ボチボチと「巣」から出なくちゃ

昨日、とにかくひとつ仕事を終えたので、かなり気が楽になりました。てことで、今日は残っている「大きくはないけど大切な仕事」に着手することにしました。てか着手しないと間にあわない^^;;。
で、午前で終えるつもりが昼過ぎまでかかって終了。
午後からは、次の仕事をやるための下調べの時間。ま、こいつについてはおおむね語り尽くされている感があるので、そのあたりをチェックしながら、わたしなりの意見をまとめればいいみたいです。ま、少し時間もあるし、論点を書き出す程度で今日はやめておいて、もうひとつの仕事のメモをつくって。
そんなこんなで、気がつくと世界は暗くなっていました。

巣にて

さすがに4日ひとつの部屋に閉じこもっていると、「巣」になってきますね。でもま、そんな経験もほとんどしていないので、それはそれでよしかなと。
いちおう頭痛は治まったものの、咳がひどいです。それから、歩くと何となくフラフラします。なんでしょうかねぇ。この浮遊感は…。でも、呑まずにこの浮遊感は、それはそれなりにいいかな(笑)。
てな話とは別に、とにかくひたすら5つめの大仕事をすすめていきます。で、夕方には無事終了。ホッとしました。これで今年もなんとかなりそうです。
と、お一人からは午前中に返事が返ってきたし。すごいなぁE井さん。

晩ごはんを食べたあたりで、もう、さすがに仕事をする気力がなくなったので、ダラダラテレビを見ていたら、せっかく頭痛が治った頭をまたまた痛めるようなニュースが多々。
もう、やだ…。

快方に向かえども

朝、まだ頭がツキツキツキ。
「熱をとるか頭痛をとるか」
と聞かれたら、迷わず熱をとりますね。それくらい、頭痛はイヤです。てか、それ、わたしだけじゃないと思いますけどね^^;;
とりあえず、医者から
「5日間休め」
と言われている期間のまだ3日目なので、とりあえず仕事は休み。おとなしく寝ることにしましょう。
ツキツキツキツキとくる頭痛でしたが、昼頃にはだんだん引いてきて、少し楽になってきました。ということで、やらなきゃならない仕事はあるわけで、そいつにとりかかることにしましょう。
小さなペーパーはさっくりとあげて、大きいのに着手。ふむ。さくさく行きますね。
とにかく、今回の「強制休業中」にどこまで仕事ができるかが勝負みたいです。

寝たきり生活

昨日に引き続き、寝たきり生活です。熱はともかく、頭痛が…。にもかかわらず、食欲はある。
「それにしても」
とふと思いました。こんなこと、いつ以来だろう…。そうか、2010年7月以来です。
あれから3年半かぁ(笑)

体調悪化の正体

朝、行きつけの内科医に予約を入れます。が、なんしかしんどい…。
昼前にお医者さんに行って、検査。
検査結果はインフルエンザA型でした(笑)。
さて、これから寝たきり生活がはじまります^^;;

体調悪し

朝起きた時、体中がゴキゴキです。皮膚と服がケンカをしていました。なんだろ、触覚過敏?これは、明らかに発熱の兆候です。でも、何度か熱を測ったけど、平熱です。
放課後、もう一回測るとちょい微熱。
さて、今晩から行くスキー、どうしよう。
ま、基本はスケジュール通り動くわたしです。スケジュール通り動いていたのですが、9時頃に急激に体調が悪化。熱を測ると39度に届こうとしています。これはダメです。
スキーは急遽キャンセル。そのまま倒れてしまいました。

今年もやってきた

今の子どもたちにとって「生まれる前」の話。
でも、だからといって風化させてはいけないと思います。それは、例えば戦争体験がないわたしにとって、でも、「戦争」は風化させてはならないということと同じです。
てことで、話しはじめたのですが…。
今年は調子乗りが茶化した。
久しぶりに腹が立ちました。で、思わず
「お前にとって、歴史とはなんだ!」
と、およそ数学教員とは思えない問いかけをしてしまったりして。

しかし、1923年から1995年、そして2011年へ。時代が逆行しているような気がするのは、わたしだけでしょうかねぇ。

わたしの基準点の置き方

今日のおべんきょは、先週に引き続き、人権学習の教案の発表会です。
ま、それぞれに対してそれぞれに考えたことは多々あったのですが、なにより大きかったのは、わたしのものの考え方を「言葉化」できたということでした。
例えば、在日外国人問題の教材における「我が国」「我々」「彼ら」という言葉、あるいは、障害者理解教育における「配慮」という言葉に、わたしは反応してしまったんです。前者については「我は誰を指すのか」「彼は誰を指すのか」ということ、後者については「配慮は誰が誰にするのか」ということでした。
まぁ、前者についてはよく言われることなんでいいとして、後者ですね。実はこの質問をしたら、発表者の方はよく考えておられる方みたいで「相互の配慮」という形で返されてきました。で、かつてわたしは障害者から配慮された経験があるので、瞬間「うーんやられた」となったんですが、でも言葉化できないまま「違う」とだけ返しました。

わたしが受けた「配慮の経験」というのは…。
とある、自立生活をはじめる人のための「ピアスクール」というところにおじゃました時のことなんですが。そこにCPの人がおられて、やたら話しかけてくる。正直わからないから「困ったな」と思いながらも、「わからん」と返してたんです。そしたら、向こうの方「しゃーないな」って感じで50音表を出して、話しかけてくれました。それでようやく会話ができるようになりました。
ただこれだけの経験なんですが…。
でもその時「ごめん、わからへんで」と思ったんですね。「いらん労力かけさせて」って。つまり、わたしがその人の言葉を理解する能力を持っていればそんなことさせなくても会話できたのに、わたしの能力不足のために相手に「配慮」させてしまった。もっと言えば「こいつ、わからんやっちゃな」って、わたしを見捨てることもできたのに、たまたま喫煙所で出会った見知らぬわたしのために、そういう配慮をしてくれた。立場を変えるなら、わたしが配慮を強いたとも言えるわけです。
で、これ。街角で英語で道をたずねられて困ったら「英語ができない自分のせい」って考えるのに、CPの人だったら「自分にわからないことを言っている」って相手のせいにしていた自分に気がついたんです。それ以来、CPの人の言葉がわからなかったら「わからないわたしの能力不足でごめん」と思うようになったんです。
ま、そういう気づきの経験でもあるわけです。

で、その時のその人とわたしの関係がどうだったからわかりませんが、わたしの側からすると、ま、アウェイな空間でもあったので、そのおかげで比較的フラットな関係に近かったからこそ、わたしを「変える」ことができたのかなと思いました。これが、わたしがふだんいる空間であればそれができだろうか。
そう考えた時、「マイノリティがマジョリティに対しておこなう「配慮」とは「遠慮」じゃないか」と、ふと思いました。
たぶん、わたしがひっかかったのは、そこだったのかな。

「配慮」という言葉にしろ「我々」という言葉にしろ、それらは、歴史や社会をどこから見るのかということと直結しているしているように思います。
ふたつの発表が、ともに用語解説や歴史を公的機関をソースとしていたのも象徴的でした。当事者の姿が希薄、あるいは見えない。もちろん「おべんきょ」の世界で生きてきた人に「当事者の視点」をいきなり求めるのは酷かもしれません。でも、それ抜きで「人権教育」はできないと、わたしは考えます。というか、わたしはそう考えていたんだということに、あらためて気づかされました。

「当事者にもいろいろいる」「特定の当事者の観点から物事をとらえるのは偏ったものの見方」という意見はあるでしょう。でも、「公的機関からとらえる」こともバイアスのひとつです。というより「バイアスがないふりをする」という意味で、「もっともバイアスがかかった物事のとらえかた」ということもできるかもしれません。
であるならば、わたしは「当事者の歴史や現状」をマジョリティであるわたしが見るという幾重ものバイアスのうえに成り立ったところに基準をおきながらやりたいし、きっとそうしたいと今までも思ってきたんだなと、気づかされました。

てことで、来週の発表は、そんなことに留意をしながらやりたいな。

ここでの力ではなく

で、放課後、
「数学教えて」
という子が来まして…。なんでも、看護学校を受けるとか。なるほど…。
まぁ笑いました。ほんっとにいろんなことを忘れてるんですね。
ま、いちから全部教えるのもひとつの方法かもしれないけど、なーんか違う気がするのはいつものことです。なので、記憶を呼び覚まさせるためのヒントを提示しながら、とにかく
「思い出せ!」
と。
試験の時にはひとりで解かなきゃならんのです。今解くことが大切なんじゃなくて、その時に解けることが大切なんです。
あ、これって、交流会といっしょだな(^^)。

今日もひたすら

実は「急ぎの大きい仕事」は全部で5つありまして。うちひとつはすでに終えて、次のものにとりかかっています。
ま、傍から見たら、ヘッドホンつけてキーボードを叩いてるわたしは遊んでいるようにしか見えないでしょうね(笑)。でも、聞いているのは「講演」でして、叩いている文章は、すでに起こしてあるものなんですよね。なにをしてるかというと、起こした文章のチェックなわけです。
起こした文章、たまに「?」って書いたあったり、聞き間違いがあったりします。そんなのをチェックしながら、ムダな重複なんかをカットして、読みやすく、でもライブ感がなくならないように仕上げようと。
今日は2本目をあげて、3本目にとりかかりました。
ま、でもこれ、しんどいけど、いっぽう、案外楽しいというか、勉強になります。ただ、まったく他のことができなくなるのがやっかいですよねぇ…。