今日は、本来は某在日外国人教育関係の主催する某「全国在日外国人生徒交流会」です。が、卒業生たちから全力で参加を阻止されましたので、今回は欠席することにしました。
てことで、あらかじめあった予定がなくなると、ぽっかりと穴が開くわけですが、その穴を埋めるのは「おべんきょ結果」のリライトです。
実は、〆切が「8月10日(月)必着」でして…。これ、どうよと。いったいいつ出せば月曜日に東京に着くのかわからない。てか、日曜日だと中央郵便局まで行かないとあかんのかな。でも、日曜日は「某在日外国人教育研究大会」とか「某関西セミナー」なんかがあるからダメです。じゃ、土曜日?土曜日も結局中央郵便局ですね。てことは、今日速達で出して、明日着くというのが一番確実なのかな。
てことで、今日はひたすらリライトです。とはいえ、ほとんどできています。その最後のリライト。ちょっと不満なところとか迷いのあるところを一晩寝かせて考えた結果を反映していく作業です。
あそこをこーして、ここをこーして…。できた!と思ったら、空行入れるの忘れてて行があふれてたり。そんなこんなを繰り返した先に、ようやく完成した?した?した!
とりあえず、たぶんここが「この山」の三角点かな。
きっとポストに入れた瞬間から、「あー、あそこ…」てのがはじまるんだろうけど、それはまぁそんなものなのかもしれません。「永遠の不足」です。でも、それが次へのモチベーションになる。
さて、結果はどうなるかな?
カテゴリー: おべんきょ
ここからは削るのみ
「おべんきょ結果」のリライトの進捗状況ですが…。
とりあえず、「修正意見」はすべて取り入れられたかな。基本的にはしょぼいことしか書けてないけど、それでも大きな気づきはたくさんありました。てか、最初にピークを踏んだ時のって、今振り返るとザルですね。なーんにも読み取れていないし、考えが深まっていなかった。それが、次のピークに行く過程でセンセからコメントもらったりするなかで、新たなことに気がついて、それを取り込んで、次のピークに到達したわけです。これだけでも、ずいぶんと進歩かなと思っていたのですが、今回のコメントで、さらに新たな発見がありました。逆に言うなら、それに気づいていなかった「わたし」がいるわけです。
でも、こうやって鍛えられていくのかな。
さてと。あとは文章を削るだけ。でも、不満なところもあるんだよなぁ。
そこまで書いていいんですか?
「おべんきょ結果」への修正意見ですが、読めば読むほど「そこまで書いていいんですか?」というところまで踏み込めと言っているようにしか読めません。ほ、ほんとにいいんですか?そこまでやっちゃってo(^^)o
まぁ、この人たちも少々運動寄りの人だから、ええんでしょうね。
よし、やっちゃおう(笑)。
まだまだ五合目だけど
今回の「山」は、「三角点を間違えた」という感じかなぁ。
この登山は、まずは自分で山を見つけて、登頂ルートを見つけて、実際に登るって感じです。で、「ほら、登ったよ」って言ったら、登頂ルートを検討してもらって「うーん、そこ、三角点じゃないんじゃない?」って言われた感じです。
ちなみに、それを言う人は「この山」には登ったことがありません。ただ、たくさんの山を登ってきたから「わかる」だけのことです。それってすごいことだと、素直に思います。
でも、誰がなんと言おうと「この山」は、いまだわたしが見つけて、そしてわたししか登っていない山。だから、わたしが山頂に一番近いところにいるんです。逆に「そお、三角点じゃないんじゃない?」という指摘は、「ちゃんと三角点を踏ませたい」という思いなんですね。
だから、その思いに応えるのが今回の「山登り」です。たぶん、いま、五合目あたりまでルートを検証しました。このあたりまで来ると、気がつくと「あ、そこか…」みたいな感じで見えてくるはずです。てか、そうじゃないと困るし…。
リライト開始
今回はこないだ送ったおべんきょ結果のリライトです。
あの時、「一度組み立てたものをバラす「決意」」と「そのバラしたものを再度組み上げる「やる気」」を経験しましたが、それをもう一回やらなきゃなりません。
とりあえず、リライトのための「コメント」をじっくりと何度も読み返します。難しい…。書いてあることがわからん(;_;)。でも、何度も読み返す中で、「タクティクス」が浮かんできます。「ここはバラす」「こう組みかえる」「これを入れる」「これは抜く」。少しずつ少しずつ考えて、なにをどこと一緒にするのかしないのか。筋が通るのか通らないのか。そんなことを試行錯誤しながら考えます。
と、突然「いままでの完成稿」にはなかった考えが浮かびます。「あれが抜けてたのかぁ」。それを抽出することで、別のものが浮かび上がってきます。
とてもしんどいけど、やはりおもしろい。おもしろいけど、ものすごくしんどい。でも、この山は絶対に登り切ります。
すすまない…
リライトのタイムリミットまでそんなにあるわけではないです。でも、やはり「安静状態」ではなかなか頭がまわらない。
とりあえず、できそうなところから手をつけていかないと、どうしようもありません。この鈍った脳みそをどうにか動かさなきゃ。
一通の封筒
ずっとドキドキしながら待ち続けてきた封筒が来ました。
中をあけると。おぉ!かなりうれしい!
どうやらもう一回山を登る必要がありそうです。でも、その山、登り切ります。
さてと、脳みそのモードを切り替えなくちゃ。
売れるかも…
今日は午前はおべんきょです。おべんきょ場所がかなり遠いので、そう簡単には行けないのですが、せめて月一は行きたいなと思っています。てことは、今月はもう行かないってこと^^;;。
とりあえずレジュメを切らなきゃならなかったんですが、書いている最中にめんどくさくなってきて、最後は絵にしちゃいました(笑)。
でもま、レジュメ以前に話が弾んだので、よしとしましょう。
あ!ちなみに、今日のペーパーはタイトルにはゲイって言葉が出てこないけど、だから一般的に捉えられがちだけど、実は読んでみるとゲイ限定なんじゃないかと思ってしまうものでした。もちろん、2002年のペーパーだから、その時代性と先駆性を考えると「そりゃそうだよな」とは思うのですが、他にはあてはまらない。てことで
レズビアンは?→堀江有里『レズビアン・アイデンティティーズ』に期待!
ってしておきました。するとみなさん
「出るの!」
って色めき立ってたので、たぶん5冊くらいは売れます^^;;。
まぁ、それはそれとして、話は弾んだから楽しかったo(^^)o。
意識化し、分析し、まとめあげ、伝える
最近、少し興味を持って「当事者研究」にかかわる本を読んでいます。そんななかで出会った綾屋紗月さん(と熊谷晋一郎さん)の本。
いやぁ、みんなが「すごい!」っていうのがわかります。すごいです。よくぞ自分の中で起こっていることをあそこまで詳細に分析することができるなと。そしてそれを表現できるところがすごい。それも「きちんとした表現」と「わかりやすい表現」と「美しい表現」と。幾通りにも、繰り返し表現される。
でも、読み進みながら、何とも言えないデジャヴ感がありました。なんだろう…。
あぁ!これだ!
それは、わたしが考える授業です。
もちろん綾屋さんとは比べものにならない貧弱なものではありますが、やっていることは似ている。
例えば、ある問題が目の前にあります。
その問題を見るとき、わたしの目はどう動くのか。どこに最初に注目するのか。それはなぜなのか。他の問題はどうだろう。もしも同じならなぜ同じなのか。もしも違うのならなぜ違うのか。そして、同じものはあるのだろうか。
それらをまとめあげていく過程で規則性は見いだせるのか。仮に見出したとして、その規則性を理解するためには、どんなスキルが必要なのか。そのスキルの習得のためにはどんな練習が必要なのか。
そんなことを、いつも考えています。それが、わたしにとっての数学の授業です。
それはスキーも同じです。
ある斜面において、ある技術で滑るとき、自分はどんなバランスをとっているんだろう。そのバランスを支えるための筋肉はどうなっているのか?骨格はどうなっているのか?関節はどうなっているのか?それを常にイメージしています。それは滑る時だけじゃないです。お風呂の中で、あるいは普段歩いているときに。自分の体重は足の裏のどこに何パーセントくらいかかっていて、それを支えるための筋肉の緊張と骨格の方向を意識する。
で、それを伝えるためには、具体的に身体をどう動かす運動を練習課題として提案すればいいのか。もしもそれで伝わらなければ、同じことをもう一回やるのか別のことをやるのか。
それが、わたしにとってのスキーのレッスンです。
数学が解けること、スキーができることと、それを教えることができることは、まったく違います。解けること滑れることは「なんとなく」でいいです。でも、教えるためには「なぜ?」という問いを常に意識し、分析し、まとめあげ、伝えるということをしなくちゃならないと思います。
そうやって生きているわたしの感覚と、綾屋さんの文章に、ほんの少しだけど似てるなって思うところがありました。
まぁ、こんなことは、たぶん「教える者」であれば誰もがやっていることだろうし、偉そうに言う話では、もちろんないです。
でも、誰もがやっていることを意識化し、分析し、まとめあげ、伝えるという…。あり(笑)?
蛸壺から出ると世界は広い
もちろん「世界」を股にかけて飛びまわる方もおられるし、仕事じゃなくて純粋な好奇心で世界の隅々まで行っておられる方もおられます。
それに比べて、関西の片隅でゴソゴソ動くだけ、「海外」に行ったことって、韓国に1泊2日しただけのわたしが「世界は広い」なんていうのは「お前のどこが世界やねん」というご批判を浴びることはわかっているのですが(笑)。
でもねぇ。最近「世界の広さ」を実感しています。
わたしはずっと、在日や部落のことを通して「人権」について考えてきました。まぁ、わたしよりずっと詳しくてずっと深く考えておられる方はもちろんおられますが、それでもそれなりに考え、わずかな実践はしてきたという「一寸の虫にも五分の魂」的な自負はあります。
でも、自分の自負は蛸壺のなかのことなんだなって、最近つくづく感じます。
自分はパイオニアとまでは言わないけど、それなりにトップランナーでやってきたことはあります。でも、それは蛸壺の中の話。蛸壺から出ると、似たことをやっている人はたくさんいて、その人たちのほうがはるかに広く深くものごとを考え実践しておられます。もう、リスペクトのひとことです。
でも…。
でも、ほんの少し違う。そこにこそ、わたしのオリジナリティが存在しているはずです。それを探すこと。そしてそれが「世界」とつながること。
蛸壺から出た世界は、とてつもなく風通しのいい広い世界o(^^)o