日常生活で「NO!」

「差別しちゃいけない」ということが「規範意識」にまでいった今、逆に「そうはいっても」と心の奥底で感じる人がそれを「足かせ」と認識する。その根底にあるのは「自分はマジョリティ」なんたけど、その「マジョリティ」の中身は「ふつう」という言葉に置き換えられて表現されている。そんな中で「人権」は、ごく一部の過激な人がやってることになってしまう。そして、善意の人からは「すごいね」「えらいね」って言われることで「ふつう」からさらに差別化されてしまう。
だからこそ、「人権」を「ふつう」の中に入れなきゃなって思うのです。

なんか、朝鮮高級学校への襲撃事件というヘイトクライムについて、一晩たって、再びそのことを考えた時、「一市民がカウンターしてます」から「カウンターやってる市民がここにいます」へとステージを変えなきゃならんのじゃないか。そうやって、生活の場で存在を顕在化させることが必要なんじゃないかと思うのです。
心の中で思っているだけでは、自分の思いは表明できない。とするなら、缶バッチとか、バンダナとか、マフラーとか。とにかく「NO!」の徴をみにつけること。「NO!」があふれる街をつくっていくこと。
そしてそれは、まずは、わたしから。
てことで、缶バッチつけたリュックにバンダナくくりつけて、マフラーして出勤しよう(^^)。
これでフラッグまとえば完璧やな^^;;。

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