あとは…

焼肉しゃぶしゃぶ食べ放題のお店でさんざん肉を食べました。根っから解放教育にどっぷり浸かっているラガーマンと濃いぃ話をしました。結局終電には間に合う時間だったのですが、わたしを呼んでくれた人が、家まで送ってくれましたm(_ _)m。
今日はクズになりませんでした。いい一日でした(マル)

眠〜

今日は京都府南部で研究集会があります。わたしは録音・録画を担当するので、機材つきで最初に到着しなくちゃなりません。まぁ、いつものことなんですけど。てことで、9時過ぎに現地に着くためには、7時前に六甲を出なくちゃなりません。なので、起床はいつもと同じ6時です。ところが、どうも緊張していたみたいで、夜中に何度も目が覚めて、どうも眠りが浅いです。しかも、コーヒーを飲むヒマもなかったせいで、めちゃくちゃ眠いです。まぁ、自業自得ですけどね。

子ども会のキャンプ

この3月に引っ越しをするにあたって、一番気になっていたのが子ども会でした。
パートナーとわたしがかかわる以前は、行政や某運動体が丸抱えと言っていいような状態でした。行政の人たちから出てくる言葉は「親がもっと子どもにかかわらなあかん」。一方親から出てくる言葉は「なんで子ども会なんてやらなあかんねん」。親たちは、子ども会をやる意義を完全に見失っていました。キャンプについても「これこれやって」と行政から言われた親たちは「なにやんの?」「なんでせなあかんの?」「なんでわたしばっかりやらなあかんの?」と口々に言っていました。子どもたちもぜんぜん把握されないままにバラバラ。ひとつひとつのプログラムも「遊ばされている」という感じで、楽しんでいる感じが伝わってきませんでした。もちろん、こういう状態を「なんとかせなあかん」という親もいました。が、どうすればいいのか方法がわからない状態でした。
そこで、いまから2年前、わたしたちが中心的に子ども会を担う時に、行政からの独立を宣言しました。独立を宣言するということは、財政面も含めて、あらゆる援助も断ることを意味していました。でも、子ども会費を集めたりバザーに出店したり、いろいろな方法でお金を集めながら、「子どものため」をかけ声に活動をしました。1年間の活動を終えた時、ものすごくしんどかったけど、「やりきった」という充実感が親たち全員にあったんじゃないかと思います。
実は、子ども会の運営方法を変えることの本当の意味は、親を変えるところにありました。なので、上の子どもは卒業しましたが、翌年下の子どもが小学校に入学したことで、パートナーとわたしは引き続き子ども会活動を続けました。そのなかで、ようやく「親自身がやる子ども会」が定着してきたかなぁという気がしました。
でも、子ども会の運営には細々としたことがたくさんあります。そうしたことを、わたしたちがいない状況でやりきれるのかどうか、やはり不安でした。引っ越しをするにあたって「キャンプとか祭りとか、また手伝いに来るしな」と言い残して引っ越しをしました。
で、今回は「新体制」でのはじめてのキャンプでした。
実は、少々不安もありました。でも、そんな思いはとても失礼なことだということがよくわかりました。現地に着いた子どもたちを班ごとに並ばせてインフォメーションをする。班ごとに親がついて工作や遊びをする。もしかしたら他から見たら「あたりまえやん」と思われるかもしれない子ども会の姿がありました。
考えてみると、親たちにもプライドがあるんですね。でも、行政が抱え込むことでそのプライドを育て発揮する場所がなくなり、反対の方向を向いてしまった。行政の介入を切ることで、自分たちがやらなければならない状況ができ、そのことが親たちの「力」を引き出すことになったんだと思います。
みなさんの生き生きとした姿を見て、無性にうれしくなったし、そこに「助っ人」としてしか参加できな自分の今のありように少し寂しさを感じました。でも、子どもたちが楽しんでいるんだから、それはそれでいいかな。

終わる時は終わる

一冊の本を何人かの原稿で作る時って、当たり前なんですけど、全員の原稿が出そろわないとつくれないんですよね。で、最後の一人の原稿を待っているときって、何かをしようとしてもどうしてもできないんです。なので、一見ヒマそうに見える。でも、精神状態はかなり悪いです。
で、最後の人の原稿が来て、版組が終わると、あとは目次と表紙の作成。で、いきなり完成します。
今日もそんな一日でした。「あれ?」と思う間もなく、「完成」と言われてこの夏3冊目の本の作成が終了しました。
それにしても、たくさんつくったなぁ。ニュースレターも2つばっかつくったし。
さてと、頼まれていた仕事が放ったらかしだったし、そっちを片づけようかなぁ。

卒業生の来校とか

いろいろ「顔出し」をすると、思わぬところから連絡をもらいます。
6月の終わり頃に、「◯◯さんという方から電話」という連絡をもらったので電話してみると、わたしが現任校に赴任したとき(つまり教員になったとき)の1年生からの電話でした。めっちゃなつかしかったです。で、「7月の終わりに学校に遊びに行きます」なんてことになって、今日来てくれました。
20年ほど前の16歳ということは、現在はだいたい35歳。そんな連中が、4人ばっか、自分の子どもを連れて来ました。あのころは、教員と生徒、大卒と高校1年、20過ぎと20前。ものすごい「差」を感じたものですが、いまとなってはさほど変わるもんではないです。逆にお互い仕事をしていたり子どもがいたりということで、近い方が多くなって来るという感じです。そんなことで、「共通の話題」なんかをしたり、一方で「あのころ」の話をして20年間のタイムスリップをしたり、楽しい時間を過ごしました。
ちなみに、放送部関係者がメインだったので、現役部員も集合していました。まぁ、20年前の部員も今の部員も、基本的にはそんなに変わるもんじゃないですね。

夕方は、弟のところに用事で行って、ついでに『婦人公論』を渡してきました。やっぱヒゲの写真を見て「こんな時代があったあった」と大うけでした。んなもんだよ。

どうも土曜日以降の疲れがまだとれていないみたいで、録画してあったF1を見ながらウトウト。でも、いちおう最後まで見ました。う〜ん、フェラーリが調子悪いと、やっぱさびしいなぁ。
てか、WRCが見たいなぁ。

夕方から、ウトロでサムルノリの練習。この間はプクを叩いたのですが、今回はチャンゴなので、ちょっと気合いが入ります。とはいえ、ブランクが長いのがきいたんでしょうね、クンチェ(左手)があちこち叩きまくるし、途中ですっぽ抜けるし。一緒にチャンゴを叩いている人にウケてしまいました。
本番の27日、クンチェが飛んだらどうしよう…。不安や。

やっと終業式

近隣の中学よりも遅く、小学校並みの日程で、ようやく終業式が来ました。長かった1学期もようやく終了です。
ところが、この終業式の日がまた目が回りそうな日だったりします。
まずは、式場準備。今回「第2会場をつくるので、放送が入るようにしてほしいんやけど」との生徒指導部からの要請。頭髪違反の生徒を集めて話をするけど、式はきちんとやりたいらしいです。まぁ、ウチの学校の現状です。で、「できない」という言葉を吐くのはどうしてもイヤなタイプなので、「いいよ〜」とできるあてもないのに返事してしまいます。方法は、返事したあとに考えるタイプなんです。さて、FMトランスミッターで飛ばそうか、ワイアレスマイクで拾おうか、それとも…。思案した結果、最も派手なやり方にしました。第1会場のミキサーからrec outで拾ってケーブルを伸ばして、アンプにつないで臨時のスピーカーを慣らすというやりかたです。
方法が決まったら、あとはケーブルの引き回しだけです。放送部員とワイワイ言いながらげた箱よじ登ったり、ウォータークーらによじ登ったり。こういう時が一番楽しいですね。
無事終業式が終わったら、ケーブルなんかをテシューウ。
ホッと一息ついたら、次は「赤点者指導」です。生徒一人一人に「なぜ赤点を取ったか」「2学期に向けてどうするか」なんていうことを分析して課題を与えるという。しかし、んなめんどーなこと…。生徒はみんなわかっています。勉強しなかったから赤点を取ったんです。なので、わたしの指導は「わかってるな」「うん」でおしまいです。まぁ、コミュニケーションの場だし、ふだんはでかい顔をしてサボりまくっている子が、ちっとは神妙な顔をして来るので、「そんな顔を見るのもいいか」みたいな時間ですね。
で、昼ご飯を急いで食べたあとは、2学期にある文化祭の演劇をやるクラス向けの「音響講習会」です。音響さんがプランを練るのに、なにができるかわからないのではどうしようもないので、やるわけなんですけど、ここでやる意味すらわかっていないのではないかという気がするのがちょっとむなしいひとときです。
てな感じで、走り回ったら、半日で2kg体重が減。ま、どうせその分ビールをたくさん飲むことになるからあんまり関係ないと思いますけど(笑)。

今日の女坂の風景

毎日の通勤路に、通称「女坂」と言われる場所があります。京女の入り口になる、東山七条の交差点から東に向かって延びる坂です。
ここ、毎朝中・高・大の生徒・学生がわんさか通学しているところなんです。ちなみに、そこを走っている市バスの横腹には「princess line」なんぞと書いてあります。
ところが、今日そこを通ったのですが、人影がなし…。そこであらためて気がつきました。そうかぁ、みんな夏休みなんだぁ。なのに、なのに、なぜウチの学校は今日も授業なの(涙)?悔しいから、授業なんてやらない!てなわけにはいかんわなぁ…。

ダルダル

なにせ、うちの上の子ども(中学生)は今日が終業式。なのに、わたしは今日も授業。うちの上の子どもは明日から夏休み。なのに、わたしはあしたも授業。うちの下の子ども(小学生)は明日が終業式。なのに、わたしは明日も授業。
生徒も教員もダルダルです。はぁ…。