昨日のこれのメール本文を、とりあえず職場に持っていきました。で、4人ばっかの教員に見せたのですが、反応は…。
某管理職「…英語は読めん…」(説明後)「…わからん…」(さらに説明後)「ま、とにかくおめでとう」
某広報部長「なになに、ふんふん
これ、どういう意味?」(説明後)「で、どうしろと」
某英語教員「すっごーい!えー、すごーい!」
某家庭科教員「うわ、読めない」
なんかなぁ…。
例えば、国体レベルのスポーツ選手がいたとして、その人がそれなりの成績をあげたら、それなりの評価をされると思うんですよね。あるいは、そういう教員がいたら、広報でも使うと思うんですよね。「うちの学校にはこんな先生がいます!」みたいな。たとえその人が、その次の年には転勤するかもしれないとしてもね。でも、「おべんきょ」の世界の話は広報には使われない。「うちの学校には、人権の全国大会で何度もレポートしーの、仕事の傍ら「おべんきょ」しーの、本も出しーの、学会誌にも載りーの、世界レベルの賞もとりーの」みたいな話は広報には使わない。まぁ、使ってほしいわけではないし、どうでもいいっちゃどうでもいいんだけどね。でも、わたしとて、それなりの専門性は持っています。そういうわたしに対して、例えば昨日の研修も含めて、その専門性に対するリスペクトがあまりにもなさすぎると思うわけですよ。ま、リスペクトなんて自分から求めるものじゃないからいいんだけどね。
ちなみに、反応の続きです。
某生徒たち「(話を聞いて)え?え?世界レベル?すごーい!(パチパチパチ)」
たぶん、生徒たちはなーんもわかってないです。でも「どうやらすごいらしい」と思った時に「とりあえず拍手や!」って反応してくれる。たぶん、これなんですよね。
わからない時に「なにかよくわからないけど、自分にはわからない世界があって、どうやらそれってすごいことで、それをこの人はしてるんだから、きっとすごいことなんだろう」という気持ちのことを「リスペクト」っていうんだと思うのです。
少なくともわたしは、そういう気持ちを持ち続けていたいなと思います。
日: 2016年6月9日
今日も変わらずいつもの通り
今日は2ヶ月に一回の滝井参り。
なんか、建物が新しくなって、「あれはとこ?」「これはどこ?」でした。極めつけはO田さんの居場所がわからない。構内図があるんですけど、何回見ても書いてない。
「わかりますか?」と来てくださった方に「わかりません」と答えると、「場所は変わってません。別館です」とのお答え。そりゃ、構内図に書いてないわけですわ。
待合室でポスターの配置を考えていると、しゃべりかけてくる仲間がいるのもいつもの通り。
「すまんけど、これ、させて。お尻に火がついてるねん」
「なんや、おもろな」
まぁ、わたしらを本館に収容すると待合室がうるさくなりますからね(笑)。
で、部屋に入って話を開始。いつもにも増してグダグダです。うしろで存在を隠してる学生さんが思わず笑ってしまい、存在が顕在化してしまったり。
で、お勘定をすませて、次の場所へ。
今日の「まんまるの会」のお題は「きちんとした自己紹介」「近況報告」「雨にまつわるあれこれ」です。
「えーと、なに言おうかなぁ…。とりあえずMTFで」
「なんでそれが自己紹介やねん(笑)」
「近況報告…。なんもないなぁ」
「2ヶ月も生きてて、なんもないわけがないやろ」
今日もツッコミを入れまくってしまいました。すみませんすみません。
で、そのあとは楽しい呑み会。あかん、ワインボトル、あけてしもた(笑)。
家に帰ったら、なんかこちゅかる子さんが怒涛のツイートをしていたのでまとめなんかをつくってみたり。