わたしのための言葉・あなたのための言葉

今日は某人権教育研究会の総会です。午後は講演。講師は東優子さんです。演題は「「性の権利宣言」を読み解く」。
ちなみに、「性」についてこの研究会で扱うのは…。10年くらい前に3回くらいやったかな。池田久美ちゃん、大束さん、平野さん。さて、今回はどんなことになるかな。
東さんに話してほしい内容は、トランスとかLGBTとかではないです。じゃなくて、まさにタイトルの通り「性は人権」だってことを、この研究会の人たちにも知ってほしいと思ったからなんです。てことで、文科省通知とは関係ないってことです(笑)。
でもま、LGBTのことは避けては通れないでしょうから、そのあたりについてどう話されるかも、わくわくしますね。

で、話。
まずは、セクシュアリティの基礎的なあたりをひと通り網羅されて、健康(ウェル・ビーイング)の概念の解説です。当然といえば当然なんですけど、「性」を考える上で社会を排除することはできないわけです。でも、たぶん、一般的には「性」は「自然」と一体として考えられてるんじゃないかな。例えば同性愛について言及するとき、いきなり「種の保存は本能」みたいな話が出てくる。それもたぶん「性は自然」って文脈なんだろうと思うわけです。でも、実際には違う。そんなことを、東さんはさまざまな事例をあげながらていねいに語られます。
そして、いよいよ「性の権利宣言」へ。ひとつひとつの条文を説明されますが、ここで「性の権利を侵されている事例」をあげていかれる。それは女性であり、子どもであり、LGBTなんですよね。そして、「性の権利が侵されている存在」だからこそ、その人たちの権利が保障されなくちゃならないとする。このあたりは、ひとつは「合理的配慮」の発想でもあるし、「世界人権宣言」の発想でもあります。
にしても、なんか、幾度も涙が出てきました。これほどまでに「わたしの権利」について、力強くはっきりと語ってくれた人がいただろうか。たぶん、ほとんど経験がありません。
わたしはずっと「他者の人権」にとりくんできました。そして、「わたしの人権」についてはほったらかしてきました。そして、「まぁそんなもんだろう」と、ある種冷ややかな感覚を持ってきました。だからこその「笑い」なんですよね。そんなわたしが、東さんのひとつひとつの言葉は、まさに「わたしのための言葉」だと感じたんですよね。
もちろん、はじめにも書いたように、それをしてほしいから東さんに来てほしいと思ったわけではないです。でも、「性の権利」を語るうえで、「権利が侵害されている人々」について語ることは不可避だし、その人々のために「性の権利」はある。そして、東さんは「いつきさん、あなたが「その人々」なんだ」と語り、「「性の権利宣言」はあなたのために書かれたんだよ」と語られた。
そんなメッセージを聞いて「わたしは生きていてもいいんだ」という気がしたんです。この時からずっとつながっていたんですよね。

さてと。
「わたしのための言葉」がこれほどまでにわたしを勇気づけてくれるなら、「わたし」は「あなた」を勇気づけるために、これからも「あなたのための言葉」を語り続けよう。あらためてそう感じました。

孤独感

なんか、土日はめっちゃ飲んでたけど、どこか孤独感が漂っていました。なんなんだろう、これ。
そうか…。
たぶん、まわりと「目」があってない。世界の見え方が違う。
いや、もちろん、誰だって他の人とは見え方が違うんだろうとは思います。が、その違いに気づくかどうかは、もしかしたら人による。
世界の見え方が「違う」の思った瞬間に、会話がとてもしんどくなります。言葉が伝わらない感がハンパなくなる。それは孤独感につながっていきます。そしてそれが耐えられないほど大きくなることがたまにある。
たぶん、どうしようもないですね。
とにかく、これが過ぎるのを待つしかないかな…。