血筋」(異民族)「着座飲食拒否」「部落は残忍」等偏見の古さと継続性

2 明治4年の賤民制度廃止の際、適切な処置がとられなかったから
 賤民廃止令(≠「解放令」)が実現したもの
  賤民制度の廃止、法の下の平等
  職業の自由(≠「一片の布告」)
 欠けていたもの
  「過去の差別は誤りだった+今後差別してはならない」の宣言
  経済的な補償(華族・士族は国家予算の3割分の秩禄を長期に)
 身分制再編成と差別緩和(「四民平等」の語は不在)→部落差別の制度的容認へ
  伊藤博文が留意した3点「天皇」「華族」「郷党」 近代の身分図式

3 賤民廃止令の不充分さにより解決が遅れ、近代の差別と結合したから
 壬申戸籍 肩書きは「平民」「農」などとし、続柄(血縁)に差別を記載
 戦前の差別判決 判決の背後にある近代的身分(血縁・家」)精度の強化と天皇
 就職差別 大企業は日露戦争後から身元調査→部落地名総鑑

4 戦後に生まれた解放のための新しい条件
 1946年 日本国憲法の制定と第14条
 「すべて国民は、補の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係に置いて、差別されない」

(後略)

1については、簡単に言えば、去年の10月にあった話の復習です。部落の起源は室町・平安にまでさかのぼるという話を、資料にあたりながら話されました。
2以降が今回のテーマ。特に、賤民廃止令についてこってりと話されました。なにより重要だったのが「欠けていたもの」というところ。
賤民廃止令は

穢多非人等ノ稱被廢候條 自今身分職業共平民同様タルヘキ事
辛未八月 太政官
穢多非人ノ稱被廢候條 一般平民ニ編入シ身分職業共都テ同一ニ相成候様可取扱 尤地祖其外除■ノ仕来モ有之候ハ丶引直方見込取調大蔵省ヘ可伺出事
辛未八月 太政官

というやつです(ここからいただきました)。
上杉さんが話された最大の問題点は「今日からは平民と同様ですよ」としただけで、「今までの差別制度は間違いでした」としなかったことである指摘されました。また、「同じですよ」としただけで、「差別しちゃいけない」とも言っていない。では、政府はもしも差別事件が起こったらどのような態度をとるのか。このあたりについても、資料にあたって解説をされました。で、簡単に言えば「まぁ、しゃーないからほうっておく」という態度だったとのことです。
昨日まで「アウトカースト」だった人々が、いきなり「カースト」内に入ってくる。当然混乱が起こるわけです。その混乱に対して、「混乱するのはしかたないし、まぁその人らにまかせておきましょう」となったようです。こういう姿勢が、やがては町村合併時の部落の排除や、部落学校の設立を余儀なくされるというところにつながっていくわけです。
さらに、「過去は間違いではない」→「元穢多というのは間違いではない」という論法から壬申戸籍がつくられていきます。このことが高松結婚差別事件*1での論法「かつての身分を偽るのはよくない」「かつての身分を話さないのはよくない」というのにつながっていく。こういう形で部落差別が維持されてきたということです。
で、法制度上、はっきりと差別を否定したのが日本国憲法であったと。当時の議会の速記録から、「社会的身分」が部落を指すことを明らかにしながら*2、ここをスタートにするべきではないかという提言があって、話は終了しました。

わたし個人としては、明治期以降に部落差別は新たな形で強化されたのではないかと漠然と考えていたのですが、わたしの予期しない形でそれを実証的に話されたという意味で、かなり勉強になりました。

*1:同様のものはたくさんあるみたいです。

*2:ちなみに、「門地」は士族だったみたいです。

もう、わやでんねん

土日って、別に仕事がたまるはずがないんですが、なぜ土日のうちに仕事がたまるんだろう…。
というか、日曜日にあった会議のせいですね。あれのおかげでその方面の「宿題」がたまってしまうんですね。そのせいで、朝からもうバタバタ。

問題は、現在原稿の〆切を3つかかえているということです。
ひとつは今日が〆切。
もうひとつは「今日の〆切のができたら、次がこっちだからね」と言われてしまったここセミナー報告。まぁ、これは切り貼り&プチ加工でなんとかなるかな。
で、もうひとつは、恒例のやつです。これはまぁ最悪今週いっぱい。まぁネタは浮かんでいるので、なんとかなるでしょう。

てことで、頭の片隅ではずっと最初の〆切のことを考えています。でも、出てきません。
こういう時は、しかたがないので家に帰ります。で、家に帰るともうなにも浮かばなくなるので、自動的に〆切はブッチです(笑)。ゴメンなさい…。

会議

朦朧とした頭で起きたけど、しばらくおとなしくしていたらだんだんと回復。
朝ご飯を食べて、会議の会場へ。今日は、某在日外国人教育関係の集まりの総会です。といっても、すぐ終わりますが。その後、拡大運営委員会。刷り物担当としては、必要な部分のメモさえとっておけばなんとかなる、と。
会議の最中に、ずいぶんと体調も復活。よかったよかった。

一筋縄ではいかないなぁ

朝から大阪へ移動。奈良のお友だちと落ちあって、広島へ。
今日は某在日外国人教育関係セミナーです。
まずは地元のとりくみの話。続いて、若い子らのシンポジウム。
後者の方、なかなかおもしろいですね。
同じ在日外国人高校生といっても、在日韓国人と在日ペルー人とではこうも違うのか、と。
例えば、「交流会に参加してどうでしたか?」という質問をしたんだけど、ふたりの答がまったく違いました。
在日韓国人の子は、「仲間と出会えてよかった」なんですね。ところが、在日ペルー人の子は「友達がつくれる」みたいな答なんです。なんでも、この子、日本人と一緒の時の方が楽だとか。外国人と一緒にいると「緊張する」とのこと。

考えてみると、同じような感じ、ないわけじゃないです。トランスと一緒にいると緊張する場面、けっこうあります。それよりもトランスじゃない人と一緒の方が緊張しないかな。
なんでだろうと考えてみたんですが、トランスじゃない人がわたしに近づく時、すでに選別をされているのかな。だって、わたしのことを「イヤだ」と思っている人は近づいてこないもの。となると、たしかに楽ですわねぇ。

在日韓国人の子は、普段通名を使っている。ということは、まわりの子らは「日本人」として扱うことになる。すると、まわりとの緊張関係は相当なものだろうし、「隠さなくていい」ところは格別の気持ちだろうと思います。にたいして、在日ペルー人の子はカタカナの名前だし、見た目もしゃべり方も「外国人」なんですね。だから、相手は「外国人」として扱うことになる。そりゃぁ、いまさら緊張感もないわなぁ。
どっちがどうという話じゃなくて、「そういう差があるんだなぁ」というふうに思ったんですよね。