出張、のち夜の仕事2回目

今日は午後から京都府中部に出張です。なので、午前は少しゆっくりと雑用をしましょうか。てか、テストしなきゃならんことがあります。
夜の職場のプロジェクターにはVGA入力しかありません。でも、できればiPadで出力したい。問題はlightning→VGAは高い。必然的に、途中にHDMIをかませることになります。ちなみに、lightning→HDMIは使う人は使うので、うちの職場にあります。問題は、今日日HDMI→VGAなどというマニアックなコンバーターがあるのか?ということです。ただ、事務の方の机の上で見た気がしたので、それを借りに行きました。すると、壊れてるんだとか。やれやれ。てか、音声出力がないから使いものになりません。どうしよう…。
と、事務の方から内線電話。
「もうひとつありますよ」
見に行くとVGA-CVHD1でした。まさにほしいやつ!
てことで、借りてきて、そこらにころがってるVGAと音声入力がついてるディスプレイにつないでみたら、ちゃんと出力してくれました。これで、動画が見せられる。
それにしても、lightningはめんどくさいな。
そんなこんなをやって、11時半に職場を離脱。出張先に向かいます。
ところが会議の時間を確認すると、時間を間違えてたことが判明。ヤバイ。なにせ、この3月のダイヤ改正で電車が1時間に1本になったから、電車で行くのは絶望的です。しかたない。車ですね。しかも、オール高速しかありません。まわり道になるけどしかたない。なんとか10分遅れで到着しました。
到着してすぐおべんと食べながら会議に参加。申しわけない(笑)。まぁでも、必要な話はできました。
とにかく、いま、京都府の高校が直面している課題は、障害の社会モデルの普及と、日本語指導を必要とする生徒の就修学の保障です。そしてこれらはともにSNE[1]Special Needs Educationの問題です。ところが、京都府の高校はこれらをバラバラに捉えている。そして障害のみを特別なニーズとみなして「個にあった教育を」ということで分離教育をする一方、日本語指導を必要とする生徒についてはノウハウがないからてんやわんやするだけです。いや、先行事例から学べよと思うけど、そういう動きは見られません。
ここをなんとかしたい。
てことで、そのための布石を打っておきました。
で、夜の仕事へ。
今回は、前回書いてもらった「生徒指導がらみの教員の思い出」「よかったと思う教員の思い出」「イヤだと思った教員の思い出」のシェアです。が、その前に骨折のあれこれなんかを話してみたり。笑いがとれました(笑)。
で、3つのグループにわかれてディスカッションしてもらったけど、おもしろいですね。イヤだと思った教員とよかったと思う教員は、表裏一体であることや、過去に思ったことが必ずしも現在の評価と一致しないことや、それなりに批判的に振り返ってもらうことができたんじゃないかな。なので
「みなさんの発表を聞きながら、なんか、少しずつ「生徒指導」に近づいてきた気がします」
とコメントしてみたり。
そして最後は「フィンランドの教育」のビデオ。マイケル・ムーアのやつです。みんなこの映像をどう捉えるかな。
授業のあとに、学生さんが来られて、なぜか大学院進学についての相談を受けたり。
なんかおかしい(笑)。でもうれしい。長い教員人生の中で、大学進学の相談はあったけど、大学院進学についての相談ははじめてですからね。まぁ、わたしの研究分野とかぶってるからなんですけど、ビビったのは、わたしを高校教員ではなく研究者として見ていたというか、わたしの研究分野を知ってたというあたりですね。わたしのおべんきょ成果も読んでおられたとのこと。
悪いことはできひんな(笑)。
帰りの電車の中では恒例の会議にzoomで参加。便利な世の中になったという評価でいいんだろうか…。
さてと。今日はいっぱい仕事しました。さぞかしビールもうまかろうo(^^)o。

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1 Special Needs Education

ウトロでつい引き受けてしまう

土曜の朝は猫の額。

今日はそれほど寒くないなと思ったけど、やっぱり寒いものは寒いので早々に退散しました。
で、ウトロに向かいます。今日は久しぶりの農楽の練習です。この日の思いを実現できるか?
ウトロに到着して、まずは祈念館へ。

飯場がきれいです。

で、集会所にもどって古巣の2階へ。チンをひっくり返すと…。「ウトロ農楽隊」の文字が!

ずっとここでやってたんやなぁと、あらためて思います。かつて壁に貼ってあったチャンダンの譜面があったりして、あまりにも懐かしすぎます。
外を見ると、写真を撮りたくなりました。

こちらはまだ昔の風景です。ちなみに、左側にある放火跡は撮りたくない。
てことで、ケンガリ・チャンゴ・プクの3人で練習開始。もちろんわたしはプクです。うーん、プクのドコドコいう音が心臓に心地よい。楽しいなぁ。と、
「いつきさん、本番やるならチャンゴやね」
とか言われて、げげっと思うなど。でも、しかたないです。練習しましょう。
叩けない…。とくに「キタ」がムリ。これはヤバイです。てか、忘れてるチャンダンもあるし。まぁ焼肉の時もプクが楽しすぎて、プクばっかりやってたからなぁ。
そんなこんなで、1時間半ばっか練習して楽しんで。その後、1階に降りてウトロ喫茶へ。
喫茶の準備をしながら、オープニングウィークの打ち合わせをしましたが、げげっ毎日来なきゃあかんやん。まぁ音響だから当然か…。空きの時間にどこかにこもってゲンコを書こうかな。
と、「ウトロ農楽隊の紹介文を書いて」と頼まれて、さらにげげっとなるなど。
そうこうするうちに、ウトロの人達が続々と来られました。農楽隊の人もおられます。と、Mどりさんが来られました。
M「なんや、久しぶりやな。うちに会いに来たんか(笑)」
い「そうですねん」
M「この人な、うちの彼女やねん」
相変わらずです。うれしいな。
しばらくしたら、さっきのメンバーでちょこっと農楽演奏。MどりさんとHる子さんの前にプクを持っていきました。
「そんなん、ムリやわ」
と言いながら、気がつくとプクを叩きはじめるおふたり。身体に染みついた音は忘れません。
てことで、オープニングウィーク中にウトロ農楽隊が再結成することが決定しました。すでに、一緒に叩けない方もおられますが、それでも再結成です。とてもとてもうれしい。
ということで、家に帰って、まずは気合を入れてと。

そして、紹介文を書きました。

ウトロというと、どうしても「闘い」のイメージが先行しがちです。しかしながら、ウトロは人びとの生活の場であり、そこには人びとの営みがあります。
ウトロの焼肉で農楽をすると、たくさんの人がチャンゴを叩けることに驚きます。そして例外なく「もっとうまい人がいる」と言われます。ウトロでは、チャンゴは特別な技術が必要な「芸術」ではなく、生活の中にあることがわかります。ウトロの農楽は、ウトロに生きる人びとの日々の営みを伝えてくれるものです。

さてと、次は自分のおべんきょだ。

復調傾向

今日は子どもたちは「家庭学習日」です。かつてはすべての定期試験のあとにあったのですが、今は学年末試験のあとだけです。まぁ、子どもたちの1年が決まる会議や成績処理がある期間なので、ここも「授業」とか言われたら暴れます。てか、それ以前にやるネタがないし。

ちなみに、朝、facebookを見たら、武田緑さんの投稿にいろんな人がコメントしてましたが、なにを今さら感がひしひしと押し寄せてきました。いや、校則と学校と社会の関係についてはずっと昔に武田さんにコメントしたことがあったし、なによりここのブログでちょこちょこ書いてます。なので
「だから言ってますやん(笑)」
とコメントしたら
「どこで?見たことがない」
とのコメント。どうやらfacebookの世界のことを指しておられるようだったので、
「わたしが発信してるのはブログです」
と返事。まぁ、こういう古くさいやり方をしてたら、誰ものぞかないからこういうことになるんだろうけど、ブログって、反射神経で書けなくて、書くのにそれなりの時間をかけるし、それはタイムラインみたいに流れずにとどまってくれるから、わたしは好きなんですよね。
ちなみに、その方はご自分のマスクのことへの返信と思われたらしく、わたしのブログのマスクに関する記事を見られたらしいけど、わたしのコメントは武田さんに向けられたものなので、校則に関する話なんですが、まぁそういう早とちりもfacebookならではですね(笑)。

てことで、出勤。
誰もいない職員室で、おべんきょ成果について、あれこれ考えます。なにせ、ここで書けなければ、ほんとにどうしようもなくなってしまいます。焦ります。
ほんとは10人分の語りの分析をしようと思ってたけど、ぜったいに時間的に間に合わないので、ひとりだけの分析をこってりやろうかなと。まぁ「こってり」できるほど自分に分析能力があるとは思えないけど(笑)。
で、やろうと決めた方は土肥(2019)の時にインタビューしたけど、扱うのを断念した方です。この間書いたように、この語りがとてもおもしろい。おもしろいけど、分析が難しい。なにがあったか、本人にもわかってない。いや、「わからない」と語っている。てことは、なぜ「わからない」とし、そういう語り方をするのか。そこから謎に迫るしかない気がします。でも鉤括弧をはずしたい気持ちが強いということをあるんですよね。つまり「他者の合理性を理解する」ために「自分の解釈に変更を加える」ってことです。つまり、語ったことはあったんだと考え、そこには合理的な理由があって、それが理解できないのは「わたし」の理解が及んでいないとする。そして、解釈を変更することを通して「理解しようとする」。そのために、時代背景や社会背景の調査も用いる。
うーん。できるだろうか。
てか、たぶんこうだろうなという予測はあるのです。そして、それは「わたしに対して」だからこそ投げられた言葉だと思うからです。つまり、その言葉を使うことを通して「わかるでしょ?」と言っている。ただ、そうであるなら、それがそうであることを示すための根拠は必要だな。
いずれにしろ、「ある性別で生きる」ということは、一筋縄ではいかないというか、ひとつの方法論だけで捉えられないってことが示されるんでしょうけどね。
しかし、人々があたりまえに達成している「ある性別で生きる」ことを、これほどまでにテクニカルにやらなきゃならないことを明らかにするトランスジェンダーって、ほんとうに分析対象としておもしろい。
なんてこと考えると、「鉤括弧をはずす」どころか、エスノメソドロジーに行っちゃうじゃん。困ったものだ。

とにかくそんなことを考えながら、語りの中の使いたいところを抜粋して終わりました。まぁでも進んだな。

総括

今日は1時間目・2時間目と試験返しです。
まずは進学系の少人数クラス。ここは年度当初緊張したなぁ。昨年度の同じ感じのクラスがメッチャクチャ活発で、同じ感じかと思いきや、みんなマジメで、リアクションがない。だから、いかに授業中にザワザワできるようにするか、かなり悩みました。でも、そのおかげか、年度の最後はそれなりにザワザワするようになってきてよかったかな。
文系って、進学クラスでも数学がメッチャ苦手な子がいます。ところが進学クラスだから、そうじゃないクラスよりも内容も多いし進度も早いし、おそらくたいへんです。だからこそ、生徒に頼らないとどうしようもない。
てことで、このクラスのある子の感想。

1学期、2学期と、毎回赤点をとってしまったけど、3学期は赤点をとらなくてうれしかった。いろいろな人に教えてもらえた。○○に特に教えてもらった。席が近くてよかった。楽しかった。

そして、「フツークラス」。ここはおもしろかった。楽しかった。担任が同い年で気心知れた人で、放牧しながらもうまくまとめていく人だから、子どもたちがいきいきしてます。もちろん学力は基本的には低いです。ただ、メッチャ高い子も数人います。まぁ標準偏差が大きいってことです。平均点は毎回最下位。でも、そこがわたしの勝負どころではありません。年間トータルで赤点が出なければいい。そのためには、苦手な子が「やる気」になってくれないとどうしようもないです。そのために「助けて」と言い続けました。そしたら、本気で助ける子が出てきました。その子に助けてもらった子の感想。

今まで数学はわからないから寝ていて、赤点ばっかりで、3学期になって授業を聞くようになり、真剣に受けるとわかりやすい授業でびっくりしました。昨年は数学がわからなくて楽しくなかったけど、数学の楽しさが少しわかった気がします。1年間数学を教えてくださり、ありがとうございました!

この子が授業を聞くようになってくれたのは、本気で助けようと思った子が、わたしの代わりにつきっきりで教えながら、要所要所で
「ほら!聞き!」
って言ってくれたからです。数学の楽しさを伝えたのはその子です。感謝しかありません。
で、わたしからも話。

とにかく、みんなには数学の授業を楽しんでほしかった。もちろんしんどいこともイヤなこともあったと思う。でも、1年間を振り返った時、なんだかんだいろいろあったけど、楽しい1年間だったなぁって思ってくれたら、それでいい。
あとね。
もうひとつ伝えたかったのは、わたしたちって、みんな身のまわりのことにしか関心がいかない。でも、ウクライナでは原発の電源が失われている。そして11年前に同じことが福島で起こり爆発した。それは地続きのところで起こっているできごと。そういうできごとを身近に感じ、そしてそれを大きな主語で語るのではなく、半径1メートルの言葉で語ること。そのことの大切さでした。
とにかく、楽しい1年間でした。ありがとう。

そうそう。こんな感想がありました。

どひちゃん、おつかれ様でしたー!多分変な奴って思われてるとおもうけど、変な奴です^_<-☆1年間怒らせたり困らせたりしたけど、人生最後の数学がどひちゃんでよかったつてめっちゃ思ってる!!!最後のテストはぜったいどひちゃんのこと感動させたいと思ってたから、毎日夜、わかるまで実はがんばって解いてみました!あんなけきらいな数学たのしかったんはどひちゃんのおかげです。先生今までおつかれさま!どひちゃんの雑談おもしろかったから、3年生さびしい(泣)がんばって生きていきます!

この子、何度も赤点とったけど、最後は50点以上とってくれました。すなおにうれしい。

ここから、成績処理です。
どれだけうれしい感想が返ってきても、結果がダメなら、やはりダメです。集計してみて、うーん。まぁ、わからんな(笑)。
その後、会議。うーん(笑)。
そうそう。再来年度のための書類を送らなければ。てことで、公用車を漕いで郵便局へ行ったり。
夜は1日早いパートナーの誕生日パーリー。まぁなにがあるわけでもないけど、下の子どもがつくってくれたケーキをみんなで食べます。
そんな感じの1日を過ごしてたら10時過ぎに眠くなってしまいました。

静かに終わっていく気がする

今日は特殊業務前日なので、学校閉鎖です。なんか、covid-19以降、いろんなことが変わっています。ほんとはこんな日こそおべんきょしたいけど、母親の通院に付き添わなきゃなりません。なので、今日は介護休暇です。
とりま、母親を迎えに行って、車に乗せて、病院へ。無事診察を終えて、またまた実家へ。途中、ケーキ屋さんに寄ってほしいとのことだったので、寄り道して帰るなど。こういうあたりは変わらない人です。
まぁ、わたしの年代になると、介護とかが話題になるのはわかってたけど、やはりこういうふうになるんだなと。さらに上の年代になると、わたし自身が介護の対象になるわけです。とはいえ、まぁあと15年くらいはそんなこともないでしょう。
そんなこんなでいろいろやってると、突然「ちょ、ちょっと嘘でしょ?熊ぱぱが亡くなったって?…」との情報が。マジか。長谷川さんが…。
さらにDARCの近藤さんも亡くなられたとか。半年ほど前には翔子さんも亡くなられたし。いったいどうなってるんだろ。
世界は戦争をしてる。いったいどうなるんだろ。
なんか、いろんなことが押し寄せてきて、静かにすべてが終わっていく気がして、少しずつ落ちていきました。

今年もオンライン

今日は日教組の人権教育実践交流集会です。今年も去年に引き続きweb開催です。いや、ほんとうは広島でやる予定でした。フィールドワークなんかも準備されていました。が、やはりweb開催になってしまいました。それにしても、この2年間、ほんとにこんなんばっかりやなぁ。
ちなみに、今年も共同研究者です。考えてみると、現役教員でやってるの、わたしだけか(笑)。まぁありがたい話です。
てことで、午前は打ちあわせ。ところが、パスコードを蹴られてzoomに入れません。しかたないからタブレットから入って打ちあわせ。その間もPCからのログインを試みます。結局打ち合わせの最後あたりでようやく入れました。いったいなにがあったんだ?
で、昼ごはんはもちろんカツを入れます。

午後から集会がスタート。全体会の後、全体講演です。去年の講師は松村智広さんでした。今年は広島県のとある支部の支部長さんが講師でした。いきなり「部落差別の3つの命題」が出てきて、ゲゲって思うなど。いわゆる朝田理論というものですね。『同和はこわい考』の頃までひきもどされる感じでした。まぁでも広島ですからね。
話の内容は、「部落差別はあるよ」って話で、それはその通りです。で「同和教育はやらなきゃならないよ」って話で、それもその通りです。ただ、なぜ朝田理論がここで出てくるのかわからんなぁと思っていたのですが、講師の方が語られる経験談がすごい。露骨な差別発言がガンガン出てくる場所で生きておられる。支部長をやってる人が「隠したくなる」と思ってしまうほど、厳しい現実が、今もある。
そういうところからの発信だと知ると、あらためて「そうか」と思ってしまう話でした。
で、分科会。
まずは東さんから、昨年度に続く、今年度1年間のジェンダーにかかわるトピックスのまとめです。そうか、森善郎の「話が長くなる」発言からまだ1年か。そこから別姓のこととかLGBTの法律のこととか、子ども家庭庁問題とか、今年度も山盛りですね。どんな国やねん。
てことで、レポートです。
1本目は、性別によらない名簿の実施とか、メディアチェックとか、制服のスラックスの導入とか、女性の社会進出とか、そんなことをがんばっておられる実践です。ちなみに、クラスは3年B組なんだとか。いろいろな質問が出たけど、わたしからもしょーもない質問をひとつ。
「北海道の女性って、どれくらいスカートをはいておられます?特に冬」
誰もはいておられないようです(笑)。
2本目は性の多様性を伝える小学校の実践。小学校1年生・2年生に向けてやっておられて、とても貴重だなと思いました。が、内容は、これまでジェンダー平等教育でやってきた「らしさ」をめぐる話だったりして、1本目のレポートとつながっていたり。ただ、ひとつ「ジャイアンがままごと好き」「ドラえもんが笑う」というトピックスを使っておられて、ちょっともやってみたり。でも、これは最後にとっておきましょう。
その後、わたしからひとことコメント。レインボースクールプロジェクトの一部を紹介しながら、2007年当時、セクマイ[1]「へー、セクマイって言うんですね」って言われました。どうやら、死語らしいの人が性の多様性についての授業経験がどれくらいあったかとか、学校にどんなことを求めてるのかとか、そんなデータを紹介。ちなみに、2007年って15年も前ですが、実は、教員の研修経験とか授業経験とか、今もほとんど変わりません。まぁ、そんな衝撃のデータをなぜ知っているかというと、『こころの科学』に書かなきゃならなくて、一生懸命調べたのでした。
で、グループディスカッションを経て、最後にひとことタイムです。
なにをしゃべろうか…。
まずは、北海道の女性がスカートはかないのに、なぜ中学生はスラックスを選択しないのかって話ですね。もちろん、答があるわけではないけど、「なにかがある」ってことです。あとは、中学校のむずかしさですね。結局「性」が「生殖」とつながるのが小学校高学年から中学校なので、やはり「性差を意識させる」ことがタスクになってるんでしょうね。
あとは「性別違和のある子に出会った経験がある教員が多い」問題。これは、学校が性別違和を感じさせやすいからでしょうねって話。これを言ったら笑ってる人がおられておもしろかった。そしてジャイアン問題です。きっと、トランスガールの子は傷つく。もちろん、ジャイアンがトランスガールであってもかまいません。が、ジャイアンを引き合いに出すと、トランスガールって「ジャイアンみたいな男の子が女になりたいと思っている」という、ステレオタイプをつくりだしてしまいかねない。そうじゃなくて、「女なのに男扱いされている」のがトランスガールなんですよね。いわば正反対なんです。だから、教材をつくるときに、あまり「わかりやすさ」に引っ張られないようにする必要があるってことです。
あとは、心がけの問題じゃないって話かな。はじめは心がけでもいいけど、どこかで制度の問題を出さなきゃならないって話です。あとはこの日にした雑談のこととか。
東さんからもコメント。なんか、元気がでるコメントだったなぁ。ああいうコメントが出せるようにならなきゃならんのだろうなぁ。
てことで、今年の人権教育実践交流集会も「退出ボタン」を押したら終了。でも、何人かの人とメールでやりとりして、ほんの少し余韻を楽しみました。
来年は対面でやりたいなぁ。

と、facebookを見たら、野入さんがコメントされてました。
なんでも、ご恵投いただいた『沖縄のアメラジアン――移動と「ダブル」の社会学的研究』にわたしの名前を載せてくださっているんだとか。マジかと思って、そのページを開いたら…。

あった…。「なんちゃってフィールドワーカー」としては身に余る光栄です!

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1 「へー、セクマイって言うんですね」って言われました。どうやら、死語らしい

できない日

朝の通勤電車の中で、いつものようにブログを書きながら、やはり自分にできることは、子どもたちに伝えることかなと。
てことで、職場に着いて、プリントつくって、メールであちこちやりとりして、職員朝礼に出て、1時間目の授業に行ったら、完全に忘れてました(;_;)。
なにしろ、covid-19がらみで2週間ばっか休んだ生徒がいて、てことは12時間分休んでたら、ひと単元まるまる休んだことになります。試験まであと3時間しかないから、その3時間で促成栽培しなきゃなりません。そんなことを考えてたら、飛んでしまったわけで…。
なので、2時間目はぜったいに話すと決意。

どんな理由があろうとも、人を殺してはならない。だから、死刑にも反対。
いま、おそらく、戦争をしている人たちは人を殺しているというリアリティを持たないだろうと思う。だから、戦争ができる。ただ、それはわたしたちも同じ。おそらく君たちには人が殺されているというリアリティがないだろう。たしかに目の前で殺されてはいないからね。それはわたしも同じ。でも、そこで想像力を働かせることが大切。
いま、ミサイルが飛んでいる。そのミサイルを、どういう位置で見るのか。ミサイルが飛んでいく位置で見るのか、ミサイルがやってくる位置で見るのか。最近はネットで動画配信されている。わたしはミサイルがやってくる位置に自分を置きたい。

てことで、期末前だから、「積分?なにそれ、おいしいの?」って思っちゃう人は前に来てね。

まぁそんな話。伝わったかなぁ。きっと伝わってる。その自信は、一緒に1年間数学やってきたっていうことが担保してます。
てことで、今日もやばい子を前に集めて補習です。
2時間の授業が終わったら、なんかグッタリしています。何をする気も起きません。が、やらなきゃならないことは山積みです。そのどれもがすぐにできるものじゃないってのがめんどくさい。すぐにできるものなら、パパっとやれば形になるけど、そうはならないからしんどい。でも、やらなきゃ次に進めません。なので、のつこつしながら、とりま再来年度の仕事のための書類をなんとかやりきって、とりま今回お世話になってる人に送りました。
次の仕事にかかろうと思うけど、まったくやる気が起きません。時間だけがゆっくりと過ぎていきます。まぁいいか。できない日はできない。

合格したり、はじまったり、小さな幸せだったり

今日は午後に合格発表があるので、45分×4コマです。なので、わたしはひとコマなくなる。まぁ、どうせプリント学習だからアレですけどね。
と思ってたら、朝、支店長から
「合格の通知が来たし」
とのこと。もらいに行ったら、こんなのをくれました。

ちなみに、今年度から再任用の人ももらっておられたので、毎年合否判定されるらしいです。やれやれ。
そんなこんなで、再来年度の仕事のための書類を書いてみたり。はたまた送られてきた校正をしてみたり。さらには昨日書いた話を現実にしてみたり。

と、若い衆が
「侵攻したらしいですよ」
と、ひとこと。マジか…。
たしかにミサイルが撃ち込まれる映像が流れてます。
また戦争がはじまった。また市民が殺される。なのに、そこから離れた日本では、とりあえずは日常が続く。まぁ実際は原油価格があがったり、株価が変わったりして、いろいろあるんだろうけど、それらは気づきにくい。わたし(たち)の日常と切り離されたところで人が殺される。
でも、それはウトロの放火も同じこと。放火そのものは、日常と切り離されたところで起こっている。でも、少なくともわたしは、そのことに痛みも怒りもおぼえる。ウトロの人ほどではないだろうけど、心の中に常に残り続けている。そしてそれをより確かなものにするために集会にも参加したし、後付ではあるけど、火事現場の片づけも、それにひと役かっています。
たしかに、日常とは切り離されている。でも、心の中に残し続ける。そして発信する。わたしの場合、この場とか、教室とか。自分に与えられた場所で発信する。

それでも、やはり日常を生きるわけで、今日からリカマンがバーゲンをしてるらしいです。ヱビスのケースが安くなってたら買おうと思って行ったら安くなってたので、ふた箱買って、小さな幸せを感じたり…。

前を向く

年末から年始にかけて「書籍化」する予定でしたが、年明けに書いたように、いろんなゲンコにまみれてたので、まったく書けませんでした。Tさんには「3月末までに」ってメールしたけどムリだな。それでも、とある学会から3月末に〆切のペーパーを書けと言われてるので、それは完成させましょう。ちなみに、内容は9月の発表についてと言われてるけど、他の内容でもいいらしいから、まぁええかと。
で、どんな内容にするかというと、最初のおべんきょ成果をリメイクしようかなと。ただ、まるっぽのリメイクというより、この間ずっと考えてる、わたしのポジショナリティをからめた内容にしようかと。その上で、これの手前までもっていく。
問題は、なにを明らかにしたいかだけど、まぁそれはやっているうちに明らかになるでしょう(笑)。
てことで、もう一回みなさんの「語り」を読み直したり、少し文ペーパーを漁ったり。
そんな中で、ふと気づいて、「語り」の中にあるわたしへの言及を探すと、ありますねぇ。まぁ、当たり前なんだけどね。でも、これ、語り手とわたしとの関係を記述する上で大切な語りです。やはりわたしは「ふたつの環状島の片方は内斜面で、もう片方は外斜面」にいるんですね。そういう危ういバランスの上にいた/いるからこそ聞きとることができた「語り」だということです。そして同時に「ききとることがでぎなかった」語りでもあるということです。
そしてもうひとつ気づいたことは、みなさん、頭がいい。てか、すでに分析しておられる。なので、分析が必要ない(笑)。つまり、ある時に起こったことを自分がどう解釈したかということを、語りの時点で分析したことを語ってくださってるってことです。それも、わたしとの関係における文脈でです。で、その関係とは、さっき書いた「ふたつの環状島」にわたしがいるということです。
まぁ、そんなあたりのことが、少しずつわかってきて、だからどうやねんというと、どうなのかなとは思うけど(笑)、そして「何をいまさら」って言われるのは確実だけど、それを自分で言葉化しつつあることが大切なんだと思うのです。
少しずつ前を向けるようになってきました。とにかく3月末まで没頭しよう。仕事しながら(笑)。
それにしても「書かなきゃならないこと」を書くのは楽だけどきつい。でも「書きたいこと」を書くのはきついけど楽しい。

今年も終わりだなぁ

教員やってると、年末は単なる休みで、年度末が「区切り」って感じです。もちろん、他の仕事でもそうなんだろうけど、教員は生徒のうち1/3が入れ替わるし、そうでなくても相手にする生徒が総入れ替えになるので、やはり強く感じます。いや、もっと大きいのは「教科書の最後」を見るからか。「1冊やりきった」って感じですかねぇ。
今日の1時間目はそんな感じです。だから、あとはすべてプリント学習になります。
「これが君たちの生涯最後の数学の授業やで。あっさり終わったなぁ」
とか言ったらハイタッチしてる子がいて、
「おまえらな」
と(笑)。
もうひとつのクラス、イマイチぴりっとしないところはあるものの、
「これが今日のテーマや」
と言った瞬間、教室の空気がピンと張り詰めた感じがして心地よかったり。
昼過ぎに支店長室に出頭。最終面談です。しかし、支店長も副支店長も後輩やしやぁ。なんか、ダラダラと話のついでに雑談までしてしまいました。来年はどうなることやら。
その後、『環状島』です。
いよいよ、ほんとうに読みたいところにようやくきました。昨日も書いたように、わたし自身のポジショナリティをどう考えるか。内斜面なのか外斜面なのか。はたまた尾根にいるのか。尾根にいるとしたら、内斜面から這い上がったのか外斜面から登ってきたのか。
おそらく、たくさんの「環状島」が交差していて、内斜面にも外斜面にもいる。
ただ、トランスという「環状島」においては、おそらく内斜面を這い上がってきたんでしょうね。そして、記述するところに来た。だからこそ、トランスジェンダー生徒を前にしたとき、外斜面に移行できた。
そんなことを考えてると、メッチャ眠くなったり。
家に帰ると4人のおべんきょ会のzoomおべんきょ会。なんでもブレーンストーミングなんだとか。それなりにキツイけど楽しい時間を過ごして、8時くらいにようやくビールにありつきました。