今日は久しぶりの授業です。まぁ、子どもたちは期末試験→研修旅行だったし、わたしはその間お座敷だったので、こういうことになったのですがね。
てことで、朝イチ、「保健デー」の放送をセットしたり、メールのやりとりしたり。で、落ち着いたところで授業の時間がきました。そうか、40分授業か。
試験返しは悲喜こもごも(笑)。
しかし、マークしてたふたりのうちのひとりは「取り出し」に応じてくれて危険な状況から少し脱したけど、来なかったひとりは撃沈。しかたないので、机のところに行って
「あの時、きみに向けて「おいで」って言ってたんだよ」
すると
「そうやろなーと思ってた」
と
「なんで来なかったん?来なくて、笑いながら楽しそうにしている姿を見た瞬間にオワタと思ったよ。次は必ずおいでな」
「うん」
さて、どうなるか…。
午後は「保健デー」。なので、昼休みはスクリーン吊りと放送セット。講師の方が来られたので、動画の確認。うーん、再生しない。ちらりと「Quick timeに対応してない」とか出てきたから、そのあたりかな。なんでも職場では再生できたんだとか。まぁ、うちの職場のPCに入ってるpower pointは2010やからなぁ。
「新しいのを借りてきて」
とやってたら、生徒が入ってきて少し焦るなど。最終的に、古いPCはD-sub15でつないで、新しいPCはHDMIでつないで、音声はプロジェクタからとってくることにしました。ただし、テストしてないのがこわいです。たぶん爆音が鳴るやろな。
なんでも動画の再生は40分くらいあととのことなので、セットが終わったら、とりまおべんと。おべんと食べながら、とあるゲンコの書式をつくるなど。
食べ終わったら体育館へ。ちょうど望まない妊娠の話に入ったところです。
避妊、大切だよなぁ。あと、中絶のことも大切だよなぁ。
「中絶は獲得した権利」
って言い切っておられる助産師さんっていいなぁ。
ともすれば、「産むことが正しい」みたいな、当事者を置き去りにした価値観の押しつけみたいなのに巻き込まれてしまいがちだからなぁ。でも、実際産むと、確実に「産ませたヤツ」は逃げるからなぁ。
そうならないためにも避妊は大切だし、確実に避妊するためには妊娠のプロセスを知ってないといけない。そういう科学的な知識は、やはり「ジブンゴト」として教えなきゃね。
ただ、一方で、若年で出産したカポーが、例えば学業を続けながら子育てできる社会じゃないと、本来はアカンと思います。これは価値観の押しつけではなく、中絶しか選択肢がないってのがアカンって話です。「出産・育児か高校か」みたいな社会は間違ってると思うし、例えば高校生の妊娠を隠さなきゃならないような社会は間違ってると思います。だって、その背後にあるのは高校生は妊娠してはならない=純潔教育があると思うからです。産まないのは権利だけど、産むのも権利なんで、それは高校生にも保障されるべきだし、保障されるということは、それが可能な社会である必要があるってことですよね。
なんか、そんなことを考えたので、講演のあと講師さんにひとこと話をしに行ってみたり。で、職員室に帰ってメールチェックしたら、ここが見つかってしまってることがわかってビビるなど(笑)。
放課後はノートの点検。終わったら4時。うーん…。腰が痛いから走るか(笑)。
てことで校舎まわりを5km走りました。アベレージは6分42秒→6分16秒→5分59秒→5分33秒→6分22秒。3kmと4kmは飛ばそうと思ってたから、いい感じです。
帰ってきたら、即着替えて脱出。今日は「ちょぼやき会」の望年会です。ほんとは「多様性ワークショップ」をやってからの飲み会の予定だったけど、参加者が少ないのでワークショップは2月にまわして、今日は飲み会のみ。
メンバーはF尾さんとUりんちゃんとわたし。
話はお座敷のことだったりします。まぁ子ども相手の話は、いつもドキドキってこととか、だんだん自分の話をしなくなるねってこととか。はたまたアウティングとカミングアウトをめぐる話とか。つくづく人権がらみのことしか話せない面々です(笑)。
そんなこんなで、あっという間に2時間のコースが終わって、その後クールダウンでしばらく話してバイバイ。
しかし赤ワインをかなり飲んだから、明日はしんどいかもね。まぁいいか。望年会です。
カテゴリー: 考え
誰が社会を動かすか
朝、7時前に目が覚めました。ここしばらく目覚ましで起きるのではなく、自然に目が覚めているので、朝が楽です。やはりこういう生活が必要なんだろうな。仕事なんて「反自然」なんでしょうね。まぁ、生きるためには仕方ないというか、生きることそのものが「反自然」なのかもしれませんがね。
で、卵を焼いてコーヒーを淹れて、猫の額。
さすがに寒いです。なので、早々に中に入りました。で、走る準備です。ここしばらくは平坦路を走ってきましたが、今日は久しぶりに坂道を踏みたいなと。てことで、ラン開始。朝の空気がメッチャ冷たいです。なかなか身体の中に入ってきません。前半は登りなので、それと相まって、かなりきついです。それでも、スマホのコールによると、6分30秒を切ってるみたいです。おかしいな。メッチャゆっくり走ってるのにな。このコース、3kmまでが登り区間です。特に最後がそうとうにきつい登りで、ここを登れるかどうかが分かれ道です。まぁ急ぐわけではないから、ゆっくり登りましょう。登り切ったら、あとは下るだけ。このあたりから身体が緩んできて軽くなりました。そうか、身体が温まるって、こういう感じなんだ。あとは下り区間と平坦区間なので、気持ちよく走りましょう。で、結局7kmちょい走りきって、アベレージが6分17秒。区間ごとのタイムは6分28秒→6分21秒→6分16秒→6分18秒→6分19秒→6分05秒→6分18秒です。ビックリしたのは、最初の3kmがけっこういいペースだったんですね。この3kmで100mくらい登ってるから、たいしたものです。うれしいな。
帰ってきたら筋トレ。
昼のビールがうまいです。
午後は、某翻訳です。翻訳こんにゃくがほしい。あ、DeepLがそれか。でも、これがなぁ。まぁとにかく、いろいろ見比べながらの作業ですね。
そう言えば、Y本Rさんが亡くなられましたね。これでご一緒したのが最後かな。
Rさんの思い出というか何というか。もともと2002年頃かな、わたしに.jpの関西支部長をやってほしいという話が「鴉さん」という方を通してありました。いろいろ考えた結果「わたしは「玖伊屋のいつき」だ」といって断りました。このあたりから関係がこじれたのかな。まぁでも断ってよかったと思っています。だからこそ、いろんなことができました。やはりピンがあってるんでしょうね。
その後、まぁ嫌われましたね。たった一度だけ.jpがらみのシンポのオファーがあったときは、総帥自らが「出る」とか言われたらしく、まぁ関係はこじれまくっているのですよ。ただ、Rさんとわたしの共通点や差異点はこのあたりにあるってことはわかっていました。わたしもかつて藤村美沙さんから「あなたはTSですね」って言われたことがありましたからね(笑)。そういうことがなんとなくわかってたので、沖縄のGID学会で和解しようと思ったんだけどな。でも、やはりダメだったんだろうな。てか、大阪の交流会にかかわっては、マジでいろいろややこしいことがありました。まぁでも第19回GID学会@北海道の時のこのやりとりで、完全に潮目が変わったなぁという気はしましたね。で、その後にあった懇親会の時にいろいろ話をしました。
まぁいろいろありました。特例法の時は、「協議会派」「.jp派」「トランスジェンダリズム派」みたいな感じで分類されていましたね。ただ、わたしは関西ということもあってあまり発信しなかったけどね。たしかに特例法によって救われた人がいるわけで、功罪の「功」があることはもちろんなわけです。が、あの法律の成立にかかわっては、いろんな人が動いていました。Rさんと厳しく対立していたゼロ島さんなくして成立しなかっただろうと思います。もちろんH間さんとかT井さんとかもね。
誰かヒーローがいて社会が動くわけじゃない。さまざまな人々の多様な動きの力学の中で社会が動いていく。そんなことを感じますね。
「らしさ」考
今日は神戸市の北の方にある小学校でお座敷です。なので、おにぎりを持って移動開始。新開地を越して、さらに進みます。てか、新開地に来たの、はじめてじゃないかなぁ。だいたい三ノ宮までですね。神戸電鉄に乗ると、電車はすごい勢いで急勾配を登っていきます。と「鵯越」なる駅があります。あの「ひよどりごえ」か?えらいところです。さらにトンネルの中も勾配です。そして到着した駅から向こうが下っているので、ここは峠の駅なのか?
降りると寒い。あたりまえか。
とりあえず学校の中に入っておにぎりをパクつきます。うまいなぁ。
で、ごあいさつ。なんか、バタバタしておられます。それもそのはず、午後イチの授業は公開授業で、近隣の小中学校のみなさんが続々と来られます。なので、わたしも勝手にうろついて、授業を見させていただきます。
今回の公開授業は、基本的には「性の多様性」がテーマとのこと。各学年でテーマを決めてとりくんでおられます。わたしが入ったクラスは「女らしさ/男らしさではなく、自分らしさを」という内容です。はじめに「女らしい◯◯/男らしい◯◯」というイメージに沿ったものを子どもたちに出させます。例えば色とか仕事とか遊びとかですが、子どもたちは見事にジェンダーバイアスのかかった答を出してくれます。すごいな。せんせいはそれらを黒板に書いていく。で、最後に「女らしさ/男らしさ」をひっくり返して「どう?」と問いかける。子どもたちははじめは反発するけど、たたみかけると「反対にしても大丈夫だと思います」みたいな子どもが出てきて、みんなが「そうだそうだ」となる。絵に描いたような授業です。
小学生だから、ああいう感じなのかな。でも、もやるところもあります。それは、「性の多様性につながるのか?」ということです。
例えば、トランスジェンダーにかかわる話でいうなら「らしさ」の話ではなく「割り当て」の話が問題なんですよね。例えば典型的なトランスジェンダーの場合は、「性自認とは異なる性別に割り当てられている」ことが問題なわけです。あるいはXとかノンバイナリーの場合は、そもそも「割り当てられる」という行為が問題なわけです。でも、「らしさ」は、「すでに割り当てられた」人が、どのようなジェンダーを生きるかということで、割り当てそのものは問題にしていない。だから、例えばトランス男性に「男らしくしても、それはあなたらしさ」とか、トランス女性に「そんなに過剰に女らしくしなくても、あなたはあなたのままで」とか、さらには「トランスジェンダーはジェンダーを強化する」とか、まぁいろんな話が出てくるわけです。このあたりをどう説明したらわかってもらえるかなぁ。
もちろん、「自分らしさ」の授業そのものは大切です。でも、それがそのまま「性の多様性」につながるわけじゃない。さらにいうなら、トランスジェンダーの子どもがその授業を受けたら、どんな思いを抱くのかな。もしかしたら、自分を否定するかもしれない。
そんなことを思いながら、第2部の会場の体育館へ。ここからが本番です。
ちなみに、この学校、これまでにKうさんとかIっぽ&Kんちゃんとかに来てもらっています。もう、わたしはしゃべらんでええやんと思うのですが、まぁ、わたしならではの話をしましょう。
ということで、ミッション3です。
とにかく寒いので、しゃべりが暑くなります。よくないな。よくないけどしかたないな。てことで、いつもの通り、笑う間を与えずネタを繰り出します。案の定、笑いが起こらない(笑)。まぁ自業自得です。
みなさん、すでにいろいろ知っておられます。なので、そういう知識の斜め上を行く話をしなければ、相手にしてもらえません。まぁでも、そのあたりがわたしの持ち味なので、あまり気にせずにガンガン進みましょう。
てことで、最後にふたネタ残して1時間40分ちょうどで終了です。みなさん、煙に巻かれてくださったかな。
終わったあと校長室でコーヒーをいただきながら、しばし話。でも、あまりゆっくりしたら、帰るのが遅くなります。てことで外に出たら、すでに暗い。そして寒い。神戸市北部をなめていました。反省です。
さあ、帰ってお風呂に入ってビールを呑もう。
やはりおもしろい・全同教1日目
今日から明日、久しぶりに全同教大会があります。前回はこの時かな。3年前になりますか。2020年は中止。2021年はレポート集の発行のみになりました。結局、新潟には行けませんでした。で、今年は久々に対面で開催となりました。が、人数制限をかけているので、果たしてどうなることやら。
てことで、奈良に向かうわけですが、昨日の前夜祭で少々しんどい。結局、西大寺までぜいたくをすることにしました。
わたしが参加する全体会の会場はサテライトです。それでも会場の外で声をかけられたり、受付に知り合いの方がおられたりして、いつもの全同教ですね。どうやら中には「暑い人」がいるらしいです。
で、全体会。メインは鼎談ですが、うーんとなりました。人権って、人と人との関係にとどめていいのか?もちろん、その側面はないわけではないけど、そこにとどめないのが全体会における鼎談じゃないのか?なんか「人権=共助」みたいな図式を見せられた気がして、フラストレーションが溜まりまくりました。
で、昼ごはん。暑い人と一緒に行くことにしました。
それにしても、食事の時も人権の話しかできない面々です。それでもAランチ、めっちゃ美味しかったです。
久しぶりに「ちゃんとした」ハンバーグを食べました。
で、午後の分科会。ここでK野さんと合流です。さてさて、どうなるか。
今回の分科会は、なんとなく部落問題学習にかかわるものが多いですね。まずは「授業で勝負」みたいなレポートです。
「授業で勝負」はキライじゃないです。でも、きっとそこからスタートした「変化」があるはずです。それが聞きたいな。なので
「こぼれ話があったら聞きたいです」
という質問。するとおもしろいエピソードなんかを教えてもらえて、よかったよかった。
2本目のレポートは出身教員の方のレポート。なかなか全校に広がらない部落問題学習を広げていくために、自由参加の校内研修をしたりされているとか。ていねいな実践をしておられることが伝わってきます。ただ、その中ですんごい大切なひと言が…。
「LGBTの研修だったらいっぱい話をしてくれるんですが、部落の研修だとみんな黙ってしまうんです」
これ、明日のネタやな。
3本目のレポートは、ふたりの生徒の出合い直しに立ち会った話です。たぶん、「夕焼けがうつくしい」が出発点にあるので部落問題学習関連にされたのかもしれませんが、ほとんど出てきません。どちらかというと、今回のレポートを生徒と読み合わせる中で、新たな展開があって、それをレポートするという、何だかメタレベル的な内容です。でも、それがとてもいい。ただ、すんごい大切なひと言が…。
「子どもたちが出会う場所に、自分は立ち会いたい」
これも明日のネタやな。
てことで、1日目は終了。問題は、晩ごはんの場所が決まっていないところですね。なので、K野さんに任せて、わたしは宿にチェックイン。速やかに「走り」です。どれくらい走ろうかな。30分では物足りないです。なので、42分、6.5kmくらい走りました。アベレージは6分34秒。46秒→48秒→43秒→32秒→25秒→20秒と変化したので、いい感じです。
宿に帰ると、相部屋のお友だちが帰ってきておられました。なので、今日の感想を交わしながら、わたしは筋トレ。
と、どうやらお店が決まったらしいです。
「JR奈良駅の中にある…」
あそこか(笑)。
で、徳島の皆さんと合流。こちらは福岡・京都の混合部隊です。やがて、島根の人が合流。そうこうするうちに、熊本の友だちが顔を出してくださって。そして、福岡のお友だちが合流。
そんな感じで、あーだこーだと飲みは続きます。
と、K野さんが
「かすうどんが食べたい」
と宣われたので、かすうどんのお店へ。ちゃんとお酒も置いてますね。よかった。
と、そこに福岡のお友だちの仲間が合流。レポーターさんなので、ここからまたまたレポートにまつわる話とか。
そんなこんなで、お店を出たのはいつかわかりません。それでも、帰りにプチフィールドワークをしたりして、宿に帰る前に、コンビニで明日の朝食&缶チューハイをゲット。
結局寝たのは2時前です。やばいな。
「一人になる」
今日から2年生は期末試験です。なぜかというと、来週から研修旅行に行くからです。なぜ来週かというと、1・3年生が期末試験だからです。こういう日程にしたら、授業の代講を考えなくていいという。ちなみに、わたしが担当してるクラスは2年生なので、授業はなくなりました。試験カントクだけです。
てことで、まずは解答づくり。50分の試験を30分で解けました。そりゃそうです。見た瞬間に解いてます。計算にしても最小限で終わらせます。そんなもんです。だから間違う(笑)。そして配点。問題数を数えて、1問あたりの配点を計算して、ほんの少し荷重して割り振ります。まぁたいてい98点とか102点くらいになるので、最後に微調整しておしまい。もっとも、たまに100点になってないことがあったりします(笑)。ちなみに、100点になってなければ、その差点を全員にあげればいいと考えられるんだけど、実はそうはいかない。点数の計算のときに、×が多ければ足し算しますが、○が多ければ×の点数を引き算するんですよね。すると、例えば全部で98点しかない場合、加点法で計算した生徒は2点あげれば100点満点になるけど、減点法の生徒はそのままで100点満点になる。
てことで、解答と配点を何度かチェック。まぁでも、それでもミスが出るときは出る(笑)。
その後、試験カントクしたり。
で、事務室に行くと、DVDが来てました。「一人になる」です。さっそく見ましょう。
ちなみに「小笠原登」って人、どこかで見たなと思ったんですが、「不治にあらず」って番組を見たんだな。
で、はじめの方は、はいはいはい。なるほどみたいな感じだったんですが、どんどん引き込まれます。それは小笠原さんというよりは、絶対隔離の政策がどのように進められ、それに医者や「名士」がどのようにかかわったかってあたりです。てか、癩予防協会の初代会長が渋沢栄一ってはじめて知りましたよ。そんな人を紙幣のデザインに使う感覚ってどうよ。もっとも、wikiせんせいを見たら本文ではなく、最後の表の中にちょこっと書いてあるだけですけどね。
で、藤野豊さんの解説がいい。
「あれは政治的なやりとりですね」
みたいにバッサリとやられます。
ただ、この解説がとても大切なのは、ハンセン病対策は病気としてでなく政治的としての課題だったってことです。そこに患者と家族が巻き込まれた。そしてだからこそ、それを病気として見た人が否定された。
まぁ、そのあたりは昔も今も何も変わってないですね。HIVしかり、covid-19しかり。
じゃ、医者がみんな政治に負けてるか、あるいは政治に追随する医者だけかというと、まったくそんなことはない。実はDVDを送ってくださったのは和泉眞蔵さんで、この人も小笠原さんのあとを引き継いだ方です。なんでも国賠訴訟はこの人の証言抜きには勝てなかったとか。てか、そんな人とこの間やりとりしてたんだ。無知って怖いわ。
ちなみに、この人だってこの人だってこの人だって、たぶん政治に負けてない人たちです。もちろん常に正面衝突し続けてるわけではないけど、でも、衝突はしてます。
そうそう。小笠原さんが最後に奄美の和光園に行かれたのもおもしろかったですね。隔離政策を否定し続けてきた人が、最後に国立療養所に行く。なんとなく、それもさっきのお三方と共通するものがある気がします。そこもまた現場ですからね。
映画を見終わったあとはボーとしてました。
ハンセン病をどのように教えるのか。過去のことではなく今のこととして教えるのは、おそらくはこんなのもつくったから、できないことはない。でも、あんなのは誰でもできます。やるなら、もっとハンセン病にこだわってやりたいな。
そんなことを考えながら、結局は1日が終わりました。まぁでも、こんな日があってもいい。
むずかしい・楽しい
今日は出張がない火曜日です。なので、いろいろ雑事ができるなと。
てことで、一本早い電車で出勤。誰もいない職場は気持ちいいですね。このまま誰も来なければいいのにと思うけど、それは本末転倒なんですね。
やがてみなさん出勤。と、不安が的中。1時間目に自習カントクが入りました。やれやれ。まぁでも代講ではないだけマシですね。代講は自分のスタイルで授業できないから難しいです。
そのあとは時間があります。この時間を有効に使わねば。
まずはゲンコかな。話はリビングライブラリまでようやく来ました。2014年にスタートしたんですね。あの頃は忙しかったなぁ。前のおべんきょ場所の最終年度で、インタビューもしたしおべんきょ成果も書いてたし。それ以外にも、あれやこれやとやってました。そんな中でやったんだなぁ。攻めてたなぁ。今もか(笑)。
で、最後までとりあえずいったので、寝かせます。お次は「コインをパタン仕事」です。ちなみに、このフレーズはこの本の中に出てきます。主人公は自分の仕事をこう表現するのですが、実際はたいへんですね。一行コインをパタンするために、すんごい時間がかかる。もっとも、文脈がわかっていればそんなでもないのかもしれませんがね。
例えば「culture」という言葉。もちろん「文化」ではあります。これを「multicultural education」と使うと「多文化教育」です。ただ、ここでいう文化は「国際色豊か」って話ではなくて、例えば障害・高齢・ジェンダー・セクシュアリティなんかも含めた「文化」です。でも、それに相当する言葉が思いつきません。同じことは「competency」にも言えるかな。「能力」なんだろうけど、例えばここにあるように、かなり能動的な能力を指すようです。ちなみに、わたしが「コンピテンシー」という言葉と初めて出会ったのは人権教育においてつける力という文脈で、「はあ?」ってなったのを覚えています。いや、意味はわかるけど、英語で言うなと思ったのですが、英語でしか表現できないんだろうな。うーん、「問題解決能力」「問題解決遂行能力」。知らんけど。
もうひとつ「えーと」ってなったのは、「discipline」ですね。「規範」とか「鍛錬」かな。ただ「each discipline」とあって「それぞれの鍛錬?」と思ったら「各分野」かよ。他にも「medical」と「health」をどう表現し分けるかとか、このあたりは日本語の問題かな。
まぁそんなことを悩みながら、でも、ぜいたくな悩みではありますね。ただ、こんなことやってたら、また書籍化が…。
てことで、夜の仕事へ。
今日のひとり目は縄文時代を扱われます。いきなり
「縄文時代の前は?○○さん」
と指名すると
「新石器時代」
とか答えられるここの学生さんはすごいな。
で、模擬授業は完全にしゃべりと板書とワークの世界です。
やはり板書はいいですね。まず、黒板は広い。スクリーンの狭さとは対象的です。まぁ、うちの職場はスクリーンを黒板に貼りつけるので、その横が使えるし、そもそも電子ペンで書き込みできるから黒板の一部なんです。が、ここのスクリーンは一般的なものなので、ほんとうに見せるためです。なので、あえてそれを捨てる。すると広大なホワイトボードの世界がそこにあらわれます。
ただ、授業そのものの「切り替え」とか「歯切れの良さ」は落ちますね。そのあたり、どちらをとるかとか、どう融合させるかとかかな。今回は先週書いたように、履歴とか差分とかを意識した授業だったように思いました。
で、次の人は「防災」をテーマにした総合の授業。すでに子どもたちはタブレットを持っているので、それを意識した授業でした。
本来はロイロノートを使いながら、生徒と教員のやりとりをスクリーンに映して共有する授業をしたかったそうです。ただ、学生さんなのでスマホしかない。そこで、メモをスクショして、みんなが入ってるライングループに投げるという方法で共有されました。すげえな。いや、ICTってこういう感じでやるんやなと、勉強させてもらったけど、一方で
「前に出て書いて」
と同じやんかというツッコミも入りそうです(笑)。
ただ、オンラインとかになると、こういうやり方しか共有の方法がないのかな。
まぁなんしか、そうかぁという授業でした。
とにかく、毎回のことだけど、おもしろい。そして、どんどんうまくなるし、コメントもよくなってきます。わたしが言うことがなくなるな。
まぁただ、コミュニケーションカードを出してくれないのだけはどうしたものかと(笑)。
そんな感じで、今日も最後は楽しく終わる火曜日でした。
時の流れ
今日は午前午後ともに出張です。なので、雑用は何もできません。
午前の出張は、山間にある小さな町で情報交換。保・小・中のみなさんは共通認識を深め、時に更新する。高校はそこに新しい風を入れる。そんな役回りかな。
それにしても、小学生と保育園児がつくったダンボールハウスがかわいい。
「おかしのおうち」らしいです。
午前の会議の後は1時間ほどかけて午後の会議場所へ。山の上にあるガッコです。ちなみに「響け!」のモデル校です(笑)。
こちらは近隣校の人権教育担当者の会議です。それぞれのガッコのとりくみを出しあって、刺激しあいます。ただ、今日はいつになく淡白かな。
会議が終わったら夜の仕事です。が、このあたりで燃料が切れてきた感じです。力が入らない。なので、燃料補給。
買い食いです(笑)。
なんか、衣が多すぎる。しかもサクサクすぎて、なんかもう。まぁでも、こういうものなのか。これで少し血糖値があがったので、身体はもつでしょう。
夜の仕事、楽しいです。
今日もふたり模擬授業をしてくれました。
ひとりは前回に引き続き、板書を使った授業です。今回はグループワークに挑戦しておられます。
最小限の情報だけ与えて、それをつかってペアで分類していく。これ、おもしろいです。パズル感覚です。しかも、ここでこれをやれば、「なぜそうなるか」が理解できるから、忘れても分類しなおせる。「やること」を覚えるのではなく「やりかた」を覚えることをめざしている感じです。
これ、模擬試験なんかを受けることを意図しておられて、そういう意味ではドンピシャですね。あとは、ヒントの出し方をシェアするとか、いろいろテクニックはあるけど、それはそれ。
もうひとりもおもしろい。ポケモンから宗教へと流していく導入はなかなかです。あとで聞いたら、かなり「仕込み」をされてたみたいです。てことは、それだけこの模擬授業にリソースを割いてくださってるってことで、それは光栄としかいいようがないですね。
スライドを使った授業もテンポがいいです。そして人権への配慮も忘れない。ワークシートも穴埋めを嫌ったとのこと。いいですね。
ただ、スライドを使った授業への違和感が少しありますね。なんなんだろう…。
そうか、画面が切り替わるんだ。それは普段の教科書投影方式の時も気になってることです。
「いいかい、スクロールするからね。消すよ」
ってやって、ボタンひとつで書いた内容が消える。そしてそれはもとにもどらない。
でも、黒板に書いたものは、上書きするまで時間がかかるから残ります。残るということは、比較できるということです。比較するということは「差分」を認識できるということです。これ、案外大切じゃないかな。
ワークシートに履歴を残せるように準備してくれているので、個々人は比較できるんですが、共有できない。そう考えると、スライドを使うようになる前は、スライドをフリップにしてマグネットで貼ったりしてました。そうすると履歴が残るから比較できる。まぁプリントアウトがたいへんですけどね。
テンポのよさが諸刃の剣になるということなのかな。
でも、ふたりともおもしろかった。
豊かな気持ちになって、帰り道は恒例の会議にzoom参加。なんでも今のやり方は今回までで、次回からやり方が変わるんだとか。それにともなって、わたしの立場も変化します。まぁ、必要不可欠な立場ではなかったから、それはしかたないですね。
家に着いてからは、今後の方式についてのレクチャー。で、9時過ぎに終了。疲れた。
まぁ、忙しい人たちだし、年齢も上がってくるし、それぞれの隙間の時間を使ってコメントして、それを持ち寄るってのは合理的です。みなさんを拘束する時間は大幅に減ります。ただ、その合理化の中で失うものもあります。明らかにT田さんはそのことを気にしてる。もちろんそれはみなさんわかっておられることです。結局、どちらをとるかってことです。で、合理性をとった。
まぁ時の流れかな。けっこう楽しかったんだけどな。もう、ああいう時間は来ないんだろうなと思ったら、少しさびしいな。
まぁ、時の流れかな。
作文にまみれて、血圧は下降気味か?
人権学習の翌日は作文読みと決まってます。てか、決めました。
かつて担任をやってた時は、速報版で「おもしろいやつ」を学級通信に載せて、さらに翌週のロングホームルームで全員分を返すってやってたけど、今の担任さんに「やれ」とはなかなか言いづらいです。まぁ、わたしがやらなかったら、やってくれる人はきっといるけど、やらない人の方が多いだろうから、やはりわたしがやるしかない。クラスづくりって、そういうところからやっていくものなんですけどね。クラスづくりという言葉も死語か…。
まぁなので、できるだけ早く子どもたちに作文を返したい。作文は鮮度が命です。となると、水曜日に書いた作文は木曜日に読んで、できれば入力を終えて、金曜日か遅くとも月曜日には返したい。必然的に、翌日は作文祭りになるということです。
なので読みはじめましたが…。
うーん。やはり1年生やな。話が聞けてない。その場で話されたことをそのこととして聞くのではなく、自分の文脈で解釈してるから、自分の文脈の補強にしかなってない。
具体的には、昨日書いたように「個人と社会の距離を困難とする」というのが小林さんがたどり着いた障害の捉え方なんだけど、それを「障害者と健常者の距離」と勘違いしてる子が多数います。そうなると、「社会がどうあるか」ではなく「自分がどうするか」になってしまう。それではまったく話が変わってしまう。
まぁそれでも「当事者の話を聞く」という言葉は残ってたみたいなので、それはいいんだけど、その言葉の意味も変わってくる。
でも、だからこそ作文を返す必要があるんでしょうね。もちろん「そのこととして聞いている」子どももいるから、そういう作文を読むことで「そうか」とわかってくれる子も出てくるかな。
ただ、もちろん授業はあるわけです。なぜか、いつになく引き締まった感じです。ここしばらく少し苦言を呈してきたからかな。でも、気にしてる子がやらない。わからないことを放っておいてます。どうしたもんだろ。
午前のうちに作文読み完了。速やかに入力開始。少し入力を進めたところでおべんと。ふぅ。
食べ終わったら作文入力と思ったけど、メッチャ眠いので、しばし横になります。でも、あかんあかん。再び作文入力開始。
と、若い衆が突然掃除をはじめました。この音が大きい。机に突っ伏してた他の若い衆が
「お前はオカンか」
とか言ってます。なるほど。しかし、掃除の音を変換するのはやめてほしいな。
そんなこともありながら、作文入力終了。
ちなみに、担任さんに子どもたちが誤読してたことを話すと
「それでと、せんせいがはじめにコメントしてくれたから、何人かは「個人と社会の距離」と捉えられたんですよ」
と言ってくれて、やはりそういうのが必要なんだと思ったり。
てことで、クタクタになったところで定時が来たので退勤。
今日は帰りにお医者さんに寄らなきゃなりません。
「血圧、いかがですか?」
「地味に下がってます」
と、血圧の表を見せました。
「下がってますね。なにかされてますか?」
「土日は走ってます」
てことで、結論は
「行いがいいし、今の薬をもう少し続けましょうか」
とのこと。行いは悪いけどね…。
それでもようやく2学期の人権学習が終わりました。明日から別のことができそうです。
わわわな1日
今日は午前も午後も出張です。まぁ午前が出張なのは助かります。一部例外を除いてですが。ただ、どうやら昨日の夜にA〇澤さんからメッセージが来ていたみたいで、それについて調べてしまったから、起きた時間は一緒ですね。ただ、家でゆっくりできるのはありがたいです。
てことで、朝は少しゆっくりして、第2のふるさとへ。今日の議題は学力をめぐる話です。
最近のテスト問題って、めちゃくちゃ文章が長くてまわりくどい。結論はたいしたことないのに、無駄に迷走するようにしてある。でも、日常生活ではそんな文章に触れる機会はない。そしたら、そんな文章を読解する必要なんてないじゃないかと。今、必要とする学力ってなんやねん、また、求められている学力ってなんやねんという話。
そこでわたしにいきなり質問が飛んで来ました。
F「iphoneの操作って、どういう力が必要なんや?」
えーと…。
い「学力はいらないです」
F「そしたら、どういう力が必要なんや?」
い「直感ですね」
F「そやな。取説ないもんな」
い「わたし、androidとipad使ってます。androidは、ファイルをどこに保存するかを自分で選択します。なので、どこにあるかが把握できる。でも、ipadは自動的に保存してくれるから、わざわざ保存先を選択する必要がない。わたしはそれがものすごく使いにくい。自分で把握しておきたい。でも、一般的には勝手にやってくれる方がいいらしいです。まぁマニュアルミッションか自動運転かって感じですかね。わたしはマニュアルミッション派ですけどね」
みたいな。
おそらく、今、「ユーザーとして」生きるだけなら、巷でテストに出てくるような学力は必要ないです。てか、ほとんどの人はスマホやタブレットにワープロや表計算などの機能は必要としていない。使うのはカメラとSNSや動画配信サービスへのアクセスかな。あと、クリエイティブな人は写真の加工とか、動画編集や作曲かな。これらも直感的にできて、高いクオリティのものが完成する。理論や理屈はいらない。これらを触るのに、テストに出てくるような学力は必要ないです。
てことは、例えば就職時に
「表計算ソフト使えますか?」
と聞かれる。すると
「使えません」
と答える。すると、表計算ソフトが不要な仕事にまわされる。そして、表計算ソフトを使う仕事には一生つけない。別に表計算ソフトを使う仕事がえらいとは思わないけど、選択肢の幅が狭まる。
一方、ややこしい文章につきあえる忍耐力と読解力がある一部の人間は「ユーザーではない」生き方も選択できるようになる。それはもしかしたら「提供する側」になるかもしれない。提供する側って、デバイスを通して「ユーザー」をコントロールする側、つまり社会をつくる側だったりします。
こうやって、多くの「ユーザー」と、一部の「提供する側」をつくる。その選別のために、ややこしいテストがあるんじゃないかなと。
問題は「楽しく使えればいいじゃん」という世界が確立していて、そういう人は「だから読めなくていいじゃん」という価値観も確立している。だから、人々は積極的に「ユーザー」になり、消費する側にまわる。こうやって、人々は二分されていく。
デバイスが使いやすくなることによって、例えば障害者が社会にアクセスしやすくなるというメリットはもちろんあります。それはそのためにあればいいはずなのに、でも、それを利用して人々を二分するという新自由主義的な目論みを持った「誰か」が、この社会を誘導していく。
もしもそう考えることができるなら、あらためて「学力ってなんだ」という古い問いが、ここで再び浮上してくるんじゃないかな。
そんなことを考えた午前でした。
午後は近場の人権教育担当者の会議です。まぁいろいろと論議をしたあと、最後にビデオ動画視聴。「君が僕の息子について教えてくれた」の前半です。
とてもいい映像ですね。ただ、これを子どもたちはどう捉えるか。
紹介してくれた人権担当者は、自校の生徒が、例えば電車で「それらしき人」に会ったときに、今であれば「キモい」とか、下手したら写真を撮りかねない。でも、この映像を通して、「そういう人なんだ」と認識を変えてくれたらという期待を持っているとのこと。うちの生徒も同じことをやるだろうから、とてもよくわかります。ただ、それはそれでなんだかなと。「当事者」に着目することは、えてして「感動ポルノ」になりがちです。なので発言。
「あの映像には、本人と母親と作家の3人が出てきますよね。その誰に着目するかが大切なんじゃないかなと思います。わたしは作家に着目します。なぜなら、コミュニケーションを取りたいと思うなら、取りたいと思う側が相手に合わせることが必要だと思うからです。もちろん、コミュニケーションをとるのが苦手な人がコミュニケーションを取りたいと思った時に、その人がなんらかのツールを使うのはいい。それは、その人がコミュニケーションを取りたいと思っているから。でも、わたしたちは、つい、コミュニケーションが苦手な人に対して、「そちらが合わせろ」ってやってしまいがち。それは間違っていると思います。やはり、コミュニケーションを取りたいと思う人が相手に合わせる必要があると思う。その時、作家の態度が参考になる気がしました」
みたいな。もちろん読み筋は「ある時聞いた講演」です。
そんな感じで午後の会議も終了。
お次は夜の仕事です。最寄りの路線が人身事故で止まっていたのでどうなるかと思ったけど、全部止まっていたから、運転再開したら、定時運行になるという不思議です。なので、やってきた電車に乗って、仕事場へ。余裕で間に合ったので、メールを一本。
で、お仕事開始。今までは、わたしが話をすることが多かったけど、今回からは学生さんに話してもらうことにしようかなと。なので、ディスカッション中心の運営をしてみました。さすがに皆さん、いろいろおもしろい意見を出されて、すごく参考になりますね。みんなで考えるってこういうことなんだなと、あらためて思いました。
そんなこんなで1日が終了。約12時間、脳みそを使い続けたな。さすがに疲れました。ビールが恋しいな。
多様性と特権を考える
今朝はなにもない休日です。とにかくのんびりしましょう。
朝ごはんを食べて、しばしボー。うーん、そうだ、散歩に行こう。もちろんほんとうは走りたいけど、この間
路線変更せざるを得なかったので、今日も念の為に歩きです。どれくらいのペースでどれくらいの距離を歩けるかな。てことで歩いたら、5.3kmを55分くらい。途中写真を撮ったり信号待ちをしたりしてたので、だいたい1kmを10分ですね。歩きとしてはいいペースです。てか、散歩というよりもウォーキングだな。でも、軽く汗ばんでいい気持ちです。
昼はビールを飲んで、これまたいい気持ち。少し昼寝をして、ここからはおべんきょです。と言っても、書籍化のためではなく、月末〆切のゲンコのためです。引き受けなきゃよかった。まぁでも、おべんきょしてからのゲンコなので、それはそれか。
おべんきょのネタは、今頃の『真のダイバーシティをめざして』です。
この間、あちこちで「特権」の話とか「マイクロ・アグレッション」の話とか、はたまた「差別はたいてい悪意のない人がする」話とかが語られています。まぁそれそのものは、実はそんなに新しい話ではないと思っています。が、それが書籍として出てきたことはすごいことだなと。というのは、それが直感とか経験とかではなく研究として形に表されているわけですからね。逆に言うと、わたしの直感が正しかったってことを言ってもらってるのだから、うれしいです。そして、その直感に言葉が与えられ、さらに理論化できるなら、したほうがいい。ちなみにこの間の部落問題学習も、読み筋としてはここにあります。
てことで、この間、読んでます。
読み進めながら、いろんなことを考えますね。解放教育の界隈をめぐって、さまざまな言葉が頭の中をグルグルします。このグルグルは大切に育てなきゃね。
あるものをつくる時に、スクラッチからつくりたくなるけど、そうじゃないです。研究が先行研究にあたるのであれば、実践も先行実践にあたる方がいい。せっかくの成果や失敗があるなら、そこから学ばないともったいない。そして、そうした成果や失敗の理由を考えるときに理論が役立つ。その理論として、この本は役に立ちますね。てか、当然のことながら、フレイレなんかも引っ張ってこられてるので、まぁそういうことってことですね。
それでも7時をまわったところで、これくらいにしようかなと。
さてと。あとはお風呂とビールと睡眠だ。