で、上映会

朝ご飯は当然のことながら前日の残り物がメインです。もう、お腹いっぱいです。
昼前に東九条を出て、プラプラと歩いていきます。カントクはちょっと前に放浪の旅に出ました。後かたづけ組が残ってやってくれています。ありがたやありがたや。てことで、わたしはこのあたりを歩くのがはじめてなMちゃんを案内がてら一緒に行くことにしました。

で、会場に到着。N江さんが忙しそうに準備をはじめておられます。そこに、スタッフを頼まれた方々もやってこられます。カントクは時間ピッタリに登場。
とりあえず会場を開けてもらって音響のセットと機材チェックです。と、ここで問題発生。問題解決に向けていろいろ試してみたのですが、ここの調整卓、めっちゃ融通が利きません。あちらを立てればこちらが立たず状態です。それにしても、試写をした時に当然気づくべきだったんだ。めっちゃ落ちました…。

それでも会場にはたくさんの方々がきて下さいました。うちの同僚の方もきて下さったし、外国人教育関係の人も来て下さったし、もしかしたら、わたしの知りあいで関西在住の方々の半分ぐらいが来られていたのかなぁ。とてもうれしかったです。

上映会後はトーク
今回は、基本的にはわたしが聞き役で、カントクが語り役です。考えてみると、映画をはさんでふたりできちんと話をしたことがなかったので、わたしも知らないことがいっぱいあります。「作り手」としてのカントクから聞きたいことがいっぱいあります。今回はけっこう時間をもらえたので、ゆっくりと聞くことができました。
でも、たぶん聞きたいことの半分もいけてないだろうな。さらに、話しきれなかったエピソードもたくさんあるし。てことで、自己採点は72点。もっとも、みなさんけっこう笑って下さったし、会場からは
「100点!」
という声も飛んできましたから、それなりにいいトークになったのかな。

カラオケ状態・GID学会2日目(その1)

朝起きて枕元を見ると、なぜかチューハイが1本あります。捨てようと思ったけど、つい一口だけ飲んでしまいました。習性ですな(笑)。
で、会場へ。
とりあえず荷物をおいて打ちあわせ会場へ。このあたりで、だんだん頭がボーっとしてきました。これはヤバイです。やはりさっきの一口が効いたか?
それにしても、きのうからなにをしゃべるかを考え続けているのですが、まったく思いつきません。どうしよう…。
まぁ、発表の順番が最後だし、そこまで小一時間あるからなんとかなるでしょう。
シンポがはじまっても、パソコンの画面を見ながら、メモ書きの文章をあっちやったりこっちやったり。でも、こんなことをしていたら、討論にならないです。ダメです。
で、順番がまわってきたので話。
幸い数ヶ所ウケたのでホッとしましたよ。
シンポのあとはガイドライン第4版の話。ここまでは集中力が持ったのですが、そのあとはもうダメです。まぁ「趣味で下着を買いにいく人と間違われるのがかわいそう」みたいな話で突っ込もうかと思ったくらいかなぁ。
で、ようやく昼休み。
会場の外に出たら、関西のお友だちが2人ほど来ておられます。
「お昼、行きましょうか」
「行きましょう」
てことで、昼ご飯を呑みに行きました。
まぁ…。呑んだな。

で、会場に帰ったら、当然のことながらはじまっています。聞きたい演題もあったけど、入りそびれてしまったところで、つい会場の人に声をかけられて、こんなことになってしまいました。

で、さんざんみなさんに冷やかされて、今年のGID学会も終了です。
いったいなにをしていたんだろう>自分
まぁ、2日目の内容はここに書いてあるしなぁ。

疲れた…・GID学会1日目(その1)

とりあえず、朝受付に行ったら三橋さんがおられました。と、そこにO田さんも…。
となると、う〜ん。なんしか受付をすませたら昼ご飯を呑みに行くしかないでしょう。向かいにあるそば屋に向かう途中Mともちゃんがやってきました。
「昼ご飯、行くよ」
「え…」
強引に誘ってしまいました。

で、いよいよ開会です。
今回こそ綿密なメモをとるぞと決意してパソコンを起動して打ちはじめました。さらに、スライドもパチパチ。
でも、ダメです。集中力が続きません。
いや、決して昼ご飯のせいでも、前日の晩ご飯のせいでも、さらに夜食のせいでもありません。今回の学会、休憩がないんです。すべてのセッションがちょい押し気味で、その分へつられるのが休憩です。さすがにノンストップはきついです。
前半戦はボーっと話を聞いてしまいました。
で、ちょっと用事であちこち電話して、後半戦。血みどろです。でも、ずいぶんなれました。てことで、一日目終了。まぁ、ここを見れば内容はわかるということで^^;;

京都に残るハンセン病の跡

その後、宮前千雅子さんの案内で京都に残るハンセン病の跡をたどるフィールドワークです。なんと豪華なことに、マンツーマンですよ。
まず行ったのは「長仙院」です。
ここにはかつて京都にあった「物吉村」のお寺にあった仏像なんかが移されています。そのことを示す「北御門院長棟堂 清圓寺」という札があります。仏像は真っ黒です。宮前さんは
ハンセン病の人たちが一生懸命護摩を焚きながら祈っていたんでしょうね」
と言葉を添えられました。
次に行ったのは松原通。ここ、かつての五条通とか。そういえば、そのままずっと行くと清水坂に行きますからねぇ。
ここの川沿いあたりが、かつての物吉村です。いまでこそ宮川町なんかがあってにぎわっていますが、かつては「野辺」だったところです。この一角に、「清圓寺」があったことを祀る小さな祠があります。

中にはちゃんとおいなりさんもおられます。
この一帯、「弓矢町」とか「轆轤町」という地名です。まさに、「つるめそ」であり「木地師」です。
わたしは、いわゆる「皮多系」についてはちょっとは勉強しましたが、「非人系」の歴史についてはほとんど知りません。というよりも、おそらくは研究段階なんでしょうね。それだけに、非常に興味深く感じました。

在日外国人生徒交流会

朝、目が覚めるとBんちゃんがいます。めっちゃ珍しいです。というか、はじめてか。どうやらYきみちゃんの面倒を見ていたようです。やさしいな。
それにしてもYきみちゃん、寝言とか悪態がすべて韓国語です。別にルーツ的にコリアンが関係しているわけでもないのに、第2外国語かなにかで韓国語を勉強するだけでこれだけできるとは。Bんちゃんが同時通訳してくれるから意味がわかるものの、すごいです。Bんちゃんも
「発音、完璧や」
とビックリしていました。

てなことをゆっくりしているヒマはありません。午後からは生徒交流会で高校生たちが来ます。あわてて片づけ開始です。

なんとか11時頃にまにあって、交流会開始。
今日のメニューは「徳島づくし」です。
メインはもちろん「ひっかり雑炊」。小松菜を洗ったり、ほその下準備をしたり、みそ汁の味つけをしたり、K野さんの指導のもと、子どもたちがつくります。そうそう、M木ちゃんが弟*1をおいていったので、手伝ってもらいました。その他、「豆入りのお好み」とか「入りカスの焼きそば」とか、「どこが徳島やねん」という感じのメニューですが、あきらかに徳島です。

今日は人数は少なめだけど、メンバーがおもしろいので、話が深まります。K野さんは自分の実践の話を、S輔も自分の生い立ちやとりくみの話を、小M木ちゃんも自分の生い立ちを、それぞれ語ってくれました。それに呼応して、京都の高校生も自分のことを語ってくれます。
きちんと語ってくれたら、他の人もきちんと語ってくれるんですね。今日の交流会がそういう場であってよかったなと思いました。

で、普通は交流会が終わったあとどこかに行くんですが、さすがに今日は体調が限界です。おとなしく帰ることにしましょう。

*1:小M木ちゃん

会議の過ごし方

今日は某在日外国人教育関係の会議。
午前の部は一時間くらいでサクッと終了。
昼ごはんを軽く呑んで、午後の会議に突入。
実は、午後の会議の議題にかかわるデータを持っているのがわたしなんですよね。なので、論議の最中にデータを更新するはめになるわけで。そうなると、もう、てんやわんやです。なにがいったいどうなっているのやら。
てことで、えらいめにあいました。
ふぅ…。

フィールドワークと講演

朝、へろへろです。でも、今日は午後から出張だし。
職場に着いて、
「昨日の〆は結局天一でしたわ」
と報告すると、みなさんから失笑が漏れます。そりゃそうだ。
午前の業務をこなして、午後から出張。今日は、わたしの「第2のふるさと」のフィールドワークと地元の人*1の講演です。
会場に着くと、会場の人がえらい剣幕です。
「車、何台来るねん!」
「そんなん、わかりますかいな。10台くらいとちゃいますか?」
「おまえなぁ!」
まわりの人たち、メチャクチャ怖がっています。でも、この人、ものすごく優しい人です。ただ、とりあえずワンプッシュしてから笑顔になるタイプなので、そのワンプッシュ中ということです。案の定
「頼んだで」
のひとことあとはずっと笑顔。いい人です(笑)。

で、フィールドワーク開始。案内人の方から
「おまえ、最後尾な。案内できるやろ」
と言われました。いやいや、無理ですよ。
そうか、6年前まで15年間、ここに住んでいたんだなぁ。家の前まで行くと、ちょうどお向かいの人が外出から帰ってこられたところでした。
「久しぶり〜」
「ごぶさたしています」
「変わらへんなぁ。またこっち来たら寄ってや〜」
「ありがとうございます」
みたいな会話です。

その後、ムラの歴史と現状と課題についての講演。
自分史とムラの歴史が重なるあたりについては、やっぱりその人にしか話ができないわけで、すごくリアルな話になりますね。でも、逆に言うと、全体をある程度知っている人間にしかそのリアルさは伝わらないかもしれません。もちろん、内容的には十分はじめて聞く人でもわかる話なんですが、「その先」はそれなりのことがどうしても必要になるのかな。まぁ、それはムラの歴史に限らないことだとは思いますが…。

てな感じで、あっという間の半日でした。
さて、今日は帰ってのんびりするぞ…。

*1:支部長ね

ふと思いついた

パートナーが
「もう時間ないで」
と促してくれます。ありがたい話です。車に乗せてもらって駅まで。で、西へ西へと移動。そう言えば、先週もこんなことやっていたなぁと思いながら、ついたのは佐世保。とりあえずホテルにチェックインして、そっこう着替え。で、ふと思いついた。

知〜らない〜街を、走ってみーたぁいー♪

ジョギング中毒者の歌ですな。
長い間走っていて、ある時から走らなくなって、はじめは忙しさにかまけて
「もうやめた」
と思っていたんだけど、一度走りはじめると、再び禁断症状がもどってきて、走らないとダメな気がしてくる。まぁ、中毒ですね。
てことで、佐世保の街を40分ほどウロウロ。
あー気持ちよかった。

はじめて聞いたかも

今日は午後から地元の研究会の総会。記念講演は、地元の教育連絡会の会長さんの話です。会長さんといっても、年はそんなに離れていないし、まぁチャキチャキの活動家&実践家です。まぁ簡単に言うと「名誉職」的な会長さんじゃないってことですね。
講演はわずか1時間。内容は、地元のムラの近世からの歴史と、自分史を交えた現代史。そして現状と課題。まぁ1時間では無理だろうなと思ってたら、やっぱり無理でした。そりゃ、ペース配分が前半長すぎますよ(笑)。
というのはおいといて…。
わたしはここのムラ、わたしの地元でもあったので、ここの部落史の本は持っています。で、かつて部落史の教材をつくった時に必死で読んだので、まぁ把握はしています。ふんふんふんと聞いていました。でも、後半の「自分史を交えた現代史」は、やっぱり迫力が違います。
「今にしてみたら、よぅこんなところで住んでたなと思いますが」
と笑っておられるのですが、ほんとうに「よう住んでたな」です。もちろん知識としては知っています。あるいは、他の人の話で聞いたこともあります。でも、やはり20年近く一緒に活動をしてきた会長さんが自分の話としてされるその内容は、ぜんぜん迫力が違います。
今回は尻切れトンボで終わってしまいましたが、近々フィールドワークと併せて話を聞かせてもらえるので、すごく楽しみ!

某研究会にて

午後から出張で某研究会へ。
後半は分散会にわかれてレポートを聞いたのですが…。
なんというか…。

某私学のレポートなんですが、がんばっておられるのはわかる。それも、すごいおもしろいことをやっている。うらやましいほど。
でも、それが「いい生徒」をとることにつなげているのがありあり。それがねぇ。結局パイのとりあいにしかなっていない。いや、私学の経営を考えたらそういう方向に走るのはいたしかたないところがあるのはよくわかります。ましてや、底辺層を引き受け続けてきたから、そうなるのはわかる。でも、そういう自分たちに
「なんだかな」
と思いながらやっているという躊躇感がほしいなぁ。
ま、うちも一緒か…。ひとのこと言えないな。

某市立のレポートなんですが、がんばっておられるのはわかる。でも、そこに行っている子どもたち、京都府全域から集めた超エリートでしょ?保護者もしっかりしているし、卒業生もしっかりしている。
生徒指導をしたら保護者から文句が来たり、地域の人たちから石が飛ぶような苦情が来たりというところでは、はっきり言って、ない。たぶん教育委員会とかあちこちからふんだんにお金も出ている。
まぁ、しっかりやって、エリート層を育ててくれと。うちと比べた時、京都の教育が、日本の教育がどこを目指しているのかよくわかりました。

はぁ…。
でも、この中でやるしかないか。