今日は毎年恒例の特殊業務の日です。で、わたしの役割は、これまた恒例の放送担当。なかでも、今日はチャイム役もしなくちゃならないので、かなり緊張です。
にしても、かつてはチャンスは一度きりだったのが、今は2度3度あるっての、どうなのかなぁ。まぁ、意味があるならいいんだけど…。
てことで、1日特殊業務に従事して、電車に乗って、移動中に校正をしたりして。うわ、訂正箇所を見つけてしまった。これはきちんと校正しなきゃ。明日までにできるかなぁ。
で、夜は大阪で会議。
まぁこちらもいつもの感じで終わりました。それにしても、相変わらずジェンダーバランスが悪い…。
で、呑み会。これもまた、いつもの感じです。「いつきさん、そろそろ帰るぞ」と言ってもらうのも、これまたいつもの感じ。
まぁ、そんなこんなの1日でした。
月: 2016年2月
一周まわる
ある分野のマイノリティとされる人をどう呼ぶかというのは、「呼ぶ人(当事者自身を含む)」の立ち位置でずいぶんと変わるような気がします。
例えば、トランス女性ひとつとっても「オカマ」「ヲカマ」「ニューハーフ」「女装者」「女装家」「GID」「性同一性障害者」「トランスジェンダー」などなど、さまざまな呼び方があります。で、知れば知るほど選択肢が増えるし、さらに「存在そのもの」を知ることで新たな選択肢をつくることができるようになる。また、当事者ではない人にとっては、知識の獲得によってポリティカルコレクトってヤツが出てきて、逆に選択肢に制限がかかる。でも、時としてその制限をあえてはずす人も出てくる。
なんでこんなことを考えたかというと、facebookで見たこの記事なんですね。
この記事そのものは「外国にルーツを持つ子どもたち」という呼称の是非を問うものです。
わたしは個人的には「よりフィットする言葉をどんどんつくればいい」と思ってます。例えば、在日にしても「在日韓国人」「在日韓国・朝鮮人」「在日韓国朝鮮人」「在日朝鮮人」「在日コリアン」「在日」のそれぞれに、その呼称がつくられた歴史や経緯、こめられた意味があります。で、それぞれの時代にフィットした言葉が、おそらくは「もっとも敏感な人」によってつくられ使われ、それを広めていこうという運動があったりする。で、さらにその言葉への当事者からの反応があったりして、言葉についての論議が起こる。そうしてその言葉への意味が深まっていく。わたしはそのことを、特に悪いとは思いません。
で、記事の中にあるこのマトリックスについて、なんか、とても興味深いものを感じました。
ここで「一般の人」と「当事者」が同じところに位置づいています。この「当事者」って誰のことだろうってことです。
たぶんこの記事の中の「当事者」は「一般の当事者(笑)」なんだろなと推測されます。というのは、記事の中で「現場にいる外国にルーツを持つ子どもたち」って書いてあるからです。
最初にも書いたように、たとえ当事者であっても、その人の立ち位置で呼称は変わる。その時に大切なのは「選択肢」なんですよね。で、何が問題かというと、実は「当事者」の中には「一般の当事者」と「一周まわってきた当事者」がいる。もう少し簡単に言うなら、「選択肢の少ない当事者」と「選択肢の多い当事者」がいる。で、このマトリックスの「当事者」はその両者が軸上の同じところにあるんです。で、これがおもしろい。
なぜなら、おそらくは「関係者が使用する呼び方」は、そこにポリティカルコレクトが含意されている。てことは、「当事者/一般の人」にはポリティカルコレクトがないってことなんですよね。しかも、「当事者」の中にはポリティカルコレクトがない人と、ポリティカルコレクトを知ったうえでアイデンティティポリティクスとして、あえてその言葉を選択している人間が混在している。
ちなみに、「当事者」の中にも「関係者」がいて、きっとその人は「当事者枠」には入らない。というか、人によっては「ポリティカルコレクトの番人」になる人もいたりする。でも、「脱ポリティカルコレクト」になった時、再び「当事者」になる(笑)。
おもしろい。
変化する
昨日のお座敷の記事がとある新聞に載ったことをfacebookで知ったのですが…。なんか、複雑な気持ちになりました。その記事はこれです。
もちろん記事にしてもらえるのはありがたいです。でも、わたしが一番伝えたかったことが、この記事では伝わらない。
わたしは「理解」なんて求めてないです。また「一番の話し相手」とは言ってないです。「一番最初の話し相手」とは言いましたけどね。
タイトルだけでも違います。
中身も、もちろんしんどい状況におかれている子どもの姿は伝えました。でも、それは交流会の必要性や、そもそもこういう学習会をするのはなぜかという前提としてでしかありません。で、それをどう分析するかって話なんです。で、わたしが一番伝えたかったのは「社会の枠組みが子どもたちをしんどくさせている。だから、社会の枠組みを変えなきゃならない」だったのです。でも、そこのところが見事に抜けている。
これ、何が困るかというと、ひとつはこの記事を読んだ人が「ああ、理解してあげなきゃならないかわいそうな子どもたちなんだ」っていうふうになってしまうこと。そしてもうひとつは、「いつきの主張はそういうことなんだ」って誤解されてしまうこと。
それからもうひとつ。記事の中に「性別転換手術を受けた経験を踏まえて」って書いてあるけど、わたしは自分のことはまったく話してない。それは、当事者性に依拠しないことが必要だと思っているからです。しかも、用語も間違ってるし。で、これを書かれてしまうと、まるでわたしがGID的な立ち位置で話したように思われてしまう。
とにかく、これほどまでに話の内容が変化するんだなと。なんか、伝言ゲームみたいだな…。
バレンタインうどん!
朝、目は覚めたものの身体が動きません。なので、9時すぎまでおふとんの中でダラダラ。そこからやっと起き出して、コーヒーなどいただきながら、しばしおしゃべり。ちなみに、K野さんは朝早く仕事に行かれたみたいです。えらいなぁ…。
で、今日の昼ごはんは大島屋です。このお店は無塩のわかめうどんがウリらしいですが、今日はなんと「バレンタインうどん」を食べさせてくれるとか。練りこんであるものはカカオとシナモンらしいです。
で、出てきたのはこれ。
ハート型のものは、なんとクッキーです。ちなみに、上の子どもは「葛根湯を食べてるみたい」って言ってましたが、なんか、慣れてくると「これはこれでアリだな」と思えてしまうんですね。でも、このお店、春になると桜の花びらを練り込んだうどんが食べられるそうな。それは食べたいなぁ…。
てことで、駅まで送ってもらって、あとはバスに乗って、家に着いたら6時過ぎ。
ハードな3日間が終わりました。でもま、なかなか楽しかったな(^^)。
暑く語ってしまった
今回の学習会はPROUDと日教組香川の共催でした。なので、懇親会も教員と当事者とどちらでもない人のごった煮です。これがなかなかおもしろい。やはり、呑み会でも多様性は大切です。
自己紹介がまわってきた時は「2時間かかるからやめておきます」と、いちおうウケをとって、最後に〆の言葉を話させてもらいました。
「わたしたちは、配慮される弱者じゃない。多様性に気づいた豊かな人間なんです。だから、多くの人に自分の持つ豊かさに気づいてほしいんです」
みたいなことを話してみたり。なんか、そのあたりで記憶がとびかかっていたから、かなり呑んだんだろうな。
で、〆はもちろんうどんなわけですが、1人前を食べられるわけもなく、みなさんのをへつりましたとも。
K野さん家に帰ったのは11時過ぎ。でも、そのままダウン。
たぶん、充実した1日だったからですね。
「LGBTの子どもたちが過ごしやすい学校をつくろう!」
起きたのは8時すぎ。5時間睡眠。もちろん眠いです。が、まぁ、なんとかなるでしょう。
まずは多度津に行って酒蔵開き(笑)。
そうか、あのタンク一本で5万本。
一生かかっても飲みきれないな(笑)。
で、おみやげにワンカップと酒粕をもらって、今日のお座敷会場に移動。
機器の設定をすませたら、当然うどんです。頼んだのは温玉ぶっかけの冷。
かき揚げはいらんかったな。おなかいっぱいです。
で、学習会開始。
まずは、主催者関係の人による現状についてのレクチャー。「10分で」と言われてるのに20分ほどしゃべられたのは、中身が濃すぎるからです。てか、あんなにしゃべられたら、わたしのしゃべるぶん、ないし(笑)。
とは思ったけど、いざマイクをもらったら離せないのは教員の悲しい性です。きっちりしゃべりました。
が、子どもの作文出して拍手もらったのははじめてです。高松の人たち、どんだけノリのよさと優しさを持っているはるねん。おかげさまで、ものすごくしゃべりやすかったです。
が、「もう少しゆっくり」というフリップを出されたのははじめてでした。すみません^^;;。
わたしの話のあとはワークショップ。なかなか盛りあがっておられたけど、わたしはクールダウンです。
さてと、続いて懇親会だ。
で、向かった先は
講演が終わったら、そのまま駅まで走って、電車に乗って、上の子どもと合流して、バスに乗る。3時間半ほどたったら、あら不思議。四国にいました。明日の昼にお座敷があるのでK野さん家に前泊です。
迎えに来てくれたのは、なぜかK原さん。家に着いたら、そこにはなぜかO沢さん@小豆島。みんなで鍋を囲みながら、今回持っていったお宝映像の鑑賞会。とてもじゃないけど笑えない映像を笑ってしまうわたしたちはもちろんクズなわけですが、一方「あー、こんな風景、小さい頃あったわ」とか「おじいちゃんから聞いたことがある」とかいう話が出てくるのもまた、このメンバーならではです。
ということで、3時くらいまで呑んでたわけですが、あしたのお座敷、大丈夫なのか?
首がちぎれる
今日は某人権教育研究会の研究講座。講師は土田光子さんです。
講演に先立ってパネルディスカッションがありましたが、こちらはすまないけどおもしろくなかったです。まぁ「若さ」を基準に人を選んでも、その人に話せる内容やそれを言語化するまでの時間がないとおもしろいわけがないです。
で、後半の土田さんの講演。
土田さんは、まぁいうなら同和教育の手法のいくつかある柱のひとつである「集団主義」をずっと中学校でやってこられた方です。もちろん、わたしも「クラスづくり」を自分の実践の基本に置いてきたし、いまも基本においています。そんなわたしにとって、土田さんの講演に期待しないわけがないです。
ちなみに、かつて熊本の全同教大会の時にクラスのムラの子についてのレポートをした時、同じ分科会に土田さんもレポートを出されていて、わたしのレポートを聞いて「京都にこんなにていねいに実践をする教員がいたのか。実践において、大阪は京都に負けた」と言ってくださったことがあります。それを聞いて「あぁ、こんなふうにやっていけばできるんだ」って力をもらった気がしました。
その後、トランスをはじめた頃に大分の全同教でお会いして「いま、こんなになってます(笑)」と言ったら「がんばってや」と励ましていただけました。
今日の講演は「若い教員に同和教育とはなんであるかということを伝える」ことが目的だとか。講演前に「薄っぺらいよ」と笑っておられたのですが、わかりやすい!集団とは何か、つながりとはなにかを、ご自分の経験に基づいて、ほんとうにていねいに話されました。もちろん、わたしも話を聞きながら、いま自分がやっていることを点検するわけです。「あぁ、できてるな」「うわぁ、サボってる」ひとつひとつ確認をする中で、具体的に明日から自分が何をしなくちゃならないかがわかる。そういう講演でした。とにかく、メッチャ笑いながら、首がちぎれるほどヘッドバンキングしてしまいました。
んー、若い衆に聞かせたいなぁ…。
話のまわしかた
今日は夕方から元おべんきょ仲間と呑み。「どこか…」っ言われたので「うーん」と考えて、地球屋に行くことにしました。
てのはいいんですけど…。なんか、気になったのは、話題のまわし方でした。
例えば…。
「○○さんはどんな人が好きなの?」って話があるとします。それに対して、いろんな話題のまわし方があると思います。
パターンA「前につきあってた人はホニャララさんだったから、きっとホゲホゲな人かな?」
パターンB「例えば、ホゲホゲな人とホニャララな人だとどっちが好き?」
パターンC「あなたの感じを見ているときっとホゲホゲな人でしょう」
もちろん他にもいろんなパターンがあるだろうと思います。
で、わたしは基本的にはパターンBでいきたいなと思っています。なぜなら、相手にしゃべらせたい。たぶんパターンBのあとは「なぜそうなの?」って続きます。でも、教員にそういう人は少ないんじゃないかなぁ。教員に多いのはたぶんパターンC?
で、これ、対人関係とか教え方とか、あるいは「おべんきょ」の仕方とか、いろんなところに通じると思うんですよね。
まぁ、パターンBはめんどくさいです。だから、途中で終わってしまうかもしれない。でも、いろんな話が聞ける可能性があるから、やっぱりパターンBがいいなぁ…。
なんなんだ、これは!
夜、いつものように報道ステーションにチャンネルをあわせましたが…。
いったいなんなんだ、これは。ほんとにこの国の政治はどうなってるんだ。
「ちゃんと質問に答えてください」
「だから答えてるでしょう」
「答えてください」
「答えられないって答えてるでしょう」
みたいなやりとり。
子どものケンカというか、子どものケンカよりもひどいというか。
かと思うと、不倫報道。
「「倫」は「仲間」という意味なんですよ」
と、かつてFぁよんが教えてくれたけど、まさに「仲間にあらず」という「扱い」なんですね。ちなみに「倫理」は「仲間の理」かぁ。厳しいですね。
ベッキーの時も感じたけど、別にどーでもええやん。ゴシップやん。しかも、背景にあるのはモノガミー規範やん。まぁ、ノンモノガミーなのかどうか、そういうパートナーシップをとっていたのかどうかはわからないけどね。
なんかもう…(;_;)。