あれとこれがこうなると、こうしかありえない→後まわしにしちゃいけないよな

今日の昼前にテストが返ってくる。でも午後から出張なので、採点はできない。明日は一日お出かけ。夜は夜で久しぶりの「謀議」。なので、採点できない。明後日は午前は監督まみれで午後から出張。明々後日は一日お出かけで、夜はおべんきょ。
土日は玖伊屋だしなぁ…。
で、月曜日の朝イチ成績会議か…。
\(^o^)/オワタ

なんていう人生やってると、ちょっとしたすき間の時間があれば仕事をやっつけちゃうクセがついてしまいます。
「閉店まであと15分」
て時に
「まだ間にあうけど、せわしないから明日にまわそう」
なのか
「まだ間にあうから、せわしないけど今日やっておこう」
なのか。わたしは後者なんですよね。
でも、もともとは「明日できることは今日はしない」人だったはずなんだけどなぁ(;_;)。

最後の授業

今年は15年ぶりに3年生の授業をもちました。
ま、感想をひとことで言うなら「楽しかった」ですね。やはり1年生・2年生とはまったく違う「大人感」があります。おかげさまで、やりたい放題させていただきました(笑)。
そんな時間も今日でおしまいです。
ちょいと感傷的な気持ちで教室に行ったのですが、ヤツらはいつもの通りです。つい
「おまえら、もうちょっと感動的だったりせんのか?」
と思わずグチりましたが、まぁそれもまたヤツらなんでしょうね。
ま、明日の試験、がんばってくれ(笑)。

お座敷前の〜お座敷あとの

守山から電車に飛び乗って、向かうは元町。のつもりが、つい三宮で降りてしまいました。今日は「反レイシズムデモ」があるので、一人でも頭数を増やそうかと。ちょうどデモ隊がこっちにやって来たので、これ幸いと合流。解散地点まで行って、ちょいとみなさんと言葉を交わして。と思ったら、取材を受けちゃいました。で、気づかなかったんだけど、後で友だちから「取材のお礼メール」が来て
「え!あんたやったん!」
みたいな一幕も。

で、元町まで走って、午後のお座敷の会場へ。今日は「母と女性教職員の会」の文化会で発題をしなくちゃなりません。ちなみに、2〜3日前に「40分でお願い」というメールを見て、あわてて演題を変えたというのは、ここだけの話です(笑)。でも、基本的には教職員のお客さんが多いので、たぶん新ネタは新ネタで、それなりに聞いていただけたんじゃないかな。

で、終わってからは懇親会。
なんか、ここしばらく飲み会続きなので、おなかの調子がイマイチです。なので、おなかに優しく食べようかと。
懇親会が終わったら、なぜか2次会。入ったお店は野菜専門の居酒屋です。これはうれしい!日本酒もなかなか凝っています。
いろんな話で盛り上がって、気がつくとそろそろ帰らなくちゃって時間になりました。でもま、家に帰ったら11時ってところなんで、よしとしますか…。

あれとこれをこうすると、ホレ・日教組教研2日目

今日は総括討論です。ま、参加してないから「あっという間」です。
今日はどんなネタで行こうかなぁ…。
そうそう。昨日の話の中で「学校と社会のギャップ」みたいな話がありました。例えば…。「子どもに家の仕事、できることを手伝わせる」みたいな話がありまして。でも、中学生になると手伝わなくなる。どうすりゃいいの?みたいな話です。もちろんこんな雑な話ではなく、これは例えばですけどね。
でも、当たり前っちゃぁ当たり前です。だって、中学生になってクラブ入ったら忙しくなって「できること」がなくなって「できないから手伝えない」となるわけです。
まぁ、家事労働をするべきか否かみたいな話は、それはそれであるとして、とりあえず「子どももちゃんと家事労働を分担し続ける」ためにどうすればいいか。
「小さい時からそのことを繰り返し」みたいな話になりがちなんですけど、それ、ムリなんと違うかなぁと。で、ふと頭をよぎったのが「ESD」だったりするわけで(笑)。「持続可能な開発のための教育」ってやつですね。つまり、自分自身の価値観の組み換えによって、自ら「家事労働をしよう」と思える子どもを育てて行かないと、いくら外からの刺激でやるように仕向けても持続しないだろうと。で、やるなば、そういうプログラムを保育園からの育てを見通してつくっていかなきゃならんだろうって話をしてみました。
あと「自立」って話が出てきたので熊谷さんの言葉を引用したりして。
ま、あちこちに散らばっているいろんな情報をかき集めて整理して提示してケムにまく。
いつもの手法でみなさんを混乱させたところでタイムアップです(笑)。

今年もやってきた・日教組教研1日目

昨日の夜は北海道のTさんと飲み。結局終電の一本前まで呑んでしまったわけで。
となると、朝は当然しんどいわけです。「なぜにこんな」と思いながら、それでも6時半起き。ごそごそ準備をしてスタートです。向かうは守山。昨日から恒例の日教組教研が行われています。
今回はなぜかわたしは提案県。たいしたレポートじゃないのになぁ。しかも、午前のトップバッター。遅れられません(;_;)。
会場に到着すると、あちこちから声がかかります。さすがは「名物」です(笑)。
「なんで昨日来なかったん?」
「いや、試験問題つくってて(笑)」
と、ベタベタ教員の会話をひとしきり楽しんで、いよいよ「両性の自立と平等」分科会のはじまりです。
ま、レポートはさっくりとこなして、討論開始。
実はTさんやSさんから「論点」はすでに聞いています。どうやらみなさん「自尊感情」でモヤモヤしているらしいです。で、そのモヤモヤ感の晴れなさをどう表現するかというと
「いつきさんがいないのが悪い」
と。そこか(笑)?
なので、自尊感情にこだわってみることにしました。
ま、簡単に言うと、「自尊感情を高めるプログラムなんてないよ」ってことなんですけどね。それから、自尊感情なんてものは、あとあと振り返って、ふと感じるものなのかなと。で、それよりも大切なのは「レジリエンシー」だろうと。
ま、そんなことを繰り返し話してみたりしました。
どうやらもうひとつ論議になっていたのが「自分らしさ」みたいです。ま、これ、自尊感情とニコイチ的なものですよね。これ、かつて北海道で論議をした気もしますが、まぁ、人も変わっているからなぁ。で、ここでも「パッケージングされた自分らしさをチョイスすることになってはいないか」みたいな話でケムにまいたり^^;;。
そうそう。「労働」に引っ掛けて「夢を語る」のもなぁ。職業選択の幅を広げるために仕事探しとかして、夢を語らせるとりくみなんかがあるのですが。でも、「やりたい仕事」を仕事にしなくちゃならんのかなぁ。やりたいことは別にあって、「仕事は食べるため」ではあかんのかなぁ。「やりたい仕事をするためにひたすら前向きに」って、メッチャ息苦しい気がするし、「できた人の偉さ」を提示することは「ドロップアウトした人のダメさ」も同時に提示する気がするんだけどなぁ。
ま、そんなことを話してみたりしました。

で、夜はこれまた恒例の呑み会。
呑んでいると、東京のK畑さんが入ってこられたのはビックリです。
いろんな人が入り乱れ、いろんな話が入り乱れ、カオス状態の飲み会に身を置くことの楽しさですねぇ。
でも、2次会でゆっくり倒れていきました^^;;。

不合理か?

今日の「おべんきょ」は、わたしたちのグループの発表です。過去2回、他のグループに「優しい質問」をし続けたので、今日はやり返されるんじゃないかと、心臓バクバクです(笑)。ま、でも、相方さんがそうとうしっかりした方なので、安心といえば安心なんですけどね。というか、発表内容をつくってくれたの、ほとんど相方さんです(笑)。いやぁ、楽でした^^;;。
わたしたちの発表内容は「同性愛」。
「じゃ、次、同性愛グループ」
と言われて
「お、おぅ^^;;」
ってなったりはしたのはご愛嬌です。
ま、それぞれ担当の15分をパシっとやりきって、無事終了。その後の質疑応答も強気に押しまくって乗り切りました(笑)。

で、後半は部落問題。
教材はおもしろいし、展開もおもしろいんですが…。今回もひとことに引っかかってしまいました。
「差別が不合理であることに気づかせる」
なんか気になります。じゃ、「合理的な差異は差別ではなく区別」ってこと?
実は、「差別→不合理」ということは、対偶をとると「合理的→差別ではない」。言い換えると、「合理的な差異は差別ではなく区別」。でもそうかなぁ。その「合理性」って、不変のものなのかなぁ。解釈の余地は入らないのかなぁ。
「差別は不合理」という命題を真にすると、同時に対偶も真にしてしまい、「何が不合理か」という解釈を経て、差別に理由を与えるんじゃないかと思うのです。
例えば。
「国籍の違い」は「合理的な差」であるという解釈は成り立ちます。とするなら、そのことによる処遇の差は差別にはならない。
ということです。「いや、国籍の違いは合理的な差ではない」という主張をしたとしても、いずれも解釈の問題にしかならない。逆に、今行われている差別的な処遇は、「だって合理的な差があるんだもん」っていうところに担保されているように思うのです。
「肌の色の違い」や「性別の違い」が「合理的な差」として法的に処遇の差を与えられていた時代があります。その当時は、それを差別とは考えられていなかった。逆に、「処遇の違いは合理的」とすら考えられていたのではないかと思うのです。
であるなら、「差別は合理的におこなわれる」というふうに考え、「その合理性を問う」としたほうが、より現実に近いんじゃないかと思ったりするわけです。

日常生活で「NO!」

「差別しちゃいけない」ということが「規範意識」にまでいった今、逆に「そうはいっても」と心の奥底で感じる人がそれを「足かせ」と認識する。その根底にあるのは「自分はマジョリティ」なんたけど、その「マジョリティ」の中身は「ふつう」という言葉に置き換えられて表現されている。そんな中で「人権」は、ごく一部の過激な人がやってることになってしまう。そして、善意の人からは「すごいね」「えらいね」って言われることで「ふつう」からさらに差別化されてしまう。
だからこそ、「人権」を「ふつう」の中に入れなきゃなって思うのです。

なんか、朝鮮高級学校への襲撃事件というヘイトクライムについて、一晩たって、再びそのことを考えた時、「一市民がカウンターしてます」から「カウンターやってる市民がここにいます」へとステージを変えなきゃならんのじゃないか。そうやって、生活の場で存在を顕在化させることが必要なんじゃないかと思うのです。
心の中で思っているだけでは、自分の思いは表明できない。とするなら、缶バッチとか、バンダナとか、マフラーとか。とにかく「NO!」の徴をみにつけること。「NO!」があふれる街をつくっていくこと。
そしてそれは、まずは、わたしから。
てことで、缶バッチつけたリュックにバンダナくくりつけて、マフラーして出勤しよう(^^)。
これでフラッグまとえば完璧やな^^;;。

復帰一日目

明日から、なにやらお隣りの県で大きな集まりがあるそうな。なので、全国から友だちが集まりはじまっているようです。そんなうちのふたりとメールのやりとりがはじまりまして…。
Sさん「明日は他のところに行かなきゃならないんだけど、今日はあいてるよ」
Tさん「今日の交流会は断れないけど、あしたはことわってあるよ」
えーと、わたしはどうすりゃいいのかな…。
はい、今日はSさんと呑んで、あしたはTさんと呑めばいいってこってすね^^;;。

てことで、Sさんと呑みました(笑)。

復帰一日目

復帰初日はハードです。午前4連続授業です。
1時間目…。まぁそれでもなんとか。
2時間目…。グループ学習なんでひといき。
3時間目…。ようやくエンジンがかかって、ガチの授業。
4時間目…。絶好調でやってたら…。
昼休み…。背中と右腕が筋肉痛(笑)。
まったく、どんなんやねん^^;;。

時代はあきらかに逆行している

今日のつぶやき

神戸の朝鮮学校に金属棒持つ男侵入 – 47NEWS(よんななニュース) http://t.co/Pf8YeY8aYC

1月17日に「阪神淡路大震災の時は、朝鮮学校に日本人も避難していた。関東大震災から70年あまり、たくさんの人の力で社会を変えてきたんだ」って話したのに…

1923→?→1995→?→2011。
「?」にはなにが入るんだろう。