コロナ時代に考えたいバリアフリーと障害にまつわる問題

今日は1年生の人権学習の日です。講師は去年に引き続き今年も小林春彦さんです。
てことで、朝から準備です。考えてみたら、他の教員は「よろしく」で終わるんだけど、わたしは自分に「よろしく」と言って、自分で「がってん!」と言って、結局自分でやるんですよね。今ごろ気がついたかって話ですけどね。
授業は2時間。うち1時間は明日の試験勉強です。大丈夫かなぁ。
で、昼過ぎに迎えに行って、そのまま体育館へ。今日は思いのほか早く準備が終わりました。講演前に10分ばっかヒマだったり。そうこうするうちに子どもたちが体育館にやってきて、いよいよ講演開始です。
小林さんの語りはゆるいです。
もしかしたら、子どもたちって、テレビの中の高いテンションの語りに慣れていて、こういうゆるさが入らないのかもしれない。でも、こういうのが大切なんですよね。
小林さんの今年のテーマは「コロナ」からわかったことです。なので「ソーシャルディスタンス」vs「フィジカルディスタンス」です。そして、その「ソーシャルなディスタンス」を以下に近づけるかって話です。でも、メインの話はいつもの通りぶれません。
小林さんの話って、まさに障害の社会モデルに至る道筋を、自分自身の試行錯誤した経験の中で話をされるんです。これがおもしろい。通常は、障害学の歴史から社会モデルを語るところを、「自分史」から語られます。このことの価値、子どもたちはわかってるかなぁ。まぁでも、教員もわからないかもしれないな。
考えてみると、わたしは小林さんの話を何回も聞いているし、初めて会ったのが12年前ですからねぇ。いろいろあったわ。
で、質疑応答が生徒から出ないので、教員に求めてみました。すると
「小林さんにとって変えられないものとはなんですか?」
というのが出てきて、なるほどなと。答は
「他者」
でした。
たしかに「他者」は変えられないな。でも、変えようと思わなかったら変わるんですよね。それは、わたしです。人権畑で長くやってきたけど、わたしを変えたのは「障害の社会モデル」です。で、それはたくさんの障害者と出会うことができたからだし、その発端のひとつが小林さんでした。だから、小林さんはわたしを「変えた」わけじゃないけど、わたしは小林さんと出会って「変わった」。なので、そんな話をフォローで入れてみたり。
そんなこんなで、今年の2学期の講演3連発も終了。たぶん、うちの学校、豪華だと思うし、それらを聞くことができる子どもたちはもちろん、教員も、そしてわたしも幸せだと思うんですけどね。
で、小林さんと京都まで移動。プチ打ちあげです。去年は社納さんと藤尾さんを呼び出すという暴挙に出たけど、今年はおとなしくふたりで話をして、6時前には解散。
さぁ、家に帰っておべんきょしなくちゃ。

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